第七話
この世界に連れて来られてから、1週間が経とうとしていた。この世界にもだんだん馴染んできた気がする。
異世界とは言っても、ほとんど元の世界と変わらないので暮らしやすい。モンスターがうじゃうじゃ出てきて戦ったりする世界じゃなくてよかった…そんな世界で生き延びられる自信がない。
そんなこと思いながら、もそもそとベッドから這い出る。
陛下は国王なだけあって非常に忙しいらしい。2日目の夜に揃って食事をして以来会うチャンスが全くなく、私のネックレスはいつ直るのか聞けずにいた。
アウリスも言ってたけれど、本当になんで私を呼んだんだか…これじゃあただの軟禁だ。
ずっとこの部屋にいるのも退屈だったが、勝手にお城をうろうろするのも気がひける。ヘレナがいるときは紅茶を飲みながらお喋りするのが定番になっていて楽しいが、ヘレナには他にも仕事があるので、私とずっと一緒というわけにもいかない。
そんなわけで日中は必然的に庭園や中庭にいることが多くなっていた。
今日も庭園を散策しようとヘレナが用意してくれたつばの広い帽子をかぶる。庭園はまるで国立公園のように広く、見たことのない植物が山ほど植えられているので飽きることがない。
柔らかい朝の日差しを浴びながら庭園を歩いていると、ぐるりと柵をしてある一角を見つけた。鮮やかな原色の花が植えられていて、桃のような甘ったるい匂いがする。気になって近づいてみると、後ろから声がかかる。
「その花は人喰い植物だからあんまり近づきすぎないほうがいいよ」
柵に向かっていた足をぴたっと止めて振りかえると、声の主は「おはよう」と人懐っこい笑顔を見せる。
「アラン!今日も早いのね。それにしても、なんでそんな危険な花を植えてるの?」
「研究のために陛下に許可をもらって植えてるんだ。近づいてきた人間を食べるって噂されてる花なんだよ」
そう言われてその花をよく見ると、花弁がぷるぷると動いていてゾッとする。近づかなくてよかった。
アランは宮廷庭師として、ここの庭園の管理を任されているらしい。ここ数日よく顔を合わせるので、会えば時々話すようになった。
私みたいな得体のしれない人間が庭園をうろついていることに関してはあまり気にならないようで、私の身の上を聞いてこないので私も気が楽だ。
「午後も庭に来る?」
そばかすのあるほっぺたをぽりぽりとかきながらアランが聞いてくる。
「来れるけど…どうして?」
「ちょっと見せたいものがあるんだ。翠子は花に興味があるんでしょ?」
私がよく庭園に来ているのは花が好きだからだと思ってるらしい。
「じゃあこれから西側のエリアの植物を見てこないといけないから、また午後にね!」
アランは手を振りながら、走って行ってしまう。多分私より年上だと思うんだけど、なんだか少年みたいだな、と少しおかしくなった。
アランを見送って、そろそろ私も一度部屋に戻ろうかなと城に足を向けたとき、庭園と城をつなぐ扉からこちらを見ている人影に気づいた。
目を凝らすと、どうやらその影はこちらに向かって手招きしているらしい。
誰だろう?
小走りで扉に近づくと、辺りには誰もいない。
変だなあ…誰かいたと思ったんだけど。
不思議に思っていたその時、私のすぐ目の前に何かが落ちてきた。それは地面にぶつかり、ガシャン!と大きな音を立てて割れた。
「きゃっ…」
小さく悲鳴をあげると遠くからバタバタと足音がして、
「どうした?!」
と、息を切らしてやって来たのはアウリスだった。アウリスも地方へ視察に行ったりと忙しいらしく姿を見るのは久しぶりだ。
「アウリス…壷が……」
私の目の前で粉々になっている壷だったものを見て、アウリスは目を丸くする。
「……これが上から落ちてきたのか?」
私はこくこくうなずく。
「怪我はないか?何故こんなものが…」
アウリスが上を見上げるも、そこには何百というお城の窓が整然と並んでいるだけで変わったものは何もなかった。
「とにかく中に入ろう」
そう言って私に視線を戻したアウリスは、はたと動きを止めて私の頰に触れた。見た目より温かい手のひらの温度を頬で感じて、心臓がどきんとはね上がる。
「血が出ている」
そう言われて私も自分の頰に触れると、確かに血が滲んでいた。
割れた壷の破片が飛んできて切れたのだろう。
「大丈夫、これくらい…」
「だめだ。傷が残ったらどうするんだ」
言うが早いか、私を横抱きにして城に入る。
「ちょっ…ひとりで歩けます!」
かあっと全身が熱くなり恥ずかしくて顔を覆う。じたばたする私を完全に無視して、アウリスの自室に連れて行かれた。
アウリス付きのメイドさんが、驚きながらも傷の手当てをしてくれた。その後、アウリスから話を聞いて、放っておくと危険だから壷の後片付けをしてくると言い部屋を出て行った。
「あの…ありがとう」
「いや、そんなことより何か心当たりはあるか」
「心当たり…って?」
「お前はあの壷が、偶然落ちてきたと思っているのか?誰があんな重いものをわざわざ窓の外に出すっていうんだ。翠子の上にわざと落とそうとしたに決まってるだろう」
…思いもしなかったことを指摘されて言葉が出ない。
だって私がこの世界で命を狙われる理由なんてない。
「とりあえず陛下には俺から報告しておく。確か今は隣国に行っていて夜に帰るはずだから」
「うん…ありがとう」
「このあとは部屋にいるのか?」
「午後からはまた庭園に行こうと思ってたんだけど…」
さすがに同じ場所を通るのは怖い。
「そうか。それなら付き合うから、行く時はこの部屋に寄って行け」
「いいの?」
驚いて聞き返す。部屋にいるように言われるかと思っていた。
「あぁ。じゃあまた午後に」
そう言って、右手をひらひらと振り私を部屋から追い出した。
―――照れてるな。
私はアウリスの耳を見てこっそり笑った。