鉈だよっ!
*グロテスクな表現あり、閲覧注意
いつもの散歩道の途中、いつもの街角を曲がると、サラリーマンが少女に殺されかけていた。まず一番、否応なく目に入ったのは大きな大きな鉈、それを、長めのチュニックにホットパンツ、艶やかな黒髪を右寄りに束ねた健康的で快活な、ちょっとおませな小学生くらいの少女が、オヤジの禿げ頭にぶち込んでいたのだ。にっこりと笑いながら髪を振り乱し鉈をぶん回す少女、若さゆえのきめ細やかな、少し日に焼けた肌に返り血がしきりに降りかかり、垂れてあごや指先から滴り落ちる。思考も固まり馬鹿みたいにボケっと眺めているしかできない。
少女がこちらに気づき、かわいらしくにこりと笑って、
「鉈だよっ!」
うん。知ってる。思わずそう突っ込み、次の瞬間僕は踵を返し全速力で逃げ出していた。鉈を持っていて、それの名前を呼んだ、当たり前すぎるその行動のおかげで映画を見ているような感覚から地獄のような現実へ引きずり戻されたのだ。次は自分という考えが頭をよぎり、足がもつれる。本当に恐ろしい気分になると勝手に顔が歪んでいくのだと知った。案の定少女は追いかけてきていた。まだいくらも走っていないのに息が苦しい、恐怖でうまく息ができないのだ、溺れるような苦しさに涙すらにじませながらそれでも逃げ続けた。
右手にフェンスが見えてとっさに飛びつき死に物狂いでよじ登った。鉈なんか持っていては登れまいと思ったのだ。だがそんな甘い幻想は一瞬で切り裂かれた。てっぺんから向こう側へ飛び降りてちらりと後ろを振り返ると見えたのは、フェンスをずたずたに切り裂く鉈だった。少女はフェンスのこじ開けられた穴からこちらへ飛び込んできて、その勢いのまま僕に組み付いて全力で押し倒し、マウントポジションを獲った。大きく振りかぶり、左肩に一撃、二撃。この世の物とは思えない叫び声が耳を貫く。骨にぶつかってなかなか切り落とせない、もう一撃、一撃。あれ…なんで僕は自分の腕を切り落とそうとしているんだ?ああでも、いい感じに刃が食い込んでいっている感触が鉈を伝ってきてわかる。さらに何撃かのあと、多分切ったというよりは砕いた感じだろうけど、とにかく我が凶刃の前に堅固な骨もついに降伏した。最後の一撃で残った腱や皮をまとめて切断し、左腕を切り落とし終えた。でもやっぱ子供の腕ではもう限界に近い。筋肉も関節もズキズキ痛み、これ以上の作業は無理だ。
「ごめんね…ごめんね」
そういって、私は服を脱いだ。
「…はっ!?」
…ゆ、夢か。なんだ今の夢、まるでロリコンが見るような夢じゃないか…危ない危ない。
いつものように散歩に出かけ、いつもの街角を曲がると、夢の少女がいた。一気に鼓動が激しくなる。足が逃げをうとうとするのをなんとか思いとどまったのは、ランドセルを背負った女の子を見ていきなり逃げ出す変質者になるのを無意識に恐れたからだ。結局恐怖と常識の狭間で何もできず、ただ棒立ちになることしかできずにいると、もう一人少女が走ってきて、そのまま夢の少女と連れ立って行った。おそらく登校時の待ち合わせ場所なのだろう。それで息を取り戻せた。当たり前だ、あれはただの夢で、現実にあんなことあるわけがない。
いつの間にか、知らない倉庫のような場所で、両の手首を鉄の柱に括りつけられていた。簡易はりつけといった感じだろうか、腰が地面に付くくらいの高さで腕を広げて縛り付けられている。少し腕が引っ張られるくらいの高さなので結束コードが手首に食い込んで痛い、どうにかして外せないだろうか、というかなんだこの状況は。
そんな思考は突然聞こえてきたうなるような音にかき消された。なにか機械が高速で回転するような、低めの駆動音、これは、
「チェーンソーだよっ!!!!」
意識が飛びそうなほどに血の気が引いた。暴力の代名詞のような工具、あれが自分の腹部を…それを考えるだけで腹の底から絶大な嫌悪感、恐怖が湧きあがってくる。気が狂いそうだ。相手はまたもや少女、水色の子供らしいワンピースにショートカットの、小学五年生にしては小柄、笑った時のえくぼが魅力的な子、そんな子が凶悪な伐採用具を振り回しながらこちらへ歩いてきている。ぼろぼろと情けなく泣きわめきながら逃げ出そうとするがきつく縛られた結束バンドはびくともせず、手首の方がこわれそうになる。必死に何事かを語りかけるが自分でも何を言っているか分からない。一振りで僕の腹部は完膚なきまでにずたずたのミンチになった。ぎゃあぎゃあとかわいらしく泣き叫ぶのも一瞬だけで、すぐにだまりこんでしまった。腸圧で押し出される内臓にチェーンソーが触れるだけで無残に破壊されていく。楽しくて延々と振り回しているとものの五分で原型をとどめないなにかになってしまった。これではもう流石に使えない、しょうがない。あとかたずけの時間だ。
また夢。なんという夢だろう、こんな夢を何度も見るなんて精神科に行った方がいいのかもしれない。
いつものように朝散歩に出かけると、まただ、夢の、チェーンソーの少女。水色のワンピースを翻しながら必死に走っている。遅刻しそうなのかもしれない、確かに学校にいくには少し遅い時間だ。すぐに走り去ってしまったので特に恐ろしさなどは感じる暇もなかったが、頭は混乱しきりだった。これはどういうことだ。いったい何が起こっているんだ。
僕の部屋、結束バンドで後ろ手に縛られ、ベッドに転がされていた。
「とんかちだよっ!!!!!」
とんかちが腹部をしたたかに打ち付けた。痛いというよりは全身を揺るがすような衝撃、それに意識が一瞬飛び、しかし生理現象なのか、絞り出すように嘔吐した。おかまいなしに頭部以外のあらゆるところを殴打する。人体は意外なほど殴打に強いらしい、反応がなくなったのはなんと20分近く殴り続けた頃だった。とはいえ、それは彼女の身体的特徴によるところも大きいかもしれない。小学5年生、女子でありながら161センチという大柄な彼女はそのことでずいぶんと悩んでいたようだった。しかし、それは彼女の否定しようのない、確固たるアイデンティティーだ。いつの日かそれを肯定できれば、彼女は心身共に本当に強い女性になったことだろう。
「縄だよっ!!!」
僕の部屋、夢?これは、なに?
縄で首を絞めつける。顔がうっ血して今にも破裂しそうな血袋のようにみるみる赤く、だんだん青く。尋常でない力で暴れるものだから途中蹴り飛ばされて手を緩めてしまったが、すぐにそれまで以上に力を込めて絞め直した。唐突にがくりと首が落ちる。本当に、糸が切れたかのように力が抜けるんだな。驚いた。あられもない表情を眺めながら思い出す。この子は確か、金持ちの娘で親が厳しく、いつも自分を律しようとしている姿が印象的だった。成績優秀、品行方正、登下校中すら友人への取り繕いで肩の力を抜けない日々。一人で帰るときの虚無的な顔が悲壮に見えた。それはつらい、苦しいといった感情がないからこそ、一層悲しいのだ。全てから解放されたこの子は、そんなわけはないだろうけど、もしかしたら幸せなのかもしれない。
もう無理だ、やめてくれ、
…なんだ?ここは。薄暗い部屋だ。首元に違和感を感じる、縄?と思う間に、床が、オチ
ゴグン
岡田正 20XX・12・08 絞首刑執行