2.召喚された魔王
一瞬の浮遊感。そして、目の前を覆う光が収まった時、そこは見慣れた通学路から一変していた。
「何が、起きたの……?」
突然の事に辺りをキョロキョロと見回す陸斗。その横で輪廻は持っていたスマフォをポケットにしまった。
「当然圏外か」
直前の非現実的な光景を思い出せば期待などはできるはずもなく、案の定結果は予想通り。それに落胆する事もなく輪廻は冷静に周囲を観察した。
窓のない四角い部屋。広さは学校の教室くらいだろうか。部屋の中は薄暗く、唯一の光源は壁に設置された燭台の上のロウソクの火のみ。それが部屋の中を薄く照らしている。
足下には直前に見た魔法陣があり、徐々に光を失い、薄くなっていっている。
「ここ、どこだろう?」
「さあな。そこにいる奴らに聞けば教えてくれるんじゃないか」
「え?」
突然の事に動揺していた陸斗は言われて初めて気付く。この部屋の中に自分達以外にも複数の人物がいる事に。
「おお、成功か!」
「あれが勇者様……」
「いや、だが……」
「二人?」
「何人も召喚されるなど聞いた事がないぞ?」
「文献にもそんな記述はなかった……」
聞こえてくるざわめきに耳を澄ましていると、人垣が左右に割れ、奥から一人の少女が進み出てくる。
殺風景な部屋には不釣り合いな美しい少女。派手さはないが確かな品のあるドレスを纏い、柔らかな金色の髪を揺らし、穏やかな笑みを浮かべる姿はまさに物語に出てくるお姫様のよう。
歳はおそらく十代半ば。輪廻達と変わらないくらいだろうか。
「はじめまして勇者様。私はランセント王国第二王女シルフィナ・エル・ランセントと申します」
シルフィナはドレスの裾をつまみ、軽く持ち上げて頭を下げる。
「ああいうのなんて言うんだっけ?」
「カーテシーか?」
「ああ、それだそれ。初めて見た」
「一般人が見る機会なんてまずないからな」
陸斗の疑問に答えながらも輪廻はジッとシルフィナを観察する。
「お名前をお聞きしてもいいでしょうか?」
「あ、はい。僕は朝霧陸斗でこっちが」
「田中太ろ──」
「竜胆輪廻です」
「……人の名前を勝手に言うな」
「だって適当な事言おうとしてたでしょ?」
「ふん」
訳も分からぬ状況で正直に名前を言う程素直な性格をしていない輪廻であったが、言われてしまっては仕方ない。改めてシルフィナに視線を向ける。
「アサギリ様にリンドウ様、ですか?」
「言っておくがファーストネームはリクトとリンネの方だ」
「そうなのですか?では、リクト様にリンネ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
本物の王女相手に緊張した様子を見せる陸斗にシルフィナはその緊張をほぐすように語りかける。
「そう緊張なさらないでください。もっと楽にして下さって構いません」
「う、うーん、じゃあそうさせてもらうね」
肝が座っているのか鈍感なのか。いくら本人に言われたとはいえ、王女相手に陸斗はすぐに言葉を崩す。
「代わりにシルフィナも普通に話してほしいな。特に様づけ」
慣れない様づけにむず痒そうな陸斗だが、シルフィナはそれに首を横に振る。
「私の話し方は元々ですし、勇者様を呼び捨てにするなど出来ません」
「その勇者様って僕達の事?さっきも言ってたけど……」
「その通りです」
そこでシルフィナは笑みを消し、真剣な表情を浮かべる。
「まずは私達の都合によって許しもなく召喚してしまった事を謝罪いたします。申し訳ありません」
深々と頭を下げるシルフィナ。それに他の者達からざわめきが起こる。
「ひ、姫!頭を上げてください!」
「王族が軽々しく頭を下げるなど!」
「いいえ、私達は助けを乞う立場。この程度当然の誠意です」
頑なに頭を下げ続けるシルフィナに周りの者達だけでなく陸斗も慌て出す。
「わ、わかったからとにかく頭を上げて!それで一体何があったの?」
陸斗の言葉によってシルフィナはようやく頭を上げる。
「今この国…いいえ、この世界には危機が迫っています」
「危機?」
「はい。この世界には数百年に一度七体の魔王が現れるのです。そして、その時代には同時に七人の勇者も現れます。ですが、現在まで勇者は五人しか見つかっていませんでした。各国は隅々まで勇者となる者を探したのですが、結局見つかりませんでした。そんな時です。勇者の一人でもある創神教の聖女様より神託が下ったのです。異界の地より勇者が来ると」
「それが僕達?」
「過去にも勇者様を異世界から召喚したという記述があり、聖女様の神託によって我が国ともう一国で召喚を行ったのですが……」
そこで陸斗はおかしな事に気付き、首を傾げた。
「見つかってない勇者は二人で召喚をするのがこの国ともう一国?僕達二人いるんだけど、僕達二人が勇者って訳じゃないの?」
「過去の文献にも召喚されるのはいつも一人だけだと書いてありました。はっきり言いましてこの状況は私達も想定していない事態なのです」
「つまり、僕達の内どっちか一人だけが勇者って事?」
「はい、おそらくは」
陸斗の言葉にシルフィナは申し訳なさそうに頷く。
「どう考えてもお前が勇者だろ」
「え?そんな事はないと思うけど?」
「よく考えてみろ。俺が勇者っていう柄か?」
「それは、えっと、あー……違うかな?」
そもそも輪廻の記憶では召喚される直前に見た魔法陣は陸斗を中心に現れていた。普通に考えて勇者は陸斗だろう。
「う、うーん、でももしかしたらという事もあるし、何か調べる方法はないの?」
「あります」
そう言ってシルフィナが騎士の一人に目配せすると、後ろから一人の騎士が布に乗った水晶を運んできた。
「これは教会より貸し出された魔導具です。これに触っていただければ勇者かどうか。それと、勇者としてどの力を持っているかも分かるはずです」
シルフィナに促され、陸斗は恐る恐る水晶に触れる。
「何か文字が……」
陸斗の後ろから水晶を覗き込んでみると、水晶の中に『希望の勇者』という文字が浮かび上がっていた。
「どうですか?」
「あー、希望の勇者って書いてあるね」
「まあ!」
それを聞いた途端、シルフィナは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「希望の勇者は七人の勇者の中でも特に大きな力を持つ勇者です!やはりリクト様は特別な方なのですね!」
「そ、そんな事はないと思うけど。た、たまたまだよ」
瞳を輝かせるシルフィナに陸斗は照れ臭そうに頬を掻き、その視線から逃げるように俺の方を向いた。
「一応輪廻も調べてみたら?」
「なんのために?」
「もしかしたら、って事もあるかもしれないし」
「ふん」
おもむろに水晶に手を伸ばし、水晶を掴むとヒョイッと無造作に手元に引き寄せる。
「ちょっ!」
「…………」
『傲慢の魔王』
「たぶん貴重な物なんだからそんな雑に──って、うわっ!」
持っていた水晶を陸斗の方に放り投げ、ふと背後に視線を向ける。
「気のせいか?」
その行動に周りからも非難の声があがるが輪廻は気にした様子もなく、陸斗の方へ視線を戻した。
「お、落としたらどうするのさ!」
「落としてないのだからいいだろ」
「そういう問題じゃないと思うんだけど……。それで、どうだったの?」
「勇者ではないな」
「そっか、やっぱり違ったか」
勇者ではなく魔王だったという事をおくびにも出さずに答える。
「一つ聞きたい」
「なんでしょうか?」
「他の勇者もこれで調べるのか?」
「いいえ、他の勇者様方はある日頭の中に声が聞こえるそうです。これはかつて召喚された勇者様のために神より与えられたと聞きました」
「そうか」
話はそれだけだとばかりに輪廻は口を閉ざす。
「リクト様」
「……なに?」
穏やかな表情から一転、真剣な表情に変わったシルフィナの様子に陸斗もまた緊張した面持ちで答える。
「図々しいお願いだとは承知しています。ですが!どうか私達のために力を貸してはいただけないでしょうか!この世界に住まう人々のためにどうか!」
深々と頭を下げるシルフィナ。一人の少女ではなく、国を背負う王女としての姿がそこにはあった。
「頭を上げて」
「リクト様?」
「シルフィナの気持ちは受け取った。僕にどれだけの事が出来るのかは分からない。それでも、出来る限りの事はするよ」
「それでは……」
「これから、よろしくシルフィナ」
「はい!」
陸斗の言葉にシルフィナは顔を綻ばせ、満面の笑みを浮かべた。
「あはは、さっきのシルフィナも格好良くて良かったけど、笑ってる方が可愛くてシルフィナらしいね」
「か、かわっ!」
不意打ちにシルフィナは顔を真っ赤に染め、あたふたと狼狽え出す。
それをまたいつものかと呆れながら眺めていると、シルフィナは誤魔化すように咳払いをしてそんな輪廻の方へ視線を向けた。
「リンネ様」
「なんだ?」
「リンネ様はどうなさるのですか?こちらの手違いで喚び出してしまった以上出来る限りの事はします」
「……俺は好きにさせてもらう。当然勇者の手伝いなどというくだらない事をするつもりはない」
「くだらない、ですか……」
「貴様!」
その時、人垣の中から怒りの表情を浮かべた女騎士が腰の剣に手をかけながら出てくる。
「先程から見ていれば貴様の態度はなんだ!」
向かってくる女騎士に一瞥だけくれた輪廻はすぐにシルフィナに視線を戻す。
「無視するな!」
「言っておくが、そいつが王女だろうと俺には関係ない」
「なんだと!」
「俺は許可なく喚び出された被害者だ。加害者相手に敬意を払う理由があるとでも?」
「殿下は国や世界のためを考えているのだ!それを侮辱するなど!」
「俺には関係ないし興味もない」
「この!」
「落ち着いてください、メリダ!」
剣を抜き、今にも飛びかかろうとする女騎士だったが、シルフィナの制止によって直前で止まる。
「リンネ様の言う事は間違っていません」
「ですが!」
「輪廻も言い過ぎだよ。輪廻の事だからなんとも思ってないんでしょ」
「さあな」
シルフィナに言われて渋々引き下がる女騎士──メリダだったが、怒りが収まった様子もなく鋭く輪廻を睨みつけた。