6.同行者
ダンジョンから戻ってきた日の深夜。輪廻は部屋のバルコニーの柵に背中を預け、空を見上げていた。
「そろそろこの城ともお別れか」
一週間の間に必要な知識は集め終え、ダンジョンで自身の力の把握も出来た。すでに城に止まる理由もなく、当初から考えていた通り城から去ろうと考えていた。
「面白そうな人み〜つけた!」
突然聞こえてきた声に輪廻は即座に柵から背中を離して振り返る。
「誰だ」
そこにいたのは輪廻が背中を預けていた柵の上に立つ幼い少女。ワンピースのような服を身に纏い、夜を写し取ったかのような髪が風に揺れる。その容姿は幼いながら人並み外れて美しく、気を抜けば思わず見入ってしまいそうな程。
ニコニコとした笑顔はまるで邪気を感じさせず、たまたま迷い込んだと言われれば信じしてしまいそうだ。例え、それが気配もなく突然現れたとしても。
「クロはクロだよ」
無邪気な笑顔で答える少女だが、その身に纏う雰囲気は明らかに人間とは別物。笑顔を浮かべているだけだというのに輪廻は言いようのない圧迫感を受けていた。
「どうやって現れた」
「うん?こうやってだよ」
一切警戒を怠っていなかったにも関わらず、現れた時と同じように目の前から少女が消える。そして、再び背後から聞こえてきた声に振り返ればすぐ後ろに少女が立っていた。
「クロは時空精霊。これくらい簡単だよ」
精霊とは世界が生まれた時から存在する自然が意思を持った姿と言われる存在。その中でも人型の精霊は一握りであり、総じて大きな力を持つ。
「その精霊が何の用だ」
「この前、面白い気配を感じたんだ。世界を超えてくる気配を」
「勇者召喚か」
世界を超えると聞いて思い浮かべるのはこの世界に来る切っ掛けとなった勇者召喚。だが……。
「何故俺の所に来る」
「だって君勇者じゃないでしょ?」
少女がトンッと床を蹴ってふわりと浮き上がると、何もない空中に立って銀の瞳で輪廻の顔を覗き込んだ。
「勇者を召喚するための勇者召喚で勇者以外が召喚されるなんて初めての事だもん。しかも、それが魔王だなんて」
何故知っているのかとは尋ねない。得体の知れない相手に常識を求める方が間違いなのだ。
「……それで?俺を見にきたというのならもう目的は達成したはずだ。まだ何か用か?」
一歩後ろに下がって距離を取りつつ尋ねる。
「うーん……」
少女は首を傾げながら深い夜色の瞳でジッと輪廻を捉える。
「きーめた!」
少女は唇を楽しげに歪ませる。
「君について行く事にしたよ!」
「……何故そうなる」
「その方が楽しそうだから!」
無邪気に。それでいて有無を言わさず少女は宣言する。
「断ると言ったら?」
「クロがそうすると決めたんだもん。君の意見は関係ないよ。それに、クロの力は便利だよ」
ニコリと笑顔を浮かべた瞬間、輪廻は自分の中に力が流れ込んでくるのを感じた。
「何をした」
わずかに眉をひそめ、鋭い視線を向ける。
「精霊の加護。これでクロの力──空間を操る力が使えるようになったはずだよ」
自身の中に流れ込んできた力に意識を向ければ自然とその使い方が理解出来た。
「確かに便利な力のようだな」
「でしょ?受け入れてくれる?」
「……好きにしろ」
許可なく与えられた事には不満があるが、それでもその力自体が便利なのは確か。拒否したところで目の前の相手に意味があるとも思えず、仕方なく受け入れる事にした。
「クロはクロ!クロって呼んでね!君は」
「……輪廻」
「よろしくね、リンネ!」
クロは輪廻の手を取るとブンブンと振り回した。
「あ、そうだ!城を出るなら一人連れて行こうよ!面白い人間がいるんだ!」
「興味ない」
「ロベリア・カーディナリスって言うんだけど」
「だから興味が……」
ないと言いかけたところでその名前に覚えがある事を思い出し、途中で言葉を切って懐から一冊の本を取り出した。
『魔法考察』輪廻が魔法を覚えるのに一番参考にしたその本の最後のページを開く。
『著ロベリア・カーディナリス』
「訂正する。少し興味が湧いた」
「なら、決定!今は城の地下牢に捕まっているから連れ出そう!」
「地下牢?」
それに一瞬疑問を抱いたが、すぐにそれもありえるかと納得する。今までの常識を容易く否定する説を提唱する人物だ。この本を読んだ限り、常識に縛られず、自らの研究のためなら禁忌すら容易く犯すような人間だと感じた。
「一度会うだけはしてみるか」
自分一人なら朝にでも普通に城を出ようと考えていたが、牢屋に捕まっているような人物を連れて行く可能性があるのなら夜中の内に行動するべき。そう考えた輪廻は一旦部屋の中に戻る。
「……ステラ」
そのまま部屋を出ようとしたところで立ち止まり、自身の専属メイドの名前を呼ぶ。
「何かご用でしょうか?」
直後、部屋の隅から突然ステラが現れる。
「この世界の女は気配もなく現れるのがデフォルトなのか?」
「メイドの嗜みです」
「精霊の嗜みだよ!」
「異世界には変わった嗜みがあるものだ」
輪廻は体の向きを変え、ステラと向き合う。
「話は聞いていたか?」
「どの話でしょうか?リンネ様が魔王様だという話でしょうか?城を出るという話でしょうか?それとも、地下牢にいる犯罪者を連れ出すという話でしょうか?」
「全部聞いていたというのは分かった。それで?」
当然のように答えるステラに短く息を吐く。
「目的はなんだ。お前が俺の監視役も担っていた事は分かっている。だというのに、俺の行動を報告に行くでもなくこうして姿を見せたという事は何か理由があるのだろう?」
「…………」
輪廻の言葉にステラは口をつぐみ、輪廻の目の前まで移動して深々と頭を下げた。
「お願いがあります」
「……何故それを俺に言う。頼みがあるのなら陸斗に言えばいい。あいつならたいていの頼みは聞いてくれるはずだ」
「いいえ、リクト様では私の願いは叶えられません」
いつもの無表情ながらその瞳には強い熱が宿っている。
「復讐か」
「……何故そう思ったのですか?」
「俺に出来て陸斗の奴に叶えられない願いなど真っ当なものじゃないに決まっている」
「それだけ、ですか?」
「あとはその目だ。冷たい瞳の中に隠し切れない憎悪の炎が見える」
「…………」
ステラは否定せず、血が出る程唇を噛み締めてギュッと胸元を握り締めた。
「リンネ様は私の名前をおかしいとは思いませんでしたか?」
この世界で家名を持つ者は基本的に貴族しかいない。城に仕えるメイドともなれば平民がなれるようなものではなく、たいていは貴族の娘が担っている。現に、輪廻がこの城で出会ったメイドは一人を除いて全員が貴族であり、家名を名乗っていた。
そして、その唯一の例外が目の前にいるステラだ。
「名乗らなかったのではなく、名乗れなかったのです。すでに私の家はこの世に存在しないために」
「それが復讐の理由か」
「私が生まれたのはしがない男爵家でした。決して豊かではなかったですが、父と母、それに姉の四人家族で平和に暮らしていました。そこに、あの男が現れたのです」
「あの男?」
「ブランドン公爵家当主ハイドラ・ブランドンです」
輪廻は書庫で集めた知識の中からその家名を掘り起こす。
ブランドン家はランセント王国建国当時から存在する大貴族。王国東部に広大な領地を持ち、王族でも迂闊に口出し出来ない程の強大な権力を持つ。
「あの男にいわれのない罪を被せられ、私の家族は処刑されました。その日から私はあの男を殺すためだけに生き、そのための機会をずっと待っていました。そして、その機会が訪れたのです」
「勇者召喚か?」
「大きな力を持つ勇者ならばあの男を殺す事も可能だと考えていました。ですが、勇者召喚が行われたあの日、召喚されたリクト様を見て私は落胆しました。この人では私の願いは叶えられないと」
力の問題ではない。朝霧陸斗という男はどうしようもなく表側の人間なのだ。復讐の手伝いを頼んだところで止められるのは目に見えている。
「だから、俺に目を付けたのか」
「勇者は駄目でした。ですが、その隣にもっと最適な人がいました。まさか、魔王だとは思わず、あの時は流石に驚いてしまいましたが」
「あの時感じた気配はやはりお前だったか」
「はい。驚きのあまり一瞬気配が漏れてしまいました」
それでも一瞬で動揺を抑えて気配を消したのは流石と言えるだろう。
「そして、その事を誰にも言わず、メイドという立場を利用して俺に近付いてきた訳か」
「その通りです。専属を決める際、真っ先に立候補しました」
「他にやりたがる奴がいないから仕方なくと言っていなかったか?」
「あれは嘘です」
「嘘をつけないとも聞いたな」
「常識的に考えてそんな人がいると思いますか?あ、リンネ様が嫌われていて他にやりたがる人がいなかったというのは本当ですよ。おかげ様ですんなり専属になる事が出来ました」
「それは何よりだな」
輪廻は輪廻の思惑があっての事だったが、結果的にそのおかげでステラは簡単に輪廻に近付く事が出来た。
「俺に近付くのが目的にしては俺に気に入られようとはしていなかったな」
「権謀術数渦巻く王城で過ごしていれば自然と人を見る目は養われます。リンネ様は媚びへつらうタイプは好きではなさそうだったので」
「まるであれは演技だったと言わんばかりの言い草だな」
「本来の私は明るく表情豊かな美少女です」
そうステラは無表情で語る。
「まあ、お前がどんな人間かなどどうでもいい。それで?」
「リンネ様、どうか私に力を貸してください。この復讐を果たした際はこの身も心もリンネ様に差し上げます」
そう言ってステラはもう一度深々と頭を下げる。
「……俺に人形遊びの趣味はない。お前の身も心も必要ない」
頭を下げたままのステラに背を向けると、そのままドアに向かって歩き出す。
「……ッ」
そんな輪廻にステラはグッと唇を噛み締める。この機会を逃せば次いつ機会が訪れるか分からない。もしかするともう訪れないかもしれない。だが、輪廻の力を借りるために自分が差し出せる物がない事も理解していた。
自分の家族が処刑されたその日から感じていた無力さを改めて突き付けられ、自分自身に対する怒りで身を震わせる。
「……何をしている」
「え?」
そんなステラの耳に輪廻の声が届く。
顔を上げると、そこにはドアの前で立ち止まり、ステラの方を見ている輪廻の姿があった。
「リンネ、様?」
「お前の身も心もいらないが、手を貸さないとは言っていない。どうせ目的もなかったんだ。手伝ってやる」
「本当…ですか?」
「くだらない嘘をつきはしない」
「……感謝します」
そう言ってステラはもう一度頭を下げた。