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異世界への大いなる第二歩

 俺は愕然とした。

 この世界に飛ばされて最初に月を見たとき、だいたい真上の位置にあった。

 今見直すと、ほんのちょっとだけ傾いていた。

 つまり、地球基準で考えた場合、俺が首輪の責め苦を受けていた時間は数時間もないということだ。

 何日にも何か月にも感じたのに、実際は体感の数分の一だったということか。

 あれほどまで時間が長く感じたのは、映画を見始めた瞬間おしっこがしたくなった時か、腹痛を我慢して家に帰ったら誰かがトイレに入っていた時ぐらいか。

 尾籠な話はおいといて、逆に考えよう。たった数時間そこらで首輪の仕組みを紐解いたんだ。

 凡人ならいまだにもがき苦しんでいたであろう。俺だからできたんだ、そうだ、そうだ。


 さて、首輪の仕組みという直近のハードルを飛び越えたところで、次のハードルが見えてきたわけだが……ここは一体どこなんだ? ほかに人はいないのか?

 やっぱり人っ子一人いない、何もない地獄なんじゃないか、と不安が頭をよぎるが、心の弱さに負けてはいけない。希望をしかと持てば、必ず何か見えてくるものだ。

 探してみよう。なんでもいいから人の痕跡を見つけたい。この世に自分独りじゃない根拠がほしい。

 素人が夜の森を歩き回るのは危険だといわれるが、暗闇の中で独りのままだと心が駄目になってしまいそうだ。

 じっとしていたら視界が黒色に支配されて身も心も縮み上がって、しまいには闇に溶けて消えてしまいそうになる。

 どーせ、自分が今どこにいるかも全く分かっていないんだ。むやみに動いたところで、これ以上悪い状況にはならないだろう。恐怖に駆られる形ではあるが、前に進もうとする意志は悪くないはずだ。

 幸いなことに食糧兼精神安定剤のピーターハーンは無限にある。心が折れそうになったら、遠足気分でポイと口に放り込んで、鼻歌でも歌えばいい。

 よし、行こう。景気づけに口いっぱいにピーターハーンをほうばる。

 途端、おいしさのあまり多幸感に包まれ、足取りが軽くなる。心を覆っていた暗い雲もさっぱりと晴れた。

 頭の周りに七色の音符や蝶々の幻影が飛び回り、朗らかに森の中を闊歩する。ピーターハーンがあれば何も怖くない。ピーターハーン万能。

 何かの鳴き声がするたびに一つ。

 悲鳴のような風鳴りが聞こえるたびに一つ。

 視線を感じるたび、跡をつけられている気がするたび、背中を触られた気がするたび、枝垂れた木が手招きしているたび、光る目のようなものが見えるたび、不安や恐怖を煽られるたびにぽいぽいと口に放り込んでいく。

 軽快な歯ごたえが軽快な足取りを生み、ずんずんと森の中を進んでいく。

 ピーターハーンがいてくれて本当によかった。こんなとこ一人では到底歩き続けられなかった。

 前世でもストレス社会からの逃避でお世話になったピーターハーン。現世もよろしく頼むよ。君さえいてくれれば俺はどんな障害とも対峙できる。

 ピーターハーンに熱い口づけを交わして口に運ぶ。ふふふ、一生離さないからね。大好きだよ。

 そんな調子でどれくらい歩いただろうか。

 月は歩き出す前に見た位置から大して動いていないような……疲労度から推測するに3時間ぐらいは歩いた感じがするのに……たぶん、おそらく。この世界の月はあんまり動かないのかもね。

 ただ、木々の茂り具合が最初に出現した場所よりも低くまばらになった気がする。森林を散策したことほとんどないのでよくわからないが、これは良い兆候だと思う。

 森の端が近付いてるのではないか。つまり、人の生息域に近づいたのではないか。人に会えるのではないか。

 希望的観測が次から次へと沸き起こり、疲れていた足にも力が戻る。

 よしよし、もうひと踏ん張り行こうと、踏み出した俺に、突如、不測の事態が襲う。


「う、うぷっす……げふぅ……うっぷっぷぅ……」


 満腹感。もう食えません。

 恐怖や不安といった感情は無限のように押し寄せるがピーターハーンを収納する肝心の胃袋は有限なのだ。詰め込めるだけ詰め込んで、パンパンに膨らんだこの腹を小枝にでもひっかけようものなら、途端に破裂して臓物をぶちまけることになるかもしれない。

 食いすぎの気持ち悪さと暗闇の恐怖、歩き食いによる片腹の痛み等々の何重苦に苛まれながらも、それでも歩くことは止めない。というより止まれない。

 止まってしまえば、本当に終わってしまいそうな気がする。自分のすぐ後ろまで何かが迫っていて、一瞬でも止まってしまえば、その何かに飲み込まれてしまいそうなのだ。

 何か、なんていないと分かっている。自分の不安や恐怖が生んだまやかしに過ぎないと分かっている。後ろを振り返って、ほらやっぱり何もいないじゃん、と自分に言ってやりたいが、もし、本当に何かがいたらと思うと振り返ることができない。

 結局どれだけ辛くても恐怖心に突き動かされて歩き続けるしかない。

 微かな月明かりを頼りに、苦しくても脂汗を拭き、あと一歩あと一歩進めば希望が見えてくると信じて進むしかないんだ。

 そう信じて進めば、ほうら明かりが見えてくる……って、う、うん……あれ?

 目をこすり、何度も瞬きをしてみても、見える。幻覚ではない、いや、この際幻覚でもいい。

 暗闇の奥にぼんやりとした明かり。希望の光だ。

 やっと見つけた! 

 やっぱりほかにも人間はいたんだ! 

 諦めなければ必ず報われるんだ!

 逸る気持ちに乗せられて歩みも速く。藪をかき分け、足がもつれて転げて、傷だらけになってもがむしゃらに光を目指す。

 腹を傷つけないように気を付けろって?

 人間破裂なんてするわけないだろう。コメディじゃあるまいし。

 痛みも苦しみも恐怖からも一時解放され、ひた走る。

 話し声が聞こえる。もうすぐだ。さぁ、異世界人よ、姿を見せておくれ。

 どんな人間でもいいから会いたい。その一心で俺は藪から飛び出した。


 ――しばし、互いに目を丸くしていた。異世界人は人気のない森から人間が飛び出してきたことに。

 俺は想像していた温かな光景とは少しばかり遠いことに。

 焚火を囲むようにして、無骨な男たちが10人ほど。各々手にはきらりと光る物騒なものを。

 これはあかんやつや。関わったらあかんやつや。もれなく人相が悪すぎるんや。


「なんだオメーはよぉ!」

「何しに来たぁ!」

「何とか言えやぁ!」


 驚きもそこそこに口々に怒声を飛ばしてくる無頼漢のみなさん。

 もうね、初対面相手に威嚇かましてくるなんて普通有り得ないでしょ。良識疑うよ。効果抜群だよ。足震えちゃってるよ。立ってるのがやっとだよ。喉がきゅってなって声が出せないよ。涙目だよ、こっちは。

 でも勢いに負けちゃ駄目だ。最初にマウントを取られてはいけないんだ。しっかり言い返してやらなければ。


「いや、おれ……僕は、えーっと……ちょっと、道に迷っちゃって……えへへ……」


 う、うん。互いに怒鳴りあっても、何も解決しないじゃん?

 まずは愛想笑いでもしとくのがベストだろう。そこから徐々に距離を縮めていこう。良識のある大人ならちゃんと話し合えば分かり合える。


「なーに笑ってんだぁコラァ!」


 なんですぐ怒鳴るの。沸点低すぎ、ドライアイスかよ。

 だが、俺はそんな安い挑発には乗らないぞ、根気強く交流を試みる。


「あ、あの、ほらお腹すいてないですか? よ、よければおひとついかがですか?」


 すっとピーターハーンを袋からひとつ差し出す。もしかしたら彼らはひもじい思いをしているから苛立っているのかもしれない。空腹が争いを生むのはままあることだ。

 それに共飲共食すれば、互いに分かり合え、ひいては朋友となれることだってあるだろう。


「んだ、おら、なめてっとこおぎれずんどぉ、あぁん、おお!!」

「てぇめ、ぼうぼって、はいばぁけずみってさきさきっすぞ!!」


 そんなことはなかった。

 武器を構え喚き散らしてくる。良識なんてなかった。

 もう何言ってるかすらわからん。ただ罵倒されたことだけは分かる。思わずビクついてつまんでいたピーターハーンを落としてしまった。

 もういい……こんなやつらと仲良くするなんてこっちだって勘弁だ。

 紳士の時間はもう終わりだ。ついに温厚な俺もキレちまったわ。人の好意を無下に踏みにじった挙句、ピーターハーンを無駄にするとは。ごめんよピーターハーン。

 状況を再確認する。

 相手はひうふうみい……12人。皆が皆血走った眼を見開いて、我を忘れて昂っている様子。

 彼らの奥には乗ってきたであろう馬が数頭と幌馬車がある。

 馬車があるということはそれなりの道が近くにあるのか?

 もしそうならその道に出れば、ほかの人に会えるかも。それで助けてもらって……いやいや、夜に善良な人と出会えるのか。そもそも、彼らから逃げ切れるのか。馬を使って追いかけられたら、数秒とかからず捕らえられるだろう。

 じゃあ、馬を盗んで?

 いやいや、馬乗ったことないし、幌馬車の中にもまだ敵が控えていたら?

 ならば森に逃げ帰るか。一度来た道だ。少しはスムーズに逃げれるのでは?

 いや、森でも逃げ切れる保証はない。相手は野生児がそのまま大きくなったような風体のやつらばっかりだ。現代っ子の俺が敵うのか……無理。

 逃げるという選択肢はほぼ潰えた。

 戦う……なんてのは論外。現代っ子以下略。

 ならばどうするか……どうするもこうするもない。最初から道は一つ。

 おとなしく降参するのだ。

 相手が戦意を喪失するぐらい下手に出れば、無用な争いは避けられるはず。剣呑な雰囲気が収まったら不意を突くなり逃げるなりすればいい。力で敵わないのなら脳みそで戦え。英知の力は何ものにも勝る。

 心の師と仰ぐガンジーの信念に従い、非暴力を体現するのだ。不服従はちょっと隅の棚に上げておく。

 そうと決めたら行動は素早く。

 俺はにわかに飛び上がり、空中で両足をたたみ、腰を曲げ、両手をピンと伸ばす。野郎どもが俺の突飛な行動にざわめき立つも、気にしない。

 空中で変形を終えた俺はそのままの姿勢で地面に着地。あまりの勢いで土埃が舞い上がり、俺を包み隠す。

 決まった。完全に決まってしまった。

 土埃が舞う中から俺はその姿を現す。

 10点満点の土下座。五体投地の体現。これぞ必勝の方程式。

 なんだなんだと変に警戒する周囲をよそに、小者感をアピールし続ける。


「すいやせん! すいやせんっした! 悪気はないんすよ、ほんっとすいやせん、カンベンしてつかっせぇ!」


 穴が掘れそうなほど強く頭を地面に擦りつける。この時唇を食むように口の内側にしまい、目はぎゅっと閉じ、鼻から強く息を吐くと目鼻口に土が入ってこないぞ、これマメな。

 逆に口を半開きにして鼻と口で息を吐くと唾液と土がいい感じに混ざったものが口周りにこびりつくので、より雑魚キャラっぽくなるぞ。ただし、不快感とトレードオフ。

 土被りもそこそこに相手の顔色を窺うと同時に自らの汚れた顔を見せつける。

 どうだ、俺はツラをこんなに汚すことも厭わないプライドゼロの男だぞ、と。あんたたちがいちいち手を下す価値もない男だぞ、と。

 さあ、笑うがいい。そして、荒事はやめてくだせぇ!!


「「「あっっはっはっは!!」」」


 周囲からどっと下品な笑い声が沸き上がる。

 ――決まったな。こいつらは俺の思惑通り、俺を小心者のクソザコと勘違いしている。


「いいぞ、もっとやれ!」

「次は犬の真似でもしてみろよ!」


 手を打ち、囃し立てる阿呆共。

 いいだろう、今は道化を演じてやる。存分に笑って気持ちよくなるがいい。そのうち油断して隙を見せた時……覚悟しとけ。

 リクエストに応えて犬の真似。自分の尻尾を追いかけまわして目を回す。続いて、ビッタビッタと釣り上げられた魚の真似。お次は生まれたての子鹿……あぁ、自己の尊厳がガリガリ削れる音がする……。


「本日はこれにて終了とさせていただきます」


 最後にお辞儀をして久太郎ショーは閉演した。

 夜の森に拍手と指笛が響き渡る。エンターテインナーにとっての御褒美である。


「では、宴もたけなわ、わたくしはこのへんでお暇させていただきます」


 揉み手で後ずさり。場が冷めぬうちに気付かれないよう逃げ出そう。

 舞台の演者がはける要領で、森の暗がりに紛れていく。


「そうはいかねぇな」


 がっちり肩を掴まれてしまった。

 あれ、頭領いつの間に俺の背後に。さっきまで最前列ど真ん中で観てたのに。


「楽しませてくれたお礼だ、命までは取らねえよ。身ぐるみ剥いで奴隷行きだ」

「いや、えと、あの、その……」


 逃げ道を絶たれ、絶対絶命の状況に何か言わなければと口を動かすも声が出ない。

 何もできず小さくなって震えていると、ついに下卑た笑いを浮かべた男たちが群がるように襲い掛かってきた。


「きゃーやめてー乱暴しないで!」


 男たちがくんずほぐれつ。ピーターハーンを奪われ、元々脱ぎ着しやすいスウェットなど瞬く間に剥ぎ取られ、パンツ一丁にされてしまう。


「よく見ると綺麗な首輪してるじゃねえか。それも寄越せ!」

「駄目! それだけはやめて!」


 あかん、あかんで、これははずそうとしたらあかんのや! また首がしまってしまう!!


「いや、触らないで! これは呪いの首輪なの!」


 嘘ではない。俺にとっては呪いみたいなものだ。

 しかし、抵抗もむなしく、腕っぷし自慢の男たちに組み伏せられ、首輪に手をかけられた。


「何が呪いだ、諦めな……おりゃいくぜ!」

「いやあぁぁぁーーぐえぇぇ」


 首輪を外そうとしたことにより、輪が絞まり始めた。もう最悪だ。


「何だこの首輪……急に硬くなったぞ?」

「どした? とっととはずせはずせ」

「いらねぇなら俺が取っちまうぞ」

「いででで、指が挟まって、抜けねぇ!!」

「おい大丈夫か!? 何したんだおめぇ!」


 何が起きたか理解できず騒ぐ外野の阿呆共。こっちだって好きで首輪に絞められてるんじゃねぇ。忠告したのにお前たちが無理やり外そうとしたからだ。


「だから……呪いの首輪だって、言っただろ……ぐぷぷぷぅ……」


 何とかそれだけを言い残し、締め付けに抵抗することに全力になる。

 無駄だと分かっていても、体が勝手に自己防衛で動いてしまう。

 もがき苦しむ俺の異常さに気が付いたのか阿呆共も、掴んでいた首輪を、俺の体を離し、遠巻きに息をのんで見つめている。

 顔がうっ血で赤く染まっていき、目は白目をむき、口から泡を吹き出す。

 抵抗する力もだんだんと無くなり、最後、意識が闇の底へと落ちていった。



 ――頭領が言ったこと守って、命は助けてくれるといいなぁ…………。








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