3話
体の痛みが落ち着き、以前と同じように歩けるようになった頃。部屋に初顔の男がやって来た。いや、見たことあるな。確かあの夜、ガキの後ろにいた奴だ。
「なんか用かよ」
「世話になっている癖になんだその言い方は。お嬢の命令でなきゃ、お前なんぞあそこに放って置いたものを」
「でも拾っちまったんだろ? なら最後まで面倒みろや」
「ふてぶてしい奴だ」
オールバックにした濃い茶色の髪を1度撫でつけ、そのまま銀縁の眼鏡を上げる。ひとつひとつの動きがビシッと決まっている。いつか見たドラマにいた執事ようだった。
「まあいい。居候しているからには、少し働いてもらうぞ」
「はぁ?」
その後、俺の顔面に軍手が投げつけられ、庭の掃除を命じられた。無駄に広い庭は手入れが行き届いているため、そこまでやることは無いが、雑草を抜いたり砂利を元に戻したりと、地味な作業が続く。
春が終わり、夏が近づいてきたが、幸いにもまだ風は心地いい。
「あれ? 外に出てる」
「あ?」
ふと、真横から声がして顔を上げてみると、そこには濃い紫のランドセルを背負ったあのガキがいた。渡り廊下のでかい窓から、俺を見ている。
「小学生だったのかよ」
「そうだよ。いま6年生」
「やっぱガキじゃん」
「ガキじゃないよ、小夜」
そうやって反抗するところもガキっぽい。
「そっか、タカが働かせるって言ってたもんね」
「タカ?」
「今朝会ったはずだよ、鷹槻」
あの眼鏡、鷹槻って言うのか。なるほど、だからタカね。てかこいつ、俺の名前は必要ないとか言っといて、別の奴のことはちゃんと呼ぶんだな。
「そういえば……」
再びガキが口を開きかけた時、玄関の方から発砲音が聞こえた。
「帷ぃい!! 死ねや!!」
どこからどう聞いても下品なチンピラ。一人の男が銃を持ち騒いでいるらしい。
「お嬢、ご帰宅早々すみません」
「ううん。大丈夫、付けられてたのかな? 取り押さえられる?」
「はい、熊井が行きました」
どこから現れたのか、いつの間にか鷹槻がそばに控えていた。ガキからランドセルを受け取ると、共に玄関の方へと向かう。何が起こるのか気になり、俺も庭から玄関の方へと回る。
玄関先では、騒いでいる男とそれを押さえる大柄な男。よく病室に来る奴だ。あれが熊井か。やっぱ熊だ。
「怪我した人いる?」
「大丈夫だよー、お嬢」
「よかった」
大の男が必死に暴れてもビクともしない。それだけ、熊井の力が強いということだ。地面に押し付けられる男に向かって、ガキは冷たく問いかける。
「どこかの組の人? それとも個人的な恨み?」
「てめぇみたいなガキに教えるかよ!! 親玉出せや!」
どうやら男の目的は帷組組長らしい。ガキはお呼びではないようだ。
「悪いけど、ここに組長はいない。ただの別邸だから」
「はあ!?」
あの男は本当に知らなかったのだろう。帳と看板を下げているから、ここが本拠地だと思って乗り込んだ。それだけなんだろうな。
「クソガキが! 嘘ぬかしやがって!!」
「あなたに嘘をついてなんの得が?」
押さえつけられているとはいえ、あんな大声で怒鳴られたら普通はビビるだろう。だが、ガキは未だ冷めた目で男を見下ろしている。それに反して、周りの男たちの殺気は高まっていく。見たことないやつが3人ほどいた。
「テン」
ガキがそう呟くと、黒髪を目元まで伸ばした男が歩み寄る。腰をかがめ、なにやら指示を聞いているようだ。
「ユキにも伝えておいてね。お仕事頼んだよ」
「うん。がんばる」
見た目よりずっと幼い話し方をしていた。ひょろりとしているが、どこか不気味さや怪しさを感じさせる。ヤクザってよりは暗殺者みたいな……。いやそんなんいるわけないよな。
「ははっ、帷の親玉は臆病らしいな……。ガキ1人を囮に置くなんて……」
ガンっと音がする。熊井が男の頭を1度持ち上げ、再び地面に押し付けた。
「黙らないとこのまま潰すよ?」
「ぐがあああああ!!」
男の悲鳴が響く。
「クマ」
立ち去ろうとしていたガキが一段と冷えた雰囲気をまとって、男の前に立った。ガキの声を聞いた熊井は、すっと手の力を緩める。
「私は、組の侮辱を何度も許すほど優しい人間じゃない。今あなたが生きているのは、私が組の利になる可能性があると判断したからで、帷組が優しいからじゃないの。あなたにある選択肢は2つ」
そう、また選択肢だ。あのガキはやたらと他人に選択肢を与える。行くか行かないか。食うか飲むか。生きるか死ぬか。
その様子を見ていると、あのガキは、俺たちよりも遥かに小さいのに、遥かに遠くの空から俺たちを見下ろしているように感じる。
「大人しく素性を吐いて楽に死ぬか、最後まで苦しんでゴミ以下となって死ぬか。選ばせてあげたかったけど、今決めた。あなたは後者。クマ、テン。あとはお願い」
「はい、お嬢」
「うん」
その場にいる誰よりも冷徹で、誰よりも凛々しかった。あの瞬間、この世の支配者はたった1人の少女なのだと感じた自分がいる。
ふと、気になった。あの氷のような表情はどうすれば溶かすことが出来るのか。どうすれば天上人のように達観したあいつを、この腐った現世へと堕とすことが出来るのか。
俺はそんなあいつに生かされた。
捨てておけばいいただのゴミを、わざわざ拾った。あのガキの側にいれば、俺の人生は報われるのではないだろうか。そう感じた。
「なあ」
廊下を歩くガキを外から引き止めた。
「お前言ったよな、お前のために働くか、元の生活に戻るかって」
「言った」
その2択ならば、俺の意志はもう固まった。
「あんなつまらねえ生活はこりごりだ。お前のために働いてやる、死ぬまで面倒見ろよ?」
そしていつか、俺と同じ所まで堕としてやる。そんでもって、こう言ってやるのだ。「助けてやろうか」と。
ここまで読んでくださりありがとうございます