後編
「さあ、これでおしまいだよ。おもしろかったかい?」
「うん、ありがとう! やっぱりなんど聞いてもいいわね」
「ばあやもうれしいぞい」
「でも、不思議な話だよね」
「そりゃそうじゃろう。魔法も使わずに、人間が絵に出入りするなんて――」
「そこじゃないよ」
「うん?」
「私が疑問だったのは、ドレスはどうなったのかってこと」
「……どういうことだい」
「だって、サヤカは純白のドレスを着ていたよね。でも、絵の中の少女はそんな格好じゃなかった。くつを落とすほどあわてて絵の中にもどったんだから、彼女は純白のドレスを着ていなくちゃおかしいでしょ?」
「ほう。お前さんは、なにか気付いているようだね」
「本当は、奇跡なんてなかったんじゃないかな。だって、魔法を使うまでもなく、あの夜の出来事は再現できるもん」
「そんなことが可能なのかい?」
「できるよ。だいたい、絵の人間と結婚できるわけない。まだ信仰の厚かった当時の人ならともかく、私は現代を生きるモダン・ガールだからね。信じないわ」
「しかし、難しいだろう。サヤカが行き着いた回廊には逃げ場はなかった。大勢の人間が捜索したが、どこにも隠れていなかった。門から出ていないことは、信頼できる門番が証明している。
唯一の逃げ道である窓からも出ていない。窓の鍵はかかっていたからね。外から鍵をかけることは無理じゃ。しかも地面には足跡もなかった。雪が降っていたとはいえ、短時間では消えないだろう。まさに、『二重の密室』というやつさ。
さらに一番大事なのは、これらのことが確認された間、魔法は使われなかったということだ。カボチャのペンダントが証明しているからね――ゲホゲホ!」
「おばあちゃん、いっきにしゃべっちゃだめよ。
でもね、それら全てに説明が付けられるわ」
息を整えるおばあさんは、目を丸くして孫娘の顔を見つめます。その瞳には、真実が映っているというのでしょうか。
少女は、すうっと息を吸い込み、おばあさんに告げました。
「さて――かんたんな話なのよ」
「二重の密室、なんて面白いことを言うね。まずはその謎から話そうか。つまり、窓の鍵は閉まっていたこと。外に足跡はなかったこと」
「そうだよ。魔法を使えば外側から鍵をかけたり、宙に浮いて逃げるくらい簡単だろうがね」
「でも魔法は使われなかった。ここで、私たちはある一点を考える必要があるの。不思議な出来事が連続して見えにくくなっていたけど、もう一つ、不可解な描写があったのよ」
「なんだいそれは?」
「宰相が窓を確かめた時のことだよ。
ところで私、この前お城の交流会に参加してきたんだけどね」
「ああ、リバサイド王国の一大イベントだね。しかし急にどうしたんじゃ」
「王子様から庶民の子まで、私のビボーにメロメロで、困っちゃったわ」
「そりゃそうさ。隔世遺伝だからね」
「その時に、実際に回廊を見たんだけどね。彼は窓の鍵を外し、手早く開けた。これっておかしくない? ホーリーデイの真夜中なのよ。凍てついた窓を開けるのに手間取るはずだよね? 回廊の窓なんてめったに開けないだろうし」
「ほほう、つまり何が言いたいんだい」
「その少し前に、窓は開けられていたのよ。だから宰相の時はすんなり開けられた」
「やっぱり、サヤカが窓から出たのか?」
「ううん、違う。窓は開けられたけど、サヤカや、他のだれも、外には出なかった」
「じゃあ、なんのためにそんなことを」
「あるものを捨てるためよ。窓の外に投げ捨てたの」
「地面には何もなかったんだろう?」
「足跡や少女の姿はなかったわ。でも、真っ白な雪の中なら、隠せそうなものがあるでしょ?」
「なるほど、分かったよ。お前さんは、純白のドレスのことを言っているんだね」
「その通り」
「なるほど、宰相が見落としたのも無理はないね」
「要因はまだあるわよ。あの時、ひさしの雪がバサバサと落ちた、ってことだったよね。その雪がドレスをさらに隠したのよ」
「そんなにうまくいくものかね」
「ある程度は可能よ。雪が落ちたのは、衝撃があったから――鐘の音による振動が」
「ああ、鐘は回廊の真上で響いていたんだったね」
「そう。それも確かめてきたわ」
「ということは、サヤカの『零時の鐘が鳴るまでに』という言葉も、それを見越してということかい?」
「おそらくそうでしょうね。12回も鐘が鳴るから、回廊までたどり着いてからも雪が落ちていたでしょう。純白のドレスが隠れる確率は高まるわ」
「そこまで計画通りだったというわけか」
「これで、さっきの私の疑問は解消できるわ。サヤカは角を曲がって回廊に入った時に、すぐに純白のドレスをぬいで、窓の外へ捨てた。そして、後から追いついて来た群衆の中へ紛れた」
「それでは変質者だ」
「からかわないで」
「だってぇ、ドレスをぬいだら裸も同然じゃ。しかも、寒くて凍えてしまうだろう」
「それらを同時に解決する方法があるわ。サヤカは着替えたのよ。あらかじめ柱の陰にでも隠してあった、召使いの衣服にね。それなら、ガラスのくつの片方くらいは隠し持つことができるわ」
「ははあ、純白のドレスを捨てた理由も分かった。かさばるからじゃな」
「そういうこと。あの場には他の召使いも大勢いて、紛れることは可能だったでしょう。彼女は消えたわけじゃなかったのよ」
「なるほど、面白いことを考えるもんだ。しかしそれだと、角で立ち止まった時に王子は、その様子を何もせずに見ていたというのか?」
「レディの着替えをのぞいていたかどうかはともかく、彼がサヤカの行動を黙認していたのは確かね。彼も共犯だったから」
「ほう」
「ヤスキーとサヤカはグルだった。曲がり角で止まって、驚いた振りをした。全て演技だったのよ」
「確かに、城の内部に手伝ってくれる人間がいないと、大がかりなことはできないね」
「さらには、アネーキもこの計画の中心的な位置にいたでしょうね。疑り深い宰相を納得させるために、あえてカボチャのペンダントを渡したんだ。魔法を使っていないことの証明になるから」
「そう思えば、王子との会話もわざとらしかったね。なるほど、お前さんはよく見ている子だよ」
「これでサヤカ消失の謎は解けた。何重の密室だろうが、そこから出なければ関係ないからね。
さて、次に絵から登場した謎だけど、その前に確認ね。
回廊で絵を見つけたみんなは、はだしだと思われていた少女が、実はガラスのくつをはいていたことに気付く。だけど、片方はぬげていた。そして絵の前にはガラスの靴が落ちていた。だから絵の中へ戻ったと思ったんだね」
「そうだよ」
「これもヤスキーたちが仕掛けたトリックだったんじゃないかな。絵から少女が現れたという『奇跡』を、もっともらしく見せかけるために」
「ほほう、どういうことかな」
「つまり、絵の少女は元々くつなんかはいていなかったんだよ。はだしだったんだ。今まで誰も気付かなかったんだよね? 草原に立つ少女という、絵の内容的にもその方がしっくりくる。
それをわざわざくつをはいていることにして、あたかも絵から飛び出たようにした」
「なるほど。ガラスのくつというのは、変えても気付かれないようにするためじゃな」
「そう。うっすらと輪郭線を描き加えるだけだからね。後は解釈次第で言いくるめられると思ったんでしょう。
では順番に話すわね。魔女はサヤカを再び絵の中から連れ出すと嘘をついた。ここからは、魔法は解禁よ。回廊の照明を落とし、暗闇を作り出した」
「その時、召使いに扮していたサヤカが密かに魔女のそばへ行ったんだね」
「そう。同時に、服装も魔法で変えてしまったんでしょう。絵の中の少女と同じ、質素な衣装に」
「宰相とヤスキーが目を閉じる間際、カボチャは光っていた。暗闇になった時に魔法が使われたのは、絵から出すためじゃなかったんだね」
「くわえて、絵を描き変えるためでもあったでしょう。絵から出てきたのに、まだ人物が描かれていたらおかしいもの」
「ガラスのくつを描き加えたという細工も消せて、一石二鳥じゃな」
「これで『奇跡』は解き明かされたわ」
「なるほど。見事だよ」
「だけどね――」
「なんだい?」
「分からないことがあるの。どうしてヤスキーたちはこんな大がかりなことをしたのかしら? ロマンチックではあるけどね」
「なんだ、そこは分からないのか」
「うう、悔しいけど。
あと結局サヤカは何者なの? 国王夫妻が、花嫁候補は全て見てしまったと言っていたわよね。みんながはっとするほどの美人なら、当然それまでに目をつけられていてもおかしくないでしょう」
「なるほどね。まあ、無理もないわい」
「どういうこと?」
「当たり前のようにそこにあるものには気付きにくいという話だよ。昔は今とは違ったんだ……よし、今度はばあやの番だ」
おばあさんは茶目っ気たっぷりにウインクをします。それを見た少女は、もしかしたらおばあさんは全てを知っていたのではないか、という気がしてきたのでした。いやはや、とんだ食わせ者ですね。
「さて――かんたんな話じゃよ」
「二人はなぜこんなことを計画したのか。お前さんはこう言ったね。少女はだれなのかと。国中の女の人とは見合いをしたはずだと」
「王妃様が大げさに言った可能性もあるけど」
「そうだね。しかし、彼女は本気で言ったんだよ。全ての女性は見定めたとね――結婚相手となりうるような人物は」
「それってどういう――あ」
「気付いたかい?」
「うん……まさか」
「当時は、今ほど自由がなかったのさ。恋愛も、結婚もね。
サヤカは、身分の低い家の子だったんだろう」
「そんな、ひどいわ。リバサイド王国は自由恋愛の国じゃなかったのね!」
「残念ながら、昔は違ったみたいだ。それはこの話にも表れているよ。舞踏会に来たのは、貴族や神官といった位の高い者たちばかりだったろう」
「『一方、すでに心に決めた相手がいるヤスキーは、仏頂面でそっぽを向いていました。まあ、この国のだれも「彼女」との結婚を認めてはくれないでしょうけど』――うわあ、この文章、『絵だから』って意味じゃなかったんだね。誰も、身分を超えた結婚を許してくれなかったんだ……」
「そうじゃ」
「そのまま話しても許してくれるはずないから、『奇跡』を利用した……。じゃあ、サヤカの正体は分からないままなの?」
「出自は伝わっていない。が、召使いの一人だったのかもしれないね。天性の美貌も目立たなかったんだろう。暖炉掃除やらなにやらで、灰をかぶっていただろうから」
「そのうえでパーティーのシーンを読み返してみると、感慨深いものがあるわね」
「普段は隠れて会っていたから、皆の前で堂々と踊ることができたのは、まさに奇跡だったんじゃろう」
「国王たちを、そして民衆を納得させるために、物語が必要だったんだね……」
「そういうことさ」
「なんだか複雑な気分。そんな歴史があったなんて、授業でも習わなかったんだもん」
「だろうね。魔女にだけ伝わる秘密さ。知らない方が良かったかい?」
「うーん、それもちょっと違う気がするわ。続きを聞かせて」
「よし。良い子だ。
絵を見つけ、回廊にかざったのはヤスキーだったね。その時から、彼はこの計画を準備していたんだろう。愛するサヤカと結ばれるために」
「つまりサヤカは、ツン=デレーの宗教画の少女にそっくりだったってことかしら? そんな偶然あり得る?」
「そこは本当に『奇跡』だったのかもしれんが、こうも考えることはできるじゃろう。その逆さ」
「逆? ――あ、そうか。ツン=デレーの作品の中から、なるべく彼女に似ている絵を探しだしたのね」
「まあそうだろう。そして、この計画は魔女アネーキの発案だったのかもしれない。次期国王であるヤスキーに協力することは、彼女にとって悪い話ではなかった」
「アネーキが長い旅の終わりにこの地に居着いたのも、その見返りなのかな」
「ほっほ、住みやすい土地じゃからのう」
「私もここが大好きよ。
それと、うん。やっぱりこの話好き。それどころか、ますます気に入っちゃった。ヤスキーは本当にサヤカを愛していたんだなって」
「周りは花嫁さがしに躍起になっていただろうが、彼はとっくに見つけていたのさ。
そして彼ら二人が本当にさがし求めたものは、別にあったのかもしれないね」
「うん。そうだね」
少女は窓から、夜のリバサイド王国をながめました。そこには、美しい夜景が広がっています。闇に浮かぶ灯りの数だけ、ヤスキーとサヤカのような愛の物語があるのでしょう。
もし、二人にこの光景を見せることができたなら――そんな妄想をすると、少女の胸は、とてもあたたかな気持ちでいっぱいになるのでした。
(今度こそ本当に、おしまい)