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脳髄の限界  作者: えへ
3/7

ヴェールヌイはかわいい

彼女の絵姿を隣においてお読みください

 ヴェールヌイとは、太平洋戦争終結後ロシアに引き渡された大日本帝国海軍暁型駆逐艦2番艦響の、ロシア側での呼称であるが、ここでの話はその艦そのものについてではなく、DMMGAMESのオンラインブラウザゲーム「艦隊これくしょん」に登場するキャラクターについての私の雑感である。つまりヴェールヌイはかわいいという話である。

 まず私がヴェールヌイをお迎えして一目、最も目を惹かれたのはヴェールヌイのプリーツスカートだった。ヴェールヌイのプリーツスカートについてなによりいえることは、それがプリーツスカートでなければならないといえるほどに、その表現がある種完成されているということである。彼女のプリーツスカートは、その折り目によってプリーツスカート自身の形を作り上げることで、その下にある柔らかな太腿を不完全に表現しているのだ。彼女の太腿はそのままではあまりに魅力的に過ぎるもので、そしてプリーツスカート下ではその存在は決して明瞭ではない。その表現のなんと巧妙なことか。

 プリーツスカートの表現は隠すことで生まれる。それはプリーツスカートの折り目によってなされる表現である。

 プリーツスカートの折り目の一番の特徴は半ば固まった運動だ。例えば足を挙げる動作をするときプリーツスカートもそれに伴うが、それは完璧な追随ではない。プリーツスカートの立体性によって太腿とスカートの接触は阻害され、太腿の姿や動きの詳細は完全には見えず布の下に隠れている。その前面の滑らかさが失われているわけでは決してないが、大まかな動きはわかるものの例えば側面の正確な形がわかることはない。太腿の美しさは一枚の布を介して部分的にしか現れておらず、それはわかるようでわからない、そこにあるのは分っているがその実感がかき消されるといったような、絶妙なライン上にある。

 もしも完璧に太腿のシルエットを示したいならブルマやスク水でもって表現するだろう。プリーツスカートはその対極にある存在なのだ。それは隠すか隠さないかの対立ではなく、見せて魅せるか、見せずに魅せるかの対立である。プリーツスカートは隠す部分を覆い隠すのと同時に、その部分の代弁をしているのだ。ここで最も大事な点は、この表現がプリーツスカートならではのものだということである。隠すというだけならば特殊な衣装を除きほとんどの服について多かれ少なかれ同様の効果はあるだろう。プリーツスカートは隠すと同時に見せるのだ。しっかりとした折り目がついていて、動きが要求されれば広がる。伸びる。それによって他のどのスカートにもない独特な形を表す。その性質によってその内部の形の完全な表出と動きの追随が不可能であると同時に、重力に従いなるだけ自然な形で内部に追随しようとすることができるのである。

 これはプリーツスカートの存在意義にかかわる話だと思うのだが、プリーツの独特な表現の全てはその折り目に起因するといっても過言ではない。あの折り目が生み出すプリーツスカートの可能性の一つは広がりによる美の現出である。そもそもスカートの機動性を向上させるために存在するあの折り目(個人的見解)、広がらずしてどうしようというのか。いや、少し過言だったかもしれない。広がらなくてもかわいいプリーツスカートの表現も無論ある。だが、その表現はいばらの道を進むことになる。ともすれば他のスカートでいいのでは、となってしまうからだ。そして、それこそがプリーツスカートの到達点なのだ。運動を表現するという点においてプリーツスカートはトップクラスの性能を発揮できる性質を兼ね備えている。一般のスカートにはない、運動との親和性の高さが、その折り目の表現こそがプリーツスカートの個性である。

 プリーツのかわいさはそこから生じるのである。姿形のぼかしと運動の明瞭な表現の狭間でプリーツスカートは輝く。

 以上の説を踏まえてヴェールヌイのイラストに立ち返ると、その表現の巧みさに感嘆すら覚える。プリーツスカートがその魅力である特殊な形状を存分に生かし太腿の形を捕えつつも、かわいらしく翻り、とどめにはポーズの一環に組み入れられた左腕で足の間を押さえて、足の形が実に自然に表出している。プリーツスカートによってエロさがかわいさとして表現されているわけだ。そこにはプリーツスカートの極致といえるものが見受けられる。


 ところで、学生服としてのプリーツスカートの補足的な解釈も残しておきたいのでここで少々脱線する。プリーツスカート姿で屈んでいるJKの後ろ姿を思い浮かべてみてほしい。そこにあるのは段々に折りたたまれた布があるだけで、全ての人類が求めるイデアルな曲面は無残にも刻まれ、消失している。さて、これは悲観すべき事態なのだろうか?ここになにか、妙のようなものがあると思う。その姿はエロくはないかもしれない。いやでもやはりエロいことはエロい。いやまてそうではない、実際エロい、エロなのだが、エロといってもそれは神の手によって取り上げられ、イデアの世界に連れ去られたエロなのだ。要するに悪いのはレギュレーションとかコンプライアンスとかなにかそういったものである。学生服は清楚の代名詞だからしょうがない。その奥には真実が隠されているが、それが暴かれることは絶対にない(ただし健全本に限る)。スカートは健全を守る鉄壁なのだ。

 一方で事実として太腿はエッチで、その形を浮き彫りにするプリーツスカートはどうあっても観測者を狂わせる。全てのスカートと同様に、プリーツも構造上根本的なセキュリティーホールを抱えている。いかに性質上の防御があろうとも物理的な防御力は皆無である。実際に見えるところになくとも、すぐそこにあるのだという認識を起こさせる。江口本ならばここらへんで獰猛な獣が躍り狂うかわいいをひき殺してしまうだろう。

 学生服としてのプリーツスカートは性欲に突っ走る獣を問答無用で引き戻すなにか巨大な力を持つ。しかし同時に突進せざるを得ないのも事実である。学生服のプリーツスカートはでもヤりたいでもない、両側から吊り上げられて宙ぶらの謎の高揚を生み出す。これは、「建前として性交できないということになっている」という学生の半端な立ち位置から生じるもので、プリーツスカートが元来持つ性質というわけではないが、既に植え付けられたその強力な符号は既に分離が難しくなっている。我々がプリーツスカートを見たとき反射で「かわいい」となるのはおそらく学生服の力も大きいのではないか、と愚考する。


 ヴェールヌイの魅力点の多くは二つの方向からの揺さぶりによるものである。彼女の服装は、かわいいという象徴的意味を持つようになったセーラー服だが、きっちりと着こなしているわけではなく前ボタンが外れており、しかも右手の動きにより胸元がくしゃりとはだけている。正直エロい。冷たく大人びているその瞳と声、言葉は成体の魅力に溢れたお姉さんのそれであり、しかもそれは彼女の姉のように背伸びをしているわけでもない、自然体で実に大人びている、にもかかわらず彼女は他の多くの駆逐艦と同じく、ロリである、悲しいほどに。

 二次元のJKを観察する場所は性欲と崇敬の均衡点にある。二次元のロリを愛でる場所は薬キメながらの観客席と後方父親面の狭間にある。そしてヴェールヌイは全ての均衡点に存在している。気の狂いそうな吸引力を持っている。真面目でエッチで凛々しく幼い。その全てが収束してヴェールヌイというかわいいの権化が生まれたのだ。そしてどんなに会いたくとも我々はヴェールヌイには会えないという厳然たる事実でもって彼女は完成する。

 セクハラしてジト目で睨まれたい。

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