1話
よろしくお願いします。
「ここで死ぬかどうかはあなたが決めて」
雨に打たれる中、黒髪のガキがそう告げた。
なんでもいい。こんなクソみたいな暮らしだけで終わらないなら、いまはなんだっていい。
手を伸ばしてもガキを掴む前に、地面に落ちる。もう、体力の限界だった。
「クマ、運んでもらっていい?」
「はぁい、お嬢」
お嬢……?
背中をがっつりと掴まれる感覚があったあと、俺の意識は途絶えた。
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「おっきろー!!」
「うるせー!!」
ノックもなしに入ってきた男。こいつの名前は鰐刀。どうやら俺の教育係らしい。毎朝6時きっかりに起こしに来る。
ここは、帷組邸宅。本邸は別にあるらしいが、俺の護衛対象はここが住居のようだ。
「ガク、おはよう」
「おじょー! おはよ!」
「虎鉄は起きた?」
「まだー」
鰐刀の体で見えないが、そこには護衛対象のお嬢がいるらしい。今年で16になるお嬢の声は、ますます色気を含み大人へと近づいている。
「虎鉄、タカが呼んでるから早く行った方がいいよ」
「っ!!? 早く言え!!」
タカこと鷹槻は怒るとまじで怖いしめんどくさい。跳ね除けるようにして布団から出て寝癖を携えたまま部屋を飛び出した。
「おじょー、今日学校?」
「うん」
後ろでは呑気な会話が聞こえてくる。出会った頃のお嬢はまだランドセルを背負うガキだったが、今は青春を謳歌する高校生になった。
なぜ俺がここにいるのか、それは4年ほど前に遡る。
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酒と女と車が好きな父親、そんな父の顔が好きな母親。この2人の間に、俺は生まれた。まあそんな家庭だからまともに育つわけでもなく、いつも親やそこらのガキと喧嘩ばかり。生傷の絶えない日常だったと思う。
中学を卒業してからは、息の詰まる家を出て1人で暮らし始めた。基本は日雇いの仕事をして生活費を稼ぐ。そうして健気に生きた。だが時々、用心棒のような仕事を見つけ大量に稼いだ。
人を殴り、蹴り。やめてくれ、助けてくれと懇願する姿を何度も見てきた。自分は強いと錯覚し、用心棒の仕事がどんどん増えていく。銃がなくても、鋭い刃がなくても人は簡単にねじ伏せることができる。自分の拳がボロボロに、そして硬くなる度に自分の強さに自惚れた。
結論から言えば、俺は調子に乗りすぎたらしい。ターゲットになったのはとある組の男。
新鋭という名前の組にいる男だったと思う。サングラスの下に大きな傷があった。恐らく目元に大きな傷があるんだ。俺に依頼をしてきた奴は、その男に恨みがあるのか、理由は知らないが殺してくれと頼まれた。今の俺なら、組のひとつやふたつ、簡単に消せるのではと過剰な自信があった。
言うまでもなく、俺はあっさりと返り討ちにされる。骨がきしみ、呼吸をするのも辛い状態のまま、路地裏に捨て置かれた。最後まで処分する価値もないらしい。依頼してきた奴の名前を吐いて、ゴミを捨てるように投げられた。
不幸の後にはさらに不運が待っているもので。
ぽつりぽつりと雨が降ってきた。殴られた傷口に当たるとピリッとした痛みが広がる。痛いと叫びたいのに叫ぶ気力もない。
このまま死ぬのか。何もない人生をなぞっただけの、つまらない日々。そんな思い出を抱えて、俺は死ぬのか。
「クソが……」
嫌だ。こんなところで終わるなんて、神様は理不尽すぎる。もっと美味いもんが食べたかった。勉強も真面目にやってみたかった。いろんなところに行ってみたい。誰かに、愛されてみたかった。
人は死ぬ時、こんなにも欲深くなるのか。死ぬ直前に、どうでもいい発見をしたな。
考えるのも面倒になってきて、ゆっくりと目を閉じた。
・
「ねぇ、まだ生きてる?」
細い。だがしっかりとした声が聞こえる。
「生きてるなら、目を開けて」
言われるまま目を開けた。そこには、まだ小学生であろう少女がしゃがみこんでいる。後ろには紺色のスーツを着た眼鏡の男が1人。少女の上に傘を広げていた。
「あ、良かった。ちゃんと生きてる」
「お嬢。いけませんよ」
男の忠告を無視して、少女は俺に話しかける。
「ここで死にたい? 助けてあげようか」
上から目線の物言いに、腹立たしさが湧き上がってきた。苦しい喉を動かし、はっと軽く笑ってみせる。
「てめぇに、助けられる筋合い……ねーよ」
「そうだね。でも、まだ死にたくないって顔してるから」
少女の目は冷たい。だが、確かな意志を感じさせる。
「あなたが持つ選択肢は2つ。1つは私に助けられるか、もう1つはここでゴミのように死ぬか。どっちにする? 選ぶ権利はあなたにある」
まだまだクソガキのくせに、大人びた口調で諭すように告げる。こんなガキに何ができる。だが、今の俺はこいつよりも無力で遥かに惨めだ。
「クソガキが……。何が、できるってんだ」
「こいつ……」
後ろの男が反応すると、少女は左手を軽く挙げ、動きを制した。どうやらこの少女はかなりの権力を持っているようだ。
「私ができるのは、あなたの選択を尊重すること。助けると言ったからには、最後まで面倒みる。今までだってそうしてきたから。無視したっていいよ。ここで死ぬかはあなたが決めて」
そう言って、少女は俺に手を差し伸べる。真っ白で細くて、綺麗な手だ。この手を払い除けることも出来る。だが俺は、ここで終わらせたくない。
「……やってみろよ」
その細腕で俺を助けてみろ。
自分よりも年下の、しかも幼い子供に、俺は挑発的な笑みを見せて命をとどめるように願った。
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