24.嵐の前の静けさ
「……ん」
わずかな身動ぎに布団がゴソリと動き、メリアはゆっくりと瞳を開いた。
見慣れぬ天井と久しく感じていなかった温かな布団の感触を寝起きの寝惚けた頭では理解出来ず、ぼんやりと定まらない焦点で天井を眺める。
そこで昨夜の事を思い出したメリアは隣のベッドに視線を向ける。そこには身動ぎ一つせず、かすかな寝息を立てて眠る輪廻の姿。
「……夢じゃない」
その姿に昨夜の事が都合のいい夢ではないと理解し、それを噛み締めるように布団をギュッと握る。
決して豪華とは言えないせいぜい中堅どころの宿屋。少し前に暮らしていた王城のベッドに比べれば硬く粗末な物。なのに、その粗末なベッドがかつてない程に温かく感じた。夕食もそうだ。王城ではもっと豪華な物を食べていた。だが、輪廻の作った料理はそれよりもずっと温かく美味しかった。
「……笑ったの、いつぶりかな」
口元に手をやると、昨日の事を思い出してかわずかに口の端が上がっている。
「……楽しかった」
そんな風に思うのはいつ以来か。王城にいた頃?それよりも前?記憶を遡り、いくら遡っても思い出せずに断念する。
出来るのならこのまま一緒にいたい。でも、それは決して叶わぬ願い。
「……私は何も出来ない」
勇者なのに勇者の力を使えない。それだけではなく、あの日以来メリアは戦う事が出来なくなっていた。体が震え、動けなくなってしまうのだ。
そんな自分がいったいなんの役に立つというのか。だから……。
窓の外を見れば厚い雲に覆われたままだが、昨夜降り続いていた雨はやんでいる。輪廻達が自分達の宿に連れてきてくれたのは雨が降っていたから。雨がやんだ以上ここにいる理由は最早ない。
惜しみながらゆっくりと布団から抜け出す。
「行くのか」
背後から聞こえてきた声に立ち止まり、振り返ると寝ていると思っていた輪廻が体を起こしてメリアを見ていた。
「……これ以上、迷惑かけられない、から」
「それでどうする?今まで通りいいように使われるのか?」
「……それしか出来ない、から」
何もない空っぽの自分に出来るのはただ人の言う事に従うだけ。今も、昔も、これからも……。
「それが本当にお前の望みなのか」
まるで心の内を見透かしたかのような言葉にメリアはギュッと唇を噛み締め、押し黙る。
「断言する。この先、お前がいくらこの街の住人に尽くそうともこの街の住人がお前に感謝する事はない。絶対にだ」
「ッ!」
勇者だという事がバレてから向けられるようになった冷たく蔑む目。でも、それは自らの役割を投げ捨てて逃げ出した自分が悪いのだと言い聞かせ、それでもこの街のために努力すれば変わるのではないかと信じてきた。
だが、本当は分かっていた。それを必死に心の奥底に蓋をして押し隠してきたのだ。それを輪廻は的確に抉る。
「あいつらはお前を都合のいい道具くらいにしか思っていない。雑に扱っても壊れない便利な道具だとな」
勇者としての力を使えなくとも、勇者としての頑丈な体がまで失われる訳ではない。それ故に多少の無茶はきくし、今までは耐えられてきた。だが、これから先もそうだとは限らない。
「路地裏で野垂れ死ぬ。そんな未来がお前の望みなのか」
「…………」
そんな訳ない!このまま死んでしまうなんて嫌だ!そう叫びたいのにメリアの口からは何も出てこなかった。
部屋の中に沈黙だけが流れる。
これは自業自得なのだと。自身の役割を投げ出して逃げた自分に対する罰なのだと。必死に言い聞かせる。
何よりも怖いのだ。
自分に優しくしてくれた輪廻達に失望され、見捨てられる事が。
そんな思いをするくらいなら自分は今のままでいい。
「……さよなら。昨日は、楽しかった」
後ろ髪を引かれながらも、唇に血が滲む程噛み締めてその気持ちを押し殺し、輪廻の方を振り返る事なく部屋のドアを閉めた。
「馬鹿が……」
閉じたドアに吐き捨てるように呟き、曇天の空を睨みつけた。
◇◆◇◆◇◆
「彼女は行ってしまったのかい?」
「……ああ」
メリアが去ってからしばらくして輪廻達四人は朝食を食べるために宿屋の一階で席についていた。
「残念だねぇ。勇者なんていう珍しい実験ど……もとい観察対象がいなくなってしまって」
「今、実験動物って言おうとしたか?」
「はて?なんの事かな?」
惚けるロベリアにジト目を向けるが、もとよりロベリアが善意で人助けするとは思っていなかった。魔王と同じく勇者も興味の対象でしかないのだろう。
「よろしかったのですか?」
「……何が」
食事を再開しようとした輪廻にステラが尋ねてくる。
「おや?私の言いたい事が分からないとは随分察しが悪くなったのですね。それとも、あえて分からないふりをしているのですか?」
分かったうえで惚けた事を理解しているステラの言葉に輪廻はわずかに不機嫌そうに目を細めてステラに視線を向ける。
「俺には関係のない事だ」
「ですが」
「俺とあいつの関係はなんだ?家族か?友人か?恋人か?違うだろ。本来魔王と勇者は敵対する関係だ。向かってくるのなら叩き潰す。そうでないのならどうだっていい。それ以上でもそれ以下でもない」
これ以上話す事はないとばかりに輪廻は口を閉じ、黙って食事を再開する。
「二人の関係?はっ、一夜限りの関係ってやつだよきっと!」
「なるほど、一夜を共にした仲という訳だねぇ」
「それが過ぎればポイッで、もう関係ありませんという事ですか。最低ですね」
「人でなしー」
「女の敵ー」
「性格悪いー」
そろそろこいつらを物理的に黙らせてもいいのではないかと思案しながら輪廻は無視して食事を続けた。
「そういえば、今日はどうするんだい?元々の目的だったダンジョンは攻略した訳だけど」
「……とりあえず、ギルドに預けた魔物の魔石を受け取りに行く」
そのまま無視しようかとも思ったが、小さく息を吐いて答える。
「その後は買い出しだ。目的を達した以上、近い内にこの街を去るからな」
「僕としてはもう少しダンジョンの調査をしたかったんだけどねぇ」
「それはまた今度だと言ったはずだ」
「仕方ないねぇ、それはまた次の機会にするよ」
「そうしてくれ」
朝食を終えた輪廻達は宿屋を後にし、ギルドに寄って魔石を受け取ってから市場にやって来ていた。
「ふむ」
屋台を眺めていた輪廻はふと目についたキャベツに似た野菜を手に取った。
「これは?」
「そいつはクレハの葉って野菜だな」
「そうか。とりあえず、三つくれ」
「まいど!一つ大銅貨二枚だから三つで大銅貨六枚だよ!」
言われた通りに大銅貨六枚を支払い、代わりに受け取ってそのまま次元庫に入れる。
それを驚いた目で見ている店員を尻目に別の屋台へと進み、見た事のあるような野菜から初めて見るような野菜まで色々と買っていく。
「買うのは野菜中心なんですね」
「肉はファイアミノタウロスのがまだあるし、現地調達も可能だからな」
そのうえ、次元庫に入れておけば劣化する事もない。そうなると、必然的に買うのは野菜が中心になってくる。
「魚なんかも少しは欲しいんだが、ここではなかなか手に入らないからな」
この世界では冷凍して高速で運ぶ事も出来ないためどうしても内陸であるこの街では新鮮な魚介類は手に入らない。大きな川が近くにあれば川魚くらいは手に入るのだが、あいにくとこの街の近くにはそれもない。
いずれ海に行った時にでも買いだめようとここでの購入は諦めた。
「おーい、リンネくーん」
そんな話をしていると、買いたい物があるからと別行動をとっていたロベリアの声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには両手に十個近いカバンを抱えたロベリアがふらつきながら歩いてきていた。
「何をしているんだお前は」
呆れながらもロベリアに歩み寄り、その手に持つカバンを受け取って次元庫に投げ入れる。
「いやー、失敗だったよ。これくらいは持てると思ったんだけど、自分の非力さを失念していたよ」
ふぅ、と一息吐いてロベリアは額の汗を拭った。
「で、買いたい物っていうのはさっきのカバンか?こんなに買ってどうするつもりだ?」
「次元鞄を作ろうと思ってねぇ」
「次元鞄?」
「作れるんですか?」
ロベリアの言葉にステラはわずかに目を見開いて驚きをあらわにする。
「簡単に言えばリンネ君の次元庫が宿った魔導具だよ。それで、作れるか作れないかで言えば可能だよ」
と、ロベリアはなんでもない事のように頷く。
「難しいのか?」
「次元鞄はダンジョンで稀に発見される魔導具です。その有用性から多くの人が作り出そうとしましたが、完成に至ったという話は聞いた事がありません」
この世界で大規模な輸送をしようとすればどうしても大がかりになる。そのため、軍や商人には必須とされる魔導具だ。
とはいえ、手に入るのはステラの言った通りダンジョンで稀に出てくる物だけ。売れば当然高額になるが、高位の冒険者ともなればそれくらいは自らで稼ぎ出せる。そのため、自分で使う事もあるため出品される事はさらに少ない。
それが人工的に作り出されるとすれば、それは流通に革命を与える事になりかねない。
「前に一度見た事があるからねぇ」
「それだけで出来るんですか?」
「僕は天才だからねぇ。それに、次元鞄を作るには空間魔法が使える事が大前提となるんだよ。この世界に空間魔法の才能を持つ人間がどれくらいいるのかという話だよ」
特殊な魔法である空間魔法を使える者は世界中を探したとしても二桁いるかどうかというところだ。輪廻も時空精霊であるクロの加護があって初めて使えるのだ。
「そのうえで魔導具を作る技術は全く別物だからねぇ。その二つの才能を持つ人間は極わずか。さらに、空間なんていう曖昧な物を魔導具化するのは難易度が高いからねぇ。だから、今まで誰も出来なかったんだよ」
その点、ロベリアは元々超一流の魔導具職人としての才能もあり、輪廻の配下になった事で空間魔法を使用する事も出来る。
「ランセント王国がお前を取り戻したかった訳がよく分かる」
王国最強と言われる近衛騎士団団長のグレン・ファニール。王国にとっては重要な存在であるだろうが、代えのきかない存在であるかと言えば、否だ。
精鋭を複数人集めればグレンに匹敵する戦略にはなる。だが、ロベリアの才能は代わりを何人用意したところで足りない唯一無二の存在なのだ。
「王国にとって俺は自分で思っている以上に極悪人なのかもしれないな」
「安心してください。魔王である時点で世界にとっての極悪ですから」
「それもそうだ」
話も一段落したところで買い物の続きをしようとしたその時──。
「ッ!」
高速で近づいてくる強大な気配を感じ、外壁によって見通す事の出来ない空の先へと鋭い視線を向ける。
「な、んですか…この気配は……」
輪廻にわずかに遅れて気配を感じ取ったステラは、その強大な気配に目を見開き、同じ方向へ視線を向けた。




