第八十話「“世界の裂け目”で目覚めたもの」
夜の気配が、ひたひたと迫っていた。
低く唸るような風が、廃墟となった市街地の隙間を縫って吹き抜ける。
破壊された高層ビルの影が、まるで巨人の死体のように横たわっていた。
「……あれが、“深層域”か」
陸は息を呑んだ。
目の前に広がっていたのは、文字通り――世界の裂け目だった。
地平線まで続く黒い亀裂。
都市の中心部を裂いたような巨大なクレバスが、まるで何かが無理やり“この世界を引き裂いた”証明のようにぽっかりと口を開けている。
そこからは、風が吹き上げていた。
ただの風ではない。皮膚に触れただけで記憶をかき乱すような、時間の流れを逆なでする風。
「……陸、ここから先は、もう戻れないと思え」
傍らに立つのは、千歳。
深紅の外套をはためかせ、彼女は真剣な眼差しで裂け目の中心を見つめている。
「“武器”が呼んでる。お前をだ」
陸の背中の黒い武器――“クラッシュコード”が、かすかに震えた。
それは、彼に語りかけるように微かな共鳴音を響かせていた。
「ここが……始まりであり、終わりなんだな」
陸は低く呟くと、目を細めた。
過去に目撃したどんな戦場よりも、不気味で、不安定で、そして――惹かれる。
この裂け目の向こうに何があるのか。
“世界の真実”に手をかけてしまった者たちの末路。
“壊れた武器”が意味するもの。
“選ばれし者”という皮肉な称号の代償。
どれも、これまでの人生では縁のなかったものだった。
だけど――
「構わない。もう知ってしまった。戻れねぇんだよ、俺たちは」
「……ああ」
千歳も一歩、前へと踏み出す。
裂け目の中から、何かが浮かび上がってくる。
形の定まらない闇。
ノイズのように歪んだ輪郭。
まるで世界がバグを起こしているような不確かな存在。
だが、それは確かに“敵”だった。
「識別不能の接近生命体。接触準備」
千歳の背中から“朱炎の刃”が展開される。
その瞬間、地面に走る赤いパターン。
武器が戦闘用の意識に変わり、ユーザーの神経と完全にリンクする。
「俺もやる」
陸は“クラッシュコード”を手にした。
黒い武器の表面が光の粒子を帯び始める。
「……来るぞ!」
裂け目の闇が爆発的に膨れ上がり、一瞬で陸と千歳に襲いかかる。
戦いが始まった。
闇の中で、剣が唸り、風が走る。
クラッシュコードが起こす一撃で、闇の一部が削り取られるが、再生する速度が異常だった。
「こいつ……時間を巻き戻してる!?」
「違う、**“過去と未来を同時に再生してる”**んだ!」
千歳の言葉に陸は一瞬、動きを止めた。
だが、敵は容赦ない。
暗黒の触手のようなものが、陸の脇腹をかすめていった。
「くっ……!」
よろめく。
だが、同時に“クラッシュコード”が反応を示す。
──起動条件一致。
──能力解放。
「……来たか」
陸の視界が赤く染まる。
一瞬だけ、彼は“何かを見た”。
異なる世界。
燃え尽きた都市。
倒れた自分。
立ち上がる“もう一人の自分”。
「……誰だ、あれ」
刹那、記憶と視覚が混線する。
だが、体は止まらない。
意識よりも先に、武器が戦っている。
「陸ッ!」
千歳の声が現実へと引き戻す。
「目を覚ませ! 今はまだ、お前が墜ちる時じゃない!」
「……ああ、わかってるよ」
陸は再び武器を握り直した。
「だったら、次は俺たちが未来を壊す番だ」
裂け目から現れる新たな敵に向けて、彼は走り出す。
“壊れた武器”を手に。
まだ知らぬ力と、まだ知らぬ真実に向かって。
だが、彼の背後――
誰にも気づかれぬ“別の観測者”が、世界の外側から彼らを見下ろしていた。
「起動を確認。第一端末、接触完了。干渉、開始する」
通信の向こう側で、冷たい声が囁く。
──次なる災厄の鐘は、すでに鳴っていた。




