25話
女の子に会えたのは、次の日だった。足は治療してもらって、痛いけど何とか歩ける。施設の部屋とは違う、暖かくてふかふかの布団がある部屋に入れられた。
「おはよう。怪我、大丈夫?」
「だ、じょ?」
「あまり、お話し得意じゃない?」
「んあーあ」
女の子の口を真似してみる。同じように音は出なかった。
「私、帷小夜って言うの。しばらく、ここにいていいからね」
さよ、とばり、さよ。心の中で何度も繰り返した。小夜は俺のボサボサ頭を何度も撫でてくれた。頭を撫でられるのは初めてで、温かくて嬉しい。俺は小夜をすぐ好きになった。
時々、研究員みたいな白い服の男が来る。でもそいつは研究員じゃなくて医者らしい。
「面白い体だね〜」
「硬い鱗、ワニみたいだ」
小夜が俺の体を触ると、少しくすぐったい。たぶん、小夜の手が小さいせいだ。俺は、自分の硬い皮膚が好きだ。だってかっこいいから。小夜も、俺の体をかっこいいと言ってくれる。
「ただ乾燥がひどい。そのうち皮膚が硬直し始めるよ」
「なんとかなる?」
「もちろん。たぶん体内のカルシウムが不足して皮膚の入れ替えが出来てないんだ。人間の体内で作られる量じゃ足りないと思うよ」
医者にそう言われてから、ずっと薬を飲んでる。不足しているものを補うって小夜が言っていた。味はしないけど、小夜が言うなら飲んだ方がいい。
小夜は、よく俺のところに来てくれる。この前は、ぬいぐるみを持ってきた。ワニのぬいぐるみだ。俺の皮膚にあるのと同じものを持つ生き物。かっこよくて強そうだ。
「そろそろ、君に名前があった方がいいよね」
「なまえ」
「うん、名前。私も呼びたいから」
次は何をくれるんだろう。小夜がくれるのは全部嬉しい。気持ちを高ぶらせて、小夜が話すのを待つ。
「よし、決めた。君は今日から鰐刀」
「がく……がくと」
ワニみたいに強そうでかっこいい名前。それはとても大事な宝物になった。
「さよ、がくと」
「そうだよ、私が小夜、君は鰐刀」
小夜も俺と同じように自分の名前を言って指を指す。楽しくなって何度か繰り返した。
小夜は、俺にいろんなことを教えてくれた。たくさん話してくれるから、俺もたくさん話すようになった。字も教えてもらって、手紙を書いた。小夜の家の手伝いをしたら、犬太郎って奴にも、鷹槻って奴にも褒められるようになった。施設にいた時よりもずっと、ここは楽しくて幸せだ。
「鰐刀」
「おじょー、どうした?」
俺以外の奴らは小夜のことをお嬢と呼ぶ。鷹槻にもそうしろって言われたから、小夜のことを呼ぶ時は、おじょーと呼ぶことにした。
「鰐刀にお話があるんだ」
「お話! 俺、お話好き!」
ここに来て、3ヶ月が経った頃、俺は小夜に呼ばれた。小夜は部屋に入ってソファに座ると、1枚の紙を取りだし、机の上に置いた。
「鰐刀を引き取るって言ってくれた知り合いがいるの。この人たちなら、鰐刀を普通に育ててくれる」
「俺、この人と暮らすの?」
「そうだね。私はその方が幸せだと思うよ」
紙に印刷された、男と女。犬太郎ぐらいの歳だと思う。小夜は、俺にまた何かを与えようとしてる。それを受け取った方が、俺は幸せらしい。
「普通の学校に行って、普通の仕事をして、平穏に暮らすことができるよ」
この家には時々、怒鳴り声と銃声がする。血まみれの男が帰ってくることもある。俺はまだそうなったことはないけど、ここにいたら、いつかまた痛い思いをするのかもしれない。
「おじょーは? おじょーは一緒に行く?」
「ううん。私は行けない。ここにいなきゃいけないから」
「……なら、俺も行かない。俺、おじょーと一緒にいたい」
「本当に?」
小夜はちょっとだけ驚いている。もともと大きな目が、さらに大きく開かれているから。
「俺はおじょーといたい。おじょーと一緒じゃないと嫌だ」
「鰐刀は、わがままだね」
「わがまま?」
「うん。わがままだ。俺様だよ」
「おれ、さま……」
その響きはなんかかっこよかった。俺って言うよりも強そうだった。
「そう! 俺、俺様!!」
「そっか」
小夜は時々寂しそうにする。俺様が寂しいと感じたのは、近くの部屋にいた奴がいなくなった時。だから、俺様がいなくなったらきっと小夜はまた寂しくなる。それなら、俺様は小夜が寂しくないようにしたい。
あの地獄から、幸せと温かいのと楽しいと嬉しいの、いろんなことを教えてくれた小夜と一緒にいたい。
「ガク、これからもちゃんとお勉強してね」
「おじょーは俺様が勉強すると嬉しい?」
「そうだね。ガクがいろんなことを覚えてくれたら嬉しいよ」
「じゃあ頑張る!」
いま思い返せば、あの頃小夜は俺様がいつでも普通に生きていけるように準備をしてくれていたんだと思う。急に外の世界に出て、俺様が戸惑わないようにいろんなことに触れさせてくれた。
「だから今も、虎鉄に学校に通ってもらってんだと思う」
「そんなの、偽善だろ……。結局俺は苦しんでる」
「なんでもいいよ。おじょーは不器用だから、人からどう思われても否定できない。なら、俺様たちが理解してやらなきゃいけないんだ」
きっとこいつはまだやり直せる。どんな未来でも作っていける。だから小夜は、俺たちと同じ仕事はさせないし、深く関わらせないように必死に隠してる。
「おじょーのばあちゃん怖い人だったんだ。俺様を連れてきた時、めっちゃ怒ってた。俺様に出てけって何回も言ってきた」
でもその度、小夜は俺の前に立って、ばあちゃんに逆らった。自分が拾ってきた。なら出ていくまでは自分のものだ。
逆らうから、小夜は何度かばあちゃんに叩かれた。真っ赤に腫れた頬を冷やしながら、小夜は俺様に大丈夫って言った。本当は、大丈夫じゃないのに、痛いはずなのに。
「俺様には、おじょーしかいない」
こんなに好きになるのも、守りたいと思うのも、小夜だけだから。
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