第四話
今回、相神会が日苗市へと入ってきた理由は、ある幹部級の人間が強く推し進めたかららしい。その人物は幹部陣営の中では若手であり、また、急進性のある思考を持っており、尚且つ有能だと言う。
相神会の中で有能と表現されるのは、つまり、力が強い人物であると言う事。そうして組織の中で急進的な考え方をする有能な若者は、良い見られ方をしないと言う事でもある。
相神会は古い組織だ。少なくとも、構成員の立場、階級が、大凡決まりきっており。変化は緩やかな方が好ましいと言う雰囲気が醸成されるくらいには組織として長い期間が流れている。
そんな組織の中において、急速な変化をもたらし、さらには旧来の人間から権益を奪いかねない人間は対抗するべき敵として見られる。さすがに内部抗争までとは行かないが、組織内で動く限りにおいて、何かにつけての邪魔が入る事は覚悟するべきだろう。
ただし覚悟を受け入れた場合も、やれる事は中々に厳しい状況となる。選択肢は組織の中で、邪魔があったとしてもその有能さを発揮し続けるか、新たな権勢となる地盤を見つけるか。
相神会の中で、日苗市に目を付けた人物は後者の人間であるらしい。
「名は魁峰・陶生。30代の小柄な男だ。彫りの深い顔つきで、声は反して高めだ」
警察署前で捕えた相神会の男、名を水戸野・晃生と言うらしいが、彼はすっかり竜太達側での行動を始めていた。つまり、急速な動きを止める代わりに、日苗市内での組織作りについては目を瞑って貰うという選択をしたのである。
今も竜太と間上を、彼らのアジトまで連れて行っている最中だった。その間にも、自らの組織の内情について話をしてくれている。
「その魁峰さんでしたっけ? その人がいたら一切の妥協もできないんですか?」
竜太はこれから狙う対象となるはずの、魁峰についての情報を一番聞きたかった。
「若手で有能と言っただろう? 自他共にそういう認識なんだ。あの人は兎角、自らの力を示したがる。爪を隠そうともしない。だが、組織の中でそんな人間が上手く生きれるはずも無い」
「なるほど、もしかしなくても、自分から折れるってことを知らない人間なわけですか」
水戸野の話を聞く限りはそうだろう。典型的な暴走しやすい指導者タイプだ。自分が出世しないのは、自分の能力が不当に扱われているからだと本気で思っており、能力が十全に出せれば、そんな扱いもすぐに改善すると、やはり本気で思っている。
「そういう輩ってなぁ、案外、狂信的な部下に囲まれてるもんだが、今回、日苗市に入ったのもそういう連中か? あんたも?」
間上が気にしているのは敵の数らしい。複数人を相手にする荒っぽい状況になると、そんな予想をしている様だ。あくまで排除するのは魁峰と呼ばれる男個人だと言うのに。
「い、いや。俺は違う……あの人の力には惚れ込んだし、下にいれば他の上役よりかは上手く立ち回ってくれそうだと思ったから付いてるんだ。だが……」
「日苗市は案外危険な場所で、そんな場所だと見込みもできずに突っ込んだ動きは、心底惚れ込むほどの人間じゃなさそうって、そう思い始めた?」
有能さにもピンキリがあるのだろう。魁峰と言う男は、部下が付くほどには有能でも、その部下が忠誠を誓うほどにはカリスマが無い。
「まあ、そりゃそうだわな。赤の他人を忠実な部下にできるくらいの人間なら、わざわざ余所を攻めずに、組の中で天辺の玉取ろうとするのが普通だっての」
一々言い方が荒っぽい間上だが、内容は正しいと竜太は思う。トップクラスの有能さがあれば、それこそ、場所や立場を問わず、自らの力にふさわしい地位を得られるのだから。
「だから、間上さんは絶対に、魁峰って人以外を狙わないでくださいね。組織と戦うんじゃなくて、あくまで魁峰って人の排除を目的とする事。それを向こうにもアピールしなくちゃならない」
「わかったわかった。事前の取り決めは破らねえよ。神様ってのは約束は破らねえもんなんだ」
どうだかと思う。都合の良い様に話を受け取るとかであれば、破っているのと同じだ。これから向かう場所は危険な場所であるが、竜太自身が提示した調定内容が履行されるかは、この目で見届ける必要があるだろう。
「一つ聞きたいのだが……」
向こうから情報を出すばかりだった水戸野が、今度は尋ねてきた。
「なんです?」
「この街では……この様なやり方が普通なのか?」
「折り合いをつけるって言う意味では、どこでだってしてます。そうしなければ、息をするのだって難しい場所なんですよ、この街は」
「そうか……」
水戸野も、漸く街の状況を理解し始めたらしい。一筋縄では行かない。そうして、その理由は凶悪な誰かがいるとか、強力な存在がいるとか、そんな言葉で済ます事ができない程に入り組んでいるのだ。
なんの準備も無しに街の外からやってきて、そのまま乗っ取れる程に単純なら、どれほどの人間が安堵する事か。
「そろそろだ」
また暫し歩いた後、水戸野は下向きがちだった顔を上げた。そこにあるのは廃ビルだ。
人口が無駄に増え続けるこの街で、繁殖する様に数を増やしているビルだが、中には立地に恵まれず、かと言って潰すための金銭が出されないまま、誰も寄りつかない寂れた場所になっているものもある。案内されたのはそんな場所だった。
「……」
そんな場所に近づいて、何か変化があったわけではない。竜太達の足取りは、そのままビルの中へと進む。ヒビが入ったガラスの自動ドアを手で無理やり開き、ロビーであったであろう、今はコンクリート片が散らばる場所へと到着する。
その時だ。
「それは誰だ、水戸野」
声がロビーに響いた。男性の声であるがやや高い。その声に反応するかの様に周囲の景色が陽炎の様に歪んで行く。
ロビー全体に広がっている歪みは、数秒の後に、幾つかの場所に集まり、その濃さを増して行く。さらに数秒が経過した後は、それは歪みでは無く、人影へと姿を変えていた。
人数は8人。竜太達を囲む様に立っており、丁度、真正面に立つ人影の姿は、水戸野から聞かされていた魁峰と言う男のそれと合致している。
そうしてその男が口を開いた。
「答えろ水戸野。その部外者は誰だ。貴様には捕えられた仲間との接触を命じていたはずだな?」
その声は、最初の声と同質のものだ。人数だけ集まっているが、話すのは目の前の男のみ。すべての決定権がまるでその男にある様だ。
「わ、私も……私も捕えられた」
「ほう。そうして我らの拠点をあっさりバラしたわけだな? 見たところ、目立った怪我も無い様子だが、抵抗はしたのか?」
「そ、それは……」
完全に力関係は決まっている様だ。水戸野はただ、目の前の男に責められるのみ。間違いなく、その男こそがこの集団の頭目であり、魁峰と言う男なのだろう。だから竜太は会話に割って入った。
「なんでそんな風に判断できるのに、話す相手を間違えるかな」
「……」
魁峰が竜太の言葉に反応して、漸くこちらを向く。もっとも、睨みつける形なので和やかにとは行かないらしい。
「この人は言わば虜囚。そうして僕は捕えた側だってすぐに分かるでしょう? なら、交渉するのは僕の方だ」
「交渉? 我々は交渉などしない」
「そっか。じゃあ仕方ない。間上さん」
その言葉を合図に、横に立っていた間上が狼男へと変貌する。その変化は素早く、そうして動きはもっと早い。目の前の魁峰へと突進する様は、まさに狩りを始めた狼だ。
だがその素早さでも、魁峰には直接届かなかった。まるで準備していたと言う風に、地面がせり上がったのだ。それは魁峰を守る壁であり、間上の侵攻を阻む障害物でもあった。
「貴様らが何者かは知らんが、蜘蛛の巣に飛び込んだ虫けらだと知れ。ここは我らの場所だ」
壁に阻まれた一瞬の後に、間上周辺に、何時の間にも壁が立っていた。後方と左右。天井からも、ビルを構成する素材が質量となって間上を囲んでいる。それらの壁は勢い良く間上へと迫り、そのまま、間上の居た空間を潰した。
間上が既に通り過ぎたその空間を。
「なっ……! いったいこれは……」
「この後に及んで、まだこっちの事を何も知らねえってんなら、その時点でてめえはそれまでじゃねえか」
間上は目の前の壁を真っ先に潰し捻り、崩し切って、その向こうの魁峰の首を掴んでいた。魁峰は声を上げる余裕がある様子だから、強く絞めてはいないらしい。
「ぐぅっ……舐めるなよっ!?」
魁峰が叫ぶとそれに呼応するかの様に、また空間が歪んだ。これまで見る限り、物を動かしたり変形させたりが彼らの主だった力らしいが、さらに別の事をするのだろうか。確か間上はそれを神の力と呼んでいたが。
「場所を自分の頭の理想通りの形にするってのが神様の力さ。てめえらが使ってる力でもあるよな? で? 次は場所自体を変化させるつもりか? 爆発させたり、削り取ったり。実は物をどうこうするより、直接的だから効率が良いんだ。単純な威力も高い。だから……漢条。さっさと逃げろ」
「言われなくても!!」
起こるのが危険な変化であることを竜太でも理解できた。だから当事者に背を向けたのだ。そのまま走り逃げるために。
他の面々も同じだ。水戸野も、また魁峰の部下たちも同様に逃げ出し始めていた。誰もかれもが魁峰の行動をヤバいと感じたらしい。
(良い状況だ! 頭目が暴走して、みんなドン引きしてる! この後に言いくるめ安くなるってもんさ)
考えながらも足を止めない。向かう先はビルの出入口。止まっている自動ドアを開きっぱなしにしていて良かった。
「ちゃんと逃げ切れればの話だけど!」
走る中でも、背後に嫌な気配を感じる。それはどんどん高まっている様に思えて、さらに竜太を必死にさせた。
ビルの出入口に足が届く寸前まで来たところで、竜太はその場から跳んだ。自分の意思では無い。背後から勢い良く吹き付けて来た強風に吹き飛ばされたのだ。
爆音も響いた。つまりは何かが爆発して、竜太は爆風に飛ばされたのである。吹き飛ばされた後はそのまま地面に体をぶつけたものの、その後に覚悟していた爆発物の破片であったりのぶつかりが無かった。
おかげですぐに姿勢を立て直し、背後の状況を伺い知ることができたのである。
「相変わらず……出鱈目だなぁ……」
爆発の規模は竜太が想像していたよりも大きなものだった。相神会の連中が、焦った顔を浮かべていたのが分かる。
それはビルの上半分を吹き飛ばしていた。竜太が吹き飛ばされた爆風も、その余波に過ぎない。それほどの爆発を魁峰と言う男は発生させたのだ。少数とは言え、人を率いるだけの実力はあると言ったところか。
だが、その爆発の中心地は、先ほどまで魁峰がいた場所では無かった。ビルの上層が吹き飛ばされていると言うことは、爆発の中心は、さらに上側にあると言える。
一方で、間上は変わらず元の場所に立ったままだった。しかし魁峰の姿は無い。
「神の力ってのはその力を使う奴を中心に起こる。本人の想像力が物を言うからな。だから本人を無理やり移動させちまえば、その影響もそれだけ移動する……って言っても、自分ごと自爆するもりだったのかね? この威力」
間上は天井を見上げていた。ボロボロの天井には、一際大きな穴が一つ。恐らく、間上は魁峰を丸ごと上へと投げたのだろう。その力は半端なものでは無く、天井をぶち破り、ビルの上層まで届いたと思われる。
その時点で魁峰は無事では済まなかっただろうが、さらには魁峰自身の力によって大規模な爆発が発生した。
(神様の力っていうのは、何にせよとんでもないみたいだね……使い勝手は最悪なんだろうけど)
一歩間違えれば、自分の命すらも無い。事実、魁峰は既に跡形も無くなっているという想像が出来たし、してしまった以上、竜太の身は震えた。
「さて、一応は目的を果たしたわけだぜ、漢条。目的の相手は“排除”した。後は残った連中を説き伏せるだけだ。それについては……お前の仕事だろ?」
そう言われて、竜太は辛うじて苦笑いを浮かべる事に成功する。まったく、なんて街なのだろう。こんな事が日常茶飯事なのだから、慣れる他無い。
相神会も、まさかこんな街だとは、先ほどまで夢にも思わなかっただろうが、これが日苗市と言う街の光景なのだから仕方ない。この街に拠点の一つを置く以上、受け入れてもらう他無いのである。
顛末が顛末だったので、相神会との調停は上手く行った。
唯一の強硬的な思考を持ち、尚且つ中心だった人物が、自爆に近い形で命を落とし、結果、自分たちはどうしようと言う状況で、竜太が別にまた拠点を置いても無視しようと提案したのだ。向こうも向こうで受け入れる他無かったのだろう。
色々と思うところがあったり、自分たちの中心人物である魁峰の仇を取るべきだと言う意見もあった様だが、とりあえずそれは今ではなく、状況を立て直すのが先決だと言う意見にまとまる。竜太がそう仕向けた部分もある。
「まあ、ひと月もすれば、彼らも街の色に染まるんじゃないでしょうか」
「否定できねえのがこの街のあれなところだよな」
最後は結局、『カニバル・キャット』へと戻って来た。さすがに爆発と人死にが出たので警察沙汰だったのだが、何をどうしたのか、拘留もされずに竜太は無事のまま。間上がこういう件には慣れているとのことだったが、まるっきりヤクザの抗争として処理された様子だ。
「ヤクザの抗争には関わらない。それがこの街の怖いところですよ。力を持った同士の連中の争いは、極力無視する。そんな不文律がある」
「でなきゃ、警察連中もやってられねえだろ。ヒーローと怪人の戦いみたいなもんさ。どっちが勝っても、とりあえずそちら同士で最後までお願いしますって奴だ」
「まあ……そうなんですけどね」
昼間だというのに人がまったくいない店内で、竜太は店の天井を見上げた。この街の危うさがここにある。
どんなに見て見ぬフリをしたって、力は存在し、そして新たな力はやってくる。今でこそ力同士でしのぎを削っているわけだが、何時かそれが一般人へと向かった時、どうなるのだろう?
今回の件も、一般人が巻き込まれた部分があったが、それがもっと直接的になった時、見て見ぬフリをできなくなった時、街は次にどの様な変容を遂げるのか。
(まあ、そうならない様に調停役なんて役回りが存在しているのかもしれないけどね)
ただ、それもまた副業でしかない。ただの喫茶店の店長でしかない竜太にとっては、そんな変化も日常として受け入れるべき光景なのかもしれなかった。