10話
「どこまであたしの口から説明していいかわからないの。だから、こっちでは一般的な情報を教えてあげる」
「お、おう……」
約12年前、帷組に娘が生まれた。現組長、隆一の孫になる。娘を授かったのは当時次期組長となっていた帷陽一、小夜の父だ。陽一には生まれつきカリスマ性があり、この世界でなくてはならない威厳も備えていた。誰もが陽一に期待を寄せていた。
そんな陽一の心境が一変したのは、小夜が生まれて数週間後のことである。陽一は、妻と娘を連れて組を抜け出した。県を越え、ひっそりと静かな暮らしを2年楽しんだ後、陽一とその妻である咲は帷に恨みを持った組員に殺された。
密かに陽一たちを監視していた帷組の組員が救い出せたのは、まだ幼い小夜だけであった。
その後、小夜は隆一に引き取られ、小夜の祖母にあたる春代に育てられ、今に至る。育てた春代も、もうこの世にはいない。
「小夜ちゃんの両親はとっくに亡くなってるのよ。小夜ちゃんも、顔をよく思い出せないって言ってたわ」
あまりの事実に言葉を失った。
実の親も、育ての親すらも失った幼い少女。巨大な組織の跡取りという看板をもうすでに背負って生きている。日々誰かに命を狙われるかもしれない、そんな状況にありながらも、あいつは凛々しいその姿勢を崩さないでいた。
「爺さんは会いに来ねぇのかよ」
「組長は小夜ちゃんとはあまりお会いにならないの。その理由は、あたしにもわからない」
護衛をつけ、でかい屋敷を与え、セキュリティの整う学校に通わせる。まるで孫を溺愛しているようにも見えた。だが、誰にでもできることを放棄している。
ガキと祖父の関係性が、急に分からなくなってしまった。
「両親襲撃した組って新鋭とかいうとこなのか?」
「たぶんね。死人に口なし、捕らえた襲撃者たちはみんな自害したらしいわ」
主犯がバレないように徹底されてたってわけか。
「婆さんは? 殺されたのか?」
「そこはあたしも知らないの。鷹槻さんなら知ってるみたいだけど」
組員たちの中でも情報量に差があるのか。内情を知ってそうなやつは鷹槻と犬太郎だな。まあ別に積極的に調べようなんて思ってねえけど。
「小夜ちゃんに興味出てきた?」
「ふざけんな、誰があんなガキに……」
「その呼び方、なんとかしなさい。学校入ったらあんたの口調ひとつで小夜ちゃんにも影響するんだから」
こいつにまで注意されてしまった。まあ確かに、そろそろやめないと鷹槻以外にもこっぴどく叱られそうだ。視線を狐由貴からテキストに移して、適当に返事をした。
小学生の夏休みは、こんなに家にいるものだっただろうか。友人は少なかったが、小学生のうちはわりと外で遊んでいた気がする。だが、夏休みに入ってからというものガキ……お嬢はずっと家にいる。
「お嬢は遊びにとか行かねーの」
俺から話しかけるのが珍しかったんだろう、お嬢は少し驚いて俺の方を見た。
「遊ぶ……?」
「友達とか」
「友達は、いないから」
あ、やべ。なんか地雷踏んだ?
だがお嬢はいたって普通な様子だ。特段気にしてないのか。
「虎鉄は出かけてもいいんだよ。あ、でも1人はおすすめしないかな」
たぶん新鋭組のことを言っているんだろう。別に用事もないし出かけたいと思わないけど。俺は見ていたテレビを消して、ローテーブルに肘を着く。
「俺はいい。お嬢は毎日ここにいて、息苦しくないのかよ」
「この家はとても過ごしやすいよ。皆もいるし」
「ふーん」
決まった時間に起きて、飯を食って、勉強して、時々小難しい話を鷹槻とする。その生活は単純で、俺にとっては退屈なものに見えた。俺でさえそう思うのに、俺よりも4つ下のお嬢なら苛立ってもおかしくない。納得できるほどここでの時間は単調だ。
「虎鉄、今日は暇?」
「あ? まあ今日は休みだって鷹槻に言われてるからな」
毎日根を詰めてもしょうがないと、今日は午前中のうちに解放された。
「じゃあこっち来て」
手招きをしながら、お嬢は共用スペースから移動を始める。どこに行くか尋ねる前に進んでしまったから、俺を黙って着いていくことにした。
着いたのはいつも食事を取る場所。背の高いテーブルと俺の分が増えた、人数分の椅子。お嬢は棚から1冊の本を取り出して机に広げてみせた。
「お菓子?」
「うん。作ってみたくて。クマが、この本のやつは簡単だよって言ってたから」
「手伝えってこと?」
「手伝ってくれる?」
特に断る理由もないし、暇だからまあいいか。お嬢も初心者だからそんなに難しいものは作らないだろう。
作るものはどうやらカップケーキらしい。ホットケーキミックスなど、材料を入れてそれを混ぜる。お嬢は隣でカップを並べていた。
特に話すことも無く、時々お嬢から手順を伝えたれてそれに従う。さっき見ていたテレビの音が恋しい。まだ出会って数ヶ月の子どもと俺じゃあそんなに盛り上がることも、気まづい思いを抱かないのも無理な話だ。
ふと、客観的にこの部屋を感じた。
その時、なんだか並んで菓子を作る俺たちが、映画とかドラマのワンシーンに思えた。日常を切りとった、意味の無い場面。昼を過ぎて傾いてきた陽の光。時計の音とオーブンの余熱。全部が合わさって、映画やドラマそれに……
「小説の1ページみたいだ」
「何が?」
「え?」
「小説の1ページみたいって」
声に出ていたみたいだ。無意識のうちにポロッと出てしまった。
「いや、なんかこの状況が」
一瞬、お嬢はぽかんとした表情を見せたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「虎鉄は、意外とロマンチストなんだね」
「はあ?」
「でも、そういう感性って大事なんだと思う」
それからまた会話はなくなって、ただ黙々と菓子作りに没頭した。
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