27話
汚れていた制服は、新品のように綺麗になっていた。幸い、教科書等は濡れていなかった。強いて言えば、鞄の端が少しだけ破けたぐらい。内側の金具がちらりと覗いていた。
鏡の前で、一度自分の姿を確認する。薄っぺらい体に立派な制服。アンバランスだけど、それが学生らしい。スーツをビシッと着こなす鷹槻とは大違いだ。
筋トレでもしようかと考えながら、玄関に向かう。途中で熊井からお嬢と俺の分の弁当を受け取り、お嬢が来る前に玄関で靴を履き、その場で待機。
いつもより少し遅めに出てきたお嬢。恐らく、俺のことを考えて時間をずらしたのだろう。俺が先に行くだろうと思って。一緒には行きたくないだろうと考えて。
「虎鉄……?」
「……おう」
共に学校に行こうとする俺に、お嬢は少し驚いている。昨日からそんな顔ばっかだな。わずかな動きだが、いつもの無表情を見ていると、なんとなく変化に気が付ける。
「虎鉄、護衛を」
「やめようと思ったけど、仕方ねぇから続けてやる」
お嬢の奥で、鰐刀がほっとしたような顔を見せる。俺がやめると決めていたら、今日は鰐刀が護衛担当だったらしい。
「お嬢に迷惑かけたら、貂矢が殺しに行ってやる」
いきなり現れたのは貂矢。珍しく日中に屋敷にいるようだ。今すぐにでも武器を取り出しそうな様子に、内心冷や汗をかきながら堂々と告げる。
「やってみろ。俺は簡単には死んでやらないからな」
「ムカつく。殺したい」
「テン、約束したでしょ? 虎鉄も挑発しないで」
お嬢はいたって冷静に、俺たちの間に入り貂矢を鎮めた。それから改めて、俺の方に視線を向ける。
「虎鉄、本当にいいの?」
「ああ」
「後悔しない?」
「しねぇよ」
納得しきれていない様子のお嬢を見て、頭の裏をガシガシとかいた。そして、ビシッと音がつくような勢いで、お嬢を指さす。
「あんたが俺にやめて欲しくないって泣くぐらい、真面目に護衛やってやるよ。そしていつか、俺の働きに感謝しろ」
「……なんだか、虎鉄の性格が変わったみたい」
「こういうのは吹っ切れたって言うんだよ」
「そっか」
ほんの少し。本当に少しだけ、お嬢の口角が上に向いた気がした。喜怒哀楽のかけた、この小さな少女が思いっきり泣いて、思いっきり笑っていけるような働きをしてやろうではないか。自分たちには出来なかったと悔しい表情を浮かべる鰐刀たち見て、誇らしげに笑ってやろう。
俺がここにいることの意味を、大きな声で叫んでみせる。それがしばらくの目標だ。
今日は天気が良かった。風も穏やかだし、程よい気温だ。お嬢は珍しく、中庭での食事を提案した。中庭では、自分で用意した食事であれば、飲食が可能になっている。共有スペースとなっている中庭では、いくつかの椅子とテーブルが設置されている。1セットごと、割と距離があるためグループで楽しむ生徒、1人のんびりする生徒と利用は様々である。
食堂と比べれば人も少なく、落ち着いて話が出来る。ちょうどいいと、俺は切り出した。
「悪かった。お嬢のこと、その……空っぽだとか言って」
熊井の作ったサンドイッチが1つとフルーツ。決して多くは無いその量をゆっくりと食べたお嬢は、片付けながら静かに話す。
「昨日のことなら、あまり気にしてないよ」
「でも俺、いろいろ言っただろ」
「あながち間違いじゃないって思ったから」
パンくずでも落ちていたのだろうか。スカートをパッパっと払い、お嬢との視線がぶつかる。
「私、本当に空っぽなんだと思う。私の中には、虎鉄たち以外、何もないから」
「そんなわけないだろ」
「ううん。そんなことあるよ。組も祖父も、死んだ両親も、私にとってはもうどうでもいいの。自分のことも、よくわからないし」
ああ、まただ。またお嬢は寂しそうな、諦めたような顔をする。それは大人びていて、小学生だとは思えない。
「祖母からずっと言われてきた。感情的になるなって、大事なものは作るなって」
「婆さんに?」
「うん。私が感情的になる部分は、私の弱みだからそれを誰かに見せちゃいけないんだって」
「勝手な話だな」
ヤクザなんて感情の塊みたいなもんじゃないか。怒ったり、慕ったり、そういうのでうまく世界をコントロールしてる。
「私は女だから。力のない子供だから。冷静に動揺せずにいること、それが求められたんだ」
そう語る様子も、微塵も顔が変わらずお茶の入った透明な水筒を指先で撫でる。
「楽しいって笑う度に怒られて、痛いって泣く度呆れられた。ダメな事なんだってわかるまではとても辛かったと思う。もう、忘れちゃったけど」
「ダメなわけないだろ。それが普通だ」
「虎鉄もそう言ってくれるんだね」
俺"も"?ということは他にも同じことを言ったやつがいるんだ。たぶん鷹槻や犬太郎あたりだろうな。
「私には、よくわからないから。諦めたわけじゃないの、考えることが難しい」
お嬢の小さく細い手が、テーブルに置かれた俺の手に触れた。お嬢の手は、やはりヒヤリとしている。
「虎鉄を見てたら、いつか普通がわかるんじゃないかな」
「そう思うのか」
「うん、思うよ」
「なんで」
「虎鉄は素直だから」
納得しきれないが、お嬢が目を逸らして手も退けてしまったからもう聞き返すことは出来なかった。だがまあ、悪い気はしない。新しい仕事を与えられたような気分だ。
「難しそうだけど、やってやるよ」
「うん、頑張って」
自分のことなのに、どこか他人事のように振る舞う様子がお嬢らしい。
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