3章-3 陰惨な事情
本日より、また定期更新に戻りたいと思います。
今回はちょっと長いです。
最後の方に結構陰惨な話が出て来ますので、苦手な方は回避をお願いします。
立派な門の脇に、人一人が通り抜けられるくらいの通用口がある。
扉に開いた鍵穴に大きめの鍵を合わせてみるとぴったり合ったので、挿し込んで捻ってみると、がちゃりという大き目の音と共に扉が開いた。
「さ、行こうか」
ぼくの後ろにはベリアル、紅葉、夏美さんの順で並んでいる。
門を潜るとそこは広い庭だった様で、木々が立ち並ぶ隙間を雑草がびっしりと埋めていた。
門の裏からは石畳が玄関に向けて続いている様だけど、雑草のお陰で良く判らない。
雑草を掻き分けて建物に向かうと、程なく大きな玄関の前に出た。
「本当に大きな家だね。うちの屋敷も大きいけど、こんな都会の真ん中でこんな大きな家って、今時珍しいよね」
母屋はかなりの大きさで、結構な数の部屋がある様だ。
玄関から辺りを見回すと、左手の塀際に土蔵があり、その向こうには渡り廊下で繋がた離れと思しき建物がある。
「とりあえず、入ろうか」
そう言って鍵束を取り出し、玄関の鍵穴に合う鍵を探していると、ベリアルに後ろから肩を掴まれた。
「来栖様、ここからはあたしに前を行かせてくれ」
その顔はにやにやと笑っている。
「来栖様に手間を取らせる訳にはいかないからな」
そう言ってぼくの手から鍵束を取り上げると、無造作に一つを選んで鍵穴に挿し込んだ。
家の中は昼間だというのにかなり暗い。
広い土間を上がったところには、時代掛かった衝立が置かれている。
その向こうと左右には、廊下が続いている様だ。
ベリアルは土間に仁王立ちするや否や、いきなり奥に向かって叫んだ。
「おいっ!居るんだろ!お客人だぜっ!出迎えなっ!」
ベリアルの声は、廊下に吸い込まれて消えて行く。
次の瞬間、
「来る」
夏美さんが呟き、すっとベリアルの斜め前に出た。
最後尾に居た筈なのに、いつの間に。
流石だ。
夏美さんが呟いた数瞬後、衝立の向こう、正面に伸びる廊下の向こうに、すっと人影が浮かび上がった。
真っ暗な廊下で、何故人が居るのが判るのか。
ふとそんな疑問を持ったぼくだけど、ベリアルは待ってくれない。
「おいおい、客人が来たってぇのに、愛想がないな」
いつもの様に、にたにたと笑っている。
楽しんでるなこいつ。
「うらめしい……わたくしをこんなにした者達がうらめしい……」
消え入る様な声。
でもはっきりとそう聞こえる。
見る間に、するすると人影がこちらに近付いて来た。
「うらめしい……祟ってやる……」
人影は暗い中でもぼんやりと浮かび上がっている。
長い黒髪は顔を覆い、俯いていることもあって、その表情は窺い知れない。
質素な赤い着物はあちこちが破けている様だ。
しかし良く見ると違和感がある。
右腕が曲がってはいけない方向に曲がっている……。
着物の前裾を押し上げて、左足がこちら側に曲がっている……
更には、そこまで見えているというのに、印象がどこまでも『人影』だった。
衝立のすぐ向こうまできた人影は、突然くわっと顔を上げると、こちらを睨み付けた。
その顔は元々は美人だったことが窺い知れるが、それもあくまで想像でしかできない。
何故なら、顔の右側半分は焼け爛れて、ところどころ頭蓋骨が見えていた。
「わ、わ、ゆ、ゆうれいだぁ……」
紅葉を振り返ると、大きな目をまん丸に見開いていた。
と、気が付くといつの間に動いたのか、夏美さんが人影の斜め前に立っていた。
間髪を入れずに、そのあらぬ方向に曲がっている右腕を取る。
「ぐ、ぐわぁあああっ!
がっ、がぁああああっ!」
突然その人影は叫びだした。
「があぁ、な、何奴じゃ!わたくしに何をするのじゃっ!」
「ゾンマァ、放してやれ」
ベリアルが言うと、夏美さんはその手を解く。
「あのな、お前に話しがあるんだよ。聞いてくれるよな?」
ベリアルがその人影に言う。
言われた人影は一瞬驚いた様な顔をしたが、その次の瞬間ぱっと消えた。
「ふん、逃げ足の速い奴だ。
おいゾンマァ、面倒だけどちょっくら捕まえてきてくれ。
あたしたちは、どっか座れそうなとこで待ってるよ」
ベリアルはそう言うと、ずかずかと土足で上がり込む。
「あいよ、了解だぜ」
夏美さんは、そう言い残すと掻き消えた。
ベリアルに続いて、ぼくと紅葉も土足で上がり込む。
夏美さんが消えちゃったので、ベリアル、紅葉、ぼくの順だ。
正面の廊下を進むと、右手に扉があった。
左手には硝子戸の向こうに荒れた中庭が広がっている。
更に進むと、また右手に扉がある。
奥の扉を開けてみると、そこは食堂の様だ。
二十畳くらいの広い洋間に、大きなテーブルが据えられ、椅子が整然と並んでいる。
右側の壁には隣室に繋がる扉があり、奥には厨房に続くと思われる空間があった。
「とりあえず、ここで待つか」
そう言ってベリアルは、手前の椅子の一つを引いて座り込んだ。
ぼくもベリアルとテーブルを挟んで向かい合う椅子を引いたけど、椅子の上には埃が厚い層を為していて、そのままでは座れない。
手で払おうとすると、ベリアルが椅子に座ったままで「ふーっ」と息を吹いた。
すると、椅子の上の埃は跡形もなく消えてなくなる。
「ありがとう、ベリアル」
座りながら言うと、ベリアルはなんでもない様に手をひらひらと振っていた。
紅葉はと言えば、ぼくの隣に立ったままだ。
「紅葉も座れば?」
ぼくが言うと、紅葉はふるふると首を振り、
「こんなところで座ったら、立てなくなっちゃいますぅ」
目の端に涙を浮かべたままで言う。
そういえば、楓だった頃も気が強い割には恐がりだったね。
「大丈夫だよ、紅葉。
ぼくが居るし、何よりベリアルが居るんだから。
地獄の閻魔様だって裸足で逃げるよ」
そう冗談めかして言うと、見下ろす格好のぼくへ上目遣いを送るという高等技術を繰り出してきた。
「来栖様ぁ……お膝の上、いいですかぁ?」
何のことか理解できずに固まったぼくに構わず、紅葉が座っているぼくの太腿の上に横向きに座る。
「おい、お前!それはずるいだろ!」
向かい側からベリアルが身を乗り出して怒鳴る。
ぼくは硬直から戻れない。
「ふふっ。これだったら怖くないですぅ」
先程涙を浮かべていた紅葉はもう満面の笑みになり、ぼくの首に腕を回してきた。
どこもかしこも柔らかい紅葉の体を押し付けられ、ぼくは密かに幸せを感じていた。
結局、ぼくの首にしがみついて太腿から下りない紅葉をどうにもできず、怒り心頭のベリアルを宥めていると、夏美さんがドアを開いて入ってきた。
後ろ手に何かをずるずると引き摺っている。
「遅くなった!ちゃんと捕まえてきたぜ!
ちょっとだけお灸を据えたけどな!」
元気一杯の得意げな顔でそう言うと、引き摺っていた『それ』をベリアルの前の床に放り投げた。
『それ』はあちこちが破けた質素な赤い着物で、横座りになり俯いている。
あらぬ方向を向いている左足が痛々しい。
「おい、てめえ、話があるって言ってるのに逃げるなよ」
ベリアルが足を組みながら言う。
「で、なんて名前だ?」
「……」
着物をきた『それ』は、俯いたままで答えない。
「おい……優しく言ってる間に答えろよ?」
ベリアルの声が段々と不穏な空気を纏い始める。
『それ』も気付いたんだろう、一度びくっと体を震わせると、俯いた顔から言葉が零れた。
「琴女と申します」
か細い、ともすれば聞き逃しそうな小さな声だ。
「ん、それじゃ琴女とやら、あたしは大悪魔のベリアル様だ。
そしてここにいらっしゃるのは、あたしの唯一絶対の主で来栖様と仰る。
来栖様がお前に話しがあるそうだから、ちゃんと聞けよ?
本来ならお前なんて吹っ飛ばして塵にしちゃえば早いんだが、優しい来栖様が話してくださるって言ってるんだからな」
そう言うとベリアルは、ぼくに頷き掛ける。
「はじめまして、琴女さん。ぼくは小角来栖と言います。
突然押し掛けてごめんなさいね?」
自己紹介から始めたぼくは、ここに居る三人の紹介と、ここに至った経緯を簡単に説明した。
「という訳で、ここに住みたいと思ってるんだ。許して貰えないかな?」
そう結ぶと、そこで初めて琴女さんが動いた。
ゆるゆると顔を持ち上げ、うらめしそうな表情でぼくを見る。
「……で、出て行けと仰るんですね?」
「い、いや、そうでもないよ?
琴女さんがここを離れたくないなら、一緒に住んでもいいんじゃないかな?
幸いかなり広い家だし。ね?ベリアル?」
女性に弱いぼくは、慌ててベリアルに振った。
「ううん、そうだね。こいつはこの土地に縛り付けられてるからなぁ。
このまま置いとくか、塵に還すしかないだろうね」
「成仏させて上げるって方法はないのかな?」
「難しいだろうね。こいつかなりの時間ここに縛り付けられてるから、今更だと思うよ」
そう言ってベリアルは、琴女さんに目を移す。
「で?お前はどうしたいんだ?あたしは本当は塵に還したいんだが、来栖様がこう仰ってるんだから、ここに居たいならそれでもいいぞ?
但し、来栖様に楯突く様な振る舞いをするなら、あたしが相手になる」
それに対して、琴女さんはおずおずと口を開いた。
「いえそんな……皆様に楯突くなど滅相もござりませぬ。
ただ、わたくしは他に行くところがございませんので、このまま置いて頂けませんでしょうか?
どうか、何卒お願い致します」
そう言うと、座り直して三つ指を突き、深々と頭を下げる。
「い、いや、頭を上げてください。元々ぼく達が後から来たんですから。
居たければ居て貰っていいです」
慌ててぼくは言う。
「ところでベリアル、琴女さんのこの姿はどうにかならないのかな?
紅葉じゃなくても、痛々しくて見てられないよ」
「そんなのこいつ次第だよ。ゴーストの姿なんて、本人次第で変えられるからね」
「そうなんだ?それは便利でいいね」
ぼくは琴女さんに向き直る。
「琴女さん、これから一緒に住むにあたり、とりあえずその姿を変えて貰えませんか?
流石にその格好の琴女さんとばったり会ったら、心臓に悪いですしね」
「えっ、この姿を……変えられるのでしょうか?」
琴女さんは縋り付く様な目でベリアルを見る。
「あれ?わざとやってたんじゃないのか?
手の掛かる奴だな。
いいか?自分の元気だった頃の姿を強く思い浮かべてみろ」
そう言われると、琴女さんは強く目を閉じる。
崩れていない顔の左半分は、神に祈る様に見えた。
暫くすると、淡い光が琴女さんを包み始める。
それも束の間、光が消えたときには、琴女さんの顔も四肢も元の形に戻っていた。
そこには育ちの良さが滲み出る、気品のある美人が居た。
「おお、凄いじゃないですか。それに琴女さん、凄い美人ですね」
ぼくは感嘆の声を上げるけど、膝の上とテーブルの向かい側から、何故かプレッシャーを感じたので、慌てて話を変えてみた。
「ところで琴女さん、どうしてあんな惨い格好だったんですか?
それにかなり長い間ここに取り憑いていたみたいですけど、一体何があったんです?」
ぼくが当然の疑問を口にすると、それまで自分の顔を触ったり体のあちこちを嬉しそうに撫でていた琴女さんが、急にまた俯いた。
「あっ、いや、言いたくないなら言わなくてもいいんですよ?」
慌ててぼくが言い重ねると、琴女さんは顔を上げて決心した様にぼくを見る。
「いえ、この際でございますから、お話させてくださいませ」
そう言って姿勢を正すと、琴女さんはその悲惨な物語を話し始めた。
幕末の混乱期、京の都に没落した公家があった。
その家は五摂家や清華家には比べるべくもないものの、それなりに由緒ある家だったが、長い武家政権の間に徐々に没落していた。
幕末に入ると、それなりに鋭敏だった当主は勤王派に荷担し始める。
家格以外に何も持たない家ではあったが、後に元勲となった岩倉具視に近付いていった。
そういう背景もあり、その公家の家には勤王の志士が出入りすることが多くなっていた。
公家の家には惣領の他に姫が居たが、その姫は天女と見紛うばかりの美貌を持っていた。
勤王の志士が出入りする様になっても、当主である公家は姫をなるだけ表に出さない様に気を配っていたが、没落が長かった家であったため奥と表の境も曖昧で、その姫の美貌は京洛を徘徊する志士の目に留まることになり、たちまちのうちに京洛の噂となっていった。
その姫が、ある志士に恋をした。
その志士は丹波の山奥から出て来た卑しい出自の者だったが、その涼しい容貌と優し気な所作は、世間知らずの姫にとっては輝くばかりのものだった。
男勝りの勝ち気さでも知られた姫は、思い詰めてその志士と駆け落ちをする。
ただ、姫は自分の意思で駆け落ちをしたと思っていたが、それは全て志士の策略によるものだった。
涼しい容貌をしているからといって、心根までもが涼しいとは限らない。
優し気な所作だからといって、本当に優しい人間だとは限らない。
聡明だが世間知らずな姫は、すぐに世間の怖さというものを思い知ることとなる。
甘い夢を見て己を捧げ、散々弄ばれた挙げ句に、大阪の商人に売り飛ばされてしまった。
買い取った商人は、己の欲望を叩き付けるものの、姫自身にはそれなりの処遇をしてくれた。
維新が成り数年が経つと、商人は姫のために別邸を建て住まわせた。
しかしそれなりに静かだった生活も幕を閉じる。
別邸に移り住み何年かが経ったある時、姫に月のものが来なくなると、奥方の悋気の嵐が襲い掛かかることになった。
大阪の商家に多い婿養子だった商人は奥方に逆らえず、本屋敷に呼び出された姫は、その地下室で奥方の命を受けた獣の様な男達にその身を蹂躙され、更には手足が折れる程に拷問を受け、最後には奥方自らが姫の顔に酸を掛けた。
その身に受けた屈辱や拷問を、生来の勝ち気さで耐え抜いた姫も、女の命である顔を焼かれ、世の中を恨みながら死んでいった……。
もう残暑の頃なのに、怪談話は季節外れですかね。
とはいえ、これでまたハーレム要員(?)が補充されました。
幽霊ですが。(笑
琴女さんの話の公家や志士については、モデルは居ません。
それに、明治期に建てられた家が、放置されたままでまだ使えるのかという疑問も、この際うちゃって頂けると有り難いです。(笑
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日々のPVも数百に上り、累積PVも数千になりましたが、ポイントは相変わらずの超低空飛行ですね。
やはり他の作品と比べて地味なのが敗因なのでしょうか。。。
多少なりともお気に召しましたら、是非ともお気に入り登録をお願いします!
---その他、ご感想・ご指摘等々ありましたら、お待ちしております!