第九話
アウリスと庭園に行った次の日の早朝、ノックの音で目が覚めた。まだ部屋の中はぼんやりと薄暗い。
―――こんな時間に誰?ヘレナが来るには早いし…
黙っているともう一度コンコンとドアが叩かれる。
「寝てるのか」
アウリスの声だ。
そっとベッドから降りてドアを細く開ける。
「こんな時間にどうしたの?」
「昨夜父と話ができたので、翠子も早く聞きたいかと思ったんだが」
なるほど。そういうことなら、とドアを開いて招き入れる。
ソファに並んで座るのも変なので、アウリスにはソファを勧めて私はベッドに腰かける。
「まず、昨日の壷が落ちてきた件について報告をした。父は大層怒っていて、必ず犯人を見つけて厳重に処罰するとのことだった。それから、ペンダントのことだが、宝石部分がかなり細かく割れてしまっていて、修復は不可能と判断されたそうだ。宝石部分は新しいものを用意し、その他の装飾の部分は元のものを使うように作りなおしているらしい」
「ただ、この国では翡翠の産出量が年々減っているんだ。条件に見合った翡翠が採れて、加工して…ということを考えると、ひと月はかかると思う」
「じゃあ1ヶ月はここにいないといけないってこと?!」
「あぁ。本当にこんなことになるなんて……すまなかったな。無理やり連れてきて」
「……ううん、国王陛下の命令なら仕方ないよね」
「いや、命令だからということもあったが、父があんなに執着する妹というのはどういう人物なのか俺自身も気になっていた」
「執着……ってどういうこと?」
「父は、翠子の母が亡くなったからお前に会いたくて、と言っていたが、実はかなり前からお前たち母娘を探していたみたいなんだ。それについての資料を図書室で見つけた」
「えっ?図書室って立入禁止だったんじゃ……」
そういうと少しバツが悪そうな顔をして、
「少し覗いただけだ」
と、そっぽを向いた。あの日、私には図書室に入らせなかったくせに自分だけこっそり入っていたのか。
「でも変じゃない?そんなに会いたがっていたわりに、最初の2日間だけちょっと話して、あとは放置状態なんて」
「あぁ。俺もそれがひっかかる。裏がないといいが……父は外面はいいが、目的のためなら手段を選ばない冷酷な人だからな」
私をここに呼ぶことで、陛下にとって何かメリットがあるということだろうか。でもそのメリットが一体なんなのか想像もつかない。やっぱり、ただ昔恋した相手の忘れ形見をひと目見たかっただけ、という理由のほうがしっくり来る。
ひとり考えこんでいると、アウリスが立ち上がる。
「伝えたかったことはそれだけだ」
そう言うとさっさと行ってしまった。
はぁっとため息をついて、そのまま仰向けにベッドに倒れこむ。
なんだかとんでもないことに巻き込まれているような気がする。
逆さまの窓から見える空は、そろそろ朝日が昇ってもおかしくないはずなのに分厚い雲がかかっていて、いつまで経っても部屋は薄暗いままだった。
いつの間にかそのまま眠ってしまっていたらしい。
本日二度目のノックで起こされると、外は雨が降っていた。
「おはようございます!」
ヘレナがそう言って笑うと、この部屋にだけ太陽があるみたいに周りがぱっと明るくなる。
ヘレナが持ってきてくれた朝食を食べながら、昨日あったことをかいつまんで話す。
壷が落ちてきたくだりになると、私より青ざめた顔をして、
「よくぞご無事で…!」
などと時代劇でしか聞かないような台詞を言う。
今までのヘレナの話から推測すると、どうやら使用人の間では陛下の評判は良いようなので、今朝方アウリスから聞いた話は黙っておく。
「本当に翠子様になにもなくてよかったです……」
だいたいの話が終わるとヘレナはそう言って胸を撫で下ろす。
「でもそんな大変なときにお側にいなかったなんて、メイド失格ですね」
シュンと肩を落としたヘレナが可愛くて思わずぎゅっと抱きしめる。
「みっ翠子様っ」
ヘレナがあわあわしつつも遠慮がちに抱きしめ返してくれる。
「失格だなんて……!ヘレナが居てくれるから、ここもそう悪くないって思えるんだよ」
本当に心からそう思う。
「いつもありがとう。あと1ヶ月、よろしくね」
抱きしめていた腕を離してそう言うと、まだ顔を赤らめたまま、
「こちらこそよろしくお願いします!不謹慎ですが翠子様とご一緒できる時間が増えてわたくし嬉しいです」
と小さな声で言ってくれた。
次の仕事が……と言って名残惜しそうに部屋を出ていくヘレナを見送ってから、今日の行動について考える。
雨だから庭に出ることもできないし。
「あ、図書室……」
立入禁止だとアウリスに言われた日から1週間経っている。もしかすると入れるようになってるかもしれない。アウリスが言っていた、私たち母娘を調べていた資料というのも気になる。
どうせ暇だし行ってみようかな。
そうと決まれば早速図書室に向かう。
あの日と同じようにまた壁の肖像画に見守られながら長い廊下をぬけ、階段を登る。ドレス生活も1週間が経つと、だんだんと慣れてきて歩くのは苦にならなくなっていた。
「ふー到着」
図書室の扉の前に来ると、特に立入禁止という文言はどこにも書かれていない。
そっと扉を押すと、ぎぃっと軋んだ音を立てて扉が開いた。
中に入ると、書物を傷めないためなのか採光のための窓が最小限しかないため、奥まで見渡せないくらい薄暗い。
そしてわたしの背丈より大きい本棚は、かなり埃っぽかったのでもしかすると使用人は入れない場所なのもしれない、と思った。
壁際にランプがあったのでそれを持って奥に進む。手がかりがないので、ひとつひとつ背表紙をランプで照らしながら奥へ進んでいく。
これは時間がかかりそうだなぁ、と思ったとき、気がつく。アウリスがその資料とやらを見つけたのは1週間前だ。こんなに埃が積もってるわけない。そう気づいてからは背表紙ではなく本棚にかぶる埃を見ながら足早に奥に進んでいく。
すると一番奥の壁際で、埃が被ってない本棚をふたつ見つけた。
1冊手にとって、パラパラとめくってみるも、それらしいことは書いていない。どうやらこの国の歴史や、政策についての資料がある棚のようだ。
中には魔女狩りや、忌み子についてなどこの国に伝わるであろう伝承が書かれている本もあった。
ただ、アウリスが言ってた資料が見つけられない。埃をかぶってない本棚はここのふたつだけなのに。何か見落としてるんだろうか。
「あれ……?」
ここでやっと違和感に気づいた。おかしい。どの本棚もぎゅうぎゅうに本や資料が置かれているのに、この本棚だけ妙に隙間が目立つ。
もしかして、何冊かなくなってる…?その中にアウリスが言っていた資料も入っているのかもしれない。
念の為付近の本棚も調べてみるが、やはり見つからなかった。
また無駄足かぁ、とがっくりする
入り口に戻りがてら、埃だらけの手近な本棚から適当に1冊抜き取りパラパラと眺める。
すると、本のページの中から何かが落ちてきた。拾いあげるとそれは写真だった。
家族3人で写した記念写真のようなそれは、だいぶ色褪せてはいるが、身に着けているものから国王と王妃だとわかる。じゃあ真ん中の子どもはアウリス…?
いや、黒髪だからジェイド陛下かな。どうやらジェイド陛下が子どもの頃の家族写真らしい。
ん?これ本当にジェイド陛下かな。どこか違う気がして目を凝らすも、色褪せた小さな写真ではよくわからない。
仕方ないのでそっと写真を元のページに戻し、本棚にしまった。
ランプを壁際にかけ、図書室を出る。埃っぽかったので、空気が新鮮に感じる。
もうお昼かしら。そろそろお米が恋しいなぁ…
お米に思いを馳せながら階段を降りようとしたその時。
ドンッという鈍い衝撃を背中に感じて、私は短く悲鳴をあげると、そのまま階段を転がり落ちた。