4.異世界の生活
「…………」
世界が変わっても体に染み込んだ習慣はなくならないのかまだ早朝と呼べる時間に輪廻は目を覚ました。
「お目覚めですか?」
聞き覚えのある声に体を起こし、声の方に視線を向けると桶の乗ったカートを押すステラの姿があった。
「何をしている」
「リンネ様のお世話ですが?」
「昨日必要ないと言ったはずだ」
「それはリンネ様の都合であって私には関係ありませんので」
何食わぬ顔で答えるステラにわずかに目を細めるが、ステラは変わらぬ無表情で輪廻の前までカートを押していく。
「何か?」
「……いいだろう。昨日の言葉は撤回する。好きにしろ」
ステラの運んできた桶の水で顔を洗い、差し出してきたタオルを受け取って顔を拭く。
「今日はどうなさいますか?」
「俺にどれだけの自由が与えられている」
「城内であれば自由に出歩く事は許可されています。不愉快な視線や言葉を向けられるかもしれませんが、自業自得なのでご了承ください」
「元より他人にどう思われるかなど気にしていない」
出歩くなと言われたとしても従う気はなかった輪廻だが、許可が出ているのなら心置きなく動ける。
「書庫に行く」
「かしこまりました。書庫に向かう際はご案内しますが、その前に朝食はどうなさいますか?」
「そうだな。昨日は夕食を食べる事なく寝てしまったからな。先に朝食にする」
「では、ご案内します」
ステラに案内された部屋には長いテーブルがあり、ステラの引いた椅子に座るとすぐに料理が運ばれてくる。
城の料理とはいえ、朝食となれば然程豪華という事はない。サラダやパンといった一般的な物だ。
「あ、輪廻おはよう。もう起きてたんだ」
「おはようございます、リンネ様」
朝食を食べていると、一人のメイドに案内されて陸斗とシルフィナがやってきた。
「ああ」
チラリとメイドに一瞬視線を向けると、それに目敏く気付いた陸斗が紹介を始めた。
「彼女はカティアさん。僕の専属らしいよ」
「カティア・ウェルナーと申します」
精練された動作で頭を下げるカティア。精練された動きはステラも負けていないが、ステラとは対照的にその表情は穏やかでどこか安心感を与える。
「内心でどう思っていようが相手に悟らせないのだから一流なのだろうな」
「私も何考えているか分からないと言われるので一流ですね」
「接客業で愛想の一つもないのは減点だ」
「リンネ様に振り撒く愛想を持ち合わせていないだけです。やろうと思えば出来ます。やって見せましょうか?」
「愛想を振り撒くお前など気持ち悪いだけだ」
そんな二人のやり取りに陸斗は苦笑を漏らした。
「仲良さそうだね」
「相変わらずお前の目は節穴だな」
「輪廻は相変わらず辛辣だね」
輪廻の言葉を気にした様子もなく陸斗は輪廻は隣の席に座り、さらにその隣にシルフィナが座る。
「それで、そっちの人はなんて言うの?」
「ステラと申します」
「ステラさんか。よろしくね」
「リンネ様の専属なのでよろしくする事は然程ないとは思いますが、よろしくお願いします」
何人もの女を落としてきた陸斗の笑顔にも動じる事なく変わらぬ無表情で頭を下げた。
「輪廻は今日どうするの?僕は訓練があるんだけど」
「……書庫に行く」
「ああ、輪廻らしいね。気が向いたら──」
「行かない」
朝食を終えた輪廻はさっさと立ち上がり、陸斗達に背を向けた。
◇◆◇◆◇◆
──傲慢の魔王。その力の本質は支配。過去の戦いでも七体の魔王の中で唯一大軍を率い、拠点を築いていた。その配下は人間種や魔物と多種多様であり、傲慢の魔王を討伐するために各国が兵を出し、複数の勇者が協力しながら多くの犠牲の果てにようやく討伐する事が出来た。強力な配下もさる事ながら魔王自身の力も強く、七体の魔王の中でも特に強大な力を持つ魔王の一体でもある。
「ふん」
開いていた『勇者と魔王』という本を閉じ、長時間同じ姿勢でいた事で凝り固まった体をほぐすために伸びをした。
「熱心ですね」
「……お前か」
気配もなく突然背後から聞こえてきた声に振り返る。
「相変わらず気配もなく現れる奴だ」
そこにいたのは書庫に輪廻を案内してすぐ他の仕事があると去っていったはずのステラだった。
「メイドですので」
「異世界のメイドは気配を消せなければならないとは知らなかった。それで、何の用だ」
「昼食の時間になっても現れないので呼びに来たのです」
そう言ってステラはテーブルに積み重ねられた本に視線を向けた。
「もうそんな時間か」
自分で思っているよりも時間が経っていた事に輪廻は言われて自覚する。
「分かった。向かうからこの本を片付けておいてくれ」
「お断りします」
「……理由を聞こうか」
「自分の事は自分でするとおしゃったので」
「それは撤回したはずだが?」
「その後好きにしろとおっしゃったので。私はやりたくないのでお断りします」
「メイドなんだろ?」
「言われた事に従う事だけが優れたメイドではありません。時に主人のためを思って頼みを断る事も必要なのです」
「…………」
結局全て自分で片付けた。
「あれは陸斗か」
書庫を後にした輪廻が廊下を歩いていると、窓から多くの兵士が訓練する訓練場が見えた。その中には陸斗の姿もある。
「リクト様は朝から訓練しています」
「ふん、無駄な事を。さっさと実戦に出した方がずっと良いだろうに」
そんな陸斗の傍には昨日輪廻に突っかかってきたメリダの姿もある。
「メリダ様は女性ながら近衛騎士団副団長を務める方です。実力もさる事ながら美人で高潔な方なので男女問わず人気があります。リンネ様とは正反対ですね」
「隣の男は?」
「近衛騎士団団長のグレン様です」
歳は四十を超えていそうだが、百八十を超える陸斗よりも背は高く、その体は引き締まっている。ただ立っているだけでありながら威風堂々としたその姿は間違いなく強者のそれ。
「強いな」
「グレン様は王国最強ですから」
「む」
訓練の様子を眺めていると、かなり距離があるにも関わらずグレンが的確に輪廻の方を向いた。
「こっちに気付いたか」
一瞬目が合ったが、グレンはすぐに目をそらし、陸斗の方に視線を戻す。
「王国最強は伊達ではないか」
輪廻も視線を前に戻し、止まっていた歩みを再開させる。
「リンネ様は訓練に参加しないのですか?明日は魔法の訓練もすると聞きましたが」
「必要ない」
輪廻が右手を上に向けるとそこに闇の球が現れる。
「すでに使えるのですか?」
「本を読んで覚えた」
なんでもない事のように答え、闇の球を握り潰す。
「実戦なら出てもいいかもしれないがな」
「実戦ですか。それなら、一週間後にダンジョンに行くらしいです」
「ほう」
ダンジョン──それは世界各地に存在する特殊な場所の事だ。ダンジョンの中と外では出てくる魔物やその生態も違い、どこかから現れるのか分からない様々な道具なども手に入るという。危険もありながら多くの資源が手に入るダンジョンは国やギルドと呼ばれる組織によって管理されている。
輪廻は歩きながらさっき仕入れたばかりの知識を思い出した。
「楽しめそうだな」