狂愛王子に囚われた少女の、強かなる復讐鐔
チリチリと蝋燭の燃える音だけが聞こえる。カビ臭い鉄格子の中で、寒さに堪えながらルーシェは冷たい石畳の上にそっと腰を下ろす。処刑を待つ罪人が一晩だけ過ごすその牢屋にはベッドも椅子もなく、ただ閉じ込めるだけの空間があるだけだった。
──やっと、終わる
明日処刑される牢屋に居るにも関わらず、ルーシェは自身の死を全く悲観していない。それどころか、ここまでの長い道のりを思うと歓喜に酔いしれるぐらいだった。
その時、コツコツと早足でこちらに近付いてくる足音が響いてきた。その音が大きくなるにつれ、あまりの滑稽さに笑いが出そうになるのを何とかルーシェは堪えていた。
「ルーシェ、今すぐここを出るぞ」
「それはできません」
「何故だ、何故俺を頼ってくれない?!」
牢屋の前で足を止めた男は、その端正な顔を悲壮な面持ちに歪め問いかけてくる。
「全てはレオナルド様のためです。私のような身分の者が、貴方様のお隣になど居ること自体が分不相応なこと。どうか、ご理解下さい」
思わず上がりそうになる口角を必死に抑え、悲しそうに眉をひそめてルーシェは訴える。
レオナルドの目には、自分のためを思い健気に身を引こうとするいたいけな少女に見える事だろう。
「身分など、神託など関係ない! 俺はお前さえ居てくれればそれでいいのだ! お願いだ、この手をとってくれ。そうすれば俺は……地位も名誉も捨て、今すぐにでもお前を連れてここを出よう」
思わず反吐が出そうになった。
そのために、何人の命を奪った? と、喉元まで出かかった言葉をルーシェはなんとか飲み込んだ。
「そのお気持ちだけで十分です、レオナルド様。どうか私の思いを汲んで下さいませ。貴方には輝かしい未来が待っています。民を導き国を正しき形へまとめ上げる。それが今、貴方の成されなければならない事です。貴方にしか、なし得ない事なのです。ずっと見守っています。だから最期のその時まで、私と交わした約束を、果たしてくださいますか?」
「それが、お前の望みなのか?」
「はい。それが、私の心からの願いです」
「分かった、約束しよう」
鉄格子の隙間からルーシェの手をとったレオナルドは、その手の甲にそっと口付ける。交わした約束を、必ず守ることを誓いにたてて。
レオナルドが去った後、鉄格子に背を向けたルーシェは、肩を震わせ座りこむ。心の中で悪態をつきながら、声をあげて笑いたくなくる衝動を必死に堪えていた。
──貴方は仰いました。私さえ居てくれればいいと。それでしたら、その一番の望みを絶ちましょう。美しい幻想を抱いたまま、どうか一生苦しんで生きて下さいませ。これが貴方にとって、一番の罰となる事でしょうから。その代わりに、貴方を狂わせた罰は、私がこの身を持って償います。
愛なのか、憎しみなのか、複雑に絡み合ったこの気持ちを何と呼べばいいのか、ルーシェにはもう分からなくなっていた。
──レオナルド様。だから私は貴方の生きざまを見て、この気持ちが何であるのか判断することにしました。足掻いて苦しんで、どうか末永く生きて、教えて下さい。
◇
大切な家族に幼馴染み、恩師に友人と、ルーシェが心を開いていた者達が次々と居なくなった。
元々庶民の子であったルーシェは小さな宿屋を経営する両親の元で育った。雑貨屋のお隣さんとは家族ぐるみで仲が良く、ルーシェと同じ年頃の幼馴染みが居た。お互い一人っ子だった彼等は小さい頃からよく一緒に遊び回り、とても仲がよかった。大きくなったら結婚しようねと約束をするほどに。
しかしルーシェが八歳の時、仕入れに出掛けた雑貨屋家族の乗った馬車が崖から転落する事故に遭う。突然の訃報に悲しむルーシェだが、その傷が癒えぬうちに更なる不幸が重なる。両親の経営する宿屋で、客に扮した強盗が両親を殺してお金を奪い逃げていったのだ。
身寄りのなかったルーシェは孤児院に引き取られた。そこでルーシェは少しずつ生きる希望を取り戻すも、十二歳を迎えた頃、頼まれたおつかいを済ませている間に火事が起こる。
一人だけ助かったルーシェは、よくその孤児院に寄付をしてくれていた伯爵夫婦の好意で養子になることになった。それに伴い五つ上の兄が出来た。家族として温かく迎え入れてくれた伯爵一家の恩に報いるよう、必死に貴族として必要な教養や礼儀作法を身に着けるべく励んだ。
十六歳を迎えた頃、初めての社交界デビューを果たす。義理兄にエスコートされて、何とか無事に終える事が出来た。それから度々パーティに呼ばれて参加するようになるも、生粋のお嬢様達の中で馴染めるわけもなく、いつも壁の花を飾っていた。それでも優しい家族に恥をかけないよう前を向き、凜と姿勢を正し佇んでいた。
その姿がこの国の王太子、レオナルド・オベリスクの目に止まり見初められたルーシェは、彼から熱烈なアプローチを受ける。それに後追いするように、ルーシェが「未来の王妃の器である」と神託がおりた事で、婚約が結ばれた。オベリスク王国では、カルメリア神より授かった啓示はなにより尊いものだとされているからだ。
心が追いつかぬまま、あれよあれよと周囲を固められ、そのような次期王妃という肩書きを与えられたルーシェは当初、戸惑いの感情しかなかった。
身分違いの婚約が波乱を呼び、他の貴族令嬢達に辛く当たられるルーシェを、レオナルドは完璧に守り抜いた。
危機一髪のタイミングでヒーローのように颯爽と現れては、ルーシェを自身の腕の中に庇い助ける。誰も味方が居ない状況下で、そのように親身になって守ってもらい続ければ、好意を抱くのも無理はない。次第にルーシェもレオナルドに心を許すようになっていた。
でもある時気付いてしまった。いつも自分の前では優しく微笑みを絶やさないレオナルドが、決まってある時に鋭い視線を投げかけてくるのを。それは、彼以外の人間とルーシェが楽しそうに話している時だ。
最初は気のせいだと思ったが、しばらくしてルーシェと仲良くしていた友人が事故に遭った。友人だけではない。熱心に指導してくれていた学園の恩師も、心を許し姉のように慕っていた侍女も。
その度にレオナルドはルーシェの細い腰を抱き、耳元でこう囁くのだ。
「悲しむことない。お前には俺がついているだろう?」
最初はその言葉に励まされた。たとえどんな辛いことがあっても、自分にはこの人が居ると。
しかしあまりにも不自然な事故が重なりすぎた後に再び聞くと、その言葉に違和感を覚えるようになった。
何故、この人は自分の悲しみを一緒に分かち合ってくれないのか。それどころか嬉しそうに頬を緩めて何故、そんな事が言えるのかと。
それはまるでルーシェの大切な人達の悲劇を喜んでいるようにもとれる。
──まさか、そんなはずは……
杞憂だと思いたかった。あの人に限って、そんな事はない。彼はいつだってヒーローのように自分を助けてくれるのだから。
「愛しいルーシェ。早くお前を俺の物にしてしまいたい」
壊れ物を扱うように優しく抱きしめては、甘いキスを落としてくる。鎖骨の下、ドレスを着てギリギリ見えない位置。消えることは許さないと言わんばかりに、会う度に同じ所にその証をつけては別れ際、いつも名残惜しそうにその証に触れて去ってく。
「俺達の門出を祝う日だ。素晴らしい結婚式にしよう」
国中の名だたるドレス職人を呼び出して、レオナルドはウェディングドレスを作らせる。結婚式でルーシェに似合う最高の一着を仕立てるために。装飾品や靴にまでこだわりを持ち、金に糸目もつけず。
ルーシェも女だ。一生に一度の結婚式を綺麗に着飾りたいという願望がないわけではない。でもあまりにも湯水のごとく国庫の財源を使うレオナルドの姿に不安が募る。
元々庶民の子であったルーシェは、両親が税金を支払うのに四苦八苦していたのを知っている。毎日朝から晩まで汗水垂らして働いた。貯めたお金のほとんどを税金として持って行かれ、毎日生活していくので精一杯だった。そんな苦労して払っていた税金の使い道が、たかが一度しか着用しないそのドレス代として消える現実を目の当たりにして、大きな感覚の違いを思い知る。
そうやって浮き彫りになる感性の違いに戸惑いながらも、ルーシェは必死に自分を落ちつかせる。しかし、一度抱いてしまった疑念はそう簡単には消えない。
思い返せばルーシェに辛く当たった貴族の令嬢達は、いつの頃からか夜会に来なくなった。ダンスに誘ってきた貴族の子息も、そういえば最近顔を見ない。
恐る恐るルーシェは彼等が今何をしているのか調べると、その結果がさらに恐怖を募らせることになった。
家が没落していたり、行方不明になっていたりと結果は様々だったがとても悲惨な末路を辿っていたのだ。
思わず絶句した。
ルーシェの前ではいつも微笑みを絶やさないレオナルドだが、よく観察してみるとそれ以外の所ではあまり表情が変わらない。そして彼に付き従う者達は、どこか怯えたような目をしている事に気付く。
目の前で使用人が粗相をしても、レオナルドは怒らない。怪我はないかと、まずその使用人を気遣う言葉をかける程に優しい人のはずなのに何をそんなに怯えているのか。
ルーシェは気付かれないようにレオナルドを観察してみることにした。そこで衝撃の事実を目の当たりにする。
新しく入った新人の執事が、誤ってレオナルドの前で花瓶を落としてしまった。ルーシェが知っているいつものレオナルドなら、「大丈夫か?」とその新人の執事に怪我がないか尋ねるだろう。
しかし現実は違った。苛立ったように舌打ちをした彼は冷たくこう言い放つ。
「明日から来なくていい」
「申し訳ありません、殿下。今後二度とこのようなことは致しません。どうか今回だけは……っ!」
必死に謝り許しを請う執事の悲痛な訴えに耳を傾けることなく、興味は失せたと言わんばかりにレオナルドはその場を立ち去った。
偶然を装ってルーシェはレオナルドに会いに行く。回廊でたまたま絶望に打ちひしがれる執事を見かけて声をかけた。話を聞くと粗相をして首になったのだと言う。深く反省しているようだからその処遇を改善してやれないか、遠回しに訴えるとレオナルドはルーシェの言葉に耳を傾けてくれた。
執事の処遇は改善され、王城でたまたま会う度に執事はルーシェに笑顔で会釈してくれるようになった。
しかし、ある時を境に王城で全くその執事を見かけないようになった。他の執事に彼は元気かと尋ねると、つい先日に不慮の事故で亡くなったと聞かされた。
わき上がる恐怖に震え上がる。自分と親しくしている者達がこうも次々と亡くなるなど。もしかすると、自分は呪われているのかもしれない。知らず知らずに関わった人を不幸にしてしまうのだとしたら。
しかしそれならば、何故一番親しい間柄であるレオナルドは無事なのか。真っ先にレオナルドが危険な目に遭ってもおかしくないのに。
──まさか……いや、そんな事は……
脳裏によぎった答えをルーシェは必死に否定した。証拠もないのに疑うなど、あってはならない事だと自分に言い聞かせて、王城で王妃教育を受けていた。
そんなある時、レオナルドが部屋を去った後、手帳が落ちているのに気付いた。大事な予定が書かれているのかもしれない。早く届けてあげなければと急いだせいで、誤って手帳を落としてしまった。
たまたま見開いてしまったページには、ぎっしりと文字が書かれていた。しかし奇妙な事に、全てバツ印で一つ一つ丁寧に消してあるのが目に付いた。
何となく気になって消された文字を読み上げてみた。ミカエラ、ヘンリー、シャーロット。どうやら消されているのは人名のようで、親しみのあるその名前達を見て背筋がゾッとする感覚に襲われる。
──まさか、そんなはずは……
そう思いながら、ページを遡る度に懐かしい名前が増えていくのに手が震えた。最初のページの初めに書かれた名前を見て、ルーシェは思わず絶句する。
アンドリュー
それは、幼い頃結婚の約束をした幼馴染みの名前だった。続くのはその幼馴染みの家族、そして自分の家族。孤児院の兄弟達に先生……全て事故死した者達の名前だ。まさか、そんな……気が動転しそうになった時、激しいノックの音が聞こえた。慌ててルーシェは手帳を元あった場所へ戻してドアへ向かう。
「ルーシェ、手帳を見なかったか?」
開口一番、珍しく焦りを滲ませながら立つレオナルドがそこにはいた。
「手帳、ですか?」
「すまない、部屋を確かめさせてもらっても良いか?」
「ええ。構いませんよ、どうぞ」
平静を装って、レオナルドを部屋へ招き入れる。レオナルドはすぐに自身の手帳を見つけたようで、慌ててそれを拾い上げた。
「まぁ、そんな所に。気付きませんでしたわ。見つかって良かったですね」
レオナルドは内ポケットへさっと手帳をしまった。まるでやましい何かを隠すかのように。
「手間を取らせたな。名残惜しいが今度こそ行くとしよう」
「はい。いってらっしゃいませ」
お見送りをするルーシェを自身の方へ引き寄せたレオナルドは、いつものように唇に軽く触れるだけのキスを落として去って行く。レオナルドが去った後、洗面台まで走ったルーシェはあまりの気持ち悪さに戻した。
──気付かれてない。何とか誤魔化せた。けれど、あの焦りようはやはり……
不整脈を起こしたかのように、心臓が尋常ではないほど脈打つ。全てを黒だと言い切るには材料がたりない。しかし考えれば考えるほど、そんな芸当が出来るのは彼以外にあり得ないと考えてしまう自分が居ることに気付いた。
ルーシェは思い出していた。レオナルドと初めて会った時の事を。夜会で声をかけられたのが初めてだと思っていたが、実はそうではないと聞かされた事がある。
まだ両親と宿屋に住んでいた頃、わけありの客人を迎え入れた事がある。深くフードを被った男性と自身より少し年上くらいの男の子だった。
身分を隠されてはいたけど、外套を脱げば一目見ただけで庶民ではないのが分かる出で立ちだった。
あの日は雨が酷く降っていて、馬車の車輪に不具合が見つかったそうで一晩宿を貸して欲しいと夜更けに来られた。
男の子は浅い呼吸に赤い顔をしていて、体調が悪そうだった。案の定熱があり、その日一晩私はその男の子の看病をしていた。
翌日には迎えの馬車が来てすぐに帰られたけど、その男の子が幼い頃のレオナルドだったのだと聞かされた。
あの夜会で再開できたのは運命だと、レオナルドは言った。でも仮に、それが作られた運命だったとしたら?
ちょうどあの時、幼馴染みのアンドリューが朝早くにいつも頼んでいる商品を宿屋に届けてくれた。レオナルドと直接言葉を交わしたわけではないけれど、彼との面識は確かにあった。
両親を無くして身を寄せていた孤児院には、やたらと寄付が届いていた。それはルーシェを引き取った伯爵家がしてくれていたものだ。
近しい人がこうも次々と亡くなっているのに、ルーシェの義理の家族は今も健在だ。もしそれが、レオナルドがルーシェを夜会に招くための協力者だったからだとしたら?
──確かめよう。
そう思っても、王妃教育を受けているルーシェは勝手に城から出ることを許されていない。そこで手紙を書いた。久しぶりにお父様とお母様、お兄様に会いたいですと、向こうからこちらへ足を運んでもらえるように。
しかし、待てど暮らせど返事は一向に届かない。社交界にも姿を現さず、連絡がつかなかった。何かあったのかと心配して、頼りたくなかったがルーシェはレオナルドに話した。家族と連絡がつかなくて心配だと。
相談してから数日後、開かれた夜会に義理兄のラインハルトが参加していた。しかしそのあまりの変わりように、驚きが隠せなかった。目の下には酷い隈があり、頬はやせこけ目は血走り、見るからに具合が悪そうだった。
「お願いだ、ルーシェ。俺を兄だと慕ってくれるならばこれ以上、殿下に余計なお願いをしないでくれ。殿下以外の名を口にしないでくれ。でないと俺達は……」
「そこで、何の話をしているんだ?」
「レオナルド様、兄様にご挨拶をしていましたの。久しぶりに会えて嬉くって」
「そうか。楽しんでいる所申し訳ないが、そろそろ時間だ。戻るぞ、ルーシェ」
「はい、レオナルド様」
差し出された腕に自分の手を絡め、ルーシェは後ろを振り返る。
「兄様、是非またいらして下さいね」
「あ、ああ。ルーシェ、元気でな」
その時の言葉が、ルーシェがラインハルトと交わした最期の言葉となった。領土に戻る途中、不慮の馬車転落事故によりラインハルトは帰らぬ人となったから。
訃報の知らせを聞いた時、ルーシェはもう、レオナルドの事が信じられなくなっていた。盗み見た彼の手帳に、新たな名前が刻まれていたからだ。それは、ルーシェが慕っていた義理の兄ラインハルトの名前だった。
これ以上、見過ごすことは出来なかった。もし仮説が本当だとしたら、こんな恐ろしい人の元へは居られない。
万一の時は、彼を殺して自分も死のう。それで亡くなった人達に報いる事が出来るわけではないけれど、それくらいしないと、とてもじゃないが正気で居られなかった。
ルーシェは手帳の件をレオナルドに問いただした。何故この手帳に、自分が懇意にしていた方達の名前が書き記されているのか、そしてばつ線で消されているのか。
すると彼はこう言った。
「お前を悩ませた彼等が、邪魔だった」と。
思い起こせば、皆が不慮の事故にあったのは決まってルーシェがその人自身に対して悩みを抱えている時だった。アンドリューが事故に遭う前は、些細な事で小さな喧嘩をした。宿屋の経営が苦しい事で、本当の両親はよく言い争いをしていて、それを聞くのが辛かった。しかし、アンドリューともその後は仲直りしたし、両親だって、共に頑張ろうと仲直りをしてくれた。
悩んだのはほんの少しだ。たったそれだけの理由で簡単に人の命を殺めてしまうなんて。ルーシェには、レオナルドの考えが理解出来なかった。
再会したのは運命でも何でもない。
初めから仕組まれた事だったのだ。あの日、彼が宿を訪れた時から、緻密に積み重ねられた偶然を装った必然。
わざと孤立した状況を作らせ、それを徹底的に守り抜く。退路を塞がれ囲い込まれている事に気付かずに、ルーシェは最初から狂愛王子に囚われていた。
そのせいで、多くの人が犠牲になった。そんなつまらない理由であまりにも多くの命が犠牲になりすぎた。
こんな危険な人を生かしておいてはいけない。ルーシェは懐に隠しておいたナイフを取り出し、レオナルドへ向ける。
「貴方を殺して、私も死にます。どうか一緒に、罪を償って下さい」
レオナルドは逃げも隠れもしなかった。怒ることも、嘆くこともない。ただ嬉しそうに笑い声をあげた。
「ルーシェ、お前と一緒に死ねるなら、お前が俺の命を奪ってくれるなら、それは願っても無い幸福だ」
理解、出来なかった。罰を与えるために、共に死のうとしたのに、それが幸福だなどと喜ばれ、それでは意味がない。罰になどなり得ない。
「何故、そのような事を仰るのですか?」
「お前だけが俺に優しくしてくれた。ぬくもりを教えてくれた。俺はもう、お前なしでは生きられない。お前が死を望むのならば、俺も喜んで付き添おう。お前が俺を殺したいのならば、永遠にお前の中で眠るとしよう」
狂っている。どうしようもないくらいに、狂っている。けれどここまで狂わせてしまったのは自分なのだと、ルーシェは後悔の念に苛まれる。
逃げるのは簡単だ。このナイフで今すぐ自分の心臓でも腹でも突き刺せばいい。だがそれではすぐに追ってくるだろう。それでは意味がない。
もっと罰を与えなければ、死ぬより苦しい罰を与えなければ、犠牲になった人達があまりにも報われない。
そこでルーシェは悟った。一緒に死ぬから駄目なのだと。この人に罰を与えるには生き地獄を味わわせるしかないと。ナイフを捨て、ルーシェはレオナルドの胸に飛び込んだ。
「レオナルド様、共に生きましょう。貴方の犯した罪も罰も、私が共に背負います。だからもうこれ以上、その手を血で染めないで下さい。他の方に気持ちを割く時間があるなら、その分私を愛して下さい。約束して下さいますか?」
「……分かった。約束しよう。この両手はお前を抱き締めるためにあるからな」
宝物に触れるように、大事に愛おしそうに、レオナルドはルーシェの身体を抱き締め返す。
「愛しています、レオナルド様」
「俺もだ、ルーシェ」
──もっと、もっと深く、私に溺れればいい。そうすればするほど、貴方に与える罰が重くなるから。
復讐を誓って、ルーシェはレオナルドとの時間を前より一層大事にするようになった。
毎晩飽きもせずに囁かれる愛の言葉に恥ずかしがるフリをして、贈られてくる無駄に高価なプレゼントに喜ぶフリをして、レオナルドを喜ばせることだけに努める。本来の感情を圧し殺して、ただひたすら下準備を整えて復讐の時を待つ。
幸せの絶頂である結婚式──それが、レオナルドを断罪させる作戦決行の時だ。
下準備の中でルーシェがまず行ったのは、レオナルドの意識改革だった。もう少し市民の生活に寄り添った政治をするよう、少しずつ訴えた。ルーシェの言葉にだけは、レオナルドは耳を傾ける。それを利用して、「明日のご飯に困ることもなく、誰もが当たり前のように朝を迎えられて、笑顔が絶えない平和な国」が自分の理想とする国である事を刷り込んでいった。レオナルドはルーシェの願いを叶えるべく、日々邁進していた。
◇
「ルーシェ!」
振り返ると、息を切らして駆け寄ってくるレオナルドの姿があった。凱旋から帰って来たばかりなのか、身に付けた漆黒の鎧には所々傷がついている。
「レオナルド様! いつお帰りになられたのですか?」
「先程戻ってきたばかりだ。一番にお前の顔を見たくてな」
「お怪我はありませんか? 私もずっと、レオナルド様にお会いしたかったです」
レオナルドが怪我をしていないか確認した後、ルーシェはその身体を抱き締める。それに応えるように、レオナルドはルーシェを自身の腕の中へ閉じ込めた。
「どこへ向かっていたのだ?」
「大聖堂です。本日のお祈りを捧げに行こうと思っていました。カルメリア神が、レオナルド様の御身を守ってくださるように。私に出来るのは、それくらいしかありませんから……」
オベリスク王国では、カルメリア神が広く信仰されており、時折神託によって国の行く末が啓示される。その神託は王族と言えど無視できない程の権力があり、人々はカルメリア神に深い信仰心を持っている。
「ルーシェ、自分を卑下するな。お前は俺の心の安寧だ。お前の存在があるから俺は、頑張れるのだ」
「私は不安なのです。上に立つ方には、どうしても危険が付きまといます。レオナルド様が無事に帰って来てくれるのか、いつも不安で仕方ないのです。貴方が居ない世界を想像するだけで、胸が張り裂けそうになって苦しいのです」
病に伏せている父王に代わり、王太子として国を統治しているのは実質的にレオナルドだ。時には近隣諸国との小競り合いを沈静化させるために自ら指揮を執って現地に赴き、提案される議題全てに目を通してその是非を決め、執り行われる式典や祭典の準備など、その仕事は多岐にわたるため、多忙な日々を送っていた。それでも、弱音ひとつ吐くことなく、レオナルドは歩みを止めなかった。
即位して王となればその権限を持って、すぐにでもルーシェを正妻として迎え入れる事が出来る。そのために必要なものは、王としての器を民に認めてもらうことだった。ルーシェの理想とする国の王となるべく、レオナルドは日々の執務をこなしていた。
「だったら俺は、お前より先には絶対に死なない。最期のその瞬間まで、必ず傍に居ると誓おう」
「絶対ですよ」
「ああ、約束だ」
ルーシェの手を取ったレオナルドは、手の甲にそっと誓いのキスを落とす。騎士が姫に忠誠を誓うかのように。
「レオナルド様。もし私が死んだら、花を一輪植えて可愛がって頂けませんか?」
「何故だ?」
「私は、レオナルド様の作り上げてきたこの国が大好きです。この美しい景色が大好きです。だから立派に国を統治して、守ってほしいのです。後追いなんて許しません。そのお花を私だと思って、どうか可愛がって下さい」
「……それが、お前の望みなのか?」
「はい。レオナルド様がきちんと役目を全うしたら、必ず迎えにいきますから」
「分かった、約束しよう。お前が好きなこの国を、景色を、必ず守ることを」
「ええ、約束です」
少しずつ、少しずつ。言葉の呪詛をかけて、ルーシェはレオナルドが自ら命を絶てないよう約束を積み上げていった。王となるべき者としての責任や覚悟を芽生えさせ、自分の理想とする国の王は、レオナルドにしかなり得ないのだと。
その後王位を継承したレオナルドは、正式にオベリスク王国の王となった。そして、ルーシェを正妻として迎えるべく結婚式が執り行われる事となる。
そうして遂に迎えた結婚式前日の深夜、ルーシェは大聖堂の一番奥、神の間と呼ばれる神託がおりる場所へ侵入し、復讐のための最後の下準備をした。毎日のように大聖堂に通ったのは、レオナルドの無事を祈るためではない。オベリスク正教会の最高権力者である教皇と仲良くなり、情報を聞き出し、この時に備えるためだった。
◇
「綺麗だ、ルーシェ。心の底から、お前を愛している」
誰もが見惚れるような綺麗な笑みを浮かべて、甘言を吐くのはこの国の国王陛下レオナルド。純白のタキシードに身を包み、花嫁であるルーシェの細い腰を抱いて、誓いのキスを交わす。
元は平民の伯爵令嬢(養子)であるルーシェが彼の隣りに並ぶのは、実に分不相応な事だった。それを即位したレオナルドの権力により無理やり黙らせた。
そのため、結婚式を建前上祝いに来た貴族達は、とても白けた顔でこちらを見ている。
僻み、嫉み、嫌悪。
様々な負の感情を向けられて、居心地が悪いルーシェだが、その時間もすぐに終わる事が分かっていた。
大聖堂の大扉が派手な音を立てて開かれる。なだれ込んでくる教会騎士がその場を瞬時に制圧し、後方から現れたのは教皇のベルクールだった。
「直ちにその偽物を引っ捕らえよ! 神を欺き、国王陛下を謀った罪、よもや万死に値する!」
ベルクールが権杖の先をルーシェに向けて叫ぶ。その声に応じて教会騎士が、レオナルドからルーシェを引き離し拘束する。
「何事だ?! ルーシェから、その汚い手を離せ!」
「正式な神託がおりました。レオナルド国王陛下、貴方の正式な花嫁はランドール公爵のご息女、マリアンナ様です」
「嘘だ、そんな事はない! 神託はルーシェを選んだ。いくら教皇と言えど、虚言を吐く事は許さんぞ!」
レオナルドを飼い慣らせるのは、ルーシェしかいない。その事はカルメリア神も分かっていたのか、神託が選んだ未来の王妃は確かにルーシェだった。
しかし結婚式前夜、ルーシェは偽の神託を書き記した。「富をもたらす次期母なる王は、ランドール公爵家のマリアンナである。庶子の娘は神を王をも謀った罪人」だと。
「これを、ご覧下さい」
神託の記された羊皮紙を、ベルクールはレオナルドへ差し出す。それに目を通したレオナルドは「違う、この神託は間違いだ! そんなはずはない!」と必死に主張するも、神託には逆らえない。ルーシェは、そのまま地下廊へと連行された。
どうすればこの悪魔のような男を断罪出来るのか。あの手帳を見つけて真実を知ったあの日から、ずっとそればかりを考えていた。
生きている限りそれが無理だと判断したルーシェは、自身の存在をかけて復讐する事にした。
愛してやまない花嫁が、力及ばず目の前で処刑される。いくつにも重ねた約束が、レオナルドを後追いするのを許さない。絶望の中で、一生苦しんで罪を償ってもらう。それしか、この男を断罪させる手段が思いつかなかった。
◇
レオナルドとルーシェの結婚記念日となるはずだった日の翌日、神託により罪人と認められたルーシェの死刑が執行された。その亡骸を、レオナルドは決して誰にも触れさせなかった。
深い失意の中で、レオナルドはルーシェと交わした約束を一つずつ確実に叶えていった。
庭に一輪の薔薇を植え、自ら毎日世話をし大事に育て、枯れたらその種をまた植えて、少しずつ少しずつ、増やしていった。
ルーシェが大好きだと言った国を、景色を守るために尽力し、オベリスク王国はめざましい発展を遂げ、大国と呼ばれるほど立派になった。レオナルドは民から英雄王と慕われ、長きにわたって平和な治世が保たれた。
この国が私の妃であると主張し独身を貫いたレオナルドはその後、王位を弟へと譲り退位した。その頃には、庭園には溢れんばかりの薔薇の花が咲き乱れていた。
年を取って足腰が弱り、握力が衰えても、レオナルドは一日たりともその庭園の世話を欠かさなかった。一輪一輪に愛情を込めて、大切に育てていた。そうして最期の時まで薔薇達に囲まれて、生涯を閉じた。とても穏やかな顔をして眠りについた英雄王の口元からは、幸せそうな笑みがこぼれていた。
──お迎えに上がりました、レオナルド様。貴方の犯した罪も、罰も、これだけで許されるわけではありません。なのでこれからは私と共に、地獄で償っていきましょう。
──ルーシェ、お前と共に居られるのなら、たとえ地獄だろうが俺にとっては楽園だ。
約束通り、ルーシェはレオナルドを迎えに行った。約束の一つでも反故にしていたら、行かないつもりだった。だが悔しい限りに全てを果たしたレオナルドの姿を見守ってきて、ルーシェはやっと自分の気持ちを理解した。そして、レオナルドの抱えていた想いも。
──私もです、レオナルド様。たとえ地獄から出れずとも、貴方の隣が私にとっての、唯一の楽園です。だからずっと、そのお心は返して差し上げません。
こうして、狂愛王子に囚われていた少女は、逆にその心を捉え返して復讐を遂げた。
──貴方の犯した罪も全て、今はただ愛おしいと思ってしまう狂った女に捕らえられて、レオナルド様はとても可哀想なお方ですね。
──フッ、何を言う。俺にとっては願っても無い幸運だな。
ただしそれは狂愛王子にとって、ただの御褒美にしかならなかった……のかもしれない。
狂愛王子に囚われた少女の、強かなる復讐譚 完
ご拝読いただきありがとうございます!
所謂、メリーバッドエンドと言われる部類に入るのかなーと思いつつ、あの二人が本当の意味で結ばれるには、それだけのけじめと時間が必要だったと思っております。
補足として、ルーシェが地獄に落とされる罪状は「神託を欺いたこと」です。レオナルドが地獄に落とされる罪状は言わずもがな「度を越えた処刑をやりすぎたこと」です。
シンデレラストーリーの覗いてはいけない裏側をコンセプトに、ヤンデレが究極進化したらどうなるんだろう……って、疑問から生まれた作品です。
当初は、ルーシェが最後までレオナルドを欺き処刑されたとみせかけて、奇跡の生還を果たした協力者アンドリューとともに幸せになる──はずだったんですが、どうしてこうなったのか……( ̄▽ ̄;)
悪役を悪役にしきれない、悪い癖が出てしまったようです。
何はともあれ、このお話をずーっと書きたくて、隙間時間にちょこちょこ書き足しながら、やっと完成まで持ってこれました。
人を選ぶ作品だとは思いますが、ブクマや評価をいれて頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします<(_ _*)>