先輩は後輩に誤解されたくない
「はぁ…」
いつもなら足取り軽く帰る帰り道も今日は亀の歩み。
決して家に帰るのに気が重いというわけではない。
「…はぁ…」
2度めのため息。
いやいや、ため息ばかりついていてもどうにもならない!ここは気分を変えるためにコンビニでデザートでも買おう!
「せーんぱい」
聞き慣れた声が背後から聞こえた。
聞き間違いであってほしいと祈りながら振り向いても、そこにいたのは予想通りの人物だった。
「……今朝ぶり、千歳くん…」
「えぇ、いつもみたく昼休みに中庭に来てくれませんでしたから?今朝ぶりですね、先輩」
「中庭に行けなかったのは用事があったからだよ…」
彼は後輩の千歳くん。なぜか入学当時からずっと私に構ってくる。
「用事ってもしかして…これ、ですか?」
わざわざ横に並んでスマホの画面を見せてきた。そこに写っていたのは裏庭で佇む二人。
「え、千歳くん…。なんで写真撮ったの…?」
「わ、わざわざ先輩の告白現場なんかの写真、撮るわけないじゃないですか。これは…友だちが送ってきたんです」
いまいち納得がいかないけれど、まぁいいか…。
「そっか。でも、それ告白現場じゃないよ」
「あ、そうでした…先輩がフラれてる、現場でしたね」
む。たしかにフラれ…たのかな?
「先輩、この人のこと好きだったのに告白するまえに無理だって言われたんですよね?」
何故そこまで知っている…。というか…。
「あーもー!別に好きじゃないってば!」
「え、」
「急に校舎裏に呼び出されたと思ったら?良くも知らない人に『ごめん、君の好意は嬉しいけど…君の好意には答えられない…』っていわれて?あー!むかつく!!」
「???」
いけない、いけない…。苛立ちが頂点に達してつい千歳くんにあたってしまった…。彼も呆然としている。
「ごめん、千歳くん…。関係ないのに当たっちゃって…」
「いえ…大丈夫です…。それより、ええと…好きじゃない、ってどういうことですか…?」
「言葉のとおりだよ。なんでそう思われたのかな…?」
返答を返すと千歳くんは何やら考え込み始めた。
しばらく無言で歩き続けると、ぴたり、と止まった。
「千歳くん?」
振り返ると、彼はこちらをじっと見ていた。
「……先輩、前にこの人のこと好きって言ってませんでした?」
「もー…さっき言ったでしょ」
「でも僕聞いたんですけど、クラスメイトの人に好みだって…」
…あっ。
「あ、ってなんですか?やっぱり心当たりがあるんじゃないですか…?」
「違うよ!で、でも…」
「先輩?素直に吐いたほうがいいですよ?」
千歳くんはジリジリと近づき、ついには息がかかりそうなところまで来た。
「ただ…好きなキャラクターに似てるなっていう話をしてたなって…」
「キャラクター…」
「そ。ほら…このキャラ」
説明しても訝しげな顔をする千歳くんにわざわざスマホで検索して画像を見せてあげる。
すると、彼は少し驚いた顔をした。
「…たしかに似てる…」
「でしょ?だから、千歳くんが聞いたのはそれだと思う」
ちらりと顔を伺うと千歳くんはとても安心したような顔をしていた。でも視線があうと急いで顔をそらした。
「ええと…つまり、あの人は勘違いしてたってことですか…?」
「うーん、そうなんじゃない?でも、なんで私が好きだと思ったのかなー?」
「……別にいいんじゃないですか、そんなこと。それよりも先輩、好きな人って…いないんですか?」
目をぱちりと瞬かせる。
「いるよ」
「そうですよね、先輩、そういうのには疎そう…いるんですか!?」
こちらを二度見してきた。…なんか失礼なことでも考えられてそう。
「私だって高校生だし、好きな…男の子ぐらいいるよ…」
「だっ、誰なんですか!」
「なんで君に言わないといけないのさ」
「そ、そりゃ…先輩の好きな人は…気になりますから…」
「なーに、それ。私のこと好きなの~?」
ふと悪戯心が湧き、いつも千歳くんがするのを真似してからかってみる。
…返事がない。彼のことだから、「そうかもしれませんね」なんて軽く流すと思ったのだけれど。
不思議に思って後ろを振り向くと、なぜか耳も顔も首筋も真っ赤な千歳くんがいた。
「す、好きだっていったら、先輩どうします…?」
普段なら聞こえないくらいの小さな声で呟かれたその台詞は、なぜか耳にすとんと入ってきた。
「私も好きっていう」
いつもならからかわれていると思って、茶化すのに、そのときはなぜかそうできなかった。
するりと、本音が出てしまった。
きっと、今の私の顔も、彼と同じくらい…それ以上に赤くなっているに違いない。
「ええと、最初は…何だこいつ、って思ってたの。やけにからかってくるし。でも、なんか…好きになっちゃったんだよね!」
なにを言ってるんだろう。
絶対に、言わないつもりだったのに。
――千歳くんのせいだ。
だって、たまに見かけるクラスメイトといるときの顔は不自然なのに、私といるときだけ、私をからかうときだけ、自然に柔らかく、綺麗に笑うから。
気づいたらいつの間にか、好きになっていた。
「だから…千歳くんが私を好きっていうなら、私も…好きっていう…」
もうわけが分からなくてなぜか涙がぽろぽろと出てくる。
人って恥ずかしすぎるときにも泣いちゃうんだ…。
うつむいてゴシゴシと袖で目元をこする。
下を向いた視界に千歳くんの綺麗な靴が入り込んだ。
「泣かないで下さいよ…。その…こっち、向いてください」
「や、やだ…。言うつもりなかったのに…あんなこと言っちゃって…恥ずかしすぎるんだけど…」
必死で下を向いて顔を手で隠していると、腕を掴まれた。
「――なら、僕が言ったこと、なしにしちゃうんですか?」
耳元に口を近づけて、少しかすれた声で彼はそういった。
「からかってません。本気です。僕は先輩のこと、好きです」
「!」
思わず顔を上げると、いままでに見たことのないぐらい綺麗な笑顔がすぐ目の前にあった。
「あ、ち、ちか」
「いいですよね。僕たち両思いってやつなんですし」
「りょ、りょうおもい」
「僕は先輩が好きで、先輩は僕が好き。これって、両思いですよね」
有無を言わせない口ぶりで、視線を合わせてそういうと千歳くんは顔を近づけ――。
私たちの距離は、ゼロになった。
「???」
「いいですよね、恋人同士なんですから」
何もわからない私を彼は笑顔でじっと見つめてくる。
「こいびと…」
「はい。結婚を前提としたお付き合いってやつです」
「え、それは気が早いのでは?」
「早くないですよ。先輩と別れる気なんてありえないですから」
……もしかして、ヤバい後輩を好きになってしまったのでは?
「とりあえず、今日はお家に帰りましょう。本音を言えば先輩か僕の家で同棲したいんですけど」
「同棲!?」
「それはさすがにまだ早いので、明日から…いえ、今から登下校は一緒に行きましょう」
「なんで」
「なんでも何も、先輩と一分一秒でも一緒にいたいからですよ」
彼の手はいつの間にか私の腕から手に移動し、更にはにぎにぎと触れてくる。
「手繋いで歩きましょうね」
「うん…」
正直を言えば、毎日の登下校も嬉しいし、こうやって手を繋いで歩くのも嬉しい。
――なんか、愛情が重すぎる気もするけど。
でも、千歳くんは私が本気で苛立つことはしない。
少なくとも、以前私が本気で怒ったときはすぐに謝ってきたし、同じことは二度としなかった。
だから、私が嫌だといえば彼はすぐにやめるだろう。
「あのさ、同棲って…本気で、したいの?」
「はい。でも先輩とひとつ屋根の下で暮らしたら手を出す自信しかないので、僕が成人してからにします」
「手を出すんだ…」
「そりゃあ僕だって性欲のある男子高校生ですから。でも、きちんと家族を養える仕事についてから…」
もうすでに扶養を視野に入れている…。君、こんな人だっけ…。
……あー、でも。私もだいぶ馬鹿なのかもしれない。
彼のそんな話を、一緒になって想像してしまう。
「そういえば、千歳くん」
「なんですか、先輩」
「―――先輩って呼ばないで、名前で呼んで」
「…涼葉、さん」
千歳くんが呼ぶその名前がひどく大事なものに思えてきた。
「もー…好き…」
「僕も涼葉さんのこと好きです」
「ね、やっぱり私のことからかってきてたのって…アレ?好きな子ほどいじめたい、みたいな」
「近いですね。…初日に一目惚れして、どうにかして近づきたいと思って…本当はもっと好きって全面に出そうかとも思ったんですけど、近くで見たらもっと好きになって、上手く話せなくて…」
「へ、へー…」
「でも、涼葉さんの色んな顔を見れたので…からかうの、やめられなかったんです」
こちらとしてもからかわれるのは――嫌では、なかった。彼が私の反応を見るときの笑顔が好きだから。
「今週末とか――デート、してみる?」
「!!します!!」
「ふふ、計画とか、立てないとね」
デートの理想とか、行きたいところとかを話している内に私の家に着いた。
千歳くんに家を教えたことはないはずなんだけど。
手を離してからも名残惜しく、お互いの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
千歳くんは律儀に家に着いたという連絡もくれた。
なんかもう文字だけでも好き…。
「これは…バカップルとかいうやつなのでは…」
ふとそう思ったものの、誰に迷惑をかけているわけでもないしいいか、と一人うなずく。
両思い、恋人…二人の関係にそう名前がつけられるのはとても幸福なことだ。
――放課後前までの私は、ひどく苛立っていた。
知らない人に勘違いされたことよりも、千歳くんの耳に入らないか、勘違いされないかということのほうがよっぽど大事だった。
結局、勘違いはされていたけれど、雨降って地固まるというやつで、彼と私の関係は”先輩と後輩”から”恋人同士”になった。
嬉しすぎて頬が勝手にゆるんでしまう。
多分、明日は今日よりも、明後日は明日よりも――時間がすぎるにつれて私は千歳くんを好きになっていくのだろう。
彼からの連絡に、『おやすみ、また明日』と返して緩んだ頬をおさえながら私は夢を見るためではなく、明日を迎えるために目をつむった。