16話
荷物の積み下ろしや、警備。そういう日雇いのバイトをして、築年数が60近いボロボロのアパートに住んだ。料理を作っても、ばあちゃんのとは違って味気ない。だらしなく床に寝転んでも、叱りつけるじいちゃんの声が聞こえない。
そんな日々を過ごしてるうちに、自分の心がどんどん冷えていくのがわかった。固くなって、黒くなって、何も感じない。元々の無表情は、さらにきつくなってすれ違う人が怯えてる。
じいちゃん、僕ね身長がまた伸びたんだ。ばあちゃん、僕ね肉じゃがも作れるようになったよ。写真もない簡素な仏壇に話しかける。目を閉じればいつでも温かい家庭に戻れる。無くなったものは戻らないから、幻影の中、僕は自分を保とうと必死になった。
祖父母を失って6年。日雇いバイト先で仲良くなったおじさんから、仕事を紹介してもらい地域の食堂の厨房に入るようになった。店主はじいちゃんに似た頑固者で、なかなか気難しいとこもあるけど、毎日美味しい賄いと差し入れを用意してくれるあたり、本当は優しい人なんだとわかる。
その日は朝から雨が降っていた。黒い傘を片手にバイト先に向かう。その時、ちらりと視界に入ったのは、星野とよくつるんでいた男2人。髪は高校の時と同じく派手に染めて、耳にはいくつもピアスを開けている。
心臓にヒヤリとした何かがつたった気がした。また、僕の近くにいる人を殺される。そんな気がした。もしかしたら、星野がまたやってきたのかもしれない。
手がぶるぶると震えて、ふらりと先程の男たちを追った。2人は細身のビルに裏口から入り、エレベーターで三階まで上がった。それを確認してから、僕は階段で向かう。どうやら2階から上はなにかの事務所やレンタルスペースなどになっているようだ。
その一室に、2人はいた。安っぽい机と、黒いローソファ。机の上に小さな袋を置いて中身の錠剤を砕いた。それが何かなんてどうでもよかった。鍵のかかっていないその部屋を開け、2人の前に姿を現す。
「んだ、てめぇ!」
「勝手に入ってきてんじゃねえよ!」
「星野は?」
2人の怒鳴り声を無視して、僕は質問を投げかける。は? と言うように、2人の表情が固まった。
「星野に何の用だ」
「てか、誰だよお前」
「家に火をつけたのって、君たち?」
「何言ってんだ?」
「薬でもやってんのか?」
会話が成立しない。当たり前だ、僕からこの男たちの質問に答えるつもりは無い。
「花屋、近所からとても人気だったのにな」
「花屋……?」
「ああ、お前、星野のおもちゃか」
「あーいたなあ、そんな奴」
家を燃やすなんてそう頻繁にあるもんじゃない。花屋という言葉で、2人は僕のことを思い出したようだ。思い出すと同時に、2人は手を叩いて笑い出す。
「最高だったぜ、あれ!」
「ギャーギャー泣いてよ〜。星野なんか、あの時のこと未だに自慢話にしてるぜ?」
「やっぱり君たちもあそこにいたんだ」
「当たり前だろ、火をつけたの、俺らだし」
はっきりと欲しい答えが放たれた。その時、無意識に体が動き、話していた男を思いっきり殴った。
鈍い音の後に、短い悲鳴とソファごと倒れる音。もう1人の男が怒鳴りつけてくる前に、足で顔を蹴り飛ばした。ソファと一緒に倒れてくれたから、蹴りやすい。
蹴った男はすぐに気絶してしまったから、先に殴った男にまたがる。机を探ると、手に灰皿が触れた。分厚く硬いそれは、面白いぐらいに手に馴染んだ。そのままそれを持って、男を殴り付ける。くぐもった声の中血が飛び散って、隣に伸びる男にかかった。
びっくりするほど、自分の心には何も浮かばない。殴っていた男が動かなくなると、次は隣の男だった。
何分、何時間だったのだろう。2人の男はピクリとも動かなくなった。自分の手からは血が滴っている。灰皿はいつの間にか割れて、手に小さな破片が刺さっていた。
「バイト、サボっちゃったな」
スマホに連絡が入っていた。返す気になれなくて、そのままポケットにしまい込む。カチカチとあっているか分からない時計が針を進める。その音が鼓動と一致した時、部屋のドアに影がかかった。
「お前、何してんだ……」
そこにいたのは、よく見知った顔。
「星野」
嬉しい再会だ。今なら、こいつに祖父母の痛みを返すことが出来る。血濡れの手を向けた時だった。
横から星野より背の高い男が現れ、一瞬で星野の頭を殴り取り押さえた。警察かと思ったけどそうじゃない。その後、眼鏡をかけた男性とこの場には似つかわしくない女の子がやってきた。
「あ、もう死んじゃってる?」
「そのようですね。これ、お前がやったのか」
「え、あ……」
そうだ、これは僕がやったんだ。
「お前どっかで」
眼鏡の人は、僕の顔を見てそう言った。その時、僕もこの人に見覚えがあることに気がついた。
「金曜日に花買いに来る人だ」
「……お前、あそこの孫か。なんだ、婆さんたちの復讐でもしに来てたのか?」
「復讐……」
そうなのかもしれない。2人を殴る度、なんだか心がスッとした。でもそれだと、復讐というより憂さ晴らしだ。
「鷹槻がいつも花を買ってくるとこの? お花屋さん、燃やされちゃったもんね。悪いけど、あそこの人は私たちで処理しなきゃいけない。あなたの復讐はまた今度」
女の子はこの状況に臆することなく物騒な発言を続け、僕に語りかける。冷めきった表情が頭にこびりついた。その子が、僕を拾い上げた、お嬢だ。
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