スカイからの紹介
コンラッドは次の2点についてスカイに相談した。
①ゴンの移動や鳴き声に伴う音波問題に関する悩み
②ゴンの為にスカイが行動を共にする時間を増やしてほしい気持ちはあるのだが
国王でもあるスカイの負担を考えると頼めないので、代わりの方策をと考えつつも行き詰っている
「僕の負担まで考えての相談、ありがとうございます。
今も変わらず 僕のことをクランの仲間として相談事に加えてもらえるのはうれしいです。
しかし 確かに、国王としての制約も僕にはありますからねぇ・・
それで一つの案として、クランメンバーを増やしてはどうかということなんですが」
というわけで スカイからの紹介・推薦により、一人の男の面接を行うことになった。
王都にあるドラゴンクランのハウスで。
・・
「はじめまして。スカイ国王の紹介で ドラゴンクランの面接を受けに参りましたデュランと申します」
その男は クランハウスのインターホンごしに ていねいに言った。
門番小屋を改装した応接室の中から、防犯カメラとインターホンでその様子を観察していたボロンは にやっと笑ってミューズの顔を見た。
「君の時とはずいぶん違うね」
ミューズは微笑んだ。
「面接は まだ始まったばかりだよ」
応接室に招じ入れられ、ソファに座り、膝の上に両手をそろえ背筋を伸ばしているデュラン。
しわのないスーツに清潔なシャツ。
少し癖のある黒髪が ふんわりと顔を縁取っている。
茶色の瞳でパッチリとした目
男性としては やや背が低めだが、かっちりとした体格だ。
すでにスカイ国王のもとでクランへの応募や面接に関して、ドラゴンクランおなじみの「害せず・漏らさず」の誓いをたててからここにきている。
いよいよ面接開始だ。
履歴書を見ながらボロンが尋ねた。
「君のご両親のなれそめを聞いてもいいかな?」
「母の両親は、王都で鍛冶屋を営んでいました。』
父は もともとが錬金術師だったのですが、魔法を使うのに魔法だけでは結果の不確かな錬金術に限界を感じ、ドワーフの鍛冶技術を学ぼうと考えたのです。
当時も今も、ドワーフの親方たちは 弟子入り希望の人間には、まず
『寿命が短く体力の衰えの速い人間には、ドワーフのように長期間修行して技を磨く時間がないから、ドワーフが打つのと同じレベルの逸品を作り出すことなく人生の終焉を迎えることになるが それを受け入れ それに耐えられるか?』と問いかけます。
父は『人間の生涯で打てる鍛冶のレベルを知りたい。また魔法も加味してそのレベルを上げていく方法を人間たちに広めることにより、人間がドワーフに対して抱く羨望からくる両族の不和を減らしたい』と答えました。
そんな父がドワーフの親方のもとで一心不乱に鍛冶修行をしているうちに10年・20年と時が過ぎ、そんな父の姿を見て育ったドワーフの親方の娘である母も年頃となりました。
二人の間でどのような交流があったのかはわかりませんが、二人は結婚し、一家を構えました。
そして
『魔法に頼った錬金術の限界を知った私は、人間としてまっすぐに鍛冶に向き合い、肉体労働を続けることによって技を磨き技法を確立し、弟子に伝えていくことのできる技術の進歩の確かさを学んだ。わしは 技術と魔法の統合という域にまでは到達できなかったが、自分の人生を全力で生きたということを誇りに思う」と私に言い残し、
母には 伴侶としてともに人生を歩んでくれたことに感謝しつつ、先立つことを謝罪し、父亡き後も続く母の人生に幸多からんことを願って亡くなりました。」
「その時 君はいくつだったの?」ミューズ
「私は 父が50歳 母が40歳の時に生まれた子供で、父が死んだとき私は10歳でした。」デュラン
「君も君のお母さんも ずいぶん早くに大切な人を失ったんだね」
ボロンはいたわりをこめて言った。
「はい。ですが 母は父の余命の短さを知っていたからこそ、自分はドワーフとしては極めて若い年齢で結婚したのだから 悔いはないと言っておりました。
そして 私が15歳になったときに、私には ドワーフの父親もいたほうが良いだろうと言って 今の私の父と再婚しました。
というのも 私の成長が人間よりもドワーフよりであることがはっきりとしていたからです。
おかげで私は70歳になるまで、ドワーフ社会の中で育ち 鍛冶職として独立できるほどになりました。もちろん まだまだ駆け出しの域ではありましたが。
その後、父の最初の志である「安定した結果の出る錬金術の体系づくり」につながる、魔法と技術を統合した鍛冶・錬金の道を歩みたいと思い、王宮科学院にはいり、測定法についていろいろ学び、その方面の技術者となりました。」
「記録によると、君が魔力測定を受けたのは、君の成人前であり、その後 魔力の使い方や魔法に関する初歩の研修を受けているよね。」スカイ
「一般的にドワーフの世界では魔法を使うことがありません。
ですから、ドワーフの間に魔力持ちの子供が生まれた場合、そのことを確かめるためには
王宮科学院で魔力鑑定を受ける必要がありました。
父は生前この問題について母にも話しておりましたし、私の為に手紙を残してくれました。
ですから成人前に魔力鑑定を受け、私にも魔法使いの素質があることを知りました。
人間とドワーフでは肉体的な歳のとり方に違いがあります。
両者の間に生まれた子供が大人になるまでの成長の仕方も各人各様であることも知られています。
そこで 私は王宮科学院で、私の成熟過程に合わせた魔力・魔法指導を受ける一方、
私は人生の前半をドワーフ社会で生きることに決めたのです。」
「その選択には 誰かの助言や何かからの影響を受けたのかな?」ボロン
「母と二人の父からの助言と支えは とてもありがたいと思っています」デュラン
「君のご両親は今何歳なの?」スカイ
「母は140歳 父は145歳です」
「クランメンバーになると、クランの中での生活が中心となって外部との接触が閉ざされるし、見たこと・聞いたこと・あらゆる経験と知識について人に漏らさず 外部から推測されないように慎重につきあうことが要求され、クランを抜けるときには一切の記憶を消されるのだけど 大丈夫かな?。
君のご両親にとっては 息子を失ったも同然のことになるよ」ボロン
「実は 王宮科学院に入ってからの生活は、両親の暮らしとはかけ隔たってしまって
一緒に食事をして料理の話をしたり健康を確かめ合うことくらいしか話題がなくなってしまっているのです。
そのう 親族の中では私は 変わり者 もしくは鍛冶を中途でやめたぷー太郎とみなす者もおりまして・・。
しかも 王宮科学院も30年勤続で私一人が若い外見であり続けることに違和感を持つ人達も増えてきたので 転属を考え始めていました。
実のところ 素直にドワーフ社会に戻って鍛冶職として魔法と技術の統合について実践していくことを考えていたのですが、
今回 私の鑑定・計測技術をフル活用できる職場で、上司には人間もドワーフも魔法使いもいると聞きましたので、人付き合いという点では、好奇心と期待を刺激されております」
「それにしても、なぜ まっすぐに魔法使いとして錬金術の道に入らず、鑑定・計測の技術者としての道を選んのかな?」スカイ
「素材の選定から製品の出来栄えに至る鍛冶の過程において、いわゆる職人の勘所というのは、五感を駆使した鑑定であります。
一方 父が書き残してくれたノートを読む限り、魔法使いが行う錬金というのは、イメージ先行で
中間生成物や完成品の出来栄えに関する評価がアバウトすぎるのです。
だからこそ 父は『過程や生成物の評価が確実にできるであろう』鍛冶の道をに入ったようです。
しかしまた 父は自分の測定・鑑定力の限界にも気づいておりました。
だからこそ、私は魔法使いとしての道を歩むならば、鑑定・測定のエキスパートになることを目指しました。
ただ 問題は ドワーフの鍛冶職に計測秘術(鑑定魔法)を持ち込み安定した生産体制を構築することは、人間がドワーフの権益を犯す行為とみなされやすいということにありまして・・私としても ドワーフ社会に不利益や混乱を持ち込みたくはないのです。
私にとっては 人間の世界もドワーフの世界も どちらも大切な両親の世界ですから
ですから 私の研究の過程や研究の目的と成果を発表することへの葛藤が強いため、
私はこれまでの30年間を、技術者としての枠の中にとどめてきました。」
「確かに 研究者の評価というのは、研究発表=論文により定まるからねぇ。
実践における実績を出すだけでは 単なる労働者・技術者としての評価しか得られないね」スカイ
「しかも 技術者の評価というのは、完成品の質が標準よりもどれだけ高いか、目新しいかで評価されてしまうことが多くて、汎用品を確実に早くローコストもしくは簡易につくり出す技術への評価は
管理職の手腕につけかえられてしまいがちだよね」ボロン
「へぇ 技術者集団のドワーフ社会においても そういう問題があるのかい?。」スカイ
「常々 その問題に向き合って、技術者の努力と成果に対する正当な報酬を守るべく努力しているのが 我々ドワーフギルドの職務の一つであり課題でもあるんだ」ボロン
「とボロンは言っているが この点についての君の意見は?」ミューズ
「ボロンさんが 理論派として、常にドワーフ技術者の権利と利益の擁護者であることは
つとに知られています。
ですから 私たち鍛冶職の間でも、現場労働者からのボロンさんへの信頼は根強く、
若手からの敬意と憧れ、年長者からの期待も大きいです。」
デュランは少しほほを赤らめながら言った。
「そんなこと言われると照れるなぁ」ボロンもまた頬を染めた。
「僕からの質問は以上だけど、君たちからの質問は?」
ミューズは スカイ・ボロン・デュランそれぞれに確認をとった。
「お疲れさまでした。
本日の面接はここまでといたします。
2・3日のうちに 結果をお知らせします」ボロン
デュランには、日当をわたし、クランハウスの外へと送り出した。