25.空っぽの勇者
──カンカンカン!
その直後、どこか不安を煽る鐘の音が街中に響き渡る。
「おや?この音はたしか」
「緊急事態を伝える音です」
突然鳴り響いた鐘の音に周囲ではざわめきが起き、いったい何が起きたのかと不安の表情を浮かべる。
その疑問の答えはすぐに判明した。
「来るぞ」
──グアァァァァァ!!
押し潰すような威圧感を孕んだ咆哮に住人達は怯えた表情を浮かべ、一斉に外壁の方へと視線を向ける。
「そ、そんな……」
「冗談だろ……!」
「ド、ドラゴン……」
外壁を飛び越えて姿を表したのはファンタジーの定番ドラゴン。三十メートルを超える巨体を持つ漆黒のドラゴンがこちらを睥睨していた。
「ブラックドラゴン、だねぇ。ドラゴンの中でも特に気性の荒いドラゴンだよ」
ロベリアの言葉を聞いていたのか周囲の人間は絶望の表情を浮かべる。
魔物の頂点に立ち、時に天災に。時に神にすら例えられる最強種。それがドラゴンなのだ。成体のドラゴンともなればランクは優にSを超え、SSに至る。
仮に倒せば竜殺しの英雄として各国に武名を轟かせるだろう。そんな事が可能なのは国の抱える極一部の騎士や魔法使いか世界でも数える程しかいないSSランク以上の冒険者。もしくは……。
「…………」
ジッと黒竜を確認していた輪廻はその様子にどこか違和感を覚えた。
「焦っている……?」
幼馴染みからは妖怪のサトリのようだと言われる輪廻だが、残念ながらドラゴンの感情を読む事は出来ない。だが、魔王としての感覚か黒竜からどこか焦りのようなものを感じていた。
この世界の頂点にも近い存在が焦る理由など早々思い浮かばないが、その直感が正しければこのまま放っておけば何もせずに立ち去るかもしれない。
だが、そんな淡い望みはすぐに消え去る事となる。
視界の端、そこに外壁の上で監視をしていた兵士が備え付けの弩弓を黒竜に向けているのがかすかに映った。
これがワイバーン程度であったのなら撃ち落とす、もしくは撃退くらいは出来たかもしれない。だが、相手は巨体のドラゴン。いくら弩弓とはいえ、針に突かれたくらいの痛痒しか与えられないだろう。むしろ……。
放たれた矢は巨体故に容易く黒竜を捉える。だが、結果は頑強な鱗によって弾かれ、傷一つ与えられない。それどころか、焦っているところにちょっかいをかけた事で余計な怒りを買い、外壁に強靭な尻尾が振り下ろされる。
魔物の侵入を防ぐ外壁はしかし、黒竜の虫を払う程度でしかない一撃によって容易く破壊され、音を立てて崩れ落ちる。
その光景に恐怖を抱いた者の行動は大きく分けて三つ。その場で動けなくなるか、一目散に逃げ出すか。三つの中でこの二つはまだマシだ。問題なのはもう一つ。冷静さを失い、がむしゃらに攻撃を仕掛ける事。
それによって黒竜の注意を引いてしまい、外壁を破壊した尻尾が地上に向けられる。
薙ぎ払われた尻尾によって次々と建物が破壊され、瓦礫が宙に舞う。あの場にいた人間がどうなったのかはやや離れた位置にいる輪廻達には分からないが、ただではすまないだろう。
「どうするんだい?」
「俺には関係な──」
「あれー?あっちに何か人混みが出来てるよー」
輪廻の言葉を遮ってクロが肩の上に一瞬で現れ、目の上に庇を作って前方を見る。
それを迷惑そうに振り払って下ろし、自身もそちらに視線を向けてみると確かに何やら人混みが出来ていた。
「おや?中心にいるのはメリアのようだねぇ」
「そうみたいだな」
眼鏡のツルに触れて人混みを見ていたロベリアの言葉に輪廻も頷く。
「いい雰囲気ではなさそうですね」
「…………」
「おや、行くのかい?」
人混みに向けて無言で歩き出した輪廻に続いて他の三人も歩き出す。
段々近づいていくと、人混みから怒声が聞こえてくる。
「お前がなんとかしろ!」
「なんでこんな所にいる!」
「どうせまた逃げる気だろ!」
「勇者なんだからどうにかしろ!」
「この街に住まわせてやってたんだから恩を返せ!」
次々と聞こえてくる怒声。そして、それがただ一人に向けられている事にロベリアは呆れたように肩をすくめ、ステラは眉を顰める。
「ふふふ、人間の醜さが全開だね!」
「さっきの光景を見ていなかったのかねぇ?下手に手を出せば余計注意を引くだけだろうに」
「度し難いですね」
「あんなのはただの八つ当たりだ。自分じゃどうしようもない理不尽に対して自分よりも弱い立場の相手に当たっているだけ。そんな奴らに興味はない。ただ、気に入らないのは……」
人混みの中心で罵声混じりの怒声を受け続けるメリアは顔を青くし、震えながら腰の剣に手を伸ばす。そして、今も空中で暴れている黒竜を見上げ、ふらつきながら向かっていく。
その顔に浮かぶのは絶望か、諦念か。
どちらにせよ、この場を切り抜けられる策も意思も感じられない。
「どけ」
「あぁ?なんだテメ──」
人混みの一番外まで来た輪廻はそこにいた男に声をかける。それに、訝しげに振り向いた男の顔を鷲掴みにし、人混みに向かって投げつける。
突然後ろから襲った衝撃に何が起きたのか分からないまま次々と倒れていく。
「……リン、ネ?」
それによって人混みの中に中心までの空白が出来、その中にいたメリアは輪廻の存在に気づく。
「何しやがるんだ、テメェ!」
巻き込まれて押し倒され、目を白黒させる中で唯一原因を知っている投げられた男が積み重なって倒れたまま輪廻に怒りの声をあげる。
「聞こえなかったのか?」
そんな男の怒りなど知らないとばかりにその目の前までやって来た輪廻は思い切り振り上げた足を振り下ろす。
ズドンッ!と足が石畳を砕いて地面にめり込み、周囲に蜘蛛の巣状のひび割れを入れる。
「ヒッ」
目の前で見せつけられた力に息を呑み、黙り込む。
「どけと言ったんだ。俺の前に立ち塞がるのなら、何者でも潰すぞ」
確かに黒竜は恐怖だろう。自分では決して敵わない圧倒的な力。だが、その黒竜も離れた場所にいて直接狙われた訳でもない。
例えるのなら遠くにある核兵器と目の前にいる殺人鬼。どちらが怖いかと言われれば大抵の人間は後者と答えるだろう。人は自分に危機が及んで初めて恐怖を感じる。故に……。
「う、うわぁぁぁ!!」
「や、やめて!殺さないで!」
「く、来るなぁぁぁ!!」
至近距離で向けられた濃密な殺気にメリアを取り囲んでいた人間達は一斉に逃げ出していく。
残されたのは呆然と立ち尽くすメリアと輪廻達のみ。
黒竜の暴れる音はどこか遠く、まるで世界から切り離されたかのような不自然な空白地帯に輪廻の足音だけが響き渡る。
「……あ──」
何か言おうとメリアが口を開きかけた瞬間、それよりも早く輪廻の手が動き、メリアの胸ぐらを掴んで持ち上げる。
「あ、う……」
身長差故にメリアの体は完全に持ち上がり、何故こうされているのか分からないと、苦しげに顔を歪めて恐怖を宿した目を輪廻に向けた。
「何をしようとしていた」
「……な、に?」
「まさか、あれに挑もうとしていた訳ではないだろうな?」
「…………」
怒りを宿した訳でもない、それどころかなんの感情も感じさせない淡々とした問いにメリアは押し黙る。
「ギルドで見た時から気に入らなかった。ただ、他人の言葉に従い、人形である事をよしとするその態度が」
「……それ、は」
「今朝もそうだ。お前は結局何かを選ぶ事なく逃げ出した」
輪廻の鋭い視線にメリアは体を震わせ、何度か口を開閉した後、絞り出すように口を開く。
「……空っぽ、だから……。私は……人に言われた事しか、出来ない……から」
自ら空っぽというに相応しい虚無をたたえた瞳に、輪廻はメリアがさらに苦しげに顔を歪めるのも構わず胸ぐらを掴む手をグッと握り締める。
「自分で何かを選ぶ気もない奴が空っぽなのは当たり前だ!」
声を荒げる輪廻に目を丸くするメリアの胸ぐら掴む腕に力を込め、後方に立つステラ目掛けて投げ飛ばす。
「キャッ!」
「いきなり何をするんですか」
突然飛んできたメリアをなんとか受け止めたステラは責めるような視線を輪廻に向ける。
そんな視線を背中で受けながら、輪廻は振り返る事なく言葉を紡ぐ。
「俺は俺の意思にのみ従う。その果てにある責任も後悔も俺の物だ」
黙って輪廻の言葉を聞いていたメリアは輪廻が黒竜へと視線を向けた事に気づき、ハッとして口を開く。
「……なに、するの?」
「お前も聞いていたはずだ。俺の前に立ち塞がるのなら何者でも潰すと。ロベリア」
「なんだい?」
「あの爬虫類はどっちにいる」
「街の東側だねぇ」
「なら、俺達が向かうのはどっちだ」
「ふふふ、東、だねぇ」
「そうか……」
今もなお暴れる黒竜へと歩みを進めながら右手に膨大な魔力を集める。
「つまり、あいつは俺の進む先に立ち塞がっているという訳だ。ならば、何者であっても潰す。それが、巨大なドラゴンであったとしてもな。それが、俺の意思だ」
「……リンネ!」
ダンッと石畳が砕ける程の力で地を蹴り、一息に建物の屋根の上に登った輪廻はさらに跳び上がり、空間魔法で作った足場を蹴って宙を進んでいく。
「この魔王がいる街に喧嘩を売ったんだ。その不敬、償ってもらうぞ」
巨大な黒竜にとって人間一人一人など眼中にない。それどころか区別すらロクにつかないだろう。人間が飛び回る羽虫の区別がつかないのと同じように。
だが、その羽虫が一際大きな音を立てて近づいてくれば自然と視線を向けてしまうものだ。
さっきまで放たれていた豆鉄砲のような矮小な攻撃とは違う、自身に危害を加えかねない魔力に黒竜は振り向く。その瞬間、眼前まで迫っていた圧縮された暴風の塊が解き放たれ、指向性を持って黒竜に襲いかかる。
それは意思を持った局所的なハリケーン。天災と例えられるドラゴンを天災の如き暴風が飲み込み、吹き飛ばす。
それによって黒竜は崩れた外壁の切れ目。自らの破壊したその部分から外へと押し出された。
東側の外壁の外には平原が広がり、昨日の大雨によってあちこちに大きな水溜りが出来ている。
空中で体勢を整えた黒竜はぬかるんだ地面に泥を跳ね上げながら着地し、狂った平衡感覚を取り戻すようにブンブンと首を振る。
「無傷か」
その様子を輪廻はまだ崩れていない外壁の上から観察していた。跳ね上がった泥によって多少足元が汚れてはいるが、その体には傷一つ見えない。
「想定内だ」
元よりさっきの魔法は吹き飛ばす事を重視したためダメージは然程、もしくは全く与えられない事は予想していた。むしろ、上手く外壁の外に押し出せた幸運に感謝したいくらいだった。
神も仏も信じてはいないが。
「楽しくなってきたね!」
突然隣から聞こえてきた声にチラリと視線を向ければ、楽しそうに無邪気な笑顔を浮かべるクロの姿があった。
「何をしに来た。手伝いにでも来たか?」
「まさか!そんなの面白くないでしょ!」
「だろうな」
クロという精霊を輪廻は掴み切れていないが、この場で手を貸してくれる程の良心的な相手ではない事は分かっている。
「ねぇ、リンネ」
「なんだ」
「あのトカゲ。リンネよりも強いよ」
「知ってる」
最初に気配を感じた時くら彼我の実力の差は気づいていた。だからこそ、あのまま立ち去るようであれば手を出す気はなかったのだ。
「それでも戦うんだ。なんで?」
「知れた事を。そんなのは決まっている」
剣を引き抜いた輪廻と顔を上げた黒竜の視線が交差する。
「俺がそうすると決めたからだ」
メリアのためでも、街を守るためでもない。ただ、傲慢に己の意思を貫くために戦う。それが傲慢の魔王のあり方だから。
「ふふふ!あはははは!やっぱりリンネは面白いね!見込んだ通りだよ!」
「手伝う気がないのなら大人しく見ていろ。あの首、叩き落としてやる」
「うん、楽しみにしてるよ!その代わり、この街はクロが守ってあげる。それで心置きなく戦えるでしょ」
「そうか。なら、そっちは任せた」
災厄と天災の戦いの火蓋が切って落とされた。




