1章-2 召喚
やっとそれらしくなってきたかも。
「BAZUBI BAZAB……」
悪魔への呼び掛けの「言葉」を詠唱する。
両手両足を折られた男は魔方陣の中央で動くこともできず、震えながら目を見開いてぼくをただ見ている。
「LAC LEKH CALLIOUS……」
詠唱を続けながら、ぼくは男の左胸に包丁を突き立て、肋骨の上の皮と肉を剥ぎ取る。
「があぁっ! あっ、ぐがぁっ!」
男は暴れるけれど、その場で体を左右に捩ることしかできない。
「OSEBED NA CHAK……」
男には斟酌せず、詠唱を続けながら表れた肋骨を力任せに手前に引き折る。
「ぐはっ! はっ、はっ、はっ、はっ」
男は既に虫の息で、がくがくと震えながら荒い息をなんとか吐いている状態だ。
この息の根が止まる前に終えてしまわないと……。
「ON AEMO EHOW EHOW EEHOOWWW……」
肋骨を三本取り払うと、その下で心臓が脈打っている。
隙間から中に手を入れ、脈打つ心臓を掴む。
「ぐっ、がはっ……」
男の口からは赤黒い血が泡の様に溢れ出、全身が痙攣している。
「CHOT TEMA JANA SAPARYOUS!」
そして詠唱を終えると同時に心臓を引き千切り、魔方陣に叩き付けた。
「……」
何も起こらない……。
失敗か?
暫くの間膝立ちで呆然としていると、五芒星が赤く光り始めた。
光はどんどんと強くなり、部屋中が赤色に染まっていく。
成功したのか?
立ち竦むぼくの背後から、思いも寄らず美しい声がした。
「おいおい、召喚なんてされたのは三千年ぶりくらいだぜ。
しかもこんな小僧とはな。
よくもまぁ、あたしを召喚する術を知ってたもんだ。
それに免じてお前の希いを聞いてやろう。
何が希だ?」
振り向くと、そこにはにたにたと冷酷そうに笑う、美しく赤い悪魔が中空に浮かんでいた。
邪悪な者
無価値なもの
無益な者
敵意の天使
悪の権化として様々な名で呼ばれ、真実を口にすることは滅多にないという、上位王子である悪魔ベリアル。
その姿はあまりにも美しく、見る者を圧倒する。
真っ赤に燃える様な髪を背に靡かせ、にたにたと笑いながら、しかしその真っ赤な瞳は突き刺す様に鋭くぼくを見据える。
誇張する様に膨らむ冗談の様な大きさの胸、折れそうな程急激にくびれたウエスト、そしてまた急激に盛り上がる腰。
お尻からは、蛇の様な尻尾が出ている。
ぴったりと貼り付く様な真っ赤な服は下着にしてもその面積は少なく、申し訳程度に身体を隠している。
人間には有り得ない、魅力的な姿だ。
熾天使であった頃の上品さを欠片も滲ませず、悪魔の中でも特別に忌み嫌われる、背徳と堕落と邪悪の権化。
「おいおい、声も出ないのかよ?
呼び出したんだから、さっさと希いを言えよ。
あたしはこれでも忙しいんだぜ?」
「あっ、と……ベリアル……さん?」
「そうだよ。お前が召喚したんだろ?」
「そうだけど……。上位王子って言うくらいだから、男の悪魔を想像してたんだけど、こんな美人だったんですね」
「そう見えるか?」
「こんなに綺麗で凄いスタイルの男は居ないでしょう?」
「まぁ、そうだな。 もっと褒めろ」
にたにたが、にやにやになっていく。
「ところで、希いを叶えてくれるそうだけど、代価とか条件とかっていうのはあるんだよね?」
「そりゃあるさ。 代価はお前の魂、条件はあたしが叶えられるものってとこだ」
「代価は良いとして、叶えられるものっていうのは漠然としてるね」
「あたしが叶えられないことっていうのはそんなにないぜ。
サタンやルシファーの奴はあたしより偉そうにしてるけど、実際の能力的にはあたしの方が上だからな」
ベリアルはその凄まじいまでの巨乳をぐいっと張る。
ぽよよんと震える様は眼の毒だ。
「それで、制限やなんかはあるの?」
「そうだな、まず良くある話だが、希いはひとつだけで「増やす」っていう希いは駄目だ。
そんなことした日にゃ、キリがないからな。
叶えるために年数が掛かるものも駄目。
後は……神の領域に属することだな」
「神の領域って言うと?」
「決まってるじゃねぇか、生と時間だよ。
だから、死人を生き返らせるとか、子供を授けるとかってのは、神に頼んでくれ。
未来や過去に行くのもだめだ。
もっとも、未来から今時点になら戻って来れるけど、そこまで希いを引っ張るっていうのはそれ自体が駄目だから、実質的には無理だな」
「……」
成る程確かに、生は悪魔の範疇ではないのかもしれない。
時間を遡行するのも無理か。
しかしそれでは、今のぼくのたった一つの希いは叶わないことになる。
「ところで、ベリアルさんは真実を口にしないっていうことだけど、今の話はどこまでが真実なんだろう?」
「それをあたしに聞くかい?
聞いたところで、それが真実だとでも?」
一層ベリアルのにたにたとした笑いが大きくなった。
「でもまぁ、安心しな。契約に関することについては、真実しか言っちゃいけないことになってる」
「そうか、それじゃ全部本当なんだね……」
ベリアルが嘘を吐いているなら可能性は皆無じゃなかったんだけど、その希も消えた様だ。
「で、どうするんだ? 早く希いを言え」
「因みに、希いが無かった場合はどうなるんだろう?」
「そりゃこの場でお前の魂を頂いてお終いだよ」
「希いを聞いて貰わなくても魂は取られるんだ?」
「お前、何か勘違いしてやしないか?
魂は希いの代価じゃなくって、あたしを呼び出した対価だよ。
だからもう既に、お前の魂はあたしのもんだ」
こうなると、もうぼくに残された選択肢は一つしかない。
但し、上手くいくかどうかも解らない、文字通りの博打だ。
でも……。
ぼくは何故こいつを召喚した?
楓を取り戻したいからなんだよな?
それじゃ何故、楓を取り戻したいんだ?
楓をこんな形で失ったままで、この先生きていくのか?
「早くしろよ。あんまり遅いと時間制限付けるぞ?」
「待って。解った、言うよ」
「そうか、それじゃ早く言え」
ぎろっと光るその赤い眼が、凄味を増して輝く。
大きく息を吸い込み、
「ぼくの希いはっ!」
ぼくは叫んだ。
「ぼくの希いは、お前が今以上の力を得て、未来永劫ぼくの忠実な下僕となることだっ!」
「な……なんだとっ?
お前自分で何を言ってるのか解ってるのか?」
ベリアルの目が細まり、更に鋭くぼくを突き刺す。
「あたしが、この魔界第三位の大悪魔であるベリアル様が、お前の様な小僧の下僕だと?
かのソロモン王でさえ希いを口にするのがやっとだった、このあたしを下僕だと?
身の程っていうものを、そのチンケな身体と魂に刻み込んでやろうか?」
くわっと見開いた目から、赤い炎が燃え上がる様にぼくを見据える。
その目を逸らさず、ぼくは素早く印を結んだ。
「カーン!」
ベリアルがびくっと竦む。
「カーン、ウンジクバクキリークタラーク……」
「うっ……お、お前……何を……」
ぼくはベリアルの言葉には耳を貸さず、順に印を結んでいく。
「……ボーラバーギャクラク……」
「がっ……止めろっ!」
冗談じゃ無い。
ここで止めてはぼくの魂が取られてお終いだ。
ぼくは更に声を張り上げ、決められた順に印を結んでいきながら、渾身の力で秘法である伏魔真言を唱える。
「……ケンセンアンカビマモコ、ハン!」
驚愕に目を見開くベリアルの身体が、強烈な赤い光で包まれる。
ぼくは直視できずに、思わず印を解いた手で眼を覆った。
手と瞼を透して、赤い光がぼくを襲う。
「う……が……がっ……なに……を……なん……で……」
ベリアルの断末魔の様な、切れ切れの声が聞こえる。
「がっ……ぐあああぁぁっ!」
暫くして、ぼくが恐る恐る眼を開くと、そこには膝を立て右手を拳にして床に付き、畏まるベリアルが居た。
ベリアルはぼくの目を真剣な眼差しで見つめ、厳かな声で唱え始める。
「我が主よ。
ベリアルは古えの固き契約に基づき、今後あなた様の忠実なる下僕となります。
あなた様のためにこの身を賭し、
あなた様のために持てる力を全て捧げ、
あなた様が求める時にはこの身を投げ出し、
あなた様の盾になり、
あなた様の剣になり、
未来永劫この身が朽ちるまで、あなた様だけにお仕えすることを誓います」
今回はキリが良いところで終われましたね。
真言は、本当は梵字だったのですが、梵字フォントは使えない様ですね。
さて、やっとヒロイン(?)の登場です。