幼馴染みのお姉さんにフラれてもう二度と恋をしないと決めた男子高校生が、ラブレターを貰ったら
その日俺は、呪いの手紙を受け取った。
四隅に大小合わせて六つのハートマークが添えられた、なんとも可愛らしいピンク色の便箋。サイズはB5。縦書きで、行数は10行。
しかし実際に書かれているのは、たったの一文だけで。
『あなたのことが好きです』
ほらな、呪いの手紙だろう?
小学生の頃、「このメールを一時間以内に三人の友達に転送しないとあなたは呪われます」みたいなチェーンメールが送られてきたことがあったけど、そんな生ぬるいものとはわけが違う。
この手紙では一方的に呪いの言葉を突きつけられ、そのくせ対処方法が一切記されていない。なんともたちの悪いことか。
俺は机上に置かれた便箋を見ながら、顔をしかめる。
便箋には、差出人の名前が書かれていない。これでは「お気持ちだけ頂戴します」とのしを付けて突き返すことも出来ないじゃないか。
いや、この際そんなことはどうでも良い。
問題は、これが呪いの手紙、すなわちラブレターであるということだ。
誰かの悪戯なら、正直凄く助かる。俺がクラス中の笑いものになれば済む話だ。
しかし本当にラブレターなのだとしたら……フラグが立ってしまう。ラブコメが始まってしまう。
それはマズい。非常にマズい。
俺・千早誠はもう、ラブコメをしたくないというのに!
どうしたものかと頭を悩ませていると、女友達の北条圭子が声をかけてきた。
「おはよう、誠。朝から辛気臭い顔をしてるね」
「……圭子」
「あぁ、おはよう」と挨拶を返すと、圭子は俺の前の席を指差した。
「ここ、座っても良いかな?」
「知るかよ。そこは俺の席じゃねぇ」
「それもそうだ。じゃあ誰だかわからない誠のご近所さん、ちょっと席を貸してもらうよ」
絶対に相手に届いていないであろう断りを入れた後、圭子は前の席に腰を掛けた。
腰を掛けたといっても、普通に座っては俺に背を向けることになってしまう。それでは会話が出来ない。なので圭子は逆向きに座り、背もたれに胸部を密着させていた。
「それで、朝っぱらから疲れ切った顔をしているのは、一体全体どうしてなんだい? 毒状態にでもなったのかな?」
「当たらずとも遠からずってところだな」
毒に侵されてはいないものの、状態異常に陥っているという点では、あながち間違っていない。
呪い状態。それが今の俺のステータスだ。
俺はピンク色の便箋を顔の位置まで持ち上げて、軽く左右に振る。
「何だい、それ?」
「見ての通り、呪いの手紙だよ」
「そんなラブリーピンクな呪いの手紙なんて、未だかつて見たことがないよ。見たところ、それは呪いの手紙じゃなくてラブレターだと思うんだけど」
確かに圭子の言う通り、一般的にこの呪いの手紙はラブレターと呼ばれている。或いは恋文という呼ばれ方もしている。
意中の相手に好意を伝えるツールであり、ネット社会である現代社会では極めて稀少価値の高いものだ。
「その手紙に書かれているのは、誠に対する女の子の素直な好意だよ。それを呪い扱いするのは、あまり感心しないな」
「馬鹿野郎。ラブレターか呪いの手紙かを決めるのは、書き手じゃなくて読み手だろ。ゾンビにとって回復魔法が猛毒であるように、俺にとっては「好き」の二文字が呪詛みたいなものなんだよ」
言いながら、俺は今年の春のことを思い出していた。
◇
四月某日。
二学年へと進級し、早くも半月が過ぎた。
校庭を彩っていたソメイヨシノはいつのまにか緑の葉をつけ始め、新しくなった下駄箱や教室にも徐々に慣れ始める。
段々と薄れていく新鮮味。なんでかなぁ、そうすると春という季節が終わりに近づくように感じてしまうのだから、まったく不思議なものだ。
ましてやここ近年、四月でも夏レベルの気温にまで上昇する。
夏はすぐそばまでやって来ている。そう思うのは、なんらおかしなことではないように思えた。
春が終わる。出会いと恋の溢れる、春という季節が。
そのことを名残惜しく思ってしまうのは、きっと俺の中で春にやり残したことがあるからなのだろう。
こんな中途半端な気持ちで、夏を迎えてたまるか。俺こと真澄誠はこの日、一大決心をした。
「大丈夫。きっと大丈夫だ」
暗示のように自分に言い聞かせ、速まる鼓動を落ち着かせる。
しかしすぐに心臓がバックンバックン言い出すわけだから、再度「大丈夫」を連呼する。
そんなことを繰り返しながら、俺は小さい頃から行きつけの定食屋『すおう亭』の店の前で、ある人物を待っていた。
同じ5分でも、惰眠を貪る時の5分とカップラーメンの完成を待っている時の5分の体感が大きく異なるように、時間の長短は本人の意識に大きく左右される。
この時の俺の心情は、どちらとも言えなくて。
「まだ来ないのか?」、「早く来て欲しい」と思う一方で、「もう少し時間の猶予を下さい」とも思っていた。
この矛盾の原因は、ひとえに俺の度胸のなさに限る。
バックンバックン。やばい、また鼓動が速くなってきた。
こんな時は、先程からお決まりのあのフレーズ。
「大丈夫。きっと大丈夫。……どうしよう。全然心拍数が減らねぇ」
乱用しすぎて耐性が出来てしまったのか、最早言葉だけじゃ俺の緊張は収まりそうにない。
……仕方ない。こうなったら、次なるカンフル剤を投与するとしよう。
暗示を中断した俺は、自身の手のひらに「人」という字を書いて、ゴクンと飲み込み始めた。
緊張を紛らす為の有名なおまじないである。
どうでも良いことだけど、人を飲み込むっていう発想自体かなり猟奇的だよね。飴みたいに、なんら抵抗なく口に入れられるものの方が良いと思う。
それにほら、飴って漢字ならうろ覚えの人も多いと思うから、思い出すのに意識を向けて緊張なんて忘れるだろうし。
しかし人という漢字の効力も、そう長くは続かない。
手のひらに書いていた「人」という文字は段々と形を変えていき、最終的には「大丈夫」という三文字になっていた。
結局「大丈夫」という単語頼り。本当、この単語って凄いね。「もったいない」同様、日本の誇りとして世界に広めた方が良いんじゃないの。
それから大体10分が経過したところで、ようやくというべきか、早くもというべきか、一人の成人女性が『すおう亭』の中から出てきた。
「あら、誠? こんな遅くにどうしたの?」
俺の姿を見るなり、女性は声をかけてくる。
派手すぎないナチュラルなメイクは、彼女の素材の良さを一層際立たせていて。服装も過度に肌を露出したりしない、清涼感溢れる白いTシャツとデニム。
なんてことはない格好なのに、水着やメイド服と同じくらい破壊力があるのだから、大人の女性の魅力とはなんとも恐ろしいものだ。
質問に答えず、ボーッと見惚れたままの俺を不審に思ったのか、彼女は『すおう亭』を指しながら問い直す。
「夜ご飯を食べに来たの? 簡単なものなら、余った食材で作れるけど」
「いいや。今日は食事に来たんじゃなくて、藍さんに用があって来たんだ」
現在の時刻は夜9時。『すおう亭』の閉店時間だ。
閉店時間になると、毎日藍さんは暖簾を片すべく店の外に出てくる。それがわかっているから、俺はこうして彼女を店の前で待ち伏せていたのだ。……断じてストーカーじゃないよ。
「私に? それならメッセージを飛ばしてくれれば良かったのに」
わざわざこんな夜に自宅を訪ねなくても。そんなニュアンスが、彼女のセリフからは窺える。
「忙しいからすぐに見れなかったとしても、寝る前には返信出来たわよ」
「でもこういうのをメッセージとか電話で済ませようとするのは、なんかを違うと思うから。だって俺はこれから……」
そこまで言って、俺は一度口を閉じる。
ここから先を言葉にするには、かなり勇気が必要だ。
だって俺はこれから……彼女に告白しようと決心しているのだから。
如月藍
近所に住む四つ年上のお姉さんで、現在大学三年生。
親同士が学生時代の同級生だったこともあり、小さい頃から何かと交流がある。謂わゆる幼馴染みというやつだ。
藍さんは、幼少期から魅力的な女の子だった。
初めて藍さんと会った日、こんなに可愛らしい女の子がこの世に実在したのかと、ろくに性欲も備わっていない子供ながら己の価値観が変えられたのを、俺は今でもよく覚えている。
藍さんは俺のことを、実の弟のように可愛がってくれる。だけどそのことを、心から嬉しいと思えない自分がいるのを薄々感じ取っていて。
恋心を自覚したのは、四年前。中学一年生という、思春期真っ盛り。
しかしそれはあくまで俺が藍さんに恋をしていると自覚した時期であって、一体いつから好きになっていたのかは遡ってみてもわからない。
一緒に遊んだり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に食卓を囲んだり。そんな日々の積み重ねが、この胸に巣食う感情を親愛から恋愛に変化させていったのだろう。
どこが好きなのかと聞かれたら、多分即答出来ると思う。
長く美しい銀髪が好きだ。すれ違う度に、フワッとした良い香りが鼻腔をくすぐってくる。
キリッとしたつり目が好きだ。一見睨んでいるように思えるんだけど、よく見るとその瞳の中には優しさが隠れていて。藍さんに見つめられていると、なんだか温かい気持ちになってくる。
艶かしい唇が好きだ。あの潤いに満ちた唇を自分の唇と重ね合わせることが出来たら……。何度そんな妄想を繰り返したことか。
大人の魅力を備えた体付きが好きだ。……いや、だって健全な男子高校生ですからね。緩めのTシャツの襟からチラッと見える藍さんの胸元とか、適度にくびれた腰とかに、ついつい目がいってしまうわけですよ。
どこが好きなのかは沢山挙げられるけど、どうして好きなのかと尋ねられると、きっと答えられない。
好きだから好きなのだ。
そこに理屈はなく、理由はなく、論理的過程もない。強いて言うならば、「好きだから」というのが理由だ。
小さい頃から一緒に過ごしてきて。お互いのことを、誰よりも理解していて。
俺は藍さんのことが大好きだし、藍さんだって、きっと少なからず好意を抱いてくれているに違いない。
それに藍さんと恋人になって、デートをしている自分の姿を想像すると……俺は積年の恋心を、彼女に伝えたかった。
でもーー
今日に至るまで、俺は藍さんに「好きだ」と伝えられていない。
言い訳じゃないけど、何度も告白しようと思ったさ。だけどいざ藍さんを前にすると、決意や勇気が引っ込んでしまう。
なんで俺はこんなにも意気地なしなんだ! 冷蔵庫に藍さんの写真を貼って、「好きだ! 大好きだ!」と告白する練習を繰り返していただろ!
おいこのヘタレ野郎。もういい加減、覚悟を決めろよ。
「今日は占い最下位だったから」とか、「今夜はデリバリーを頼む日で『すおう亭』には行かないから」とか、いつもいつももっともらしい口実を取り繕って、告白を先延ばしにしてきた。
自分の勇気のなさから目を背けて、正当化して。
そして結局思いを伝えられず、いざ藍さんに恋人が出来たらスゲェ落ち込むんだろうよ。後悔するんだろうよ。
そんなのは、絶対に嫌だ。後悔するにしたって、何もしなかったことに後悔なんてしたくない。
だから言うんだ。今日言わないで、いつ言うんだ。
「ねぇ、誠?」
藍さんが小首を傾げる。
「四月とはいえまだ夜は冷えることだし、外で突っ立っていたら風邪を引いちゃうわよ」
「だからまた日を改めて」。そう続ける藍さん。
「待って!」
俺はそんな彼女を呼び止める。別日に先延ばしたら、また決心が鈍る気がした。
藍さんの足を止めた以上、もう後には引けない。告白するしかない。
「あのさ、藍さん!」
言うのではなく、叫ぶ。そしてそのまま勢いで、
「俺、ずっと前から藍さんのことが好き……なんだけど……」
覇気のない語尾。ほんの1秒前までの勢いはどこへやら。最後の最後でひよってしまった。
一世一代の大勝負ですら格好付かないなんて……情けないにも程がある。
言い方はどうであれ、告白したのに変わりはない。
俺の伝えたかった「好き」の二文字は、しっかり藍さんの耳に届いていた。
俺の前ではいつも大人の余裕を見せている藍さんが、突然の告白に珍しく驚いている。
しかしすぐに、幼馴染みのお姉さんの顔に戻って、
「……嬉しい」
小さい声で、それでもはっきりと藍さんは呟いた。
嬉しい? 今藍さんは、嬉しいって言ったか? それって……。俺は彼女の呟きの意味を考える。
嫌いな奴からの告白だったら、迷惑だと思うよな? 恋愛対象ではないけど親しい奴からの告白だったら、嬉しさよりもこれから断ることへの申し訳なさが先行するよな?
間違っても、嬉しいという感想が真っ先に口に出ることはない筈だ。
よく見ると、藍さんの頬がほんのりと紅潮している。
この反応、まさかーー
藍さん程ではないけど、期待に胸が膨らむ。
彼女いない歴=年齢。何年も俺に付き纏ってきたこの不名誉な称号を、とうとう返上する時が来たようだ。
真澄誠を主人公としたラブコメディは、今まさにハッピーエンドを迎えようとーー
「でもごめんなさい。私、誠のことはやっぱり弟としか見れないの」
返ってきたのは、予想外の拒絶。
俺の目の前が、途端に真っ白になった。
ごめんなさいって……え? ちょっと待て。俺は今、フラれたのか……?
何が起こっているのか把握出来ていない俺を置いてけぼりで、藍さんは続ける。
「誠のことは、好きよ。大好きよ。友達と誠、どちらかを優先しなければならない時がきたら、きっと私は誠を選ぶ。そのくらい好き。でもね、それはあくまで弟として。あなたを愛してはいても、恋はしていないの」
だから俺と付き合うことは出来ない。藍さんは心底申し訳なさそうに語る。
そんな顔しないでくれ。だって藍さんは、何も悪くないじゃないか。
「フッておいて虫が良いかもしれないけど、これからも私を幼馴染みのお姉さんとして接してくれたら嬉しいわ」
藍さんは俺と恋人同士になることを望んでいない。藍さんの希望は、幼馴染みという関係性。
だったら今までと変わらず幼馴染みの弟でい続けることこそ、俺のすべきことではないだろうか?
フラれたからって、その仕返しと言わんばかりに彼女の申し出を拒むなんて、そんな格好悪い真似はしない。
散々ダサい姿を見せてきた後だけど、最後くらいは格好付けてみよう。
俺は込み上げてくる涙を堪えて、精一杯笑ってみせた。
「そんなの、こっちからお願いするよ。俺は未来永劫、藍さんの幼馴染みだ」
藍さんを幸せにすることは出来なくとも、誰よりも藍さんの幸せを願っている。それくらいなら、恋人じゃない幼馴染みにだって許されるよな?
◇
などとカッコつけて強がってみたものの、失恋のショックからそう簡単に立ち直ることは出来ず。
だってずっと好きだったんだよ? フラれたから、はい諦めましたーなんて即刻切り替えられるわけないじゃん。
あと藍さんは「これまで通り接して欲しい」と言っていたし、俺もつい「わかった」的なことを言ってしまったけど、それ多分無理。
藍さんの姿を見ただけで、フラれた時の情景が想起されると思う。そしてまた消沈すると思う。
都合よくフラれた時の記憶だけ消せないかな。誰か腕の良い脳外科医紹介してくれない?
もしそれが出来ないのだとしたら、
「当分は藍さんと会いたくないなぁ……」
自宅に帰ってきた俺は勉強机に座り、天井を見上げながら呟く。こうして上を向いていないと、涙が溢れてきてしまいそうだった。
ズズズズと、鼻を啜る音が部屋中に響き渡る。
どうしてだ? どうしてこうなったんだ?
声に出さず、それ故に誰に聞くわけでもなく、自分自身に問いかける。
美人で世話焼きの幼馴染みのお姉さん。しかも美人なのに、これまで男の影は一切なし。
ラブコメだったら、実は昔から幼馴染みのことが好きでしたパターンだろう。絶対にくっつくタイプの間柄だろう。なのに……本当、どうしてこうなった!?
特に意味もなく体をのけぞらせると、ふと本棚に並んでいるラブコメ小説が目に入った。
本好きというわけでもなし、オタクというわけでもなし。だけど不思議と目を惹かれ、つい全巻衝動買いしてしまったその小説。
冴えない主人公と完璧超人なヒロインが、紆余曲折遠回りしながらも最後は互いの気持ちを確かめ合い、結ばれる。そんなありふれた内容だった。
思い返してみれば、俺はこの小説を読んでラブコメに憧れたんだっけ。この小説は、つまるところ俺のバイブルなのだ。
俺は椅子から立ち上がる。
本棚の前に行くと、そのラブコメ小説の一巻を手に取った。
表紙を含め数ページめくる。魅力的なヒロインのイラストとか、目を惹くシーンは他にもあった筈なのに、俺の目に飛び込んできたのは「この作品はフィクションであり、実際の人物・団体等とは関係ありません」というお決まりの文言。
そのフレーズを見た瞬間、俺は悟った。
俺が憧れて、切望して、勇気を出して告白するきっかけになったラブコメとは、フィクションの中だけの存在なのだ。
昔一緒に遊んだことのある異性との偶然の再会とか、義兄妹で一つ屋根の下とか、他人には言えない秘密の共有とか、身分違いの大恋愛とか。
物語の中の恋愛は、いつも劇的で、情熱的で。まるでその恋愛自体に焦がれているような、そんな錯覚にさえ見舞われる。
対して現実の恋愛はひどくつまらなくて、ひどくくだらない。
小説のようなラブコメの主人公になろうとどんなに努力したところで、この現実という物語では必ずしもハッピーエンドに帰結するとは限らないのだ。
何がいけなかったんだ? 告白するタイミングか? セリフか?
いいや、違う。このクソッタレな現実でラブコメなんかをしようとしたことが、そもそもの間違いだったんだ。
俺はようやく気付いた。あぁ、気が付いたのさ。
物語世界のラブコメでは、ハッピーエンドが保証されている。現実世界のラブコメでは、バッドエンドが用意されている。
そりゃあ皆が皆バッドエンドに行き着くわけじゃない。望んだ未来に辿り着く者だっている。
でもそれは、ほんのひと握りの人間だけ。そして俺は、そのひと握りにはなれない。所詮は、幸せになれないその他大勢に過ぎない。
こんな気持ちになるくらいなら、ラブコメになんて憧れるんじゃなかった。藍さんを好きになるんじゃなかった。
おい、天上で腹を抱えながら、失恋した俺の様を笑っているラブコメの神様とやら。今ここで、てめぇに誓ってやろうじゃねーか。
金輪際、ラブコメなんかしてやるものか!
◇
あの春の夜、「好き」という言葉を口にした途端、俺の初恋は終わりを告げた。
それまで募らせてきた想いも、期待に満ちあふれた明るい未来も、その全てが泡沫と化して消えた。
「好き」という言葉が俺を不幸にしたと言っても差し支えないだろう。
だから「好き」は呪いの言葉なのだ。
そんな俺のひねくれた思考を重々理解した上で、圭子は大きく溜息を吐く。
「恋愛アンチなのは相変わらずだね。そんなんじゃ一生彼女が出来ないよ」
「それはどうだろうな。俺はラブコメをしたくないだけで、恋愛自体に嫌悪感は抱いていないんだ」
「前々から聞こうと思っていたんだけど、それって何か違うのかい? ラブコメって、要するに恋愛だろ?」
……何を言っているんだ、こいつは?
圭子とはたまに話が噛み合わないことがあると思っていたけど、成る程、その齟齬は認識の違いからきていたのか。
恋愛とラブコメを同義だと考えているのだとしたら、親友として両者の違いを教えてあげなければ。でないと近い将来、ラブコメの神様の罠にハマって不幸に見舞われてしまうかもしれない。
「圭子、お前漫画とかラノベを読まないタイプか?」
「ラノベは読まないけど、漫画なら読むよ。自分でも何冊か買っているしね」
圭子は指を折りながら、読んである漫画のタイトルを挙げていく。
圭子は野球部のマネージャーだ。そのせいか、彼女の列挙するタイトルは全て野球漫画のものだった。
「……っと、こんなところかな? どう? 誠も知ってる?」
「まぁな」
お前の読んでいるやつ、どれも超有名漫画だし。
圭子の漫画の好みを聞いて、俺は確信した。
「ってことは、ラブコメを読んだことないんだな?」
「今挙げた作品がラブコメじゃないって言うのなら、そういうことになるね」
「転んだ拍子にうっかりおっぱい触っちゃったりとか、扉を開けたら着替え中の女の子とばったりハプニングとか、そういう描写を見たことは?」
「……誠。18禁のエロ漫画は、きちんと18歳になってから読むようにしないと。あと一年我慢だよ」
「シャーラップ! エロ漫画じゃない! 全年齢対象の、健全漫画だ!」
……っと。ラブコメの定番シーンをエロ描写扱いされて、ついつい元ラブコメ好きの血が騒いでしまった。落ち着かなければ。
俺はゴホンと咳払いをして、気持ちを沈める。
「良いか圭子、よく聞けよ。お前にもわかるように、ラブコメと恋愛の違いを教えてやる。例えばお前が一ヶ月の間に何人もの女と付き合っては別れてを繰り返すヤリ捨てクソヤローだったとしても、俺はお前を軽蔑したりしない。変わらず友達をやっている。何故なら俺はラブコメ嫌いなだけであって、恋愛を嫌っているわけじゃないからだ」
「ありがとうと言うべきところなんだろうけど、素直に喜んでいいのかわからない例えだね。少なくとも僕に彼女はいないし、いたとしてもきちんと大切にする男だよ。……それで、結局のところ何が言いたいんだい?」
どうやら俺の言いたいことは、圭子に伝わらなかったらしい。だったらもう例えなんかせずに、本質を突くとしよう。
「ラブコメ嫌いの俺は、本気の恋をしない。そう言っているんだよ」
「好き」という言葉を呪いだと捉えているのならば、この先俺に彼女が出来ることは一生ないのかもしれない。圭子の危惧は、もっともだ。
だから適当に恋愛をする。適当に交際をする。適当に別れることもあるし、適当に別の女の子と新しい恋に目覚めることだってある。そしてゆくゆくは、適当に結婚するのだろう。
何かも適当だ。決して本気で相手を好きにならない。
何故ならそれが、一番傷付かない恋愛なのだから。
藍さんにフラれた時のような思いをするのは、二度とごめんなんだよ……。
理想を追い求めるのではなく、妥協し続ける。それが現実に即した恋愛で。
ラブコメみたいな本気の恋を模索したところで、幸せになんてなれやしない。
認めろ。この世に蔓延っているのは醜い恋愛であって、ラブコメなどではないのだと。
「本気の恋はしない、か。誠の考え方はわかったよ。だけどそれって、みすみす幸せを逃していることになるんじゃないかな?」
「かもな」
俺は圭子の指摘に反論しなかった。まったくその通りだと思ったからだ。
「でも不幸になることだってない。俺には幸せになることより、そっちの方が重要なんだよ」
俺は窓の外を見る。窓の外には、雲一つない青天が広がっていた。
開放された窓からは、微弱だが風が吹き込んできていて。その風に当たるだけで、心なしか涼しく思えてくる。
「……」
俺は便箋で紙飛行機を折った。特別な折り方なんてしていない、誰でも最初に作れるようになるスタンダードなタイプのやつだ。
便箋で折った紙飛行機を、窓の外へ飛ばす。
俺の手から離れたこの紙飛行機は、果たしてどこまで飛んでいくことが出来るのだろうか?
名も知らぬ誰かの想いを乗せて、どこまでもどこまでも飛んでいくのだろうか?
暦は六月。夏はすぐそこまで迫ってきている。
夏という季節は好きだ。夏は春を終わらせてくれる。出会いと恋の溢れる、春という季節を。
今年の春も、つつがなく過ぎ去ろうとしていた。




