2章-7 僧正坊
またまた僧正坊の登場です。
その夜、ぼくはまた川沿いの林道を歩いていた。
昨晩も辿った林道だ。
但し、今日は最初からベリアルも同行している。
いくら隠密に行動したところでベリアルには筒抜けの様だから、最初から声を掛けて着いてきて貰った。
「あのさ、ベリアル」
「なんだい来栖様」
「今日は僧正坊と喧嘩しないでね?」
「……解ってるよ。来栖様を困らせる様なことはしない。
でもさ、あいつ強いよな?あたしなら勝てるだろうけど、ありゃサタンやルシファーでも危ないね」
僧正坊って、サタンやルシファーと良い勝負ができるくらいに凄いんだ……。
昔馴染みだからそんな風には考えたことがなかったけど、そんな奴に偉そうにしてるぼくって……。
「そりゃ凄いね。でも……ベリアルなら勝てるんだ?」
「うぅんまぁ、一対一なら勝てるだろうね」
「僧正坊はああ見えても、日本ではかなり強い妖怪だったと思うんだけどな」
「うん、強いね。魔力もかなりのもんだ。
だからサタンやルシファーだと負けるかもしれない。
でも、あたしは元々あいつらより強いし、その上来栖様のお陰で能力向上の補正が掛かってるからね。
今のあたしなら、神を相手のタイマンでも勝てるかもしれないよ」
タイマンって……なんでそんな言葉知ってるんだろう……。
しかも、神様相手に勝てるんだ。
「それじゃ、そんなベリアルを下僕にして僧正坊の兄貴分になってるぼくは、かなり凄いってことだね。
まぁ、他人の褌で相撲を取ってる様な気もするけど」
冗談のつもりでそう言って笑うと、ベリアルがふいに立ち止まった。
「?」
どうしたのかと振り向くと、驚愕を顔一杯に浮かべてぼくを見つめている。
「く、来栖様、自覚なかったの?」
「何が?」
「あたしを下僕にしたのもそうだけど、あのでかぶつの兄貴分でもあるんだろ?
その時点で来栖様自身が凄いってことだよ?」
「そうかな?ぼくはそんなに凄い人間だとは、自分では思わないけど?」
「いやいやいやいやいや、そんなことないよ!
もし仮にそうだったら、そんな来栖様に従属してるあたしや、弟分ってことになってるでかぶつの立場がないよ!」
そう懸命に主張するベリアル。
確かにそういう見方もあるかもしれない。
でもベリアルには力や魔力で勝った訳じゃないし、僧正坊との勝負だってぼくの子供の頃の話だから、手を抜いて貰っていたって可能性が高い。
「来栖様はあたしより強いから、あたしを屈服させられたんだよ。
それに、あたしより弱い存在が、あたしを縛り続けることなんてできないよ」
「そうなのかなあ……。でもやっぱり、そうは思えないけどなあ……」
ベリアルと言い合いをしながら進んで行くと、程なく峠を過ぎて尾根道に辿り着く。
「それはそうと来栖様。今日行くことはあのでかぶつには知らせてあるのか?」
「知らせてないよ。そもそもどうやって連絡を取ればいいか知らないし」
「えっ?では行っても会えるかどうか解らないんじゃないのか?」
「うんまあ確かにそうなんだけど、多分大丈夫。
昔からあいつに会いたい時は、あそこに行けば何故か会えるんだ」
「そうなのか?」
「この山域自体があいつのテリトリーだからね。
四六時中見張っている訳じゃないだろうけど、家を出たくらいからは知られてるんじゃないのかな。
特にぼくの屋敷の辺りは、あいつの眷属が一杯居るらしいから」
「ということは、屋敷の周りで感じる魔力はそいつらのものなのか?」
「ぼくにはその辺りはよく判らないけどね」
そうこうしているうちに枝尾根に入り、その先には大岩が見えてきた。
大岩の上には、既に僧正坊が胡座を掻いて座っているのが見える。
「こんばんわ僧正坊。連日で悪いね」
「いや、そんなことは気にするでない。儂もお主と会えるのは嬉しいしの」
「そうかい?そう言って貰えるとぼくも嬉しいよ」
ぼくはそう言うと大岩によじ登り、胡座を掻く。
僧正坊は身動ぎをすると、ぼくに正対した。
「で、行者殿と会っていた様じゃが、今日はその件かの?」
「流石は僧正坊、お見通しだね。
うん、今日思い掛けずご先祖様と会ってね。色々と教えて貰えたんで、その話だ。
ご先祖様が言うには、ここに居るベリアルは神域にさえ立ち入らなければ大丈夫だってことだった。
それから転居先は、大阪の淀川沿いが良いだろうって」
役小角から聞いたことを簡潔に告げると、僧正坊は顎に手を添え何やら考えている様だった。
「ふむ……成る程の。浪速か。確かにあの地であれば妖かしの類いは少ないじゃろうから、揉め事が起こる心配も少ないの。
それに京に近いというのも良いの」
「ぼくもなかなか良い案だと思ったんだけど、一応僧正坊に相談しようと思ってね。
やっぱり僧正坊も賛成なんだ?」
「おう、逆に浪速以外には選択肢は少ないと考えても良かろうて」
「そうか……なら大阪で決まりかな。
でね僧正坊、実はもう一つ相談があってね」
「ん?なんじゃ?」
「ぼくはここで生まれ育って、殆ど京都から外に出たことがないもんでね。
大阪に移るなんて簡単に言っても、どうしたらいいか全く解らないんだよ。
それにベリアルとその眷属の問題もあるから、どこでもいいっていう訳にはいかないし。
僧正坊は顔が広いだろうから、伝手があったら紹介してくれないかな?」
「うむ、確かにお主は世間が狭いからの。
まあお主の出自や力のことを考えると、爺様がなるべく京から出したくなかった気持ちは解るがの」
「ぼくの世間が狭いことは認めるけど、ぼくにはそんな特別な力はないと思うよ?」
「何を言っておる。お主が特別でなくて、なんで儂やそこに居る魔物がお主に付き従っておるのじゃ。
お主は古今東西を眺め渡しても、殆ど最強に近い存在じゃぞ」
僧正坊までベリアルと同じ様なことを言い出した。
「そんなことはないよ。ぼくは普通の人間だよ。
ここに来る途中でベリアルにも同じ様なことを言われたけど、ぼくには特別な力なんてないよ」
「まあ今のところは、お主がそう思っておるならそれでもいいがの……。
で、伝手の紹介じゃったか。
ふむ……箕面の山であれば儂の眷属の烏天狗もおるのじゃが、淀の川沿いではの……」
僧正坊はそう言って目を瞑ると、額に皺を寄せて考え込んでいた。
「おおそうじゃわい!龍王殿が居られたわい!」
突然僧正坊はそう叫ぶと、くわっと目を見開いてぼくを見る。
「半刻ばかりここで待って貰えるか?
浪速に一っ飛びして、龍王殿と話を付けて参る」
「ぼくはいいけど、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃわい。長らく会ってはおらんが、儂と龍王殿との仲じゃ。
お主らの住まう場所くらいはなんとかしてくるわ」
そう言ったかと思うと、僧正坊は真っ暗な空を一直線に飛び上がった。
呆気に取られたぼくは暫くぽかんと星の瞬く夜空を眺めていた。
「来栖様、来栖様」
ぼくが惚けている間に、さっきまで僧正坊の座っていた辺りにベリアルが登ってきている。
「なあ来栖様。あいつは暫く戻って来ないんだよな?」
「うん、大阪に居る龍王様っていう神様と話をしに行ってくれてて、一時間くらいは戻らないみたい」
「そうか。それなら暫くは暇だな?」
ベリアルがにたにたと笑いながら躙り寄ってくる。
「その間、あたしの体で暇潰しっていうのはどうだい?」
「い、いや、だめだってベリアル。
抱き着いてこないで!
腕をそんなに抱き込むと、む、胸が……
だ、だめだよベリアル!」
必死で逃げ回るぼくを追いかけ回すベリアル。
確かに暇潰しにはなったけど。
ぼくとベリアルが大岩の上で鬼ごっこをしていると、突然上から声が響いた。
「お主等は何をしておるのじゃ?」
僧正坊が戻ってきた様だ。
もう一時間も経ったのか。
確かに良い暇潰しにはなったのかもしれない。
「ちっ。おい、でかぶつ!もう少し空気を読めよ!」
ベリアルが上空の僧正坊に向けて怒鳴る。
「く、空気とな?儂が何かしたのかの?」
僧正坊はゆっくりと羽ばたきながら首を傾げる。
「ベリアル!話をしてきてくれた僧正坊になんてこと言うんだよ」
ぼくは少しきつめの口調でベリアルに言う。
「僧正坊が下りられないから、ベリアルはここから下りて」
「ちぇっ、来栖様は冷たいな。でかつぶの肩を持つのかよ……」
ぶつぶつとそう言いながらもベリアルが下りてくれたので、入れ替わりで僧正坊が舞い降りる。
「ごめんね、僧正坊。あいつ口が悪いもんだから」
「いや構わぬよ。儂は気にしておらんでな」
そのベリアルはと言えば、横を向いてまだぶつぶつ何かを言ってる。
「ちぇっ、ちぇっ。もう少しで来栖様の童貞を食えたのに」
完全に拗ねてる様だけど、困ったもんだ。
「で、どうだった?」
「うむ、龍王殿との話は付いたわい。
お主等があそこに住み着くのは問題ないそうじゃ」
「そうか、それは良かったよ。
じゃ後は住む家を探さないとね」
「それがの、龍神殿の社近くに公園があっての。
その傍にある家が空いておるそうじゃ。
何でも物の怪が出るもので、住む人間が居らんと言っておったわい」
「えっ?でも物の怪が棲み着いてる家はまずいんじゃないのか?」
「物の怪と言うても、低級な地縛霊の類いだそうじゃから、お主等が行けば慌てて逃げ出すじゃろう」
僧正坊はかっかっかっと豪快に笑う。
「でも追い出すのも忍びないな……」
「まあ行ってみることじゃ。
それに龍王殿の話では、あの辺りも人間が色々と建てておるもので、そこ以外に住めるところと言えばまんしょんとかいうものしかないそうじゃぞ?」
「確かにマンションに七人で住むのはちょっと厳しいな。
大阪の中心部なら、家賃も高いだろうしね」
「それならばやはり行ってみるしかあるまい?」
「うん、そうだね。一度行ってみるよ。ありがとうね、僧正坊」
そう言って僧正坊に頭を下げると、僧正坊が慌てて言う。
「いやいや、なんのなんの。これしきの事は朝飯前じゃわい。
それにこの度の件は、儂がお主等を追い出す様なもんじゃから、これくらいはせんとの」
「まあでも、僧正坊が居てくれて良かったよ。
他の天狗や妖怪だと、いきなりベリアルと喧嘩になってたかもしれないしね」
本当に僧正坊には感謝しないと。
「で、僧正坊。その龍王様とやらはどこに祀られておられるんだ?」
「大阪に太融寺という寺があっての。元々はそこの境内に白龍殿と一緒に祀られていたんじゃが、人間どもが町を作るのに境内を削っての。
今も太融寺という寺はあるが、少し離れてしまったんじゃ」
「それじゃ、大阪の太融寺の近くにある龍王社だね?」
「うむ、正式には龍王大神じゃ。龍王という名ではあるが、巳の神じゃがの」
「成る程。太融寺近くの龍王大神社だね。解ったよ、明日にでも行ってみる」
「うむ、それが良かろう。
あと、何か困ったことがあれば、いつでも儂を呼ぶが良い。
お主の為なら、儂はいつでも駆け付けるでの」
「本当にありがとう、僧正坊」
「何を水臭い事を言っておるのじゃ。
お主とは義兄弟の契りを結んだ仲ではないか。
それに今回の件で、お主には借りができたしの」
「ぼくは別に貸しだなんて思ってないよ?」
「お主がそう思わんでも、儂はそう思っておるわい」
そう言ってにやっと笑うと、僧正坊はいきなり羽ばたいて夜空に舞った。
「何かあったら必ず呼ぶのじゃぞ?努々忘れるでない!」
そう言い残し、僧正坊は夜空に消えて行った。
今回で2章は終了です。
3章にこのまま入るか、幕間を追加するか検討ちう。
---感想等々、お待ちしております!




