29話
帷 小夜という人間が好き。その呼吸のひとつも逃したくないほどに好き。小夜さんの触れたところに誰かが触れるのが許せない。小夜さんの瞳に、他の人間が映るのが許せない。小夜さんの声が他の誰かに届くのが許せない。
どうして貂矢は貂矢になる前に小夜さんに会えなかったのだろう。どうして小夜さんの近くには、貂矢じゃなくて鷹槻の方が先にいたんだろう。
小夜さんは貂矢の殺しのターゲットだった。主と呼んでいた男から、帷組の娘として教えられた。組長を狙いたいが、警備が硬すぎるということで、跡継ぎ候補から始末するのが依頼主の要望らしい。
貂矢は暗殺者。生まれてすぐその家系に売られた。物心つく頃、手に握っていたのはかわいいぬいぐるみではなく、固く冷たいナイフ。それを使いこなすことが最初の課題だった。貂矢はその頃、6番って呼ばれてた。俺の他にも暗殺者は8人。全部で9人だ。でも、気がつけば誰かが死んでいる。1番は8歳の時訓練中に、2番は11歳の時にターゲットの罠にハマって。そんな感じで、みんな死んでいく。6番と8番は優秀だった。
主に従順で、完璧に仕事をこなすから。10歳になるまではたくさん殴られて、怒られたけど、仕事をこなすようになってからはそんなことはない。
でも誰も褒めてくれない。
たぶん貂矢が24歳になった時だと思う。小夜さんがターゲットになった。まだ10歳ほどの子が殺される。そんな事実に心を痛めるほど貂矢は頭が良くない。
言われたから殺す。確実に、失敗しないように。
帷の本邸と比べると、その家への侵入は簡単だった。だからといってすぐには殺さない。万が一失敗することを考えて、着実に準備を進める。
小夜さんのルーティンは? 家にいる奴らの行動は?全部調べるには割と時間がかかるが、それが貂矢の仕事の仕方だった。
小夜さんは不思議な人だった。今までも、小さい子供がいる人物がターゲットになったことがある。その時見た子供と比べると、小夜さんはかなり大人しい。大人しいというより、静かと言ったほうがいいかもしれない。
弱々しく見えるのに、どこか緊張感があって、近寄り難さを感じさせる。調べるうちに、小夜さんのことが気になっていく。
今日も笑わないのかな。
今日もあの縁側に腰かけるかな。
小夜さんを見ていると、いろんなことを考えられた。
もうちょっと近付きたいな。こっちを見てほしいな。
いろんな欲が出てきた。
そろそろ情報が集まって来た頃。小夜さんを見つめていると、ふと目が合った気がした。
「今日もそこにいるの?」
明らかに、自分のことを呼んでいるのだとわかった。今思えば、小夜さんに夢中になって、自分の気配を消すことを忘れていたのかもしれない。でも、その時は小夜さんが自分を見つけてくれたことに嬉しくなって、舞い上がってしまった。
「仕事熱心なんだね。毎日頑張って偉いね」
褒められた。優しい声で、小夜さんが自分を褒めてくれている。誘われるように、隠れていた場所から、小夜さんの元に降り立つ。
近くからさっきを感じた。たぶんそばに小夜さんの護衛が控えている。でも、そんなの気にならなかった。縁側に座る小夜さんの前に立つと、小夜さんはじっと見つめてくれた。
「偉いの?」
「うん。あなたはとても偉いよ。あなたの名前を教えてくれる?」
「6番」
そう言うと、小夜さんは不思議な顔をした。ちゃんと名乗ったのに、小夜さんは不満そうだ。
「それは名前じゃなくて、番号って言うの」
「でも、6番は6番だ」
「そっか……。それじゃあ6番、あなたは誰に言われてここに来た?」
「主」
「主って?」
「主は主」
主の名前は知らない。だって呼ぶ必要なんてなかったから。でも、小夜さんの困っている様子を見ていると、どうして自分は主のことを知らないのかと、不満が湧き上がってくる。
「ごめん、6番はなにも知らない……」
せっかく自分を見つけてくれた小夜さんに、何も望むものを与えられないのは、辛かった。
「そんなことないよ。あなたは私の前に来て、こうして話をしてくれる。それだけで十分嬉しい」
「ほんと?」
「うん」
小夜さんの言葉ひとつひとつが嬉しい。こんな気持ちになるのは初めてだった。小夜さんは、小さく手招きをする。それに合わせて、地面に膝をつき、目線が同じぐらいになった。すると、小夜さんは優しく頭を撫で始める。
「6番はいい子だよ」
ああ、好きだ。この少女のことがたまらなく好きだ。声も手も、全部優しくて、ずっと聞いていたい、触れていたいと思える。
「6番、私の護衛にならない?」
「護衛?」
「そう。今いるところは辞めて、私とこの家で暮らそう?」
「いいの?」
「あなたがいてくれたら、私は嬉しいよ」
小夜さんと一緒にいられる。そんな嬉しいことはない。ゆっくり頷いて、侵入してきたルートから帷邸を抜け出す。
もう小夜さんのそばにいると決めた。昔から押し付けられてきた主という存在は、もう自分にはなんの効力も持たない。今しなければいけないのは、小夜さん暗殺を企てた人間を殺すこと。
そうすれば依頼なんて消滅だろう。
ここまで読んでくださりありがとうございます




