始まりの最期
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ふたりがめぐり逢った奇跡は
いつの日か運命になる
だから
さいごのその日…………
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ーーその後に続く誓いの言葉は何だったのだろう?
長い長い眠りの中、そればかりを考えていた。
ここがどこかも気になって、夢の中をひたすら泳ぐ。
自分のあるべき場所を探しているうちに、懐かしい声に呼ばれている気がした。
暗闇の中で光る星を見つけたように、その声を求めて私の意識は浮上していった。
ーーーーーー
「起きた?」
目をゆっくり開けると、その懐かしい声は恋人のユミトのものだった。
「ふわぁぁ……おはようユミト」
私は上半身をゆっくり起こして伸びをした。
見覚えがあるような薄暗い部屋の中、寝台の隣に立っているユミトは真顔のまま、じっと私を見つめるだけだった。
「ユミト??」
いつもと様子の違う彼に、心配になった私はユミトの顔を覗き込む。
「…………」
彼は何も言わず、私から興味を無くしたように顔を背けると、立ち去っていった。
「っあ、待って。ねぇってば!」
私は寝台から飛び出して、慌てて彼を追いかけた。
「ねぇねぇ……ここはどこなの?」
スタスタと歩いていくユミトについていきながら、前を行く彼に投げかけた。
「研究所」
無機質な返事が返ってきた。
「え? 荒れ果てているよ。でも確かに、この壁には見覚えが……」
私は朽ちた壁の一部を立ち止まって見つめた。
私とユミトはある施設の研究員だった。
新人の時に、私はユミトの助手として配属された。
ユミトに新人教育を受けている内に恋に落ち、ふたりで穏やかな愛を育んできた。
優しくて研究熱心なユミト。
私はそんな彼が大好きだった。
「あ、待ってよ!」
壁を見ている間に、ユミトが先へ先へと私を置いていっていた。
追いついた私はユミトの態度に愚痴をこぼす。
「ここは暗くて怖いから、ひとりにしないで」
「…………」
ユミトは私のことなんか気にせずスタスタ歩き続ける。
「せめて手をつないでよ」
私は強引に彼の手を取った。
「…………」
そこで初めて、ユミトが歩くのをやめて隣に立つ私を見た。
その顔には何も表情が浮かんでいない。
知っているユミトとは違いすぎて、何だか得体の知れないものを相手にしている気分になった。
「あなた……ユミトなの? 私を覚えてる? 恋人のフルムよ」
私が眉をしかめて聞くと、ユミトがやっと喋った。
「コールドスリープから起きた時、君を初めて認識した」
「え?」
「…………」
すると、またユミトがどこかに向けて歩き始めた。
一応手はつないでくれているから、引きずられるようにして私も足を動かす。
どういうこと?
コールドスリープ……
とっても長いこと寝ていた感覚はある。
冷静に思い出すと、さっき寝ていた寝台も何かの装置のようだった。
そして……
ユミトの……記憶がない?
コールドスリープの弊害??
焦った私はユミトに質問を続けた。
「どこに向かっているの?」
「…………」
「何で私たち、ふたりだけなの?」
「…………」
歩き続けるユミトはチラリと私を見ただけで、何も言わなかった。
するとその時、研究所から外へつながる扉の前に着いた。
ユミトがそれを力づくでこじ開ける。
研究員が近付くと自動で開いていた扉も、他と同じように朽ち果てていたからだった。
「……案外力持ちだね……って、えぇ!?」
研究所から一歩踏み出したユミトの後ろから、外の光景を見た私は思わず叫んだ。
外は……
凍てつく氷の世界になっていた。
研究所の近くまで湖が広がっており、氷を張ったそれは所々割れて、独特の模様を描いている。
地面も厚い氷で覆われており、植物が生えている様子なんて見る影もない。
空には灰色の雲が広がり、頼りない光が銀世界を照らす。
それを浴びて世界はただただ鈍く光っていた。
変わり果ててしまった外の光景は、この世の終わりかのように感じた。
「あっ…………」
私は直感した。
コールドスリープ。
朽ちた研究所。
生命が存在しない氷の世界。
ーー本当に、この世は終わったのだ。
「何でこんなことに……どこいくの?」
呆然と立ち尽くす私の手を、一切表情を変えないユミトが引っ張った。
私たちの履いている靴の底が、地表の変化を読み取って適した形に変わってくれた。
これで氷の上でも難なく歩くことが出来る。
相変わらず返事のないユミトの向かう先には、小高い氷の丘があった。
躊躇することなく彼は登っていった。
「ユミト、ユミト……」
私はその背中に向かって喋りかける。
……声を出さなければ、私たちの足音以外に音が無い世界になるのが怖かった。
「私たちの他に誰もいないけど、ユミトが居てくれて良かった」
「ユミトさえ居れば寂しくないよ」
「……もしかして怒ってる? 何か悪いことした? 謝るから嫌わないでよ。私はあなたが大好きなの」
返事なんてなくても、お構いなしに喋り続けた。
そうしなければ、不安で不安で仕方なかった。
目の前の現実に、自分に起こっていることに、目を背けてしまいたかった。
頭がゴチャゴチャで涙が浮かぶ。
…………
どうして、私は寒くないの?
どうして、私はお腹がすかないの?
どうして、私は疲れないの?
おそらく……私は…………
岩のような氷の地面に視線を落としながら、ゆっくりと瞬きをした。
目に溜まった涙がポタポタと落ちる。
「ユミト……愛してるよ」
私の中に残る〝フルム〟らしさに縋るように、彼へと愛を囁いた。
「…………」
ユミトはやっぱり何も返事をしてくれない。
私の言葉だけが、氷の世界に虚しく反響する。
そのことにより一層悲しくなって、ただでさえおぼつかない足取りがもつれてしまった。
「っうわ!」
ユミトとつないでいた手を離して、慌てて両手を地面につく。
『大丈夫?』
研究員時代の優しいユミトの声が聞こえた。
私が困っている時、彼なら必ず助けてくれた。
目の前のユミトは……
もうその時の彼じゃない。
そう諦めていると、地面を見て這いつくばる私に、今のユミトが手を差し伸べてきた。
私はゆっくりと顔を上げて、彼を不思議そうに見上げた。
「……僕の中の〝ユミト〟が言ってる。フルムを助けてあげてって」
そう言った彼が、口角をほんのちょっとだけ上げた。
「……ユミト……」
泣き濡れた瞳を見開きながら、ユミトの手を握った。
すると彼が、その手を引っ張って私を立たせてくれる。
「ありがとう」
「…………」
ユミトは何も言わずにまた歩き始めた。
私も大人しくついていく。
ちょっとだけ思い出した?
それなら……
「あのね、ユミトーー」
私は思い付く限り、彼との思い出を語り始めた。
希望を抱いて、目に浮かんだままの涙を手の甲でグイッとぬぐう。
研究員時代のユミトを少しでも思い出して欲しかったから。
けれどそれは……彼にとってとても残酷なことをしていたのだと、後になって気付いた。
ーーーーーーーー
ちょっとした山のような氷の丘の頂上につくと、ユミトが遠くを見渡した。
「何を見ているの?」
「…………比較的使えそうな研究所を探している。あそこのE-5施設なら何とか稼働しそう」
そう言われて、ユミトが熱心に見つめる先を私も見てみる。
けれどそびえ立つ氷山しか見えなかった。
「何も見えないよ??」
私は隣に立つユミトを見上げた。
「…………」
彼は無表情のまま、私の頭にポン……ポンと手を置いた。
そのぎこちない動きに、呆れているのか慰めているのか分からなかった。
そして私から顔を逸らし、また歩き始めた。
ずっと律儀に手をつないでくれている彼に、また引っ張られる。
「……まさか、そのE-5施設に向かうの?? 徒歩で!?」
驚いた私が思わず声を上げた。
ユミトが私に背中を向けたまま、淡々と答える。
「そうだよ。転移装置で」
「あっ……そうか。そんな物があったね。……動くかな?」
「…………」
「そこは嘘でもいいから、何か言ってよ」
「…………おそらく、動くよ」
「…………」
私たちは登った時と同じように、手をしっかり握り合ったまま氷の丘を降りた。
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無事にE-5施設に転移した私たちは、研究所内の様子を確認した。
予備電源装置もなんとか生きており、所内に明かりがつく。
ここにあまり来たことがなかった私は、物珍しそうに、ひとりで探索していた。
すると研究所の地下へと続く階段が目についた。
「……ここは?」
壁にあるパネルに触れて、地下通路の明かりを灯す。
その奥に扉が見えた。
「…………」
吸い寄せられるように私は扉に近付いていった。
扉の中央には生体認識装置のパネルがあり、研究員の中でも限られた人しか入れない仕様だった。
私は右手を上げて、その生体認識装置へと近付ける。
意識の奥で〝ここに何かがある〟と感じていた。
「触るなっ!」
いつの間にか近くに来ていたユミトが、私の右手を掴んで阻止した。
「!?」
珍しく語気の強い彼に驚いて、見張った目を向ける。
「…………壊されたら困る」
ユミトが真顔でポツリと呟いた。
心なしか、冷ややかな目線を私に向けているように感じてしまう。
「……ごめんなさい」
私はうつむいてシュンとした。
ユミトは……〝ユミト〟の記憶がない分、私たちが何故ここにいるのか知っていそうだった。
私は〝フルム〟の記憶がある分、何故ここにいるのか分からない。
そのことをユミトに聞いても、彼は頑なに教えてくれなかった。
多分、賢い彼に判断されたのだろう。
この世界で私は〝役立たず〟だと。
へこんでいる私にユミトが声をかける。
「……ここから離れよう。上に仮眠室があるから、今日は休もう」
彼は掴んでいた私の手を優しく握り直すと、その手を引いて歩き始めた。
「…………」
私は無言でついていった。
仮眠室でじっとしておけって言われちゃった。
遠回しに何もするなって。
……だって、私たちは……
眠りも休息も必要としないのだから……
私は、自分の体については誰よりも理解していた。
ユミトとフルムの……研究内容だったからだ。
ーーーーーーーー
1人だけ仮眠室に押し込まれた私は、大人しくしているハズが無かった。
頃合いを見て、部屋をそっと抜け出しユミトを探す。
彼が何をしているのか気になったのと、少しだけ置いていかれそうな気がして怖かった。
暗い通路を壁伝いに歩いていると、開いた扉から中の明かりが漏れている部屋を見つけた。
扉の電気回路の繋がりが悪くて、ユミトが無理に開けたようだった。
でも、彼の居場所を見つけやすくて助かった。
そんなことを思いながらその部屋に近付くと、中からユミトが誰かと話しているのが聞こえた。
専用の通信回線を使って、他の星の誰かと喋っているようだ。
…………
私は聞き耳を立てた。
「βにはアクセス障害が起きており、使命について覚えていません。その代わりベースの人格が目覚めています」
『……っなんてことだ……』
「起動プログラムも反応しませんでした。使えそうにありません。もともと僕たちはどちらかが予備です。僕だけで使命を果たします」
『2人とも稼動しているのなら、揃って行なう方が確率があがるのだが……』
「ですが今のβに無理矢理、使命を理解させるのは……」
『……気持ちは分かるが…………おや? そういう君にも人格が目覚めているんじゃ……?』
「いいえ」
『……………………そうか。……では速やかに使命を遂行するように。健闘を祈る……』
ユミトの誰かへの報告を聞いた私は、その場を静かに離れた。
ユミトが1人で何かをしようとしている!
それを私に隠している!!
歯がゆい思いを抱えた私は、ある程度ユミトのいる部屋から離れると、バタバタと走り始めた。
さっき見つけた地下への通路に向かう。
このまま役立たずでいたくない!
私も……ユミトと一緒に……
私はユミトに止められた、あの扉の前に立った。
後ろから誰かが駆けてくる足音がする。
「フルムッ!! やめろ!! そんなことをすれば君までっ……!!」
私の慌ただしい足音で勘付いたユミトが追ってきていた。
私は彼を振り返りながら、扉の生体認識装置に手を伸ばす。
「私は知りたいのっ!! ここにいる意味を!! ユミトひとりで行かないでっ!!!!」
彼への思いを込めて、認証パネルに手のひらを合わせた。
するとパネルが白銀に光り、そこから扉の端へと電気が流れたように、回路内を光りが走り抜けた。
そして音もなく扉がスライドする。
少しずつ部屋の中の光が私のいる通路を照らした。
私はユミトに引き戻されないように、素早く中へと入る。
「ッ!!」
部屋の中の光景に、私は息を呑んだ。
様々な大きさをした複数の空中ディスプレイが、薄暗い中を宙に浮かんでいた。
ゆらゆらと左に右にと移動しており、水中で泳ぐ魚を見ているみたいだった。
そのディスプレイの中には、この星が終わりを迎えるまでに辿った軌跡の映像が映っていた。
星府の衝撃的な発表。
混乱を極める民衆。
大々的な宇宙船での移動。
残されたものたち。
その末路……
「これは……」
私がフラフラと前に向かって歩くと、その拍子に何かを踏んだ。
地面を見ると何かの装置だったようで、私が立っている丸い部分がまばゆく光る。
『β-145286を認識しました。起動プログラムを開始します』
無機質な機械の声が部屋に響き渡った。
それと同時に私の中で、まるで「カチッ」と何かのスイッチが入ったような感覚がした。
途端に胸の奥が熱くなり、体中を血液が巡るかのように温かいものが駆け回る。
私は自然に目を閉じた。
……そうか……
私は…………
薄っすらと。
私が何のためにここにいるのか、理解し始めていた。
目を開けると、ちょうど正面に真っ暗なパネルが浮かんでいる。
何かを感じてジッと見ていると、音声だけがそこから流れてきた。
『……ふたりがめぐり逢った奇跡は』
ーー私の声だ。
『いつの日か運命になる』
『だから』
『さいごのその日』
『ーーーーーー』
ーー私の声が、誓いの言葉を最後まで奏でた。
それで全てを思い出した。
私は……
ユミトは……
「……フルム……」
呼ばれて振り返ると、悲しげな表情をしたユミトがいた。
私は彼をしっかりと見つめ、向かい合って立った。
さっきの誓いの言葉。
あれは、私達ふたりの使命の言葉。
「思い出したの。私たちの使命を。……ユミトは悲しい未来を、何も分かっていない私から隠そうと……私だけは助けようとしてくれていたんだね」
私の頬を静かに一筋の涙が伝った。
「…………」
ユミトは相変わらず無言だった。
けれど彼はもう無表情じゃなかった。
泣きそうな顔をして見つめるその瞳に、私に対する愛情がこもっている。
私はそんな彼に穏やかに笑いかけた。
「今はもう〝ユミト〟の記憶がしっかりあるんでしょ? ユミトは変わっていなかったんだね。私の大好きなユミトのまま……」
「だからフルムには、何も知らないままでいて欲しかったのに」
ユミトが切なげに笑いながら、私をそっと抱きしめた。
私は彼の腕の中でフルフルと顔を横に振った。
「私をひとりにしないで。さいごまでユミトと一緒にいたい」
私は彼を抱きしめ返した。
涙があとからあとから溢れ出す。
「うん。誓いを一緒に果たそうか」
ユミトが私をきつく抱きしめなおす。
彼の言葉通り、これからはずっと一緒だという気持ちを込めて、私たちはいつまでも抱き合っていた。
**===========**
ユミトと私は、大きな大きな穴の縁に並んで立っていた。
地面に開いたその穴は、底なんて見えない。
ただ黒い空虚な空間が広がっている。
その奥からは、空に向けて風が吹いていた。
舞い上がる風を受けながら、ユミトと私は手をつなぐ。
「ごめんね、私のせいで……私に引きずられてユミトまで〝ユミト〟が出て来てしまったんだよね」
私は隣に立つユミトを見上げた。
彼の前髪が風に乗ってふわりと浮く。
「フルムのことが思い出せたから良かったよ」
ユミトが穏やかにほほ笑んだ。
それは私の大好きな笑顔だった。
「ありがとう。けれど、何も知らずに使命を果たせた方が、こんなに怖くなかったのに……」
私は穴の奥をチラリと見た。
体が、気持ちが、すくみ上がってしまう。
そうならないために〝フルム〟と〝ユミト〟は眠っているはずだった……
私の瞳にジワリと涙が浮かぶ。
心の底では逃げ出したくてたまらない。
思わずユミトと繋いでいる手にギュッと力を込めた。
そんな私にユミトが優しく語りかける。
「またこうしてフルムと過ごせて幸せだった。それだけで意味があったんだよ」
ユミトが私をしっかり見据えて、強く言い切ってくれた。
その迷いのない言葉に私は嬉しくなった。
「うん……そうだね。私もユミトと過ごせて幸せだったよ」
私はユミトに向けて泣き笑いを浮かべた。
そして見つめ合ったまま、私たちは誓いを立てた。
ふたり揃って言葉を紡ぐ。
『ふたりがめぐり逢った奇跡は』
『いつの日か運命になる』
『だから』
『最期のその日』
『ひとつに還ろう』
ーー私たちはもともと、ひとつだった。
それをふたつに分けて、お揃いのものを胸に宿している。
……そろそろ行かなきゃ。
見つめ合ったままの私たちは、さいごに柔らかく笑い合った。
まるでこれからも幸せでいられると、信じてやまない恋人たちのように。
そしてーー
穴の中にふたりで身を投げた。
離れないように硬く手を繋いだまま。
星を起こすために
この胸の温かいものを届けに
奥深くへ
どこまでも
どこまでも
堕ちていった。
全ての生命のアダムとイヴになることを夢見て。