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彼の死因をダイジェストでご覧ください

「アンタ、死んだんだよ」


 だだっ広く真っ白な部屋の真ん中で、ソファに涅槃像の如く寝そべるショタっ子が淡々と死亡宣告を言い放った。


「は?」


「はい、これ観て」


 俺の驚きや戸惑いを無視して、ショタっ子はリモコンを操作して、脇のテレビのスイッチを入れた。


 ◇


 ジャージ姿に無精ひげ、寝ぼけ眼でぼさぼさ頭のみすぼらしい恰好。

 駅前の銀行から出てきたその男は手の万札の束を数え、いやらしくにニタリと笑う。

 きれいなお金ではない。不正に得たお金。

 公共職業安定所、通称ハローワークから求職活動中と偽り手に入れた金だ。本当は働く気など毛頭ないくせに。


「へっへっへ、ちょろいもんだぜ。これでまた働かずに済むってもんだ」


 その男、24歳、172㎝、62㎏、中肉中背、名を逢坂 久太郎。仕事はまだない。

 数か月前に仕事を辞めたまま、求職中という名の人生の猶予期間を過ごしている。ニートや無職とは断じて違う。求職者と呼んでくれたまえ。

 以上、自己紹介終わり。

 つまり、この不健全の塊みたいな男こそが俺だ。

 今日は月に一度の助成金支給日だ。この金にすがって生きている俺にとって今日という日をどれほど待ちわびたことか、どれほど喜ばしいか。寝ずに待った甲斐がある。まさに筆舌に尽くしがたい。


 時刻は午前九時過ぎ、照り付ける日光に目を細めた。完徹をキメた俺には眩しすぎる。

 昼夜逆転生活が続く俺にとって、朝日は吸血鬼並みに苦手とするものだが、今は祝福の光にすら思える。視神経が焼け付く痛みもカンフル剤だ。

 よーし、今日はコンビニで贅沢しちゃうぞー。

 通勤通学ラッシュは過ぎたものの、未だ駅へと向かう人の数は少なくない。

 その人波に逆らい、帰路の途中にあるコンビニへと向かう。

 こんな時間から出勤とは暢気なこった。今どきはフレックスだなんだとあるらしいが、やはり、社会人たるもの遅くとも九時前には仕事に取り掛かれるようにしていなければ駄目だぞ、まったく。

 すれ違った人達――ノートパソコンを片手にノーネク、ノージャケ、ツーブロックの男や、ラテを片手にスマホでウォーキートーキーするスリムスーツで早歩きの女――を見流して思う。

 ま、社会のしがらみから解放された今の俺には関係のないことだけど。

 アリとキリギリスの童話では勤勉であることが是とされていたが、現実ではそうではないのだ。本当に賢いのはアリの生み出した蜜を吸ってのうのうと生きることだ。それを知らぬ者たちのなんと愚かなことか。

 キリギリス最高。人生はすべて楽しみのためにある……苦しみながら働くのは……アリはもう嫌だ。

 行き交う社会の歯車達に心の中で憐みや蔑みや嘲笑などなどを送っていたら、いつの間にか目的のコンビニへと到着していた。

 よし、と両頬を叩いて眠気のチラつく頭に気合を入れて、入店。


「しゃーらーせー」


 やる気のないDQN店員の声にむかえられつつ、買い物カゴを片手に、ほかの商品には目もくれず目当ての商品へと直行する。

 なんせコンビニには誘惑が多い。ちょっと陳列棚を眺めようものなら、色とりどりでよりどりみどりの新商品、限定商品が買ってくれとばかりにこちらを窺っているのだ。

 気を付けたまえ。コンビニの商品を見るとき、商品もまたこちらを見ているのだ。

 数々の誘惑を振り切り、なんとかお目当ての商品の前にたどりつく。

 まず、コーヒー牛乳だ。

 少女の夢のように甘く、初恋の女性のようにほろ苦く、中年オヤジの血液のようにまったりと……まったりと……いや、この例えはよろしくない。変更だ。

 そうだな……昼ドラのように? キモオタの汗のように? 濃厚魚介豚骨スープ?

 まあ、例えはなんでもいい。コーヒー牛乳が究極の飲み物であることに変わりはない。カゴの中に放り込む。

 そそくさと移動して次に手に取ったのはスモークタン。

 豚の舌のように厚く。豚の舌のように味わい深く、豚の舌のように豚の舌だ。

 ん、例えてないって?

 違う。例えられないのだ。決して、言葉が思い浮かばないとか、面倒になったからとかではない。

 それほどまでにスモークタンが至高の食べ物なのだ。

 そして、最後。

 究極や至高などという言葉では言い表すことのできない、神の如き、いや、まさに飲食物における唯一神、ピーターハーン。軽い触感の楕円形の煎餅に摩訶不思議な味の粉をまぶした駄菓子。

 老若男女、生きとし生けるもの、コレを食べるために生まれ、生き、そして死ぬ。

 ピーターハーンが戦争をもたらし、ピーターハーンが平和へと導く。一口食べれば即座に空腹を満たし、心を豊かにする。3日食べなければ禁断症状で狂い死ぬ。

 それは毒であり、薬である。甘くもあり、辛くもある。滑らかであり、硬くもある。

 先の言葉を翻すが、あえて言おう、これは悪魔の食べ物であると。

 コーヒー牛乳、スモークタン、ピーターハーン。

 この三種の神器を揃えしとき、ついに、神代の宴が幕を開けるのだ。

 こんなものが贅沢なのか、宴なのか、って思うかもしれないが、収入源の限られた無職には、おっと間違えた、求職者には些細なことが楽しみなんだよ。

 むしろ、これらを素晴らしいものと思えないヤツのほうがよっぽど虚しい。

 本当の幸せは小さいけれど、近くにあるものだ。それが見えなくなってしまっていることに気付いて、拾い上げることができたなら、人間としてまた一歩昇華できるのだ、俺のように。

 コーヒー牛乳に溺れよ。スモークタンで満たせ。ピーターハーンを讃えよ。さすればイドを超越し、オドは渦を巻き、アカーシャへと到達し、メサイアへの道は開かれん。ああ、礼賛せよ! 礼賛せよ!


「473円になりぁーす」


 店員の間延びした声で我に返る。

 いかんいかん、これから訪れるであろう至福の時を想像して、アストラル界へ脳内ダイブをキメてしまった。世界からの解脱はまだ早い。


「ポイント使って下さい……あと、この割引券も使えますか?」


 財布の中からポイントカードと20円引きと書かれた割引券を差し出した。


「あー……まぁ、はい、ダイジョブっすよー」


 あ、こいつ今露骨に面倒くさいって顔しやがったな。


『あ? こちとら客だぞ、なんだよその顔は!! 笑顔で、はい喜んで、だろうが! てめぇ、接客ってもんを知らねえのか、店長呼べや! このクズ野郎!』


 金髪ピアスDQN底辺店員の胸倉を掴んで、怒鳴る……なーんて、ルーチンにもなりつつある妄想を振り払い、支払いをそそくさと済ました。

 実際に言うわけないやるわけない。

 なぜなら、俺は紳士だから。分別のある大人だから。何でもイチャモンをつけるモンスターでクレイマーな老害ではないのだ。

 変に騒ぎ立てて、彼のような無駄に年齢だけを重ねたチャラいガキと関わり持つ必要はない。

 正しき大人は、正しき道を行くんだ。怖いからじゃないぞ、怖くないぞ。


「ぁりあしたー」


 テキトーに挨拶されても平常心、平常心。

 来店時と同じ抑揚のない声に見送られて、今度こそ帰路へ。

 金を手に入れた。食いモンも仕入れた。ここにネトゲにアニメにラノベ等々のクールジャパンを足せば、完璧だ。まじ無敵。家に帰れば幸せになれる。

 心躍れば、体も踊る。こりゃもうスキップでもしちゃおうかな。


「らーんら、らーんら、らーん、ららら」


 もう至福のもぐもぐタイムもフライングしちゃおうかしら。

 我慢できずにピーターハーンを開けて一つ頬張る。

 途端、もやもやとした感情は消え失せ、口の中に幸せが広がり、視界はお花畑に包まれた。

 したいことだけをして、食べたいものだけを食べて、寝る。何ものにも縛られることなく自由に生きる。

 仕事や人間関係に悩まされていた今までの人生は何だったんだ。

 ユートピアはこんなにも近くにあったんだよ。

 また一つ、また一つとピーターハーンを貪る。視界が幻花の極彩色に支配され、スキップする体はフワフワと軽くなっていく。笑いが口から漏れ出していく。

 あははは、やっぱりやべぇぜピーターハーンはよぉ! キマっちまうぜ!


「ママー、変なおじさんがいるぅ」

「見ちゃいけません……もしもし警察ですか、様子のおかしい男が……喚き散らして……」


 童女よ、よく目に焼き付けておくがいい。

 世の歯車となることを拒否し、世の目を無視して欲望や誘惑のまま行動した、人間本来の正しい姿だ。

 そして、なんとでも言うがいい、人妻よ。

 俺は社会の束縛から外の存在だ。国家権力だろうがなんだろうが俺を止めることなんてできないぞ。

 でも、ちょっとだけ速足で帰ろう。なんだか顔が火照ってしまった。変に汗もかいてきた。スキップなんてしたせいかな……恥ずかしさや焦りでは断じてない。

 駆け足のためにぐいと踏ん張る。

 足裏に感じる違和感。ひん曲がる足首。

 小石を踏んづけたと理解するのと、体勢が崩れるのが同時。

 おっと、ピーターハーンで覚醒した俺は路傍の石如きにずっこけたりはしないぜ。

 ブレる視界の中、手近の標識を掴んで、力任せに傾いた体を引き起こす。

 はずだった。が、手はつるりと標識から滑って空を掴むだけだった。

 なんで?

 と理解できずに手を見ると、その手はピーターハーンの粉まみれで油まみれ。

 この粉まみれの指を最後に舐るのがまた旨いんだよなぁ。

 それが生前の俺が最期に思ったことだった。



 生きとし生けるものピーターハーンのために生き、そして死ぬ。



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