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32話

 (とばり)組、次期組長が女と子供を連れて組を去った。それは3年前のこと。そして、死んだという報告とともに、その娘が帰ってきた。それは1年前のこと。


 次期組長と言われた帷陽一(よういち)は、犬太郎(けんたろう)、当時の名は九条 新(くじょう あらた)と言う帷組組員の親友であった。陽一は新よりも3つほど歳が上であったが、新にだけは砕けた調子を見せ、2人は何度も酒を酌み交わした。

 新が陽一から好きな女性がいると相談を受けたのは。陽一が25で、新が22の時だった。一般の女性ということで、自分の気持ちを告げていいのか悩んでいると、陽一は新に告げる。新と二人きりにならない限り、氷の仮面を取ることのない目の前の男が、他にも気持ちを傾けたいと思ったことに驚くと同時に、嬉しくなった。

 女性は組から少し離れたパン屋に勤める女性で、陽一の2つ下らしい。自分よりもひとつ上ということで、新は少し大人びた女性を想像した。

「その女性と家族になりたいのか?」

「そうだな。我儘を言えばそれが一番だ」

 母からは跡取りとして厳しく、父からは親子ではなく組長と舎弟という関係を強いられてきた陽一は普通の温かい家族に憧れていたのかもしれない。

「彼女なら、ついてきてくれるんじゃないかって」

「勝手だな」

「そうかもな」

「でも、それぐらいでいいじゃないか」

 自分から望んだことなどない。そんな陽一が初めて望めた。そんな学生のような淡い恋を、親友として応援したくなった。


 何度かデートを重ねるようになった2人は、傍から見れば初々しい仲の良いカップルだった。何度目かのデートに呼ばれ、紹介された新は予想よりも穏やかそうな女性を見て、組とは全く別世界にいるのだと悟る。

「新さんは、陽一さんと仲がいいんですね」

 仕事の連絡をする陽一から離れた場所で、尋ねらる。(さき)というこの女性は、名前の通り笑うと花が咲くようだった。陽一から付き合いを提案される時、咲は組のことを聞いていた。それでも、2人は一緒にいることを望んだ。

「羨ましい?」

「ええ、とっても。だけど、陽一さんが私以外に頼れる人がいるのが嬉しい」

 自分よりも他者の幸福を喜べる人だった。陽一を心から愛してくれる人だった。陽一は、咲の覚悟を認め自分の両親に紹介することを決めた。咲にはもう両親はなく、それが彼女の覚悟を後押ししたのだと思う。

 現組長である隆一(りゅういち)は、後継を作るのならば文句はないと2人の結婚を認めた。しかし、最後まで反対し続けたのはその妻である春代(はるよ)であった。男社会であるヤクザ家業に、咲のような女性が入ることを嫌ったのだ。今まで春代の言いつけを聞いてきた陽一も、こればかりは譲れないと、反対を押し切り2人は結ばれた。

 しかし、2人が結婚して1年後。陽一が27になる年に、咲のお腹にひとつの命が宿った。それが、陽一の覚悟を揺るがすきっかけとなる。


「新、女の子だった。咲の腹にいるのは、小さい女の子なんだ」

「そうか。おめでとう」

 陽一はあとを継がせるなら男の方がいいが、自分は女の子が欲しいと言っていた。その希望通りに、腹には女の子が宿った。だが、陽一の表情は暗くあまり喜んでいるようには見えない。新は、子供になにかあったのかと心配し、思わず尋ねる。

「なんともない。少し体は小さいが、問題はないって」

「じゃあどうしたんだよ」

 用意した酒にも手をつけず、陽一は項垂れる。

「俺は、組を背負う自信がなくなった」

 まさかの発言に、新は継ぎ足そうとした酒を落とす。そして、先程までの声よりも少し声量を上げた。

「なんで、そんなこと」

「咲も産まれてくる子供も、俺はここにいさせたくない。もっと普通の環境で、大切にしたい」

 どれだけ覚悟があっても、咲にとって組での生活は苦しいものだった。怒鳴り声は日常茶飯事、時には血まみれの組員がやって来る。少しやつれ、以前のような笑顔もかなり減った。それでも咲は、陽一と共にありたいと、春代に小言を言われながらも過ごしてきた。

「俺は組よりも、大切なものを作っちまった……。俺は組のために生きられない。咲と子供のために生きたい」

 こんなにも弱々しく話す男だっただろうか。大切なものがあると語る瞳は、涙ぐんでいた。

「だが、お前が出て行くなんて親父も春代さんも許さねぇだろ」

「わかってる。わかってるんだ。でも俺は、もうここにいたくない」

 まるで、自分も否定されているようだった。両親とも縁を切り、何もかもを捨てた新には、もうここしか居場所がなかった。陽一と一緒ならば、これからもここで生きていける。陽一と咲と、産まれてくる子供を自分の出来る精一杯で守ってやろう。そう思っていた。しかし、その決意では陽一を引き止められない。

 新は何も言えなかった。何も出来なかった。

 腹が大きくなった咲を連れて、組を出ていく陽一の背中を自室の窓からただ眺めているだけだった。

 春代は、あの女のせいだと咲を呪った。厳しくしていたが、春代は出来のいい息子を愛していた。帷を支える柱となってもらうために、できる限りのことをしてきた。しかし、それが1人の女がきっかけで裏切られる。プライドの高い春代にとっては許し難いことであった。

 新は、陽一を監視するという役目を受け、組を一時的に抜けることになった。常時張り付いているわけではないが、定期的に居場所等を伝えるよう命じられていた。

 ちょうど、定期連絡を行うために組に戻っていた時だ。陽一と咲が、何者かに襲われ、無惨な姿で殺されたのは。

ここまで読んでくださりありがとうございます

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