第十四話
「それでは王女様?もう少し詳しく話を聞かせていただけないだろうか」
「あっ……あの、その前に聞きたいんだけど、ヘレナのお母さんってお城で働いていたのよね?何か相談しなくちゃならないような出来事があったの?」
さっきのヘレナの話の中で気になっていたことを聞いてみる。
「はい……わたくしも母が亡くなるまで知らなかったのですが、母は亡くなる少し前に、お城での仕事はお暇をいただいていて、タンザナイトという田舎町で暮らしていたみたいなんです」
「そこで自ら命を絶ったと報告を受けたのですが、どうしても母がそんなことをするなんて信じられなくて……それでジャンのお父さまに色々調べていただいていたのです」
思ってもみなかった話に、なんて返せばいいかわからず口ごもってしまう。
「翠子様が気にすることではありませんよ!それに私は母が自殺したとは思っていないんです」
「それじゃあ……」
「誰かに殺されたのでは、と考えています。ただ、調べていただいても母が殺されるような理由が見つからなくて……」
理由もわからないまま命を狙われる、これって私と同じ……それともただの偶然?
「まぁ、わたくしの母のことは今はいいのです。もう20年以上前のことですから」
ヘレナはからっとそう言った。きっとお母さんの死について長い間、調べて向き合ってきたのだろう。
「今は翠子様のお母さまのことですよ!どうぞジャンに、陛下とのお話のことなど、もう一度詳しく話していただけますか?」
「うん。えぇっと……」
私は陛下から聞いた母の話を、なるべく正確に思い出しながら詳しく説明する。ジャンは時折メモをとりながら私の話を真剣に聞いてくれた。
最後まで話し終えて、冷めてしまった紅茶をひとくち飲む。ヘレナが黙ってクッキーのお皿をこちらに寄せてくれたのでひとつつまむと、優しい甘さが口に広がった。
メモを見ながらしばらく考えこんでいたジャンだったが、やがて顔をあげて、
「やはり一番気になるのが、御母堂様が側室で、さらに王女が産まれてからも城でしばらく暮らしていたという点だな。記者の僕でも聞いたことすらない。まぁ側室をとること自体が滅多にないことだから、あまりおおっぴらにしなかったのかもしれないが……子どもまで産まれているのに何の情報も流れてきていないのは些か不自然だ」
と、一気に言った。
確かに……存在を隠されていたのだろうか?
「ヘレナの母さんは城で働いていたときのことを何か言っていなかったのか?」
ジャンがヘレナのほうを見る。
「これは翠子様にもお話したことだけど、まだ私が小さい頃、少しだけ聞いたことがあるわ。王妃は天真爛漫で風変わりな方だと……私がマルグリット殿下のこと?って聞いたら、違うって言っていたからマルグリット殿下とご結婚される前に別の王妃がいたのかと思っていたのだけど……」
「だがジェイド陛下に、マルグリット殿下以外の王妃がいたという話は聞いたことがないな」
「そうよね……多分わたしが幼かったから、何か覚え違いをしてしまったのかもしれないわね」
振り出しに戻ってしまった。いや、それよりも悪いかもしれない。側室でもない、元王妃でもない。じゃあお母さんは一体何者だったの?
途方に暮れる私を見て、ジャンが気遣わしげに声をかけてくれる。
「まぁ本当に陛下に側室はいなかった、と断言できるわけじゃないですよ。国民に洩れないように隠されていたのかもしれないし……ジェイド陛下は子どもの頃からあまり人前に出たがらなかったらしいからなぁ」
いつの間にか紅茶を淹れなおしに行っていたヘレナが皆のカップにおかわりを注ぎながら、ぱっと顔を明るくした。
「そうだ!アウリス様にそれとなく聞いてみてはいかがでしょうか?アウリス様は翠子様よりもお歳が上ですから、もしかすると翠子様のお母さまのことを何か覚えていらっしゃるかもしれないですわ」
「ヘレナ、僕の前ではその妙な言葉遣いはやめてくれよ……」
「あら、翠子様に話しかけてるのよ」
そう言ってつんっとそっぽを向く。
そういえば、私がアウリスに命を狙われているかもしれないということをまだ話していなかった。やっぱり話したほうがいいのだろうか。
でも王子が王女を殺そうとしてるなんて大スクープじゃない?
「うん、そうね……」
曖昧に頷いて話を変える。
「そういえばさっきジャンが言ってた、陛下が前によく一緒にいた女性ってどんな人なの?」
「小柄で薄茶色の柔らかそうな髪をした可愛らしい女性でしたよ。城の庭園をよく二人並んで歩いていたな。父曰く舞踏会でもジェイド陛下はその女性とダンスを踊っていたらしいから婚約者だと思ってたんだけど、あるときから急に城で見かけることがなくなってね……」
「それって何年くらい前の話?」
「えーっと確か父について記者の手伝いをし出したころだから……22、3年くらい前かな?」
確信は持てないけど、特徴はお母さんに似ている。私がいま19歳だから、時期的にもあってる。でもそれより……
「ねぇ、ジャンって一体いま何歳なの?」
私と同じくらいの年だと思っていたので恐る恐る聞くも、
「ひみつです」
と、あっさりかわされてしまう。代わりにジャンは本棚から1冊の分厚いノートを取り出し私に手渡した。
「当時の僕が書いた取材ノート、特別にどうぞ」
最初のページを開くと、そこには子どもらしい大きな字で、取材中の出来事や、うわさ話などが書き込まれている。
「まだ子どもだったけど、その頃にはちゃんと父の手伝いで情報収集をしていたんですよ。ほら、このあたり」
ペラペラとページをめくり、指し示す。
【ジェイド王子に婚約者か?……この国の貴族のご息女ではない……他国の王女か?……エスコートしながら庭園で散歩……土いじり……王子の婚約者にしては風変わり……】
「ジャンこれって……」
「ん?あぁ、この日は確か庭園開放日でもないのにこっそり城に忍び込んで父さんに怒られた日だ。ジェイド王子と、その女の人が庭に何かの種を蒔いててなぁ。お召し物が汚れますとかってお付きの人たちが慌ててたっけ」
私が庭園で、アランに空色の花を見せてもらったときに見た白昼夢に似てる。やっぱりその女の人はお母さんだ。
私はさらにページを手繰る。どこそこの店の店主がお釣りをちょろまかしている等、うわさ話の走り書きが続いている。
その途中で、舞踏会の取材にお父さんが連れて行ってくれなかったという恨み言が書かれていて、つい笑ってしまう。
最後のほうまで目を通してノートを閉じようとしたとき、王子、という単語がページの隅に見えて慌ててページを戻す。
【ジェイド王子お忍びデートか……タンザナイトで目撃情報……王子らしからぬ質素な格好……】
左上の日付を見るとジャンが庭園で二人を目撃した日から2年程経過している。
「ジャン、これは?」
私からノートを受け取り、目を落とす。
「あぁ…タンザナイトで王子を見たっていう人がいてね。一応メモをとって父にも話したけど、そんなところにいるはずがない、見間違いだろうってことでこのネタはボツになったんですよ」
「タンザナイトって確か……」
「ええ、わたくしの母が住んでいたと言われている町ですわ……」
ヘレナが私の言葉の後ろを引き取る。
その言葉にジャンも閉じかけていたノートをもう一度見直している。
「……ヘレナの母さんが暇をとった頃と、時期的にも近いな。タンザナイトはそう頻繁に話題にのぼるような場所じゃない。ここからも遠いし、本当に小さな町なんだ。偶然じゃないかもしれないな」
タンザナイトで目撃されたジェイド王子は、お母さんと一緒にいたのだろうか。そこで何をしていたんだろう。
それにヘレナのお母さんも……
なんだかますます謎が深まってしまった。
私とヘレナが黙っていると、ジャンがぽんっとノートを置いて背伸びをする。
「今わかるのは翠子王女の御母堂様は、ほぼ間違いなくこの世界に来ていたということ、ジェイド陛下と一時期かもしれないが恋仲にあったということ、何故かタンザナイトにいた可能性がある、ということくらいか」
そう言うと私の方に向き直り、少し眉を下げた。
「申し訳なかったな。あまり力になれなくて」
「ううん」
私はぶんぶん首を横に振る。
「陛下以外の人からも母の話を聞けてよかった。やっと実感がわいてきた気がするの。本当にありがとう」
「僕はこれからタンザナイトに向かうよ。ヘレナの母さんのことや、王女様の御母堂様のことも何かわかるかも知れないし。ヘレナと王女様も来るか?……ってそれはさすがに無理か」
「そうねぇ。わたしは仕事があるし、翠子様もこの街を離れるとなると、やはり陛下がなんておっしゃるかわからないものね」
おっとり話すヘレナを見ていて、はっと気づく。
「あっ、そしたらジャンは準備があるよね?ヘレナも手伝ったりするだろうし、先にお城に戻ってるよ!」
ヘレナが久しぶりに恋人に会いにきたのに、私のせいで深刻な話になっちゃったし、よく考えたら私、相当なお邪魔虫だ。ジャンがこれからタンザナイトに行くなら、またしばらく会えなくなるかもしれないのに。
「いきなり何を言うんですか!そんなことさせられません!」
扉に向かった私の腕をヘレナがむんずとつかむ。
その様子を見ていたジャンが、
「それなら、この家の斜め向かいに行商人がやっている店があるんだ。僕の古い知り合いの店でね。近隣の国の変わった品物が沢山あって結構面白い店ですよ。少しそこで待っていてくれますか?」
とさらっと言う。どうやら私の意図に気づいてくれたらしい。
「そんな、ジャン。翠子様に何かあったら……」
「王女様がせっかく気を遣ってくれてるんだ。ありがたく少し時間をいただこう」
そう言って私にウインクを投げた。
「翠子様が、気を遣って……?」
少し考えていたヘレナも私の意図に気づいたらしく、頰が赤くなる。
それでもまだどうしようか悩んでいるヘレナに、
「そういうことだから、私はそのジャンのお友だちのお店にいるね。ヘレナはゆっくりしてきて」
と、笑顔を向ける。
「そんな気を遣っていただかなくてもよろしいのに……」
自分の頰に手を当てて照れていたヘレナだったが、あっ!と慌ててポケットの中から赤色の小さな巾着袋を取り出した。
「翠子様がお買い物をするときに使うように陛下から預かっていたんです。こちらを持って行ってください」
私はヘレナから受け取った巾着袋を自分のポケットにしまう。
「じゃあ、ヘレナはまたあとでね。ジャン、今日はいろいろ話を聞かせてくれて本当にどうもありがとう。タンザナイトにも気をつけて行ってきてね」
「御母堂様のこと、何かわかったらまた報告するよ」
扉の外で見送ってくれる二人に手を振って、ジャンの友人がやっているというお店に向かった。