22話
「野良犬だ?」
蛇水の握る手がギシギシと音を立てた。さすがに蛇水を掴んでいられなくなって手を離した。
「彼女は言わば器。自分じゃ何も入れられないから、家名や側近、そんなもので埋めようとする。なら、僕がそこにいてもいいじゃないか」
今度は逆に、蛇水が俺の胸倉を掴んだ。顔が近付き、奴の瞳孔が蛇のように細長いことに気が付いた。
「でも僕は、そこに君やほかの側近のような拾い物があるのは好きじゃない。だから、出ていってくれよ」
蛇水の声が一段と低くなる。掴まれた胸倉がその力のまま放り投げられた。強くなった雨とそれでぬかるんだ地面に倒れ伏す。
「どうせ君は、君みたいな中途半端な人間じゃ、彼女に何も報いることが出来ないんだから」
心の底から俺が憎いというような視線が突き刺さる。滴る雨水を振り飛ばし、1人で校舎へと戻って行った。
中途半端、野良犬。そんな言葉が自分に深く突き刺さる。冷たい地面に座り込んだまま、雨に打たれていた。胸ポケットに入れたスマホがずっと震えている。たぶん、お嬢か鷹槻あたりだろうな。
出る気にはなれなかった。どうしても、立ち上がれない。俺が護衛をやらなくても鰐刀や熊井が代わりにやってくれる。雑用なんかもっとそうだ。俺がいることで、新鋭組を警戒するようになった。俺がいるから、蛇水が突っかかってくる。全部が俺のせいに思えてしょうがない。
「虎鉄!!」
水の跳ねる音と、切羽詰まった声。見上げれば、お嬢が傘もささずに俺の元に駆けてきた。お嬢の表情がここまで崩れるのは初めて見た。
「心配したよ。大丈夫? 何があったの?」
お嬢の靴や服が汚れていた。そりゃそうか、こんだけぬかるんでたら泥が着くだろうな。
「風邪引いちゃうから、もう帰ろう」
「……ほっとけ」
「虎鉄?」
「ほっとけって言ってんだよ! ガキのお守りなんかもうこりごりだ!! お前といんの、もうだるいんだよ」
頬を拭おうとしていたんだろう。伸ばされた手にはハンカチが握られていた。その手が止まり、声も出せないまま固まっている。
「でも、置いていけないから……」
お嬢は俺のそばから少し離れ、連絡を取り始めた。たぶん今日の迎えの奴らに話しているんだろう。
数分してやって来たのは鷹槻と犬太郎。鷹槻の顔が般若のように歪んでいる。
「お嬢、風邪を引きます。荷物はまだ濡れていないようですね」
鷹槻はお嬢に傘を差し出し、持ってきたタオルで包んだ。そのまま放り出されたお嬢と俺の荷物を持つ。犬太郎はヘラヘラと笑いながら俺を担ぎ上げる。
「おい! 離せ!!」
「はいはい、大人しくね」
暴れても犬太郎の拘束はビクともしない。声は優しげなのに、暴れ続けた末に鋭い視線を向けられ、ピタリと動きが止まった。言われなくても、犬太郎が怒っていることがよくわかる。
「裏口を開けていただきました、直ぐに車に行けます」
「ありがとう、タカ」
先を歩いている鷹槻たちの会話が聞こえる。雨に打たれている時間は、俺の方が遥かに長いのにお嬢の顔は白く、そして体は小さく震えていた。
その姿を見て、余計に俺は犬太郎に担がれたまま大人しくするしかなかった。
利用するのは初めてだが、この学校には2箇所裏門がある。普段は固く閉じられ、厚い警備が用意されている。申請した学生の身内などが通ることを許される。緊急時以外はほとんど使われないため、開いてるところは見たことがなかった。
普段と違い俺が助手席に乗り、鷹槻とお嬢が後部座席に座った。車内の空気は重く、何も喋る気になれない。窓から流れる景色を見ているとだんだんと家に近付いてくる。犬太郎に渡されたタオルを頭から被って、これからどうしようかと考える。考えても無駄なのかもしれないけど。
「こてっちゃん、帰ったら自室のシャワー室直行ね。制服はさっさと洗い場出しといて」
「……」
「返事」
「……おう」
視線は向けられなかったが、犬太郎の声を聞くと真正面から見つめられている気持ちになってしまう。
体が少し冷えてきた。そのまま心まで冷えてしまうような気がした。
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