魔王に転生したけど私、解釈違いです! ~完璧な従者と最強の魔王の関係性を拗らせたオタク、自らの存在が解釈違いすぎる~
白銀の階へ至る道
国中を侵す酸の雨。止むことのないそれを降らせていた黒雲が、晴れた。巫女の祈りと、世界の敵となるはずだった魔王と従者の願いによって。
***
空が晴れてからふた月ほどが経った、ある朝。いつものように、最強の魔王の長い金髪を完璧な従者が丁寧に梳かし、編んでいた。
世界に平和が訪れる以前から繰り返されている、何気ない日常。ただ一つ異なるのは、部屋の窓から差し込む朝日が、魔王の背中まで届く髪を美しくきらめかせていること。
「そういえば」
ふと思い出したように魔王セブリオンは口を開いた。
「鍛え直してやるっつって、まだ何もしてねぇな」
完璧な従者モルの手が止まる。
「こちらに戻られてからは息つく間もないご様子でいらっしゃいましたので」
モルの手が再び動き出したのを感じながら、セブリオンはここ二か月ほどの出来事を思い返していた。
「あぁ……そうだな」
異界から何故かセブリオンの体に迷い込んだ魂――由紀に新たな肉体を与え、共に黒雲を払い、魔王と従者に課せられていた死の運命を断ち切ったのがおおよそ二か月前。
世界に平和が訪れた後も課題は山積みだ。特に喫緊となったのが、敵対関係にあった隣国ナチュリアとの和平交渉だった。
王であるセブリオンはもちろんのこと、最側近となるモル、そして巫女となった由紀も巻き込んで東奔西走の日々が続いた。まさにモルの言った通り、息つく間もない慌ただしさだったのだ。
両国の和平を祝う大規模な記念式典を無事完遂したのがつい先日のこと。まだまだ対処すべき問題はあるものの、ようやくひと息吐ける状態になった、というのが実情だった。
「色々あったな」
嵐のように過ぎ去った日々を想いながら、セブリオンは窓の外に顔を向けた。昇ってまだ間もない朝日の眩さに、思わず目を細める。日差しというものには、まだ慣れない。
「色々、ありましたね」
前触れもなく突然頭を動かす主に動じることなく、モルは慣れた手つきで髪を編み続けている。酸の雨に焼かれた右手も、痕を残すことなく治ったようだ。そのことに、セブリオンは心の内で安堵していた。
と同時に、以前自らモルに告げた約束――城に戻ったら鍛え直し、をそろそろ果たす頃だろう、とも思っていた。
「手合わせだ」
やはり前触れもなく言い放ち、そのまま顔の向きを元に戻す。そんな主の言動に、完璧な従者の手は止まらなかった。
気をよくしたセブリオンは、続けてモルに命じる。
「訓練用の剣を二本。今宵、月が昇る頃に」
「仰せのままに、我が君」
まるで計ったかのようなタイミングで、完璧な従者の指先が主の髪を完璧に編み終え、束ねたその先端にそっと口づけが落とされた。
***
酸の雨を防ぐため、王城とその周囲の空を覆いつくしていた巨大な魔昌石の天蓋――魔天蓋は、既に役割を終えている。これの解体も、セブリオンが王として対処すべき重要な問題の一つだ。
その魔天蓋の、ちょうど王城の真上あたり。ぽっかりと大きく穴が開いていた。何ということはない、魔王セブリオンその人が自ら開け放った穴だ。
空から黒雲を払った後、魔天蓋の上を歩いて帰還したセブリオンたち一行は、魔王の強大な力で足場を破壊、そのまま城へ降り立ったというわけである。
その穴の真下に、セブリオンとモルは立っていた。大きく空いた穴からは月明かりが差し込んでいる。
黒雲と魔天蓋の下で育ったセブリオンにとって、月の光は未だにどこか現実味のないものだった。
何とはなしに、隣に立つモルに目を向ける。モルの銀白色の髪が、色の薄い肌が、月に照らされいつもより一段と幻想的に輝いて見える。
「……せっかくだ。広いところでやるぞ」
そう言いつつモルから視線を外し、セブリオンは穴を見上げた。モルは控えめに微笑み、頷く。
「承知いたしました」
簡易な転移魔法で、二人は魔天蓋の上に移動した。ここなら、見渡す限り広く、障害物もない。誰か邪魔が入る心配もない。まさに手合わせにはうってつけの場所だ。
見上げれば、星々の瞬く夜空には時おり分厚い雲が流れ、先ほどまで明るく地上を照らしていた月を今は覆い隠している。暗く影を落とす空の下、二人は向かい合った。
「モル」
「こちらに」
セブリオンが差し出した手に、モルは訓練用の剣を一振り手渡した。互いに剣を抜き、構える。
雲間から、月が顔を覗かせた。
先に仕掛けたのはモルだった。一瞬のうちに間合いを詰めると、横一文字に素早く胴へ斬りかかる。
セブリオンはこともなく剣で受けた。すぐに二撃目がくる。これも危なげなく受け、さらに押し返した。
ついでに一発食らわせてやるかと、セブリオンは下段から斜めに斬り上げた。
モルは素早く躱した。そこへさらに叩き込むように、セブリオンの剣が斜め上から斬り下ろす。
躱しきれないと判断したのか、モルは剣で防いだ。
セブリオンは力で押し、つばぜり合いの形に持ち込む。単純な力勝負なら、こちらに分がある。
目と鼻の先にあるモルの顔に、セブリオンは挑発するように不敵な笑みを向ける。
モルの表情は冷静なまま崩れない。押し合っていたモルの剣先が、僅かに逸れる。
たちまち力をいなされ、セブリオンは危うく体勢を崩しかけた。
その隙を、完璧な従者は見逃さない。素早く足払いを繰り出し、主の体勢を完全に崩しにかかる。
セブリオンがとっさに後ろへ跳んで避けると、見切っていたかのように狙いすました刺突攻撃が、喉元に迫る。
間一髪のところで、セブリオンはモルの一撃を回避した。刃を受けた金髪が数本散り、月光を受けてきらめく。
「っぶねぇ……」
軽く息を整えながら、セブリオンはつい本音を漏らす。
「力で押し通そうとなさるのは、陛下の悪い癖です」
モルはゆっくりと剣を構え直し、穏やかに微笑んでいる。
最強の魔王であるセブリオンと剣を交えてこんな軽口を叩けるのも、世界中探せどモルしかいないだろう。その事実に、セブリオンは込み上げる喜びを隠しきれずにいた。
とはいえ、鍛え直してやると言って手合わせを始めた以上、これでは示しがつかない。
「じゃあ、これならどうだ?」
重心を大きく下げ、しゃがむような低い姿勢で剣を構える。特徴的な、抜刀するかのような構え。
それを見たモルは僅かに目を見開き、細め、間合いを保ちながら警戒を強める。
魔王の紫水晶色の瞳が、魔力の輝きを宿す。体中を迸る闇の力が炎を滾らせるように、目の奥で揺らめいた。
「いくぞ」
そう声に出したセブリオンは、次の瞬間すでにモルの眼前で剣を振るっていた。あまりにも速い、瞬きする間の出来事。全身に漲らせた魔力で身体機能を強化し、極限まで速さを向上させたその攻撃は、たとえ熟練の騎士であっても防ぐことは難しいだろう。
だがモルにセブリオンの斬撃は当たらない。凡そ常人には反応することさえままならないはずの刃を、いとも容易くモルは躱していた。
見切られている。すぐにセブリオンは理解した。
構えを見た時点で、モルはどんな攻撃が来るか察したのだろう。つまり、この後に続く連続攻撃も全て回避されるということだ。
セブリオンの予測通り、目にも留まらぬ速さで繰り出される攻撃の数々を、モルは全て完璧に躱しきった。
あまりにも流麗なその身のこなしに、セブリオンの口元が無意識に緩む。――モルは、俺の完璧な従者は、酸の雨が止んだ今、月明かりの下でこそ、美しい。
一連の攻撃を全て出し終えると、セブリオンとモルは互いに間合いを取った。さすがにモルも避けるだけで精一杯だったようで、珍しく肩で息をしているのが見て取れる。セブリオンの方も、急激に酷使した体が悲鳴を上げないよう、静かに呼吸し魔力の流れを整えていった。
「やるな」
「お褒めに預かり光栄です」
当然、このまま終わらせる気など全くない。
「ちょいと、本気でいくぜ」
きっとそう来るだろうと思われていたのか、主の本気宣言を聞いたモルの顔はどことなく嬉しそうだった。
訓練用の剣を離したセブリオンの右手が、真っ直ぐ前方に伸ばされる。魔晶石の地面に術式が描き込まれ、複雑な文様の魔法陣となる。魔王の魔力に由来する黒い霧が二人の足元に立ち込め、やがて魔法陣の中央から剣の柄が頭を出し、徐々に、徐々に刀身を現していく。
紫水晶の宝珠を擁した漆黒の両手剣。マテリア王家の正統なる王位継承者のみが扱うことを許された宝剣。王であることの覚悟を問い続けるとされる、呪いと戒めの魔剣。
最強の魔王セブリオン・マテリアの手に、魔剣ダモクレスは握られた。
「本気で来い、モル」
主の求めに、従者が応える。
「お望み通りに」
セブリオンの前で恭しく一礼したモルの姿が、消えた。
いや、いる。セブリオンの目はまだモルの姿を視界の端に捉えていた。素早く死角に回り込み、致命の一撃を与える、モルが得意とする必殺技だ。
次の瞬間には既にモルの剣がセブリオンの心臓を背後から一突きせんと迫っていた。
即座に身を翻し、セブリオンはモルの剣を弾く。
一度弾かれた程度で完璧な従者が攻撃の手を緩めることはない。こちらは体勢を整えるだけで手一杯だというのに、息つく間もなく立て続けにモルの剣が迫る。
モルの攻撃は正確で、速い。太刀筋を見慣れているセブリオンでさえも、魔力による補助なしで対応することは難しい。
それでも、セブリオンの優位は変わらない。火力が違いすぎるのだ。相手の速度も、技巧も、力で捩じ伏せる。それが魔王セブリオン・マテリアにのみ許された強さだった。
「――捕らえよ」
本来なら長く紡がれるはずの詠唱も、最後の一句しか必要としない。その一句を耳で捉えたモルはすぐさま間合いを取り、来る攻撃に備えた。
モルの足元から、黒い炎の筋が幾本も噴き上がる。それらはうねりを伴い、従者の体を捕らえ、焼き尽くさんと這い回る。
ところが、炎はただモルの周囲を球状に嘗めるばかりで、一向にその身を焦がすことは叶わなかった。
――守護の術。対象の周囲にバリアを張る、モルの得意とする術だ。セブリオンもこれまで何度も救われてきた。
「まぁ、そう来るわな」
やれやれ、といった風にぼやきながら、セブリオンは魔剣ダモクレスを振るった。
地を這う衝撃波がバリアに直撃する。二発、三発。繰り返すうちに、モルのバリアに亀裂が生じる。
モルは冷静に守護の術をかけ直し、やがて攻勢に出た。防戦一方では、魔王の無尽蔵な魔力を前に勝ち筋などないと、そう解っているのだ。
「いいねぇ」
セブリオンは思わず満足げな笑みを浮かべた。危険を冒しダモクレスの間合いに踏み込んでくるモルに、お望み通りの強烈な横薙ぎを叩きつける。
まともに食らえば一溜りもない。当然そんなことは承知の上で、モルはセブリオンの攻撃を見切り、すんでのところで躱した。はずだった。
「っ……!」
届くはずのなかった刃が、守護の術を容赦なく打ち破った。とっさにモルは剣で防ぎ、辛うじて傷を負わずに済んだ。
「よく防いだな」
そう言いながら、セブリオンはモルに次々と斬撃を浴びせる。ダモクレスを振るうたび、その刀身からは衝撃波が放たれた。モルの目測を誤らせたのはこれだ。
剣による直接攻撃を避けても、衝撃波がどこまでも相手を追いつめる。モルは守護の術と剣で何とか耐え凌いでいた。
だが、それも程なく終わりを告げる。
「そいつで、耐えきれるとでも思ったか?」
セブリオンの魔剣に対し、モルは訓練用の剣のまま戦っていた。その刃が限界を迎える。
そして最強の魔王の強烈な一撃が、とうとうモルを捉えた。
ところがその姿は、瞬く間に掻き消えた。
たった今までモルが立っていたところから、無数の銀色に輝く蝶が飛び立っていく。肝心のモルの姿はどこにもない。
困惑したセブリオンが構えを解いた、その直後。ぞくりと冷えた背筋に、セブリオンは反射的に振り返り、剣を構えた。
間一髪のところで防いだのは、セブリオンが捨て置いた訓練用の剣の切先。死角から主を狙いすました、モルの一撃だった。
「さすがです、陛下」
モルが再び無数の蝶となって姿を消す。
「これなら、いかがでしょう?」
背後から響くその声に振り返ったセブリオンは、目を疑った。モルが、二人いる。
いや、三人。四人。増えているのだ。
恐らくは幻術の類いだろう。頭ではわかっているものの、実際に目の当たりにするとどうしても驚きが勝る。
「まさかこんな奥の手を隠してやがったとはな」
半ば本気で感心しながら魔剣を構え直すと、モルがふふっと微笑みながら答える。
「ご冗談を。『通常ルート』でご覧になったでしょう?」
その言葉に、セブリオンは眉間に皺を寄せた。
通常ルート。セブリオンとモルが、世界の敵として討伐される未来。本来二人が迎えるはずだった末路。その内容を、セブリオンは異界から来た由紀の記憶経由で知っていた。
そのルートで、モルがセブリオンに全ての魔力を還し、元の銀色の蝶に戻って息絶えてしまうことも。
「……今となっては思い出したくもねぇ記憶だな」
一際低い声で呟くと、紫水晶色の瞳の奥に、再び魔力の炎が揺らめいた。
魔剣を下ろし、魔天蓋に切先を突き立てる。そこから溢れ出すように、闇の魔力が夥しい数の黒い蛇を象って鎌首をもたげ、分身したモルたちへと一斉に襲い掛かった。
最強の魔王による攻撃はあまりにも一瞬で、広く、重い。モルが魔力によって作り上げた分身体はあっという間に喰いつくされ、唯一残った本体も、全身を黒い蛇に拘束され、完全に身動きを封じられてしまった。
詰まった襟の奥に隠された白い喉に、魔剣ダモクレスの切先が向けられる。
「……お見事です、我が君」
セブリオンが縛めを解くと、モルの体は力を失い仰向けに倒れ込んだ。
「モル!」
慌てて魔剣を消し去り、セブリオンはモルを腕で抱きかかえるように支える。
「大丈夫か?」
やりすぎたか。セブリオンは内心大いに焦っていた。こちらの攻撃を全て見切り、時にひやりとさせるような攻撃を繰り出す従者に、つい気をよくしたのは間違いない。有り体に言えば、楽しくなってしまったのだ。
モル、と声を掛けながらセブリオンは膝をつき、そっと従者の体を下ろしつつただひたすらに返事を待つ。
「……我が君」
うっすらと開かれた唇から、たった一人の主を呼ぶ声が零れる。深い銀色の瞳が、セブリオンの顔を見つめている。
高く昇った月が、仰向けに寝かされたモルの髪を美しく彩る。銀白色の内側、外からは見ることのできない部分だけが、ほんのりと薄紫色に染まっている。かつて銀色の蝶であったモルが、魔王セブリオンと契約を交わし、人の姿を与えられ、主の魔力の色に染まった証だ。
その髪を指でひと掬いし、セブリオンは薄紫色を月明かりに晒した。
「お前が、生きていてくれてよかった」
それは、通常ルートを回避し、共に生きる未来を勝ち取った今こみ上げる、嘘偽りのない感情だった。
「この世界の犠牲にならなくてよかった」
いくら手を伸ばしても、叫んでも、遠くへすり抜けていってしまう。そんな悪夢に幾夜魘されたことか。
「今も俺のしもべでいてくれてよかった」
きっと、あの時。部屋に迷い込んだ蝶を見て、生まれて初めて「欲しい」と感じたあの瞬間から、どうしようもなく深い執着の沼の底にいるのだろう。モルに語りかける裏で、セブリオンは密かに自嘲した。
モルの銀色の瞳が、優しく細められる。
「由紀のおかげです」
「そうだな」
先ほどまでの執着を覆い隠すように、あくまで何事もなく軽い返事をしながら、セブリオンはふと考えた。もしかすると、この俺のどうしようもない執着さえも、目の前で微笑む従者には見透かされているのかもしれない。
「立てるか?」
セブリオンは立ち上がり、モルに手を差し伸べた。
「お心遣い、感謝いたします」
普段なら遠慮して固辞してくるところだが、珍しくモルは主の手を取った。意外な反応に、つい頬が緩みそうになる。だがセブリオンの脳裏にはすぐに別の心配が去来した。手加減無しで攻めすぎたせいで、本当に余裕がないのかもしれない。……しばらくは、無理をさせないように留意するとしよう。
立ち上がった二人は、何とはなしに夜空を見上げていた。輝く星々も、満ちかけの月も、二人にとってはまだどこか現実感がない、物語の世界の産物であるように感じられた。世界の敵となるはずだった自分たちが、切り開いた空。
「そういえば」
今朝と同じく、またしてもふと思い出したようにセブリオンが口を開いた。
「お前、なんで自分の剣使わなかったんだ?」
セブリオンがダモクレスを握ったとき、モルはずっと訓練用の剣のまま戦い続けた。別に持ってきていないわけではない。持ち替えるチャンスは十分にあったはずだ。
主からの質問に、モルはきょとんとした表情で首を傾げる。
「あの剣は、我が君をお守りするために使うものですから」
今度はセブリオンが目を丸くした。この従者は、妙なところで真面目なのだ。
だがその真面目さが、確かに心地よかった。
胸中に広がる暖かさを雑に隠すように、セブリオンは一足先に踵を返した。
「やっぱりお前は鍛錬が足りねぇ。モル、これからは毎月やるぞ。いいな?」
訓練用の剣を回収しながら、少し遅れてモルが後に続く。
「仰せのままに、我が君」
去っていく二人の背を、じきに満ちるであろう十三夜の月が白く、穏やかに照らしていた。
お読みいただきありがとうございました。
とにかくいっぱい戦う主従を書けてよかったです。
もしよろしければリアクション、感想などいただけると大変嬉しく思います。
*このお話は、下記の長編(完結済)の後日談となります。
ノリが180°異なるハイテンションコメディで、魔王の中に限界転生オタクの魂が共存しています。
ハピエン保証の完結作。ご興味ある方はぜひ。
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