ただの会話
「……お前何してんの?」
俺と漫画の間に頭を押し込み、顔を覗いてくる彼女。眉間にしわを寄せ、頬を膨らませ、細めた目は何らかの不安を訴えっている。
少し目の鋭い彼女にはその表情は違和感なくおさまっている。胸が強調される体勢ではあるが、悲しいかなひいき目に見ても平均程度の大きさでは視線を奪うだけの破壊力はない。
ほんのりと漂う匂いは彼女のシャンプーのものだろう。
「……あのですね」
「なに? 漫画の続きが気になるんだけど」
眉間のしわがさらに深くなり、額に血管が浮かび始めている。間違いなく怒っているようだが、心当たりがない。
「なんで、そんなに怒ってるの?」
「なぜでしょうね? フフッ」
不敵に笑う彼女。だが表情はさっきから何も変わっていない。
「もういいからどいて」
俺はそう言って、彼女の頭をどかそうとする。だが、かたくなに彼女は離れようとしない。このオブジェクトは座標指定で固定されているのかと疑ってしまうほどだ。
「いい加減にしなさいよ」
彼女は俺の手から漫画を奪い取り、パタンと閉じてしまう。あぁ、せめてしおりを挟んでくれよ。
「先日、私はあなたに、いわゆる告白というものをしましたね?」
「……はい?」
唐突な話題の転換に理解が及ばず、思わず小首をかしげる。
「それで、あなたは諾との返事をくれました」
「抱くだなんて言ってないよ」
「……はぁ、何言ってるんですか。抱擁ではなく承諾です」
「ああ、そっちね」
言葉のすれ違いに少し口角が上がる。
「何笑ってるんですか。全く……とにかく私たちは世に言う男女の仲なんですよ!」
「はぁ、そうですな。で、それが? というかその体勢きつくない?」
いまだに彼女は俺の顔を覗き込むような体勢を維持している。
「きついです。なので余分な私語は慎んでください」
「了解です?」
きついなら離れればいいのにと思うのだが、私語は慎むように言われてしまったのだから黙っておこう。何せ表情が怖い。徐々に顔つきがきつくなっていく。関数にしたらY=2Xぐらいのペースで表情がきつくなってる。いや、ペースなのだからY=2Xではなく、Y=2Tのほうがいいか。
「ほら、考え事をしないでこっちをみなさい」
急に低くなった声色に、思わず体を震わせ、視線をかっさらわれる。
「私からしてみたら、念願かなってできた彼氏の家に初めて来たわけですよ」
でも、俺言いましたよね。うちに来ても何もないよって。部屋にテレビもゲームもないし、もちろん人生ゲームだってない。来ても楽しくないよって言いましたよね。なのに、その日は親がいないといった瞬間急に押しが強くなって、「じゃあ、私は今週の土曜日にあなたの部屋にいきます」って言いだしてさ。まあ、部屋の掃除くらいならする時間はとれたから、押しかけ訪問されるより幾分かましだけども。
「普通、男女が同じ部屋にいて二人っきりならどういうことをすると思いますか?」
「抱く?」
これってセクハラになるんだろうかと思いながらも、恐る恐る返答してみる。
「……」
彼女の顔が急に溶け出し、赤みを帯びていく。処理が追いつかないパソコンのように熱を伴っている。様子を窺うように彼女の額に手を伸ばす。
「おーい? って熱っ!」
紅潮した彼女の額信じられないほど熱い。
「……おーい? 抱きましょうか?」
彼女に聞こえるよう、少し大きな声で問いかける。
「…………諾」
小さな声で、小さな唇を小さく開き彼女が答える。
まさか、付き合い始めすぐ、キスもまだなのに行為に及ぶことになるとは思わなかったが、これ以上機嫌を損ねるわけにもいかないので致し方ない。
「はいよろこんでー」
俺はそういうと、彼女を抱きかかえベットに移動する。
確か財布の中に友人が冷やかしで押し付けてきたあれがあるので問題はない。まさか、本当に使うことになるとはおもわなかったが。
「えっ!……は!?」
「いたっ!」
急に抱きかかえた彼女が暴れだす。なんでだ? 電気消してないからかな。
「なんだよ急に暴れて」
「……いや、だってなんで急にベットに連れていくんですか?」
「だって抱くって言ったじゃん」
「私は諾とは言いましたが、これに対してじゃありません」
「じゃ、なにさ? 行為じゃない抱くのほう?」
「……そうです。ハグの抱くですよ」
俺は床に座り込み、足の間に彼女をおき、腕を回す。
「じゃあ、これで満足ですか?」
「……はい、満足です」
「よし、それじゃあ、漫画の続き読むから取ってくれ」
「いやです」
彼女はそう言いながら微笑むと、俺の腕を取って抱え、鼻歌を歌いながら上半身を揺らすのだった。
「鼻歌、音程ひどいよ」
「うるさいです」
十分ほどすると、音程が少し高くなった。下手なのには変わりないが。