前編
美しい自然に囲まれたリバサイド王国は、自由恋愛の国として知られています。貴族でも平民でも、家が豊かでも貧しくても、二人の間に真実の愛さえあれば、結婚をさまたげることはできません。人々はみな生き生きと暮らし、幸せな家庭を築いています。
王家もその例外ではなく、民と交流することを習いとし、身分にとらわれない結婚ができるのです。誰もが国王・王妃を慕っています。
そんな幸せな国の東の端、大きな湖のほとりの家には、魔女の一族が暮らしています。彼女たちの先祖はもともと旅人でしたが、最後にこの国に住みついたといいます。今では魔法で薬を作り、王国の人々のけがや病気をいやしていました。
ある冬の夜のこと。その日は聖なる日でした。日中のきびしい修練を終えた魔女見習いの少女は、いつものように、おばあさんに読み聞かせをしてもらうようです。
「今日もつかれたわ。あのにくいカボチャったら!」
「ほっほ。がんばったねえ。そんなお前さんに、今夜はとっておきの話があるんじゃよ」
「ヤスキー王子と聖女サヤカの物語でしょ。私、あの話大好き!」
「……おやおや。よく分かったね」
「かんたんな話よ。今日は聖なる日だから、それにちなんだお話をするのは予想どおり。あとは、本棚からなくなっている本が答えよ」
「ははあ、お前さんは本当にかしこい子だよ。よおし、おいで。ひざに乗るのも大好きだろう」
「うん!」
「良い子だ。では始めるよ。むかーし、むかし、あるところに――」
王子・ヤスキー
昔々、旅の魔女が住み着くよりもずっと昔、リバサイド王国では、毎晩のように舞踏会が開かれていました。貴族の息子、娘を集めた豪華絢爛なパーティーです。シャンデリアがきらめく下で、それに負けないくらいの輝きを放つ美男美女たちが、優雅な踊りを繰り広げるのです――。
「つまらんな」
おやおや。そんなことを言ってしまう困った人は誰でしょう。
しかし、うたげを退屈そうな目で見つめる、整った顔立ちの青年こそ、リバサイド王国第一王子・ヤスキーその人でした。そしてこのパーティーは、ほかならぬ彼のために開かれたものなのです。
ヤスキーには、なかなか花嫁が見つかりませんでした。彼のお眼鏡にかなう相手を探すのは、とても骨の折れることでした。
ある夜は、国で一番の美貌と謳われる、貴族の娘が踊りの相手でした。しかしヤスキーは一言、
「君の心は、見た目ほどきれいではないね」
娘のずるがしこい本心を見抜いていたのです。娘は顔を真っ赤にして逃げ出しました。
ある夜は、国で一番心根が優しいと噂の、神官の娘が踊りの相手でした。しかしヤスキーは、
「鏡を贈ろう。ちゃんと、歪んでいないものだ」
彼女にこっそり耳打ちしました。これには優しい娘も顔を真っ青にして、目に大粒の涙を浮かべました。
彼は理想が高すぎたようです。これでは世継ぎがいつまで経ってもできません。
夏草の聖女
そこで王国の宰相は、ヤスキー王子をいさめようとしました。
「ヤスキー様、あれではレイアお嬢様がかわいそうではありませんか」
「だれだ」
「先日踊りの相手をなさった貴族の娘の――」
「ああ、かまうものか。
知っているか? 彼女は『王子に容姿を認められた』と街中で自慢しているそうだ。したたかな女だ」
「はあ……では泣いてしまったアン様のことはいかがお考えで? いったい何をおっしゃったのです」
「だれ――」
「神官の娘です」
宰相はすかさず言いそえました。
「ああ。あれくらいで泣いていては、この城ではやっていけんよ。せめて母上ほどは図太くなければな」
宰相は言葉の内容を聞く気もなくなり――どうせ大変失礼な、とてもレディに向けるような言葉ではなかったでしょうから――ただ、ため息をつきました。
「ではどのようなお方ならお気に召されるので?」
「ふん、教えてやろう」
ヤスキーは宰相を城の玄関の近くまで連れて行きました。そこは広い回廊の一角で、壁には大きな絵画がかかっていました。
「この娘だ、宰相!」
それは、高名な聖職者・ツン=デレーが描いたと伝えられている、古い宗教画のうちの一枚でした。宝物庫にあったものをヤスキー王子が見つけて以来、この回廊にかざるようになったのです。
美しい少女の絵で、彼女は神の子と伝えられています。質素な服に身を包み、夏の草原にはだしで立っています。冷ややかな視線をこちらに向ける聖女は、見る者をひきつける美しさです。しかし本当に恋をしてしまうなんて、王国広しといえど、ヤスキー王子くらいのものでしょうね。
「見ろ、このさげすむような視線! ゾクゾクするではないか。嫌悪すらにじんでいるようだ! たまらない……」
宰相は、顔を上気させて叫ぶ王子を、うつろな目で見つめています。
「しかし、つかれた時にふと絵を見ると、笑っているようにも思えるのだ」
「それは心がおつかれなのです」
「優しくほほえみかけてもらうと、なんだか活力がわいてくる。心が安らぐのだ」
宰相の言葉も耳に入ってない様子で、ヤスキーはうっとりとひとりごとを続けます。
「この落差がすばらしい。そうは思わないか?」
「すみません。仕事を思い出しましたので、私はこれで」
あきれた宰相が立ち去ってからも、ヤスキーは壁画をながめ続けるのでした。
大魔女・アネーキ
大事な跡取り息子がこんな調子ですから、困り果てた国王と王妃は、ある人物に助けを求めました。城に客として招かれていた、大魔女・アネーキです。彼女は長旅のつかれをいやすためにリバサイド王国に滞在していたのでした。
その魔法は素晴らしく、各国に名はとどろいています。彼女の作る薬はどんな病をもなおし、どんな痛みをもやわらげると評判でした。高名な魔法使いなら、なにか手立てを思いついてくれるかもしれない、と国王夫妻は期待を寄せていました。
一方、すでに心に決めた相手がいるヤスキーは、仏頂面でそっぽを向いています。まあ、この国のだれも「彼女」との結婚を認めてはくれないでしょうけど。
「父上、余計なお世話だと申しているではありませんか」
「お前は黙っていなさい」
「そうよ。いくら聖ツン=デレーの作品とはいえ、絵画の花嫁では跡取り息子は生まれないわ」
「その通り! 魔女殿、どうか我が息子のために、ぜひとも良い相手を見つけてやってもらえないだろうか」
それまで黙って白熱する言い争いを聞いていた魔女は、宣言するようにおごそかに答えました。
「承知しました。ですが、私の力をお貸しするまでもありませんよ」
「なんですと?」
「お告げがありました。聖なる日、ヤスキー王子にはすてきな相手が現れるでしょう」
王妃は目をかがやかせました。
「まあ、なんということでしょう。ついにこの子に……でも、どんな人かしら。国中の娘は見てしまったわ」
「そうだ。魔女殿、もうこの国にはヤスキーの目にかなう者はおらんはずだが」
「父上、私には心に決めた人がいると、なんども言ったではありませんか」
ヤスキーの発言はまったく取り合えってくれませんでした。絵画の少女は問題外ですからね。
3人が好き勝手を言うなかでも、アネーキは怪しい笑みをくずさず、自信たっぷりに言うのでした。
「すべては神のお導きですよ、国王様」
国王には「神の導き」がどういったことを指すのか、よく分かりませんでした。大げさな表現にも思えたのです。しかし、絵の中の少女に恋をしているようなヤスキー王子に良い相手を見つけるのは、それこそ神でなければ無理だと、納得したのでした。
「つきましては、このアネーキに、パーティーの準備をお任せください」
「んま、素晴らしいわ! ぜひそうしてちょうだい」
「んむ、頼んだぞ」
大魔女の言うことなら間違いないと、王妃と国王は二つ返事で承知しました。ヤスキーはまだ不満がありそうでしたが、アネーキは急に人差し指を口元に当て、
「王子、お召しものに灰が付いていますよ」
「……そうか。気を付ける」
ヤスキーは袖の汚れを払った後、しぶしぶといった様子でうなずいたのでした。3人の同意を得たアネーキは、魔女らしい魅力的な笑みを浮かべると、さっそく準備にとりかかりました。
こうして、聖なる日のパーティーが開かれることになったのです。
パーティー
その夜、これまでにないほど盛大な舞踏会が開かれました。国の重役たちが集まり、その子女がきらびやかな衣装で交流を深めます。王子の花嫁さがしだけではなく、貴族たちの社交の場にもなっているのです。
今夜もあちらこちらで恋人が誕生しています。外に降り積もった雪さえも溶かさんばかりに、人々は熱狂していました。
さて、そんな様子を、いつものように2階のテラス席からながめていたヤスキー。そばには魔女・アネーキと宰相がひかえています。
「本当に『奇跡』とやらは起きるのだろうな」
「はい、ヤスキー王子。きっとうまくいきます」
答えるアネーキに、宰相は疑いの目を向けていました。彼はよそ者である大魔女のことを心の底から信用しているわけではないのです。
ヤスキーも同じ気持ちだったのか、魔女に意地悪な質問を重ねます。
「ふん、『奇跡』などと。そなたの得意な魔法で、ネズミを美女に変えたりはしないだろうな?」
そうだそうだと、宰相は内心勢いづいて魔女の出方をうかがいます。しかし彼女はあくまでも冷静でした。
「うふふ、これはおきびしい。ではお疑いでしたら、これを身につけてください」
魔女がヤスキーに渡したのは、小ぶりなカボチャで作ったペンダントでした。
「これは……うわさには聞くぞ。魔法で光るのだろう。なあ宰相」
「はい、王子。近くで魔法が使われると、それを感知して自ら発光する魔法の道具です」
「さすが宰相様。物知りですね。はい、あなたにもお一つ」
宰相はペンダントを受け取ると、目をぱちくりさせました。
「他にも、カボチャ地獄――魔女見習いの修練のことですが――などにも使われるんですけどね」
その時だけアネーキは、苦々しい顔を見せたのでした。彼女も昔、よほど苦労したのでしょう。
さて、夜も更け、パーティーは大盛上がりですが、いつまで経ってもヤスキーの相手は現れません。
「まだ来ぬのか」
「まだなのね」
会場の中心で仲良く踊っていた国王夫妻が、ふと我に返って不安そうに顔を見合わせた、その時。
ヤスキーが立ち上がりました。
踊りに興じていた貴族の子女、そして国王も、なにごとかと動きを止めます。これまでずっと退屈そうに座っていた彼が、パーティーがお開きになるまでに自分から立ち上がるのは、初めてのことでした。
しんと静まりかえったホール、ヤスキーの視線の先には、一人の少女がいました。