19話
あの日、組長は再びお嬢の家によることなく自身の護衛を連れて帰ってしまった。2人は1度も私的な会話をすることなく別れてしまう。それを当たり前と思うように、お嬢は組長を見送った。
なんとなく、お嬢の境遇に同情した。死んだ両親、話を聞く限り厳しそうな祖母、そして冷たい祖父。お嬢が気を抜ける世界はここにはないのかもしれない。
朝飯を食いながら、鰐刀の話を聞くお嬢はやはりあまり表情が変わらない。あんな身内しかいない子供時代を過ごせば、感情表現が下手になり、鉄仮面になるのも頷ける。
「なあ、お嬢」
「どうしたの、虎鉄」
貂矢とか言う謎の男を除き、食卓には全員が揃っていた。
「お嬢のばあさん、どんな人だったんだ」
言い終えた時、ああ間違えたな、そう感じた。お嬢の顔が少し蒼くなった気がする。鷹槻たちの視線が鋭くなった気がする。だが、忘れてくれと声にすることはできなかった。呼吸ひとつで殺されそうだと感じたからだ。
「お嬢、ただいま……」
その食卓に、髪から足まで黒ずくめの男が入ってきた。
「テンおかえり。怪我してない?」
「ないよ」
話し方は幼い子供のよう。だが声音は冷たい冬の水のようだ。テンって呼ぶってことは、こいつが貂矢か。
「ご飯食べるでしょ? 久しぶりに一緒に食べよう。虎鉄にも紹介したいし」
祖母の話題を消してしまうように、お嬢は貂矢に話しかける。俺も、今はこれ以上踏み込まないように、言葉を飲み込んだ。
「やだ、お嬢以外興味ない」
「そんなこと言わないで。虎鉄、彼が貂矢。いつも外で仕事してるから、あまり家にいないんだ」
紹介されている本人は俺の事を1ミリも見ることなく、黙ってお嬢の後ろに立っている。その視線はお嬢に釘付けだ。
「虎鉄は、学校で護衛してくれてるの」
「お嬢と同じ学校?」
「そうだよ」
「貂矢も学校に護衛しに行く」
「テンは別のお仕事あるから」
駄々っ子のように会話を繰り返すと、貂矢はようやく俺の方を見た。しかし視線は鋭く、嫉妬と殺気に溢れている。長い前髪の奥で、黒く鋭い目が俺をじっと見ていた。
「お嬢に何かあったら、お前を殺す」
初めて俺に話しかけたと思ったら、まさかの殺害予告だ。服の内側に手を入れると、カチャリと音がした。恐らくその懐には刃物が隠されているのだろう。冷や汗と小さな震えに襲われる。
「テン、怒っちゃだめだよ。ほらクマがご飯作ってくれたから一緒に食べよう」
「うん。お嬢とご飯久しぶり」
貂矢の視線が外れた時、俺はようやく深く呼吸ができた。
「虎鉄」
「なんだよ」
食事を終え、休日のルーティンである掃除に向かおうとした。鰐刀は俺の肩を掴み、少し強めに引き止める。
「お嬢の前で、ばあちゃんの話すんな」
「なんで」
「なんでも! いいな!」
なんであいつが傷付いたような表情をするのだろうか。いつも大口を開けて、うるさい声で俺を呼び立てる鰐刀はどこに行ったのか。
「鰐刀は、なんか知ってんのか」
「知ってても言えない」
「そーかよ」
俺だけ、除け者ってわけか。仲間だとか家族だとか、そんなこと言われたって、俺は結局こいつらの中には入れないのか。
ガキみたいに拗ねてるって言われてもしょうがない。実際、俺は拗ねている。いま俺が任されている仕事と言えば、家の雑用に学校でのお嬢の護衛。しかもセキュリティがしっかりした金持ち学校で。この組に入ってから、俺は人を殴った記憶が無い。擦りむけていた手は、いつの間にか綺麗になっていた。他の奴らは敵地調査だの、取引だの組員らしい仕事をしているというのに。言ってしまえば、俺はなんの役にも立たない小僧。
鰐刀が廊下の端から見えなくなる。文字通り、俺は取り残されたような気がして、思わず下唇を噛んだ。
俺、ここにいる意味、あんのかな。
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