静謐の匣
とても。
とても重い。
その重い重い物体を、私は押し退けながら前へと進む。
宛てはない。
押し退けても押し退けてもそれは私に圧し掛かってくるし、進んでも進んでも私はここから出られないのだから――馬鹿らしくなる。
ここは――この部屋はそんなに広くない。
否、私独りが生活するための部屋なのだから、用途と広さの点から見れば、広いのだろう。それでも、私はおそらくここで一生を終えるのだ。ならば一つの人生を歩んで終える土地としては、狭い。
その狭い所を私は、目が覚めてから眠るまでずっと、毎日ぐるぐると歩き廻る。
そうでもしなくては気が狂いそうになるのだ。
兎に角気を紛らわせたい。
何かに集中したい。
だから私は進むのだ。
別に、死ぬほど寒いだとか発狂するほど熱いだとか――そう云う事ではない。
視線が――。
女の、視線が気になるのだ。
いつもいつも私をじっと見ている女。
女というよりは、少女と言った方が近いかもしれない。
年の頃はよく判らない。
彼女はいつも一定の距離を置いて私を眺めている。
――気持ち悪い。
じっとあの女の視線に曝されているだなんて、私には耐えられない。
今だって。
今だって気持が悪くて仕方がない。
だから私はせめて動いてみたのだが、全くの無意味ということは端から判っている。
それでも、何もしないよりはましだ。
あの女は、偶に私に向って何か言葉を発する。
何を言われているのか――。
聞き取れないのではない。
言葉が通じないのだ。
意味が汲み取れないのだ。
あの女が私に向って発する言葉は――怖い。
暴言か。呪詛か。
蔑みの言葉か。嘲りの文句か。
私は方向を変えようと首を曲げる。
曲げた瞬間――。
ぎくりとした。
目が合った。
嗤っている。
唇がもぞもぞと蠢いている。
何を、言っているのだ。
――やめろ。
頭の中が真っ白になる。
肩が重い。
呼吸が苦しい。
怒りで身体が熱い。
壁の向こう側で女が。
うるさい。
こわいよ。
女が。私は――。
「黙れッ」
叫んだ途端に気泡で前が見えなくなって、私は死んだ。