10.ニルヴァーナ
―――U歴350年6月9日―――
ニルヴァーナの街に入ったときにはすでに日が沈み始めていたが、夕焼けに照らされた街の景色に思わず息をのんだ。
なんてきれいな街なんだ。
街の中心は小高い丘になっているようで、そこには白亜の宮殿が聳え立っていた。
「魔導王ガルベルト・ニルが住んでいるウィンカーパレスだよ。魔導王は世襲制ではなく、10年ごとに選挙で決められ、選ばれた者にニルの性を与えられるんだ。この国に世襲の貴族はいないから、政治は官僚、各商業ギルド、各都市の代表、軍の代表が集まった議会で行われる。魔導王には決裁権や閣僚任命権があるからある程度の力はあるけど、どちらかというと名誉職だね」
すべての国が王国、帝国、絶対王政という感じではないんだな。
「ニル魔導国は、連合国の一員だから、大きな政治方針は連合国政府で決められるので、魔導王の仕事はその連合国政府の会合に出席することだね」
ニル魔導国の北西にデキラノという国があり、そこの首都に連合国政府もあるそうだ。
「さあ、まずは宿に入ろう」
今日の宿にも風呂があったが、シンプルな湯船とサウナがあるだけで、スクラの宿のようにバラエティに富んだ風呂があるわけではなかった。
ああいう宿はやはり珍しいようだ。
風呂でくつろいでから、夕食を宿の食堂でとり、2人で同じ部屋に戻って明日からのことを話し合うことにした。
「僕は、コースケは冒険者ギルドで冒険者登録をすることをお勧めするよ。ギルドが主催する魔法、武技の講習にも参加できるし、転移者の多くが冒険者となって生活していると穂乃果に聞いたからね」
なるほど、冒険者ギルドで先生を見つけて、依頼を受けて生活費を稼ぐってことだな。うん、面白そうだけど、サランはどうするのだろう?
俺は思い切ってサランに聞いてみた。
「僕は、コースケの生活が落ち着くまで一緒にここに居たら、獣人国に戻ろうと思っているんだ。東王国での調査依頼は終わっているからいいんだけど、最近は両親にも会っていないから」
「その後またここに戻ってくる?」
「う~ん、実はちょっと西の王国に行こうかと思ってるんだよ。何か僕の幼馴染が貴族になって領主を始めたって聞いてね。幼いころ行方不明になって、ずっとあっていなかったけど、その話を聞いて顔を見たくなったんだ」
それを聞いて俺はひどく落ち込んだ顔をしていたんだろう。
「ごめんね。僕と別れるのがつらいんだね。僕もつらいけど、コースケの生活が落ち着くまではここにいるから、すぐに離れるわけではないよ」
落ち込んだ俺を慰めてくれるサランだが、意志は固いようで、俺が一緒に獣人国に行くと言っても「うん」と言ってくれなかった。
「君はここで魔法の勉強をした方がいいよ。僕に付いて来たら、いつ魔法を学べるかわからないからね。この世界で生きていくために、君は勉強しないとだめなんだ」
サランは優しく言い聞かせてくれる。
俺は、頭ではわかっているけど、サランと離れたくないからわがままを言っているだけだ。
その時、部屋の窓から音もなく誰かが侵入してきた。
「お前は転移者か?」
侵入者は女のようだが、深くフードをかぶってはっきりわからない
俺は突然のことに何も反応できないが、サランが立ち上がり侵入者を睨みつける。
「君は誰だい?窓からいきなり侵入するなんてどういうことだい?」
俺は自分が追われる身だったことを思い出した。
侵入者はサランと俺を交互に見ると、一言声をかけてきた。
「お前は日本を知っているか?」
俺はその言葉にビクッと反応してしまった。
侵入者は俺が転移者だと確信したようで、右手を突き出して呪文を唱えた。
「アースバインド」
俺とサランに植物の蔦のようなものが巻き付いて一瞬で拘束された。
この人強い!
「ケンブ、拘束したよ。運んでおくれ」
すると俺たちの後ろから一人の男が現れて、俺たちを抱え上げると、窓から飛び降りた。
2人を抱えながらすごいスピードで街を走る。
俺は拘束を何とか解こうとするが、びくともしない。
しばらくすると倉庫のような建物の中に入れられ、拘束を解かれた。
「変な動きをするんじゃないよ。まずは名前を聞かせてもらおうか?」
フードの女が聞いて来た。
「僕はサラン、獣人の冒険者で、彼は私の従者でコースケだよ」
「外交特権で国境でも宿でも身分証明を見せない男を連れたやつがいるって情報だったが当りだったな。お前、転移者で間違いないな?」
わかっているけど最後の確認という感じで聞かれたので、黙って頷いた。
「精霊森国でのエルフ誘拐、ニル魔導国で獣人誘拐もお前の仕業だな?」
「何のことか知らない」
俺は正直に答えた。
「しらばっくれるな!2つの事件、共に目撃者の証言から、転移者が犯人だとわかっている。転移者で東王国の外に出てる奴は数えるほどしかいない。さらに奴らは国境を越える時、宿に泊まる時、王国の転移者である証明書を使うから、所在が分かっていない奴なんてほとんどいない。お前は身の上を明かさず動いている。これほど怪しい奴はいないのさ。素直に吐かないと、痛い目に合うよ。『アイスニードル』」
氷の針が俺の額の前に現れ、先端が刺さって血が出た。
「痛い!」
思わず声を出すとサランが慌てて説明を始めた。
「ちょっと待って、コースケはまだ召喚されて1月もたっていないよ。私は獣人国から正式な依頼を受けて、東王国で獣人行方不明者の捜査をやっていたから、エルフ誘拐事件も獣人誘拐事件も聞いていたけど、コースケは犯人じゃないし、一応その事件は解決したよ。詳細はいえないけど。そもそも獣人誘拐の容疑者を獣人の僕が匿うわけがないだろう?」
その言葉に考えるような表情をしていたフードの女は、ふうとため息をつくとアイスニードルを消して一歩下がった。
「確かに言われてみると獣人のお前が一緒にいるのは合点がいかない。すまない。少し早まって間違えてしまったようだ」
意外に聞き分けがいい。フードを取って素直に頭を下げる女は、30代のなかなかの美人に見えた。
「私はラウラーラ、後ろに控えているのは弟子のケンブ。私たちは冒険者として依頼を受けたり、魔法塾を開いたりしている。半年前、精霊森国から誘拐事件の捜査依頼を受け、犯人の転移者を追っていたが、奴は2カ月ほど前に東王国に帰国してから国外に出て来なくなった。あの国に入るには特別な許可が必要だから、調査を進めることができなかったんだ」
ラウラーラは俺の額に触れると「ヒール」と唱えて傷を消してくれた。
一瞬で傷が無くなって、痛みも消えた。
これが生命魔法の回復の呪文か!
俺が自分でイメージしながら魔力を流すよりも早く傷を治せるようだ。
「私も仕事の依頼を受けている身だ。あんたの仕事に迷惑が掛からない範囲でいいから獣人、エルフ誘拐事件の一応の解決っていうのを教えてくれないか?」
「東王国の転移者が、東王国の役人と一緒に精霊森国に入り、エルフを誘拐、更にニル魔導国で獣人を誘拐して、東王国に連れ去ったけど、獣人国の工作員が証拠を集め、東王国と交渉した。転移者の個人的なわがままから引き起こした事件だったので、東王国側は事件を公表しないことを条件に獣人とエルフを解放したよ。まだ、解決からひと月も経っていないけど、約束だからあまり詳しく言えないんだよ」
「納得した。今の情報は他言しないと約束しよう。しかし、あんたたちは、何故、身分を隠すように旅をしているんだ?」
俺はサランと目を合わせ、正直に話すことにした。
「なるほど、転移早々事件に巻き込まれて追われているか。実は、私たちが、国境で東王国からの越境者を調べていた時、何人か外交特権を使った東王国の軍人や役人のような奴らが、転移者がいないか聞きまわっていたぞ」
その言葉に俺は嫌なものを感じた。今日はラウラーラに間違えられて襲撃を受けたが、俺は本当に命を狙われているのだ。
「ニルヴァーナにも追手はきているさ。私が今日の襲撃を急いだのはそいつらに先を越されないためだったからな。奴らの目的はわからなかったが、なるほど大臣殺害容疑者となれば必死に探すわけだ。」
ラウラーラの話を聞いて、そんなに追手が迫っているという実感がなかった俺だが、そんなにのんびりここに居られないかもしれないと思い始めていた。
「今日は一旦宿舎に戻ろうよ」
サランの言葉に頷いて、ラウラーラに確認を取ると彼女も頷いてくれた。
「今日はすまなかった。宿まで送ろう」




