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第一章



 第一章 訓練期間



「おーい起きろ変態。朝飯だぞ」

 俺はゆっくりと体を起こす。ベッドの下から杏華の声が聞こえてきた。

「なんだもう朝か。ねみぃー…………」

 枕元の時計を見る。七時三十分。七時……三十分!?

「あれ!? 俺七時にタイマーをセットしたはずなのに!」

「ああそれ、うるさいから止めたわよ」

「人の物を勝手に止めんな! 意味ないだろうが!」

 すぐに梯子を伝って下に降りる。杏華はすでに支度を終え、制服姿になっていた。

 食堂が七時三十分から始まるのだが、俺はそれに間に合うように三十分前に目覚まし時計をセットしていたのだ。

「あんたがさっさと起きないのが悪いのよ。そうしたらあたしが止めることもなかったのに。朝から無駄に動かさないでくれる?」

「止めたんなら責任を持って起こしてくれよ! 俺は鳴ってから起きるまでが遅いんだよ」

「耳鼻科と脳外科に行った方がいいんじゃない? 病気よそれ」

「お前は常識を学びに精神科へ行くことをお勧めする」

 っと、こんな茶番をしている場合ではない。早く着替えなければ。

 俺がパジャマを脱ぎ始めると、杏華は後ろを向いた。何だ女の子らしい一面もあるじゃないか。

「男なのにあんまり筋肉ないのね」

「普通だよ普通。ボディービルダーじゃあるまいし」

 肌着を着てワイシャツに袖を通す。

「早くしてよ。待ちくたびれたわ」

 だったら一人で先に行けばいいと思うのだが。律儀に待ってくれているのはなぜなのだろう。俺はズボンのベルトを締めながら首をひねった。

「着替えは終わったけど、寝癖直している暇はなさそうだな」

「当り前よ。行くわよ」

 玄関に向かおうとして、カードキーを忘れたことに気が付いた。危ない危ない、二日目にしてもう忘れるところだった。

 人の流れに乗って、俺達は食堂へと向かった。

 三階建ての長方形の建物。一つのフロアに百人が座れる椅子とテーブルがあり、朝食、昼食、夕食が好きな時間に食べられるようになっている。残念ながら昨日のパーティーとは違いお金は掛かるが、自分で用意する手間が省けるので非常にありがたい。営業時間は七時三十分から、ラストオーダーが二十時。閉店が二十一時だ。

 自動ドアをくぐると、目の前に券売機があった。周りを見渡すと、右側に厨房があり、中央から左側にかけては椅子とテーブルがずらっと並んでいた。二階と三階も同じ造りになっているのだろう。

 一階はかなり混んでいたが、空いているところもちらほらある。

「どうする? 二階に行くか?」

「そうね。あたし混んでるの苦手なのよ」

 俺達は入口すぐ右の階段から二階へと上がった。ここはまだ半分ほど席が空いていた。

 券売機の前に立つと、ホロウインドウが起動した。指でスクロールさせると、どうやらご飯類は白、麺類は青といったように種類ごとに色分けされているようだ。俺は貧乏だから、あまり高いものは食べられないのだが、どうしようか。

 そういえば、一か月に一度、成績が良かったペアには学校から賞金が与えられるらしい。働いたあとの給料みたいな感じだろうか。金をチラつかせることで意欲を上げようととしているのが丸分かりだが、貧乏な俺はそれに食いつくしかない。

 ご飯と味噌汁と焼き鮭のセット、二八〇円。これにしよう。

 百円玉三枚を入れ、ボタンを押した。整理券とおつり二十円が出てきたので受け取る。

「何にするか決めたか?」

「うーん、ちょっと待って。今いちごパフェにするか、チョコパフェにするかで悩んでるから」

 隣の券売機で杏華は唸っていた。仕方ない、三分間待ってやる。

「朝っぱらからパフェを食うのかお前」

「いちごにしよっと」

 ピッ。ボタンを押した。三分どころか十秒も要らなかった。整理券を持って窓際の席へと向かう。そして向かい合わせで座った。

 俺の持っている券は一枚なのに対して、杏華は四枚も持っていた。

「毎日そんな大量に食べてるのか? よく太らないな」

「あたしの体、燃費が悪いのよ。これくらい食べないと、昼にはお腹が鳴っちゃうの」

 半世紀前の車みたいだな。さぞかし親は食費に悩まされたことだろう。

「三番のハンバーガーのお客様~」

 一分ほど経つと、厨房の方から声が聞こえた。

「あ、あたしだ」

 杏華は整理券のうちの一枚を持って席を立った。今分かっているのは、パフェにハンバーガーだが、残りの二枚は何だろうか。こっそり見てみると、醤油ラーメンとオムライスだった。どんな組み合わせだよ。

 トレイにハンバーガーをぽつんと載せて、杏華は戻ってきた。肉汁たっぷりの肉が二枚重なり、新鮮な野菜とふっくらしたパンに挟まれて、すごく美味しそうだ。

「いただきまーす!」

 大きな口を開け、がぶりと食らいついた。女の子らしからぬ豪快な食べ方だ。もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。

「美味しーこれ!」

 杏華の表情が一気に明るくなった。二口、三口と食べ進めていく。それにしてもこいつは、いつも美味そうに食べるよな。グルメレポーターに向いているかもしれない。あ、でも食べるだけでレポートしないかも。

「七番の焼き鮭セットのお客様~」

 ん、俺か。席を立ち厨房へ行く。整理券をおばちゃんに渡し、トレイを受け取った。つやつやしたご飯と、湯気の立つ味噌汁、そして程よく焼けた鮭が食欲をそそる。

「いただきます」

 席に着くとさっそく箸を持ち、まずは味噌汁をすすった。味噌の味が口中に広がる。ああ美味い。味噌汁なんて生まれてから何度も飲んできたが、それでも飽きずにいつも美味く感じられる。やはり日本の食を支えてきた、偉大な汁物だ。

 味噌汁のお椀を置き、次に鮭に箸を入れる。皮がパリッと良く焼けていて、身も柔らかい。一口食べてみると、ちょうど良い塩加減で最高に美味かった。

 俺が朝食を食べ終わると、杏華が醤油ラーメンを食べ始めるところだった。ハンバーガーのあと、オムライス、パフェと続き、最後にラーメンだ。食後のデザートという概念は存在しないのだろうか。こいつのことだから、腹に入ってしまえば同じとか言いそうだな。

 ずるずる、とスープが飛び散るのを全く気にしない、これまた豪快な食べっぷり。

「ひょうだ、はんたこれ食ぶぇて」

「食いながら喋るな。お前の女子度が下がるぞ」

 杏華が箸で指し示したのはメンマだった。

「メンマ嫌いなのか? 珍しいな」

「この変な食感が苦手なのよね。それに味も好きじゃないし」

 俺は自分の箸でメンマを摘み、口に入れた。メンマが嫌いとは、ラーメンの二割は損をしているな。

 麺と具を食べ終え、どうするのかと見守っていたら、思った通りスープまで飲み出した。レンゲなど使うはずもなく、どんぶりに直接口を当て、ごくごく飲んでいく。ものの数秒で飲み干してしまった。

「ふぅ、お腹もいい感じに膨れたわ。ここの料理なかなか美味しいわね」

 壁に掛けてある時計を見ると、八時十五分を示していた。一時限目の全体オリエンテーションが始まるのは九時だから、まだ四十五分はある。

「あと四十五分あるけど、何する?」

「適当にぶらつく」

 即答だった。確かにやることもないし、無難ではあるが。

「じゃあ散歩に出かけますか」

 二人そろって席を立ち、食器を洗い場のところまで運ぶ。片付けが終わると、階段を下りて食堂を出た。朝食が終わる時間帯で、多くの人が食堂から出始めていた。

 とりあえず何も考えずに歩いた。まだ入学して一日目なので、初めて見る建物やものが大半だった。このあとのオリエンテーションでは施設の案内で中に入ることになるだろう。

「あれ? 何か聞こえる」

 杏華が突然呟いた。

「? 俺には全く聞こえんが。空耳だろ」

「耳に何か詰まってるんじゃない? それとも鼓膜が破けてるの?」

「俺は日本の一般人なんだ。アフリカの民族のような聴力は持ち合わせてねぇよ」

 再び歩き出す。杏華が先行して俺は後ろを付いて行く。音のした方に向かっているようで、さっきまでのぶらつく感は一切なかった。俺の身長より高さのある鉄製の柵のところまでたどり着くと、今度はその柵に沿うようにして歩み始めた。

「結局その、何か聞こえたってのは、どんな音なんだ?」

「パシッというか、バシッというか……バシュッ? とにかくそんな感じよ」

「アバウトだな。まあ現場に行ってみればわかるか」

 それにしてもこの柵、どこまで続いているのだろうか。一キロはないにしても、何百メートルかはありそうだ。敷地の中は、木が点々と生えているだけで、ほぼ平坦な場所だった。時々、円形のターゲットのようなものが出て、数秒するとそのターゲットの上に赤色で10という数字が表示される。円形のターゲットは外側から白、緑、青、紫、そして中心が赤と段階的に色分けされていた。

「あ、誰かいる」

 杏華が指差した方向、水平よりもやや上方を見ると、柵の向こう側に黒光りするアーマースーツに身を包み、巨大なスナイパーライフルを持ち、伏射姿勢を取っている人がいた。いや、ライフルが大きいというよりは、構えている人物が小柄といった方が正しいかもしれない。あれが杏華の言っていた、聞こえた音の発信源なのか?

 近づくように歩いていくと、敷地内の地面に傾斜がついてきた。少しずつ登ってきている。どうやらここは、スナイパーライフルの射撃訓練場のようだ。

 柵の一部が開いている所があった。石の階段があり、上の高台に登れるようになっている。これを登れば、先ほどの人に会えるだろうか。

「行くのか?」

「当たり前でしょ」

 杏華は何の迷いもなく階段を登り始めた。十段の石階段を登りきり高台の上に立つと、射撃場が一望できた。広い、その一言に尽きる。果たして学校の敷地の何割を占めているのか。

 と、その時再びターゲットが現れた。パッと一瞬で現れたのを見る限り、あれもホログラムなのか。伏射姿勢を取っている人は、ライフルの上部に取り付けられたスコープを覗き込み、数秒したのち、引き金を引き絞った。

 バシュッ!!

 杏華が言っていたのと同じ音が銃身から響いた。青白いラインを描きながら、弾丸が飛翔していく。音から数瞬後、ターゲットの上に赤色で10と表示された。命中したようだ。

 ふぅ、と一息ついてその人はスコープから目を離した。

「一発外しちゃった~。まだまだ修業が足りないわねぇ。ん?」

 こちらを向いてようやく気付いたが、この人は女性だった。ウェーブのかかったふわふわした髪。垂れ目ぎみの目は、優しい印象を与えてくる。身長も、俺の胸くらいでとても小柄。ゴツい銃は似合わない、何とも可愛らしい人だ。

 女性は立ち上がり、俺達と向かい合った。

「新入生さんですねぇ。こんにちは、私は水橋心愛みずはしここあと言いますぅ」

 深々とお辞儀をされた。このロリボイス、どこかで……。あ! 入学記念パーティーの前の時に放送で流れた声だ。あの時萌えたロリボイスを、今目の前で聞いている。

「水橋先生はここで何をされていたんですか?」

 俺は素朴な質問をしてみた。

「射撃の腕が鈍らないように訓練していたのですぅ。私はSR科目、つまりスナイパーライフルの先生なのですよ。生徒に教えるのに、先生が下手ではいけませんからねぇ。あぁ、それと私のことはココア先生と呼んでくださいね」

 こんな可愛い女性が先生とは、なんと恵まれているのだろうか。男子は歓喜すること間違いないな。手取り足取り教えてもらいたい。

「なぜココア先生はスナイパーを選んだんですか?」

「良いことを聞いてくれましたね。私はかの有名なイモ・ヘイヘが大好きで、すごく憧れていまして、他の銃には目もくれずにSRだけを練習してきたのですよぉ。そして晴れてこの学校の先生になることができたわけです」

「へぇー。先生をそこまで突き動かす、SRの魅力って何ですか?」

「遠距離から目標を撃ち抜く、あの爽快感ですかねぇ。あの爽快感は、他の銃では味わえませんから」

 連続して質問しても、嫌な顔せずむしろ喜んで語ってくれた。可愛いのに性格も良いなんて、まったく俺のパートナーとは大違いだな。

「そろそろ時間ですねぇ。私はこの銃を置いてから行きますので、お二人は先に体育館に行っててください」

 先生は狙撃銃を両手で抱え込むようにして持ち上げた。それでは、と言って俺達の横を通り過ぎ、石階段を下りていって見えなくなった。もうそんな時間になったのか。

「さて、あたし達も行きましょう」

 来た道を戻り、食堂まで戻ってくると、そこから体育館へと進路を変えた。


 体育館の中は、生徒がステージ側に集まっていて、俺達は最後尾に立った。遅くやってきた人に挟まれ、ちょうど真ん中の位置に立つことになった。

「それではこれより、新入生オリエンテーションを始めたいと思います。まずはお世話になる先生方の紹介です。では先生方、お願いします」

 マイクを握っているのは、パーティーの時にインタビューをしてきたポニーテールの女性だった。あの人は何の先生なのだろう。もしくは事務員の人か。

 女性の指示で、ステージの袖から五人の先生が登場した。左から三番目にはさっき会ったココア先生の姿があった。周りの人に比べて段違いに背が低い。四人は同じアーマースーツを着ていて、最後の一人は白衣を着ていた。

「自己紹介をお願いします。あ、簡単で結構ですよー」

 司会の女性が一番近くの男性にマイクを渡した。

近藤彰こんどうあきらだ。AR科目担当。熱意がある奴にはしっかりと教えるから、遠慮せずに俺に聞いてくれ」

 隣の先生にマイクを回す。短く切られた髪を立たせていて、中学校時代の体育教師を思い出した。典型的な熱血漢タイプの先生だ。

「えーっと、あたいは星川茜ほしかわあかね。SG系の担当だよ。SGなんてぶっ放せば当たるから、そんなに必死になる必要はないよ。まあよろしく」

 サバサバとした女性だった。肩口で切り揃えられた髪。すらっと手足が長く、キュッとしたくびれと豊かな胸で、大人びた雰囲気の人だ。

「こんにちはぁ、水橋心愛です。SR科目担当ですよ。皆さん、私のことはココア先生と呼んでくださいねぇ。お願いしまーす」

 ぺこりと頭を下げた。会場から「可愛いー」、「小さっ」、「つるぺた幼女!」といった声が聞こえた。隣の星川先生と並ぶと、親子のように見えて仕方がない。いや決して星川先生が老けてるとか、ババアだとか、そういう意味ではない。ココア先生の方が異常なのだ。

「僕は望月拓馬もちづきたくまと言います。HG科目、SMG科目を担当します。厳しいわけではないので、各自自分のペースで頑張っていきましょう」

 謙虚そうで優しい感じの男性。好青年、の言葉が良く合う人だった。男にしては少し長めの髪で、体格は細身な方だ。

 銃の種類は、英語の略語で表される場合が多い。AR、アサルトライフル。SG、ショットガン。SR、スナイパーライフル。HG、ハンドガン。SMG、サブマシンガンだ。

 望月先生が隣の白衣を着た女性にマイクを渡した。

「はいこんにちは。私は養護教諭兼スクールカウンセラーの上原美咲うえはらみさきです。怪我をしたり、悩みがあったりしたら保健室を訪れてください。私が全力で処置しますよ」

 養護教諭か、だから白衣を着ているのか。長い髪をピンで留め、アップにした髪型。微笑みを絶やさないその姿は、まさしくカウンセラーだった。美人な先生のカウンセリングなら、悩みも一瞬で吹き飛んでしまうだろう。

 司会の女性が右端まで移動し、上原先生からマイクを受け取った。

「これから皆さんには三つのグループに分かれて行動してもらいます。学籍番号が001から100は近藤先生に。101から200までは水橋先生に。201から300までは星川先生に付いて行ってください。施設の紹介をします」

 お、俺達はココア先生に付いて行けばいいのか。それは楽で良かった。

 小さな隊長を先頭に、百人がぞろぞろ付いて行き、学校の施設を見て回った。

 一号館は職員室と事務室で、学校の運営をしている人がいる場所だ。訪れる機会はあまりないだろう。何かやらかしてしまった時は訪れるかもしれないが。

 二号館は最後、ということで三号館に来た。ここはコンピューターが主のようで、多くの部屋に最新パソコンが置かれていた。レポートを書くときは来ることになるな。

 四号館は養護教諭の上原先生がいる保健室がある所で、病院並みの医療設備が備えられている部屋もあった。二階には療養のためのベットも設置されていた。

 五号館は、いわゆる教室で、先生の講義を聞くための場所だ。技術的なものの他に、一般教養などはこの五号館で行われる。

 六号館。そこは実弾射撃訓練場で、学校生活のメインになる所だった。ここでどれだけ練習したかで、本番の戦場での働きは変わってくるだろう。

 七号館に案内されたとき、俺は正直驚いた。六号館と同じ射撃訓練場なのだが、何とここは仮想の射撃訓練場になっていた。シミュレーター装置に入ることで、現実の体は動かずに、仮想の体を仮想空間で動かすことができるようになる。夜中に自主的に訓練したい人は、このシミュレーターを使わなければならない。

 後回しにした二号館に向かった。

「ここが二号館ですよぉ。私が受け持った皆さんは101から200番の方達なので、二階に向かいます」

 二階へ到着し、磨りガラスの扉を開けると、ずらっと並んだロッカーが視界に入った。

「ここが皆さんのロッカールームになりますぅ。各自の下三桁の番号のロッカーには、事前に採寸したサイズで自分専用のアーマースーツが入っています。まずは、皆さん自分のロッカーの前に立ってください」

 部屋の中のロッカーの配置は、左側の壁に番号の速い二十五人分、中央に背中合わせで五十人分、右側の壁に最後の方の二十五人分で並んでいた。俺は175番だから、中央右の一番奥か。

「お前は何番なんだ? 俺は175番だけど」

 隣に立っている杏華に聞いてみる。今になってこいつの学籍番号を知らないことに気が付いた。

「ん? あたしは129。いい肉で129。これならあんたでも覚えられるでしょう」

「俺だってさすがに三桁くらいは覚えられるわ」

 杏華と別れ、俺は自分のロッカーの前に立った。頭一つ分ほど高い黒塗りのロッカーで、スーツの色と合わせているのだろうか。一番端のロッカーから人が通れるスペースを挟み、その向こう側には小さな更衣室が五つある。着替えを見られたくない人のための配慮だな。

「これから皆さんに学生証を配りますね」

 先生が入口のすぐそばにあったテーブルから学生証を一枚取り、俺達に向かってみせた。あれは恐らく101番の人の物だ。学校の名前と顔写真、学籍番号に生年月日などの個人情報が載った、カードタイプの学生証。って、これもカードかよ。

「このカードは単なる証明だけではなくてですねぇ、この学校の施設を使うのにも必要なのですよ。皆さんの前のロッカーを開けたり、シミュレーターを起動させたり、コンピューター室に入ったり、あと合格した科目の記録に使用したりもしますぅ。なくすと再発行までに時間が掛かりますので、絶対になくさないでくださいね。では101の人から順に取りに来てください」

 順番に学生証を受け取っていく。俺も受け取り、ロッカーへ戻った。

「皆さん受け取りましたね? それでは、カードリーダーに学生証の裏を左側にして上から通してください」

 学生証を上からスライドさせる。ピッという音とともに、カードリーダー横の赤色の小さな光が消え、その下の緑色のが点灯した。

「緑が点灯したら開けることができますぅ。開けてみてください」

 くぼんだ所に手を掛けて前に引くと、ガチャと音を立てて開いた。中には先生の着ているのと同じ型のアーマースーツが入っていた。スーツの下には、何か小物が入れられそうな空間もある。ああ、ここが靴入れなのか。

「では、着用してみてください。まだぶかぶかだと思いますが、そのまま待っててくださいね。あ、着るのはもちろん下着の上からですよぉ。女の子は奥に更衣室があるので、使ってくださぁい」

 俺は制服を脱ぎ始めた。いよいよ本格的に始まったな、という感覚がしていた。今まで何となく勉強してきて、将来は適当に金が稼げる仕事に就ければいいと思っていたが、この学校で何かが変わる気がする。

 トランクス一枚になり、アーマースーツをロッカーから取り出した。ひんやりとしていて、素肌の上に着るにはかなり覚悟が要りそうだ。胸側に付いたファスナーをお腹あたりまで開け、右足を恐る恐る入れてみる。……暖かい。普通の服を着ているのと何ら変わらない暖かさだ。手足の先までしっかりと入れ、ファスナーを首まで上げる。先生の言った通り、ぶかぶかだった。

 全員が着たのを確認すると、先生は話を続けた。先生のスーツもいつの間にかぶかぶかになっている。

「左手首に長方形のカバーが付いていますので、開けてください」

 七、八センチのカバーが左手首の外側に付いている。開けると、上の方にはモニターが、下にはいくつかのボタンがある。ボタンは丸いボタンが二つと、その隣に左右に九十度傾いた三角形のボタンが二つ付いていた。

「丸の左が着、右が脱ですよぉ。三角のは左がスーツの温度を下げる、右は上げるになっています。それでは、丸の左を押してみてください」

 ポチッとな。プシュ、と空気の抜ける音がして、スーツがぴったりと肌にくっついた。体と一体化して、すごく動きやすい。さすが戦闘用のスーツだ。

「午後から訓練が始まりますので、これを着てそれぞれの訓練場へ行ってくださいねぇ。それと訓練終了後、今日はもう着ないと思ったら必ずこのロッカーへ戻してください。夜中に点検が行われますので」

「先生。これを着たままご飯をを食べてもいいんですか?」

 誰が質問したのかと思ったら、杏華だった。ロッカーの向こう側から声が聞こえた。

「大丈夫ですよぉ。もちろん防水、防刃、衝撃対策はバッチリなのです」

 お前はこれを着て食堂に入るつもりなのか。俺は勘弁願いたいのだが。

「あ、そうそう。ボタンのある方も上に上げることができて、その下の数ミリの隙間に学生証を入れられますよぉ。それではこれで、オリエンテーションは終了となりますぅ。お疲れ様でした」

 オリエンテーションが終わり、そのまま部屋を出ていく人と、着替える人に分かれていた。さて、俺はどうするべきか。とりあえず杏華と合流しよう。

「うーん……。どうしようかしら……」

 ロッカーの前で何か悩んでいる様子だった。

「どうした? 昼飯で悩んでいるのか?」

「違うわよ。午後からの訓練で、巡るルートを考えていたのよ」

「そんなの適当でいいんじゃないか? どこから行っても時間的には同じだろ? それよりも素早く合格する方が大事な気がするが」

「それもそうか……。あんたもたまにはいいことを言うのね。んじゃ、お昼ご飯にしましょう」

 やっぱりこの格好のまま部屋を出ていこうとしていた。こいつの性格からして面倒くさい、とか言いそうだしな。渋々俺もスーツのまま、あとを追った。杏華が何かを思い出したようしてこちらを振り向くと、

「あ、言い忘れてたけど、ご飯食べたらシュミレーターを使ってみるわよ。お昼休みなんて与えないから」

 はい?


 昼食を取ったのち、俺達は七号館シミュレーター室に足を運んだ。

 ただ今十二時二十分。午後の訓練開始が一時二十分から。オリエンテーションが早めに終わったため、かなり時間があいてしまった。そんな貴重な時間を杏華がみすみす手放すわけがない。

 この部屋に入るのにも学生証が要るらしく、俺は左手首のカバーを開け学生証を取り出した。通すと鍵が開いた。

 シミュレーター室には、カプセル型の装置が左右の壁際に十台ずつ、計二十台設置されていた。隣り合ったカプセルに入ることで、同じ空間の中で一緒に訓練できる仕組みになっているらしい。戦場に出るための必須科目の中に、シミュレーターを用いたペア射撃テストの項目があったはずだ。

 部屋には当然誰もいるはずはなく、たぶん俺たちが最初の使用者だ。俺は左側一番手前のカプセルの前に立ち、装置の頭側に付いているカード挿入口に学生証を入れた。シュッと飲み込まれ、シミュレーターが音を立てて起動した。

 靴を脱ぎ、九十度開いているシミュレーターで早速仰向けになると、内部右側に付いた閉じるボタンを押す。カプセル上部がうぃぃん、と閉じた。じっとしていると、眠りに落ちる時のような感覚で、俺の意識はなくなっていった。

 気が付くと、真っ白な空間の中で俺は仰向けになっていた。良く見ると、現実の物と同じアーマースーツを着ている。ゆっくり上半身を起こし、それから立ち上がった。

「やっとお目覚め? 現実でも仮想でも大差ないわね、あんたは」

 背後に杏華が腕組みをして立っていた。お前の性格は現実と仮想で変われば良かったのにな。俺は非常に残念に思うよ。

「ウインドウ」

 杏華が声を発すると、目の前に半透明のホロウインドウが出現した。横から覗き込んでみると、様々な訓練方法が記載されている。今のページはアサルトライフル系で、上のタブをタッチすることで他の銃に変更できるようだ。

「ほら! 銃の扱い方がちゃんとあるじゃない! ふふふ、あたしの予想は当たっていたようね」

 急にどや顔になった。もっと褒めろ、と言っているのが表情で分かる。杏華が銃の扱い方の項目に触れると、確認のダイアログボックスが現れた。はい、を押す。半透明のホログラムが消え、鈴の音が響き渡った。

「AR、銃の扱い方を開始いたしマス。銃をセットアップしますので、しばらくお待ちくだサイ」

 俺と杏華の前の何もない空間に色が付き始め、徐々に銃の形が作られていく。映像がぶれたりすることは一切なく、現実の物体にしか見えないほどだ。完成すると音声ガイドは説明を続けた。

「これからARの部品名称を教えマス。ですが、ここでは大切な部分だけでございますノデ、細かい所は先生にお尋ねくだサイ。あ、決して面倒だからではないでスヨ。それでは銃をお取りください」

 目の前に浮かんだ銃を手に取ると、しっかりと重さが伝わってきた。生まれてから銃なんて一度も持ったことはないが、意外にずっしりと重い。これを持って戦場を駆け回らなくてはならないと思うと、少し気合を入れ直す必要がありそうだ。

「引き金、トリガー。通常は右手の人差し指で引きマス」

 ガイドが説明を始めると、その部分が赤く点滅しだした。ちゃんと分かりやすいように工夫が施されているんだなぁ、と感心する。

「その周りがトリガーガード。そして右手で握る部分が、銃把、ピストルグリップ。グリップの上に付いているのが、セレクターレバー。このレバーを動かすことで、安全、単射、連射の切り替えができマス」

 ふむふむ。これは俺でも知っている所だな。

「銃の最後部が、銃床、ストック。肩に当て、照準を安定させるための部品デス。ストッパーを押すことで、伸縮させることができ、自分に合った長さに変えられマス」

 ストックか。射撃する前に調節する癖をつけておかないとな。

「ストックの前にあるのが、コッキングレバー。従来の銃でしたら、ボルトを後退させ、銃内部のハンマーを起こし、弾丸を薬室に送り込む動作を行う際に引くものなのデス。しかし、私達が使用する新型銃は、電気を用いた全く別タイプの銃で、ハンマーを起こす必要がなくなりまシタ」

 ほうほう。 役目が一つ減ったのか。

「最初の弾倉を入れたあとは、必ずこのコッキングレバーを引いてくだサイ。もし忘れた場合、弾丸は発射されまセン。最悪、故障を引き起こすことになりマス」

 マジか……。絶対に忘れちゃダメだな。

「それから、このタイプの銃には欠点がありまシテ。使用するRF弾は、斥力によって弾が飛ぶ仕組みなのですが、ごくたまに斥力が発生しないことがあるのデス。なにせ制作されてから歴史が浅いものですカラ。そういった不発弾を強制排莢して次弾を送り込む際に使うのが、コッキングレバーの役割でもあるのデス。……それにしてもこの弾は火薬を使っていないのに、名称は弾薬や薬莢を用いるのでスネ。他に呼び名がないのでしかたがありませンガ……」

 トリガーを引いて弾が出なかったら、コッキングレバーを引いて次弾に変えればいいのか。どれだけ素早く反応できるかがカギとなるな。てか、さっきから思っていたが音声ガイドの話し方がどうも人間臭い。本当にAIかと疑ってしまうほどだ。

「ピストルグリップの前に付いているのが、弾倉、マガジン。弾丸を装填する部品デス。そのそばのボタンは、マガジンリリースボタン。弾倉を交換する際、取り出しのためにここを押しマス」

 押さないとリロードできないのか。慌ててる状況だと忘れてしまいそうだ。

「マガジンリリースボタンの上に付いている小さな突起が、ボルトリリースレバー。弾を全て撃ち尽くすと、ボルトが後退したまま停止しマス。リロードしたあとにここを押すことでボルトが戻りマス。これにより、わざわざもう一度コッキングレバーを引かなくても、次弾をうてるようになるのデス」

 それはありがたい。リロードの時間はなるべく短い方がいいし。

「銃の右側面にあるのが、排莢口、エジェクション・ポート。空薬莢を排出する箇所デス。上に付いているのが、ホログラフィックサイト、通称ホロサイト。これを覗いて照準を合わせマス」

 サイトを覗いてみると、赤いサークルがあり、その中心に点が打たれていた。この点を当てたい所に合わせるのか。

「前方部の長い部品は、ハンドガード。この部分に垂直に取り付けられたグリップをバーティカル・フォアグリップ、または単にフォアグリップと呼びマス。構える際、通常は左手でここを持ちマス」

 試しに構えてみる。右手でピストルグリップ、左手でフォアグリップを持ち、銃床を肩に当てた。今は丁度いい長さで変える必要はないな。これならブレも少なく、しっかりと狙い撃つことができそうだ。

「ハンドガードの前の細い部分は、銃身、バレル。推進された弾丸が通る銃口までの経路デス。ここの螺旋状の溝で弾丸にジャイロ回転を与え、弾道を安定させる効果がありマス」

 へぇ、銃ってちゃんと考えて作られてるんだな。技術者達の努力の結晶だ。

「これで説明は終わりになりマス。続けて射撃訓練1を行いまスカ?」

「お願い」

 杏華が答えると、再び鈴の音が鳴った。

「了解しまシタ。射撃訓練1のセットアップを始めマス」

 周り全てが白い空間なので距離感が掴みにくいが、およそ二十メートル先にターゲットが出現した。ココア先生に初めて会ったSR訓練場と同じ、色分けされた的だ。中心の赤い所が10点のはず。

「とりあえず単射で撃ってみまショウ。コッキングレバーを引き、ホロサイトを覗いて照準を合わせ、トリガーを引いてくだサイ」

 弾倉はもう入ってるから、コッキングレバーを引いて……。よしオッケー。アサルトライフルを構え、安全から単射に切り替えると、サイトを覗いた。うわ、思ったより手ブレが酷いな。的の中心に照準が合っている瞬間が限りなく短い。

 パシュッ!

 隣にいる杏華が先に撃った。見事に当たり、ターゲットの上に10点と表示された。的のホログラムが一度消え、当たった箇所が良く分かるように目の前に映し出される。着弾した所が黒い点で表されていた。くそう、先を越されるとは。。しかもほぼど真ん中に当てやがった。俺は再びサイトを覗き、照準が合うとトリガーを引いた。銃の反動が体全体に伝わり、青白い弾丸が発射される。排莢口から黒い薬莢が飛び出した。

 10点範囲内の下部ぎりぎりに着弾。危ない、あと少しで紫に当たるところだった。点数は一番外側の白が1点、緑が3点、青が5点、紫が8点、中心の赤が10点となっている。

「次に連射にして撃ってみまショウ。」

 レバーを連射に変更する。狙いを定め、トリガーを引く。パパパパパシュッ! 連続した反動が肩を叩く。さすがフルオートだ、反動で弾にばらつきが出る。一発目は赤に当たったが、次の二発目は紫の所に着弾していた。ターゲットの上に出る点数は、最新の五発まで表示されるようになっていて、今は左から10、8、8、10、8だった。

「ちっ、一発外したわ」

 杏華の得点は、10、10、10、10、8。最後だけ赤を外したらしい。一発だけならいいじゃないか。俺なんて三発も紫だぞ。

「では次に弾丸がなくなるまで撃ってみまショウ。せっかくですから、腰だめで弾をばら撒いてみることにしまショウ」

 的に向かってサイトは覗かずに、腰の位置でトリガーを引く。初弾で大分逸れているのが分かり、即座に修正してしたが、的に当たったのは最後の二発だけだった。腰だめはどこを狙っているのか掴みにくいな。サイトを覗く余裕がない時は腰だめになるが、これは慣れが必要だろう。

 目の前に輪郭が描かれ、内部に色が付いて弾倉の形に変わった。

「リロードしてみまショウ。マガジンリリースボタンを押して古い弾倉を外し、新たな弾倉を入れ、ボルトリリースレバーを押し戻してくだサイ」

 ボルトが後退し排莢口が開いていた。古い弾倉引き抜くと、手の中で消滅した。一瞬理由が分からなくて焦ったが、ここが仮想空間だということを思い出して納得がいった。空中に漂っている新しい弾倉を手に取り、銃に押し込んでボルトリリースレバーを戻す。

 アサルトライフルの標準弾倉は三十発だが、フルオートで撃つとすぐなくなるな。意外とリロードの回数って多いかもしれない。猛獣に襲われている時に弾切れになった状況を想像して恐ろしくなる。

「次に不発弾があったあとの強制排莢をやってみまショウ。三発目が不発を起こすように設定しますので、コッキングレバーを引いてくだサイ」

 実際に引き金を引くと、パパシュッ! と二発発射されたあと、銃の動作が停止した。今は不発が発生するのが分かっているから、動揺したりパニックになったりすることはないが、実地でもし起こった場合、これは相当やばい気がする。

 コッキングレバーを引き、青白い弾丸の付いた実包が排莢口から飛び出す。再びトリガーを引き絞ると、唸りをあげて銃弾が射出された。

「AR・射撃訓練1はこれで終了デス。訓練2に進みまスカ?」

 これで一通りのアサルトライフルの使い方は分かった。先生に教わる時にはこの予習が役に立つだろう。

「ところで、今何時だ?」

 俺は音声ガイドに尋ねる。時計も何もない、ただ白いだけの空間に立っていると、時間の経過が良く分からなくなる。午後の訓練に遅れたりしたら大変だ。

「一時一分四十九秒デス」

 あと二十分か。ここらでやめてもいい気がする。

「どうする、終わっとくか?」

 杏華の方を向いて相談をしようと思ったが、マガジンと戯れているようなので諦めた。抜いたり戻したりを繰り返していて全然聞いていない。

「この辺で帰らないと、午後の訓練に間に合わないぞ。……聞いてるのか? 頭吹き飛ばすぞ」

「ん? ああ、ごめんごめん。銃に弾倉を入れるのが楽しくなっちゃって」

「お前もかなりの変態だな」

「それで、何だって?」

「今一時二分だから、現実に帰るぞ。午後の訓練に間に合わなくなる」

「だったらさっさと戻りましょう。……ガイドさん、どうすれば戻れるの?」

 杏華が上向きに声を発する。

「今から帰還作業を開始しマス。ワタシの指示に従ってくだサイ」

 手に持っているライフルがパッと輝いて消滅した。仮想空間の便利さは計り知れないな。壊れたら直せばいいし、なくなったら足せばいい。現実で訓練するのと全く変わらないのに、必要な物は自分の体だけだ。

「床に仰向けになり目を閉じてサイ。現実に帰還後の脳と体のズレを最小限に抑えマス」

 腰を下ろして仰向けになる。目を閉じ待っていると、

「――リンク解除」

 ガイドの言葉が耳に入り、脳で意味を理解したのと同時に、俺の意識は仮想の体から引き剥がされる。暗闇に飲み込まれ、意識がなくなった。

「うっ……」

 起床する時と同じ感覚で、目を覚ます。シミュレーターの上部を開け、靴を履いて立ち上がる。不意に左肩を叩かれ、ドキッとした。振り向くと、杏華が満面の笑みを浮かべていた。

「これ楽しいわね! 夜中にもどんどんやりましょう!」

「ああ自由にやってくれ。俺は寝るけど」

「は? 何言ってるの? あんたももちろん参加よ。あんたが下手であたしが怪我をしたら嫌だもの」

 右肩をギチギチ掴みながら笑顔で言うな。お前は寝なくても生きられるかもしれないが、俺は六時間以上寝ないと死んでしまうんだよ。ゴリラと人間の差についてもう少し勉強が必要だな、お前は。

「分かった分かった。どこまでも付いて行きますよ、お嬢様」

「地獄のさらに奥までね」

 部屋を出ると、杏華が午後の予定を話した。夕方になるとできなくなる、屋外のSRとアイテムを先に履修し、屋内で照明のあるAR、SG、HGをあとに回す。訓練は全て六十分で行われ、午前中に三コマ、午後に五コマある。今日の順番はアイテム、SR、HG、SG、ARだ。


 午後一時二十分。六号館、実弾射撃訓練場屋上。

 俺達の他に三十人ほどが集まっていた。縦横何十メートルもある屋上に三十人だとスカスカのように思える。

 先生の姿はまだ見えない。アイテム科目とのことだが、果たして何をやるのだろうか。

「みんなどけええええぇぇぇぇ―――――ッ!!」

 上空から声がした。太陽が眩しく、目を細めながら見上げると、誰かが空から降ってきた。親方、空から人が!

 小さかった人影が、みるみるうちに巨大化していく。てか、このまま落下してくれば間違いなく俺にぶつかる。マズい、逃げないと。周りを見渡すと、すでに他の人は落下点から遠ざかっている。どうやら俺だけが逃げ遅れたらしい。やれやれ、ビビりな奴らだな。

「諒、死ぬわよ」

 分かってるよ! 俺は思いっきり横に飛んだ。

 落下した衝撃音は――なかった。伏せながら顔だけ向けると、オレンジ色の電磁波のような中でゆっくりと落下してくる所だった。何だよ、逃げて損した、と思いつつ俺は立ち上がる。

 屋上に降り立ち、何やら手に持った物を操作したかと思うと、電磁波が消えた。

「いやー悪いね。新型の跳躍アイテムをテストしてたら出力をミスって三百メートルくらい飛んでしまったよ! はっはっは!」

 男性は大口を開けて快活そうに笑った。アーマースーツを着ているから、この人がたぶんアイテム科目の先生なのだろう。それにしても大きい、身長が高い。百九十センチはあるんじゃないか?

「俺はアイテム科目担当、藤岡修二だ。さあ張り切っていこうか! お前ら反重力球は持ってるか? 持ってるかって言っても標準で付いてるんだけどな! あっはっは!」

 テンション高めの人だなぁ。俺は常時テンションが低めだから、こういう人と一緒にいると疲れる。

「右脚に付いているのがそれなんだが、一つ取り外してみてくれ」

 右太股の外側に三つのアームで挟まれた、ピンポン玉くらいの大きさの黒い球が、二つ上下に付いている。スーツを着た時には気付いていたが、触ると問題が起こりそうだったのでやめておいた。

 アームの隙間から球を掴み、引っ張る。カチッ、と音がして上の球が外れた。しげしげと球を見ると、一部分が円柱状に出っ張っている。

「スイッチを押すと重力場が発生するんだ。落下がすごくゆっくりになるから、高所から飛び降りても平気、というわけだ」

 藤岡先生がスイッチを押すと、オレンジ色の重力場が一瞬で広がり、直径二メートルの球状になった。さっき着地する時に使ったのはこれだったのか。

「反重力球の使い方はこれだけではなくてな。重力が小さくなると、ジャンプした時に高く飛べるようにもなるんだ。どうだ、すごいだろう?」

 こんな小さい球なのに高性能だな。いや命を賭けるんだ、このくらいは当たり前か。

 先生が反重力球のスイッチをもう一度押すと、重力場が消滅した。

「お前らにやってもらうのは……うーむ言葉では分かりにくいか。実際にやってみるからこっちに来てくれ」

 生徒を安全柵の所まで移動させると、先生は俺達から距離を取った。屋上の床を蹴り、柵に向かって疾駆する。短距離走選手並みの速さのまま、柵の直前で重力場を展開させ一気に跳躍。俺の胸くらいの高さの柵を悠々と飛び越え、なおも上昇していく。

 最も上昇した所で先生は反重力球のスイッチを切り、自由落下が始まった。地球の重力が体を引き、地面が近づいてくる。残り三メートルの位置で再び重力場を発生させ、そのままゆるやかに着地した。

「さあ、やってみろ! これができないと、第二段階なんて絶対無理だぞ!」

 振り向いて先生が大声で叫んだ。

「何だ簡単じゃない。あたし一番に行っちゃうわよ」

 杏華が人混みから離れ、先生が走り出した位置へと向かっていく。何事も一番最初にやるのには勇気がいるもんだが、こいつは自分から喜んで挑戦するんだよな。そういうところは俺も素直にすごいと認めるしかない。

「一番はあたしのものだぁ!」

 ダッ、と駆け出し、長い髪をなびかせながら加速していく。重力場を発生させて跳躍。

「わあああぁぁぁ! たっかぁぁぁいいいいぃぃぃ――――!!」

 楽しそうに空中を舞う。最高点に到達し、放物線を描きながら落下が始まる。危なげもなく先生とほぼ同じタイミングで重力場を広げ、つま先から地面に降り立った。その後、体がぷるぷると震えていた。他のみんなには理由が分からないと思うが、俺には分かる。あれは面白すぎて感動しているんだ。内なる感動に体が耐えきれずにぷるぷるしてしまうのだ。

 勢いよく振り返ったかと思ったら、杏華の口からとんでもない言葉が飛び出した。

「次はあんたの番よ! 早く来なさい!」

 どうやら俺の心の準備の時間はないらしい。もう少し他の人の様子を見てコツを掴みたかったのだが。中途半端は身を滅ぼすことを知らないな、あいつ。

 しかたない、当たって砕けろの精神でいくか。

 俺は助走のための距離をを取ると、長く息を吐いた。気持ちを落ち着かせ、眼前にある柵を見つめる。他の生徒の声や姿を極力排除し、踏み切る瞬間を脳内で繰り返しイメージする。

「行けっ!」

 掛け声とともに助走を開始。スーツのおかげで軽くなった体を、全力で動かす。柵が近づき、右手で持った反重力球のスイッチに親指を手を掛ける。押し込み、俺の周りに重力場を展開させ、次の一歩で跳躍した。

 足が地面から離れると、地球ではありえないほどの浮遊感が生まれた。おお、これは確かに杏華が興奮するのも分かる気がする。このまま落下しないのではないかと疑うくらい、本当に浮遊感がすごい。やがて上昇の頂点に達し、スイッチを切った。ぐいっ、と体が下方向に引っ張られる。

「うわぁ!」

 情けない悲鳴をあげてしまった。怖い。別に高所恐怖症ではないのに、なぜか怖い。そうか、それほど高くないから逆に怖いんだ。スカイダイビングと違って一瞬で地面に激突する。余裕がないから、焦ってパニックになり結果的に恐怖が増す。

 反重力球のスイッチを押した。もう少し粘れたかもしれないが、安全を取る。徐々に降下し、足の裏が地面に着いた。スイッチを切り、ふぅ、と一息ついた。

「お疲れ。あんたにしてはよく頑張ったんじゃない?」

「そりゃどうも。心の準備をさせてくれたらなお良かったんだが」

「準備なんて一秒もかからないでしょうが。そんなのは自分に対する甘えなのよ」

 それから俺達は藤岡先生の指導のもと、反重力球の使い方を身に染み込ませていった。実地では危機回避の手段として多用することになる。上手く使いこなせないと、自分どころかパートナーにも危険が及ぶからな。


 その後、様々な種類の銃の訓練を受け、一日が終了した。意外にハードで、集中力を使うのが分かった。夜にも杏華に無理矢理連れ出され、シミュレーターで特訓させられた。体は動かしていないので、肉体的には疲れないが、精神的な疲れが蓄積していく。これを毎日続けていたら本当に過労死してしまうんじゃないか、とかなり不安になった。

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