2章-6 役行者
翌日の朝食後、各々の役割を進捗している四天王を残し、ベリアルを伴って屋敷を出ると、昨晩とは別の谷を遡行する林道を辿って行った。
ベリアルはチノパンにチェックのシャツを着て、上から登山用のアウターを着ている。
今から行く寺の住職に今の時点で正体がばれるとまずいので、ぼくがそうして貰った。
林道に入ってすぐ右側に小さな神社があり、その先の右手にも祠がある。
惟喬親王を祀る神社と、その愛する鷹を祀った祠だそうだ。
惟喬親王は平安時代の親王で、とある理由でこの地に隠棲していたという人物らしい。
その為、この辺りには惟喬親王に纏わる伝説が多く残っている。
木地師(木工品を加工、製造する職人)の始祖だという伝説もあり、なかなか興味深い人物だ。
そもそも、この奥に聳える桟敷ヶ岳の山名自体が、惟喬親王が頂上手前の尾根で桟敷を組んで都を眺めていたというところから付いている。
神社と祠を通り過ぎ、更に林道をのんびり辿る。
右手は崖の様な急斜面になっているけど、時々上の方から「ケーン」という鹿の鳴き声が聞こえる。
左手に流れる渓流が朝日を反射してキラキラと輝きながら流れている様は、心が洗われる様だ。
ベリアルはというと、何故か神妙にぼくの後ろを付いてくる。
「どうしたのベリアル?今日は大人しいね」
「いや別にどうということはないんだけどね。
来栖様の屋敷でも感じてたんだけど、この辺りって結構な魔力が漂ってるね。
それがどんどん濃くなってる」
「この土地は、大昔から天皇家との繋がりが深いけど、魑魅魍魎の棲処としても有名だからね。
そのせいで魔力というか、瘴気なんかが溜まってるんじゃないかな」
「そうなのか?魔力が溜まる土地っていうのは洋の東西を問わずにあるんだな」
「魔力っていうのがそもそも何なのかぼくには解らないけど、ベリアルがそう感じるならそうなんだろうね」
ベリアルと話ながら進んで行くと右手の谷沿いに林道の分岐があり、分岐手前に登山道を示す標識があった。
更に暫く歩くと、左手が少し広場の様になったところがあり、道が緩く蛇行している。
カーブを抜けると、目指す古刹の山門が見えて来た。
山門手前の右手に寺務所と修験者が泊まる簡単な施設が建っており、住職はここに詰めている筈だ。
「こんにちわ!」
寺務所の引き戸を開けて中に呼び掛けると、すぐに住職が出てきてくれた。
「おぉ、来栖やないか。久し振りやな。元気にしとったか?
ん?後ろのその別嬪さんはどなたや?
暫く会わん間にそんな別嬪連れて歩く様になったんかい?
楓ちゃんの四十九日もまだやっちゅうのに、あんまり感心せんのぉ」
住職は一気にそう捲し立てると、腕を組んでぼくを睨み付ける。
「いえ、この人はそんなんじゃないんですよ。
ちょっとした学校の知り合いです。
日本史を専攻してる関係でこの寺を見学したいって言うもんですから、ぼくが案内してるだけなんです」
ちょっと言い訳がましくなってしまった。
「そうか?それやったらええねんけどな。
楓ちゃんがお前んとこの家であんなことになったっちゅうのに、すぐに別のおなごに靡くなんてことは、儂が許さんぞ?」
住職はぼくが小さい頃から可愛がってくれて、親代わりの様なものだ。
だからぼくの世話を焼いてくれていた楓とも当然面識があり、ぼくの将来の嫁とか言って可愛がっていたので、今回の楓の件は流石の住職にも少しショックだったらしい。
「で、そちらのお嬢ちゃんは境内を見たいんやな?
それやったらお前が案内したれ。
解ってるとは思うけど、写真なんかは撮ったらあかんぞ?」
ここの寺は、今もって修験者の修行の場でもあるので、境内の写真撮影は厳禁されている。
「うん、解ってるよ。はい、拝観料」
そう言って住職に千円札を渡そうとするけど、住職は腕を組んだままで受け取ろうとしない。
「お前から拝観料取る程困っちゃおらんわい。そんなもんしもて、さっさと案内したり」
そう言い残すと、踵を返し奥に戻って行く。
が、ふと立ち止まり振り返った。
「あ、そうそう。解ってるとは思うけど、岩屋清水から奥は入ったらあかんぞ?
お前一人やったら兎も角、お嬢ちゃん居るねんからな」
それだけ言うと、さっさと奥に入っていった。
岩屋清水とは境内の奥まった所にある見上げんばかりの大岩で、岩の中腹に開いた岩窟に湧いている清水のことだ。
その奥というのは裏山に続く道で、修験者の修行の場となっていて、魑魅魍魎の棲処でもある。
相変わらず愛想のない住職だけど、ぼくにとっては爺ちゃんの次にお世話になった人だ。
あれでかなり優しいところもある人なんだ。
「んじゃ行こうか」
ベリアルを促して山門に向かう。
山門を潜るとすぐ正面に本堂が建ち、左脇に奥の飛竜の滝へと続く小道が見えている。
ぼくはぶらぶらと本堂へ向って歩き始め、すぐに立ち止まった。
「あれ?どうしたのベリアル?」
ベリアルが山門の下で立ち尽くしていた。
「いや……ここはかなり魔力が濃いな。流石のあたしでも踏み込むのを少し躊躇するよ」
「ベリアルからそんな言葉を聞くとは意外だね。
もっと余裕かと思ってたよ」
「ん、いや、入れないことはないよ?ほら、全然大丈夫っ!」
そう強がると、すたすたとぼくの方にやってきた。
「……かなり無理してない?」
「いや、全然大丈夫だっ!」
そう言い合いながら本堂脇の道を進む。
すぐに石段が始まるけど、その石段の上に襤褸を纏った老人が座っていた。
「……」
「……」
ぼくとベリアルは思わず立ち止まって無言になる。
老人は長い木の杖を肩に立て掛け、ぼんやりとこちらを眺めている様だ。
飄々とそこに腰掛けているだけだけど、物凄い圧迫感を受ける。
ただの老人という訳ではなさそうだけど、装束からして修験者でもない様だ。
「……」
「……」
どうしていいか解らず立ち尽くすぼくと、老人を睨み付けているベリアル。
すると突然、老人はぼくの顔をしげしげと眺め始めた。
「……ぬし、名はなんと言う?」
「は、はい。小角来栖と言います」
「ほほぉ、ぬしがのぉ。どおりで魔物を連れておる訳じゃわい。
それもそこいらに居る様な可愛気のある魔物ではないの」
そう言って老人はくつくつ笑う。
「あの……どちら様ですか?ぼくの事、ご存知なんでしょうか?」
「どちら様とはこれまた寂しい事を言うのぉ。
儂が解らんか?」
そんなことを言われても、見た事のない顔だ。
でも……何故か懐かしい感じもする。
誰だろう?
ぼくが一人頭を捻っていると、老人がゆらりと立ち上がった。
「儂は小角じゃ。役小角じゃよ。役行者と呼ぶ者も居るがの」
「えっ?役小角?それじゃぼくのご先祖様?」
思いも掛けない答えに、ぼくは驚きを通り越して放心する。
それはそうだ。
自分の遠い昔のご先祖様が突然現れるなんてことは、常識で考えれば有り得ない。
とはいえ、ベリアルなんて大悪魔を後ろに従えているぼくには、それを一蹴することもできない。
できる事はと言えば、絶句するだけだった。
「可愛い子孫が困っておるもんじゃから、出てきてやったわい。
ぬしも儂に会いたくてここに来たんではないのか?」
「いや流石にそこまでは思ってなかったですよ。
まさかご先祖様が出てらっしゃるとは……」
「まあここはそういう場所じゃ。ぬしも少しは知っておろう」
「確かにこの寺はそういう場所ですけど……」
「しかしぬしは凄い魔物を連れておるのぉ。
儂が使役しておった前鬼・後鬼とは比べ物にならんくらいの魔物じゃ」
そう言いながら役小角は、ぼくの後ろに立っているベリアルを眺める。
「ぬしの器も大したもんじゃ。この魔物、しっかりとぬしに縛られておる様じゃの。」
そう言ってぼくに視線を戻した。
「で、儂に何か用があるんではないのかの?
よもやその魔物を伏滅したいという訳でもあるまい」
「ふ、伏滅なんてとんでもない!
ベリアルは大事な人ですから!」
慌てて言うぼくに、役小角はにやっと笑い掛けた。
「ほう。『人』とな?この魔物を人呼ばわりとは……益々大したもんじゃ。こんな強大な魔物を身内と言うか?」
「そりゃそうですよ。ぼくの都合で呼び出して縛り付けちゃったんですから」
そう言ってベリアルを振り返ると、何故かベリアルはほわっとした顔でぼくを見つめていた。
「ベリアル?」
「ん?あ?あっ、どうしたんだ来栖様?」
「……いや、なんでもない」
魔物呼ばわりされたことで怒ってないかと心配したけど、別に大丈夫そうだし暫く放っておこう。
もう一度振り返り、ご先祖様と正対する。
「実はちょっとした事情で、このベリアルとその眷属を下僕としたんですけど、そうするとこの地に留まるのは無理があるらしくって。
別の土地に移ろうと思うんですが、その前にこいつらが日本の神仏にどれくらいの耐性があるのかを知っておいた方がいいかと。
そう思ってまずはここに来たんですよ」
「ふむ、成る程の。
どうせこの辺りをうろちょろしておる天狗辺りからねじ込んで来られたんじゃろうの」
そう言ってまた石段に腰を下ろす。
流石は音に聞こえた役行者、お見通しの様だ。
「儂が見る限りでは、神域に立ち入らなんだら大丈夫じゃろ。
かなりの力を持った魔物の様じゃし、ぬしという立派な主が居るしの。
で、ぬしは移る土地に心当たりはあるのかの?」
「いえ、僧正坊とも話をしたんですが、どの土地に移っても妖怪は棲んでいるだろうし、悶着の起きない土地というのを探すのは難しいかなと思ってます」
「それはそうじゃの……。妖怪や魑魅魍魎と悶着が起きず、神仏も在わさん場所のぉ……」
そう言うと、役小角はきつく目を閉じて考え始めた。
心当たりを探ってくれている様だ。
「やっぱり、難しいですよね……」
日本は八百万と呼ばれる程に神の多い土地だ。
それに加えて数多の妖怪や魑魅魍魎が棲み着いている。
そう考えると、それらの影響のない土地なんてないんだろう。
そんなことを考えていると、役小角が突然目を見開き手を打った。
「そうじゃそうじゃ。そう遠くない場所にうってつけの土地があるわい!」
「えっ?あるんですか?」
「浪速じゃ、浪速!」
「なにわ?大阪ですか?」
「そうじゃそうじゃ。
そもそも儂が生きておった頃には蘆の生い茂ったただの沼地じゃったからの。
その後段々と埋め立てて乾いた土地にしおったもんじゃから、元々棲んでおった水妖どもはもう棲んでおらんじゃろ。
そう考えると、今棲んでおる妖怪どもは地付きの妖怪ではない筈じゃから、話ができんこともないと思うぞ?」
成る程。
確かに大阪は平安時代の頃には低湿地で、小舟が行き交う様なところだったと聞いた事がある。
唯一土地と呼べるのは、現在の上町台地の辺りだけだったらしい。
その後、淀川の土砂の堆積や埋め立て等で段々と湿地が埋まり、戦国時代から徳川時代に掛けて人為的な埋め立ても行われ、現在の大阪になった様だ。
「そうですね……確かに大阪は良いかもしれませんね。
でも、地付きではなくとも、妖怪は棲んでいるですよね?」
「浪速の地も人間が引っ繰り返す様に弄ったと聞くから、もうそんなには棲んで居らんじゃろ。
居っても魍魎(水の精や妖怪の総称)の生き残りくらいじゃ。
そこな魔物が来れば、慌てて逃げ出すじゃろうよ」
ふわぁっはっはっ、と愉快そうに笑う。
「それなら好都合かもしれませんね。
大阪でどこかお勧めの土地はありませんか?」
「そうじゃのぉ……儂の子孫なんじゃから、本来なら生駒辺りの縁のある地が良いのじゃろうが、今回は無理じゃの。
元々の葦原だったとこが良いじゃろうから、淀の川沿いで探すがよかろうぞ」
「淀川沿いですか。確かに仰る通りかもしれません。
でも、淀川沿いとなると大阪天満宮がありますが、大丈夫でしょうか?」
「浪速の天神様なら大丈夫じゃ。拝んで御利益はあるじゃろうが、あそこには滅多に在わさんわい」
「そうなんですか?それはまた悲しい話ですね」
ぼくは思わず苦笑してしまった。
「ではその方向で検討してみます」
「うむ、そうするがよい」
そう言うと役小角は杖を手に立ち上がった。
「また何ぞあったら何時でも来るがよいぞ。
儂もここに留まっておる訳ではないが、ぬしが呼ぶなら来てやろう。
ここでなくとも、金剛や葛城でも良いしの」
ふわぁっはっはっ、とまた愉快そうに笑う。
「はい、ありがとうございます」
そう言ってぼくは頭を下げる。
ぼくが頭を上げたとき、そこにはもう石段だけが残っていた。
役行者は昔から好きなのですが、あまりメジャーにはなりませんね。
かなり凄い人だと思うのですが。。。
一時流行した安倍晴明なんて、子孫である賀茂忠行の弟子なんですから。
もっと評価されてしかるべき人物だと思ってます。
因みに、現在執筆済は第一部分で、現状投稿済み分が大凡半分になります。
二部以降は構想はあるのですが、まだ書いていませんので、ぼちぼち取り掛かっていこうかと思ってます。
----感想等々、お待ちしております!




