小説家になれなくても
他人がどれだけ華やかな人生を送っていようと、べつに羨ましくはない。高級感のある洒落た店で楽しそうに食事をしていたり、たくさんの友人に囲まれている誕生日だとか、そういう写真を目にしても僕もこうなりたいとは決して思わなかった。
恋愛だってそう。僕に別れを告げたあの子が、僕よりも明るい性格のもっと成功している誰かを選んだとして、今その子が笑って幸せに暮らしているのならそれでも良い。僕は本気でそう思える人間だ。
でも、小説だけは違った。
本当に好きなものだけが、人をここまで惨めにできるのだと知ったのは、確か二十二の冬だった。書店で平積みになったとある文庫本に、ふと目が留まる。帯には作品のキャッチコピーとともに『二十歳の超新星!』と添えられていた。興味本位で開いた最初の一文に、僕は息を奪われてしまう。たった数行で、見たこともない景色が脳裏に浮かんだ。匂いも温度も、痛みも悲しみも、僕が理想としていた表現の全てがそのページにあった。
こんな文章を書く人間がいたのか。
今、僕が味わったように誰かの心を一瞬で連れ去ることのできる人物が、本当に存在している。それを知った瞬間から、僕は小説に救われたと同時に、ひどく傷つけられた。好きで好きでたまらないのに、読むたびに自分がどれだけ遠い場所にいるのかを思い知らされる。
書きかけた文章を翌朝に読み返すと、誰かの模倣みたいに薄っぺらく気取っていて、読むに堪えなかった。理想だけははっきりと捉えているのに、手はそこまで届かない。届かないどころか、背伸びをするたびに、自分の矮小さばかりが浮き彫りになった。才能という壁があるのだろうと、その頃から思うようになる。
文章を書くために生まれたような人間。
呼吸のように物語を紡げる人間。
たぶん、そういう人はいる。
そして僕は、そちら側ではない。
悔しいけれど、わかっていた。
どれだけ書いてどれだけ消して、どれだけ『今度こそいける』と思っても、同じ葛藤と挫折が繰り返される現実。自分が『持っている側』ではなく『持たざる側』だということくらい、痛いほどに理解させられた。
それでも、やめられなかった。
才能がある人間だけの物じゃない。そう思わせてくれたのもまた、小説だった。ページをめくると、自分に宛てて書かれているわけではないはずの文章が、勝手に胸の奥へと入り込んでくるような。閉じたままだった感情の隙間に、そっと触れてくるような。自分でも名付けられなかった痛みや苦しさを、他人が先に言葉にしてくれるような。
それが小説だ。
小説は、必要としている人間を見捨てない。少なくとも、僕が出会ってきた物語はそうだった。うまく書けない日も、何者にもなれないまま時間だけが過ぎる日も、読むことだけはやめなかった。
夢に敗れることと、夢を失うことは違う。
一度折れて逸れた道を歩き、それでもまた物語の方を振り返ってしまうのなら、その人はまだ終わっていない。終わっていないどころか、ずっと創作に執着している。
見苦しいくらいに。
往生際が悪いくらいに。
そして、そういう人間のほうが案外、長く書き続けていくのかもしれないとすら思う。僕は今でも、自分のコンプレックスをきれいに抱きしめられるほど強くはない。書店で新人賞受賞作の帯を見るたびに胸はざわつくし、年下の作家のインタビューを読めば、喉の奥に苦いものが蓄積される。自分より先に辿り着いた誰かを、心から祝福しきれない日もあった。
それでも僕は、今までに書き続けてきた作品を疑ったことなど一度だってない。
書いて、消して、また書いて。
誰に見せるあてもない作品をフォルダに保存して、自分の中にだけ存在する世界を、何度でも作り直してきた。
その時間だけは、嘘じゃなかった。
その執着だけは、紛れもなかった。
もし僕が一生、選ばれることのない側の人間だったとして、それでも持たざる者が起こす小さな奇跡のようなものを僕はまだ信じていたい。売れるとか、賞を獲るとか、名前が残るとか。なにも成し遂げられなくたって構わない。
誰かの孤独な夜を包み込んであげられるなら。
誰かに生きてく理由を与えてあげられるなら。
誰かが僕の作品に自分を重ねてくれるのなら。
誰か一人でもそう感じてくれたのなら、そのとき初めて僕は、自分の敗北を許せる気がする。そしてそれはきっと、奇跡と呼んでもいいはずだ。
だから今夜も書く。
うまく書けなくても書く。
何度才能の差に打ちのめされても。
いくら醜く嫉妬に悶えても。
諦めずに絶えず紡ぎ続けていく。
小説だけが、こんな僕をここまで惨めにする。
小説だけが、まだ僕をここに繋ぎ止めてくれている。
たぶんそれで、十分なはずだ。




