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久太郎、異世界を知る2

 血の汚泥を踏み鳴らしてこちらに近づいてくる彼女。

 恐ろしさのあまり、喉が痛くなるぐらい大きな唾を飲み込んだ。


「お前もこいつらの仲間か?」


 滅相もございません、と全力で頭を振る。口枷されて手を縛られてるやつが仲間なわけないでしょう、と見せつける。

 しばしこちらを見続けた後、手に持っていた鈍器を放り捨てた。

 やった、これで殺されずに済むと喜んだのも束の間、腰からナイフを取り出し、再度こちらに近づいてきた。

 ナイフが俺の眼前に迫り、今度こそ万事休す。逢坂 久太郎ここに没す。全くもって散々なセカンドライフでした!

『異世界に胸躍らせて飛び込んで、未練残していざ逝かん、儚く散りゆくこの命かな』、と辞世の句を詠んで、死を覚悟して肉体のくびきから解放され……ず。口枷、手枷から解放された。

 自由になった口で存分に呼吸して、楽になった手を動かす。

 助かったんだ、と遅れて実感した。


「ありあとぉ……ありがとうーー!!」


 助けてくれた彼女の足にすがりついて泣いた。


「ちょ、ちょっとなになに、キモッ!」


「あ゛り゛か゛と゛゛う……えぐっ……あ゛り゛か゛と゛゛うぅぅ……ぐずずっ」


 無様にむせび泣く。人に見られてようが知るもんか。もう本当に駄目だと思ったんだ。助かった。夢じゃない。安心感がとめどなくあふれてきて、それが涙として流れていく。


「もうっ、そういうのは勝手に一人でしてくんない? そんなことより聞きたいことあるんだけど」


 イライラした様子で、落ち着きなく頭をばりばり掻きむしる彼女。


「ぐすっずずぅ……へい、なんなりと聞いてくだせぇ」


 俺に分かることならなんでも答えよう。なんたって命の恩人なんだから。


「酒、どっかにない?」


 あーあ……これだからアル中は……俺の中の安堵感や感謝の気持ちが急激に薄れていく。ゲロから酒の臭いがしたあたりからなんとなくおかしいと思っていたんだ。

 アル中はこの世で最も酷い生き物だ。前世でどれほとアル中に苦しめられたことか。

 奴らはゾンビの如く酒を求めて徘徊し、うわばみの如く酒を飲み、どれだけ飲んでも足りぬ足りぬと喚き散らし、近くにいるもの悉くに無意味な話を繰り返し、急に静かになったと思えば、どこにそれだけの量が収まっていたのかと驚くほどにゲロをまき散らし、空いた腹にまた酒を流し込む。人への迷惑考えず、己の酒欲を満たすことだけに生きている。しかも、寝て起きれば当の本人は何も覚えておらず、再び酒を飲もうとする。本人はさぞ楽しいだろうが周りにいるものはゲロの処理をし、迷惑を代わりに謝り、手厚く介抱してやってもすべて忘れて、感謝の言葉もない。

 そんな唾棄すべき生き物に助けられてしまうとは……いや、前世でアル中を助けていたからこそ、その恩を今返されたというわけか……いやいやこの程度では足りぬ。一度ばかし助けただけで――。


「おい聞こえてんのか!」


 頭をコンコン、とノックされて我に返る。アル中への積もり積もった恨み辛みに心が支配されてしまうところだった。

 少しの時間も待ってられないアル中は胸倉を掴んで揺らし俺からの答えを催促してくる。


「あーあぁ、あそこらへんにあるんじゃない?」


 賊の荷物がまとめられている場所を指差す。酒があるかどうかなんて知らないし、あっても無くてもどうでもいい。アル中なんて放っておけばいい。関わっても良い事なんてないんだし。

 俺の言葉を真に受け彼女は俺をポイ捨て、賊の荷物を漁り始めた。

 命の恩人だろうが所詮はアル中。彼女を冷めた心で蔑む。

 心が冷めたせいで身体も冷めたのか身震いしてしまう。そういえば身ぐるみ剥がれてパンイチだった。

 あんまり気は進まないが寝っ転がっている賊から拝借するとしよう。

 だが、服を脱がそうとしたもののこれがなかなかに難しい。意識のない……死んでないよね……かすかに呼吸音するし……力の抜けた人間を動かすのがこんなに大変だとは。仕方がないのでマントのようなものだけを貰っておく。比較的血や泥の汚れていないものを選んだ。これでパンイチよりはましだろう。

 盗まれた俺のスウェットは勝手に着られた挙句、やぶれかぶれで見るも無残なものになっていた。部屋着として数年お世話になりました。合掌。

 身なりも整え、俺はやっと心に落ち着きを取り戻した。

 ――首輪が鳴る。

 なぜここにいるのか。なぜ転生したのか。何を為さねばならぬのか。それを俺に思い出させるために。

 どうして今まで失念していたんだ。俺は一人ではなかった。俺一人が助かっておしまい……じゃない。

 ジジ。彼女を助けなければ!!

 彼女が攫われていった建物へ目を凝らした。

 数メートル先にあるそれは古びた石造りの塔のようだ。ここからでは窓のような開口部に人影は見えず、何の音も聞こえてこない。

 アル中女が戦っていた音は中にいるであろう賊にも聞こえていたはずだ。それとも賊全員が外に出ていたのか?

 いや、最初に森で出会ったときより今ここに倒れている奴らは何人か少ない気がする。ここに来るまでに別れたのか、気のせいなのかもしれないが、楽観的に考えるのは良くない。

 落ちていた短剣を拾う。誰かの血に濡れたそれは包丁なんかとはまた違った重さだった。

 短剣を握りしめ、ジジを助けるために塔に向かおうとする……が、足が動かない。力が入らない。心臓が早鐘を打つ。めまいがする。視界が白ばむ。

 どうして、と自問するが、そんなものは愚問だ。先の体験――押さえつけられ俺を殺そうとナイフが近付いてくる――を心が、身体が覚えている。心に刻まれ今なお鮮明な記憶。怖かった。忘れられるわけがない。

 せっかく脱した状況に自らまた飛び込もうとしている。また殺されそうになるかも。今度は殺されてしまうかも。

 今さっきまで助けると意気込んでいた心はどこへ行ったのか。死を意識してしまった途端、考えたくもない嫌なことばかりが頭の中であふれてくる。

 ジジを助けた後のこと、ジジと話していたときのことを考えようとするも、うまく思い描けず黒いイメージに塗りつぶされていく。

 怖いなら、行かなければいい。じっとしていればいい。逃げればいい……。

 ――首輪が絞まる。

 わかってる! そんなことするつもりはない!!

 こみ上げる自己防衛という意気地なしを飲み込む。挫けそうな心に鞭打つ。

 やってやる。やってみなきゃ分からない。俺の力なんてちんけなものだけど、やってやる。やってやる。やってやる。俺一人でどうなるかなんて問題じゃない。やるっきゃないんだ。

 何度も何度も何度も意気込んだ。

 それなのに動こうとしない。

 大阪 久太郎はしなかった。動けなかった。


「よーう、何してんだお前……お前も飲むか?」


 ばしり、と背を叩かれ、足が前に数歩進んだ。

 目当ての酒が見つかって上機嫌で話しかけてくるアル中。

 ああ、うん、そうだ、そうだな……俺にはできない。俺には力はない。認めるよ。

 なら、できる人が、力ある人に頼めばいいじゃないか。

 本当に成したいこと守りたいことに対して恥とか見栄とか代償とか気にする必要はない。自分一人でできないことでも誰かなら、誰かと一緒なら、できる。

 差し出された酒を一口飲んだ。冷えていた身体が少し温かくなった気がした。


「あんた……貴方に頼みたいことがあるんです! あの中にジジが、女の子が捕まっているんです! 助けてください!」


「えぇ……なんだよ急に……」


 急な訴えにアル中は困惑しているが構わず続ける。


「あの塔に女の子が連れていかれたんです! 早く助けてあげないと! 俺一人ではどうしようもないので力を貸してほしいんです!」


「まーた面倒事かよ……こっちはゆっくり酒が飲みたいだけだから遠慮しとくー」


 つまらなそうに言い残して、賊の荷物漁りへと戻っていく。

 このアル中には善の心ないのか。困っている人がいたら助けるのが人情だろう。それを面倒だからと断るとは。

 でも、大丈夫。アル中の扱いには自信がある。かつてアル中をどれだけ捌いたことか。

 彼らは至極単純だ。


「囚われているのはエルフの王女様です。彼女を助けたら謝礼なんかもたんまり貰えるはずです。それでたくさんの酒が買えるでしょう」


 ケモノ耳がぴくりと動いた。


「それにエルフ独自のお酒も貰えるかもしれません」


 足早にこちらへと戻ってくる。


「……それ本当だろうな?」


 ちょいと欲を刺激してやれば、この通り。アル中ってのは幼稚園程度の脳みそしかないのでテキトーに餌をぶら下げてやればほいほい食いついてきてくれるのだ。


「もちろんですとも。それに俺からもお礼が……ちょっと待っててください」


 酒には肴が必要だろう。最適の物がある。

 目当てものを取りに、2匹の狼のところへ向かう。幸い、狼たちはピーターハーンを食べて腹がいっぱいになったのか、眠っているようだ。

 そろりそろりと起こさぬように近づいてピーターハーンを回収……あ、目が合っちゃった。君たち寝てなかったのね。


「あの、これ俺のなんだ。返してほしいんだ。別に奪おうってことじゃないよ。ほら、君たちにもちゃんとあげるから、ね?」


 警戒させないよう、四つん這いになって目線の高さを一緒にして、優しく言葉をかける。俺は敵じゃないんだよー襲わないでね、ね?

 お供え物のように彼らの前にピーターハーンをいくつか置いておく。

 言葉を理解してくれたのか、ピーターハーンに興味を失ったのか、狼たちは何事もなかったかのように再び目を閉じた。

 なんとかピーターハーンを取り戻したぞ。

 ほっと一息ついて袋についた狼の涎をマントで拭いながら、女性の元へと戻る。


「ほら、ジジを助けてくれたらこの摩訶不思議珍妙奇妙スーパーハイパーメガウルトラデリシャスな食べ物を好きなだけあげますよ!」


 ひとつ取り出して渡す。


「おぉ!! これ食べたかったんだよなー……ん、もぐもぐ……お前のものだったのか?」


「え、食べたことあるの!?」


「さっき森の中で落ちてたの見つけてさー、ゼヴとループスが旨そうに食うからアタシも食べたら旨いのなんのって……んで、もっと食うために痕跡追っかけてここまで来たんだよねー」


 そういや、ピーターハーンがどれだけ出てくるか試したり、森の中でもずっと食べてたなぁ。あぁ、賊も移動中食べてたようだし。俺の助けを呼ぶ声ではなく、まさかピーターハーンに救われていたとは。ありがたやありがたや。ピーターハーン様様。これからは毎日感謝しながらいただくことにしよう。


 ピーターハーンの余韻で酒を流し込んだ彼女が、ん、と手を出してお代わりを催促してくる。


「あげたらちゃんとジジを助けてくれますよね?」


「うん? あぁ、わーったわーった助ける助けるって。だから、もっともっと」


「絶対ですよ? ぜーったい、ですよ?」


 しっかり念を押しておかないと。アル中ってのは忘れっぽいからな。言質を取ったところで自分が満足したら、すべてを放棄して眠ってしまうことがよくある。


「まかせとけまかせとけ。」


 そのテキトーな物言いに不安を拭えないが今はこの人に頼るしかない。


「はい、どーぞ」


「んもんも……ごくごく……もいっこ」


「はい」


「んまんま、ぷはぁ……もいっこ」


「……はい」


「もっちゃもっちゃ……もいっこ」


「はよ行け! 人の命がかかってんだぞ!!」


「んだよ、大声出すなよ頭に響くだろがよぉ……はいはい行くよ行きますよっ……たくっ……」


 手に付いたピーターハーンの粉を名残惜しそうに舐めとり、乱雑に手を拭うと、渋々武器を拾い上げ、塔に向かっていった。

 まったく……ケツを叩かなきゃずっと飲み食いし続ける気だったんじゃないのか、あいつ。そもそもピーターハーンは助けたお礼で渡すって話だったのに。やっぱり、アル中ってのは面倒な生き物だ。

 ともかく、やっと動き出したので、俺も後に続く。全て他人任せは無責任すぎる。危険だが俺も行かなければ。それに力があっても頭が回らないアル中だけじゃジジを助け出せるかどうか怪しい。

 先行くアル中が短く歯笛を吹くと、音もなく狼たちがすり寄って来た。


「あの中にいるエルフの女の子を助けるからそれ以外は全部やっちゃっていいよ」


 心強い仲間? が増えた。これなら俺は戦わなくていいかもしれない。避けれる危険はやっぱり避けたい。

 なので、狼に先を譲り、最後尾を付いていく。

 塔の入り口まで着くも、窓や狭間に人影は見えない。話し声や雑音も聞こえない。ただ、内側からほのかな明かりが漏れているので誰かしらいるはずだ。

 アル中が木製の扉の前に立つ。狼はその両脇に控えている。

 いよいよだと覚悟を決める。大丈夫だ。こっちには頼もしいやつらばかりだ。

 大きく息を吸い込んだアル中が、どっせーい、と騒がしい声と共に、扉を蹴り破った。

 いや、もっと静かに忍び込んだほうが良くない!?

 困惑する俺をよそに流れるように狼が室内へ滑り込み、アル中も突入していった。

 出端を挫かれたが、手汗で滑る短剣を握りなおし、己を鼓舞するためにうおおぉぉ、と雄叫びをあげながら、彼女らに続いた。

 ジジ、待っていてくれ!! 必ず助けるからな!!









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