第十五話
「こんにちは〜…」
小さく声をかけながら重たい木の扉をぐぐっと押し開けると、少し埃っぽい店内に外の光が差し込む。
首をつっこんで中を覗くも、誰もいないみたいだ。一応お店は開いてるみたいだし入ってもいいよね……?
開けた扉の隙間に身体を滑りこませた。
お店の中は思ったより広く、天井に届きそうなくらい高い棚には、謎の紫色の液体が入った小瓶や、錆びついた腕輪、開け口のない箱など、何に使うのかわからないものが所狭しと置いてある。
それらを眺めたり、恐る恐る触ったりしながら店の中を歩いていると、店の奥から「いらっしゃい」としゃがれた声が聞こえた。
驚いて、今しがた手にとったばかりの木彫の人形(本来目があるはずの位置に口がついている不気味なものだ)を思わず落としそうになる。
声がしたほうに目を凝らすと、店の奥にあるカウンターの中に、カウンターにやっと背が届くくらいの小さなおじいさんが立っていた。私が気づかなかっただけでずっとそこにいたらしい。
「……こんにちは。ジャンさんに紹介されて来ました」
なんとか声を絞りだすと、
「なんだ、あの悪餓鬼の知り合いか」
おじいさんが舌打ち混じりにそう呟いているのが聞こえる。そして、
「それはあまり触らないほうがいい」
こちらを一瞥して、ぼそっと吐き捨てる。
私はまだ握りしめたままだった不気味な木彫の人形を慌てて棚に戻した。そのとき、横の棚で何かがきらっと光った気がしてそちらに目をやると、隅のほうに埃をかぶった鏡が無造作に置いてあった。
手にとって埃を払ってみると、銀細工が施されているそれは少し古びていてアンティークのようだった。どんな人が使っていたんだろう、なんとはなしにそう思ったとき、頭の中で映像が流れ始めた。
それは残酷な光景だった。少女が磔にされている。そしてその足下には燃え盛る炎が―――
誰かのかん高い悲鳴が耳をつんざく。
映像が消え、はっと我に返ると今の悲鳴は自分の喉から出ていたのだとわかった。
今のは―――?
「どうした」
気づくと横におじいさんが立っていた。近くで見るとおじいさんの右目が白く濁っているのがわかる。
「えっと……すみません。少し悪い夢を見たみたいです」
なんだかバツが悪くなって小さな声で答える。
「火あぶりか」
おじいさんの口から私が今まさに見た火あぶり、という単語が出てきてぞっとする。どうしてそのことを……
私が何も言わずにいると、おじいさんが話し始めた。
「この鏡は昔、遠い国の或る少女の持ち物だった。その少女には生まれつき不思議な力があってな。透視能力というのか、箱の中身だったり、本来見えるはずのない物を見ることができた。しかし閉鎖的なその国ではその力は恐れられ、やがて少女は殺された。磔にされて、火あぶりでね。そういう不思議な力を持った人達は長い間、国や時代によって、時に恐れられ、時に敬われてきた。まぁ今ではかなり数も減って、この国では王族の中で力がある者が生まれるくらいだろう」
そういえばアウリスも確か中庭で話したとき、王族の血筋には時々そういう人が生まれるって言っていたっけ。でもおじいさんの話も合わせて考えると、以前は王族じゃなくても不思議な力を持った人はいたみたいだ。
「お前さんのそれは恐らくカコミだ」
おじいさんは事も無げに言う。
「カコミ?」
「過去が見えるんだろう?カコミの力を持ってる奴は中々珍しいな。まあどうやら望んだときに見たいものが見れるというわけではないようだが」
「私にそんな力……」
「なんだ、過去を見たのはこれが初めてか」
そう言われて考えてみると、この世界に来てから妙にリアルなお母さんの夢をよく見ていた。あれは夢じゃなくて過去を見てたということ?
「あの、どうしてそんなに詳しいんですか?」
もしかしてこの世界の常識なのだろうか。
「簡単なことだ。大したことないがわしにもその類いの力があってな。行商人として各地を巡りながら、ちょっと調べたことがあるだけだ」
「おじいさんの力はどんな力なんですか?」
「質問攻めだな。まずわしの質問に答えてもらおう。お前さんは王族の人間か?」
いきなりの質問にドキッとしたが、今はひとりだしあまりあちこちで身分を明かさないほうがいいかもしれない。
咄嗟に、「違います」と答える。
するとおじいさんは少し片眉を上げて、
「ふん、お前さんは王族の人間だな」
と、つまらなそうにそっぽを向いた。
「な、なんで……」
目を丸くしていると、すぐに種明かしをしてくれた。
「わしの力は、真実を見極める力だ。目の前にいる相手が嘘をついているかどうか分かるんだよ。まあ、お前さんの場合嘘が下手すぎて力を使うまでもなかったが」
……そんなのずるい。過去が見れるだけの私よりもよっぽど凄いじゃない。
「それで、王族の人間がなんの用でこんな店に来たんだ?ジャンの知り合いとか言っていたが……」
そう言って胡散臭そうにこちらを見てくる。まずい。助け船を求めて窓の外を見るも、ヘレナはまだこちらに来そうにない。
そのとき、2階からドタバタと足音がして、誰かが慌ただしく階段を降りてきた。
「あーっ!爺ちゃんまた勝手に店に出て!」
困り顔の青年が、私を見て言葉を続ける。
「ごめんね、爺ちゃんが何か失礼なことしなかった?」
私が首を横に振ると、おじいさんに向き直る。
「ほら、爺ちゃん。部屋に戻ろう」
「王族のやつらは好かん……あいつらは昔から噓ばっかりついておる」
「わかったわかった。でも今は、僕のお客さんが来てるんだ」
ぶつぶつ言いながらもおじいさんは青年に手を引かれて2階に上がって行き、しばらくすると青年だけが降りてきた。
「ごめんね、爺ちゃん少し呆けてきててさ。変な話とかしてなかった?ここは今は僕の店なんだけど、時々勝手に店に出ちゃうんだよね」
おじいさん、すごくしっかり話してて、呆けてるようにはとても見えなかったけど……
「それで、何かご入り用かな?」
「あ、えっとジャンに言われて来たんですが、少しお店を見ていてもいいですか?」
「君、ジャンの知り合いか!僕はテオ。僕ら幼馴染なんだ。こんなに近くに住んでるのに最近会ってないなぁ。あいつ元気にしてた?」
私が頷く隙もなく、どんどん話しかけてくる。
「まぁせっかく来たんだから色々見てってよ……あっ!爺ちゃんまた勝手に棚のもの入れ替えてる」
そう言いながら怪しげな品物は次々と引き出しに仕舞われ、ネックレスなどの装飾品や、革小物が手際よく並べられる。
あの銀細工の鏡も仕舞われてしまったのか、いつのまにか棚から消えていた。
その後、テオに勧められるままアクセサリーなんかを試着していると、ギィっと扉が開いて、ヘレナが少し照れくさそうにしながらひょこっと顔を覗かせた。
何も買わずに帰るのも気が引けるので、せっかくだし自分用に髪を結ぶのに使えそうな革紐を買うことにした。慣れない金貨でどうにか支払いを済ませ、ヘレナと店を出る。
外に出ると夕焼けで街のそこかしこがオレンジ色に染まっていた。
「ヘレナ、今日は街に連れてきてくれてありがとう。それにジャンにも会わせてくれて本当に嬉しかったよ」
私が少し後ろを歩くヘレナを振り返ると、顔の前でぶんぶん手を振りながら、
「とんでもないです!こちらこそ逆に色々お気遣いいただいてしまってすみませんでした……」
と、恥ずかしそうに小さくなっている。
そんなヘレナを見て、自然と羨ましいなと思ってしまう。好きな人と過ごしていたヘレナがなんだかキラキラして見える。
19歳にもなって恋が何かわからないなんて言ったらヘレナは笑うかな。
男の人と付き合ったことがないわけではないけれど、それが恋だったのかと言われると首を傾げてしまう。
こんな妙な世界に来たんじゃ、恋なんてさらに遠のいたな。
早く無事に元の世界に帰って、恋のひとつでもしよう……
なんだかとんちんかんな決意を新たに、お城に戻る道をヘレナと共に歩く。
でも元の世界に戻ったらヘレナとも会えなくなっちゃうのか、と頭の片隅で思いながら。