第八十二話「“Ωの観測者”」
――深層域、閉鎖完了まで残り3分。
「座標安定。座標安定!これで、戻れる……っ!」
千歳が声を上げる。
空間に浮かぶ黒い門――それは深層域から“こちら”に戻るための唯一の脱出口だった。
戦闘の余波で揺れる空間の中、陸と千歳はそのゲートへ向かって走る。
だが――
「……陸っ、待って……!」
千歳の足が止まった。
彼女が見ていたのは、ゲートとは逆方向。
そこに、“何か”が立っていた。
無音。
無影。
無光。
それは、存在すら揺らぐような存在。
全ての“感覚”が否定される領域の中で、ひとつだけ確かにあったもの――
黒衣の男。
漆黒のローブをまとい、顔は見えない。
その背後には、幾何学的な円環と、時空を貫くような光条。
「誰だ……お前」
陸が身構える。
クラッシュコードが手の中で再構成されるが、何故か“重い”。
――いや、違う。
この男の前では、武器という概念すら“下位”なのだ。
「我ハ“観測者Ω”。時ノ連鎖ヲ超越シ、全テヲ見下ス者ナリ」
声は、鼓膜を通らず脳に響いた。
「……お前が、“Ω”か……」
過去の記録で僅かに残されていた存在。
人類が“世界の起点”と呼んだ、神に近い存在。
コード世界における“全記録の管理者”。
「我ハ見タ。汝ガ数多ノ未来ヲ壊シ、選ビ取ッタ現在ヲ」
「……ああ。俺は壊した。壊し続けて、今ここに立ってる」
「故ニ、試練ヲ与エン」
男の背後に浮かぶ光条が震えた。
次の瞬間、周囲の空間が剥がれ落ちる。
陸たちの足元から、“別の時代”がむき出しになっていく。
それは――
“陸が失った未来”。
“千歳が選ばなかった過去”。
“誰にも知られなかった選択肢”。
そして、その中に立っていたのは――
陸と、もうひとりの陸。
「……これ……俺、か?」
だが、その姿は異様だった。
クラッシュコードが“肉体そのもの”と融合し、
目は空虚に染まり、言葉を持たない。
「試練ノ名ハ――『自己超克』」
Ωが言う。
「選択セヨ、陸。過去カ、未来カ。己ヲ壊スカ、己ニ殺サレルカ」
「ふざけんな……」
陸は、激しい息遣いと共に一歩前に出た。
「……もう、“自分と戦う”なんて展開、聞き飽きたよ」
その言葉と同時に、剣を構える。
「けど……俺は全部受け止めて、壊してきたんだ。今さら自分を怖がったりしない」
クラッシュコードが青白く光を放つ。
それは、過去を超えた者だけが手にする“覚悟の刃”。
「来いよ、“壊れた俺”。もう、お前の中にはいない“希望”ってやつを見せてやる」
敵の陸が動く。
その剣は、まるで時間を断ち切るかのような速度。
だが、陸はそれを読み切っていた。
「千歳!右に展開して、フレアコード!制圧する!」
「了解ッ!」
二人の動きが完全に噛み合う。
かつてなかった連携と、想像を越えた攻防。
そして――
陸の最後の一撃が、もう一人の自分を断ち切った。
その瞬間、周囲の時間が再び流れ始める。
Ωの姿も、ゆっくりと霧散していく。
「試練、完了。記録、更新」
Ωの最後の言葉が、空気の中で溶けた。
――ゲートが閉じ始めていた。
「戻るぞ、千歳!」
「うん……!」
ゲートを飛び越え、二人は深層域からの帰還を果たす。
目を覚ました陸の瞳に映るのは、いつもの拠点の天井。
だが、すでに彼は知っている。
この世界は“最終段階”に突入したのだと。




