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【前書き/後書き更新追加分かれ道編】 以外とこれが最重要だったりする 【行ける 2話】

よろしくお願い致します。


【【奥学院必須科目】】


【クンダリニー症候群】

一般的にクンダリニーは危険だとか言う話がある

皆さんもネットや本とかでクンダリニー症候群とか聞いた事があるかも知れません。クンダリニーヨーガとかやってると精神に障害をきたす場合がある、だからクンダリニーヨーガは危険だとかクンダリニーの覚醒は無闇に行なうべきではないとかと言う話があるけどもそんな事はない。まぁ覚醒されて困る人がいる組織とか某陰謀論的な話にもっていけば話が終わらない。

まずね、一般的にクンダリニー症候群がどうとか言っている人の多くは私は勘違いかも知れないし無知故の恐怖かも知れないし、まともな師匠に付かず独自で独学でしかも孤立した状態の人が途中でやらかした的な事を見た(例に漏れずストレスの発散の仕方が悪かった場合とか)家族や知人とか友人とか挙げればキリがないけどただの精神的神経のトラブルだと思います。まぁ仮に本当にクンダリニーが覚醒してた場合もクンダリニー自体は別に危険でもなんでもない。それはもう漏れなくできるならば全人類が覚醒させそしてエネルギーを上昇させなきゃいけないんだけどじゃ何故危険かと言われるかって言うとまさに今言った、つまり教えがないからです。ズバリ。物理的に氣道を通そうとするときに現われるいろんな精神的なあるいは現象的な問題に対して普通は教えがないから対処出来ないしかし、これを教えによって全て対処していけば全く問題がないあるいは、さっきも言ったけどまず師匠がいれば問題ありません。あるいは師匠がいるかどうかは別にして神へのバクティ(「最高神への絶対的帰依」を意味する語。「信愛」とも訳される神を信愛することによって自力では得がたい解脱を慈悲によって与えられるというバクティ思想)がしっかりできてれば全然問題ありません。別に改宗してヒンドゥー教をやれと言うわけではありません。皆さんの信ずる最高神です。やってる内にいろんな事が起きるんですよ。その内に今は秘密で。話が広がりましたが話を戻して

別パターンとしては他者への慈悲つまり四無量心とか中心にした心の修行がしっかりできれば問題ありません問題は独りよがりです。例えば師匠もおらずあるいはいたとしても全く言う事を聞かずで更に神への信ずる心や信ずる事なんか知ったことじゃないとか後は人への愛とかも知ったこっちゃないと笑うかも知れませんが現実的にこういうタイプ(欲まみれの人とか)の修行者はかなりの数で結構います。例を挙げれば空中浮遊したいとか空中飛行したいとか空間移動したいとか瞬間移動したいとかお金を無限に聖者サイババさん見たいに出したいとかサイキック能力を使いたいとか挙げればキリがないくらいいます。つまり修行は好きですと修行にロマンを感じます、ひたすら修行は好きで解脱はしたいと思ってるとしかし、誰かを信じるとか神とか全く全然興味がないあるいは慈悲とか愛とか全然興味がないとかのこのタイプはちょっとヤバいかも知れないね。(笑)既に自ら業をつくって修行しているのでそりゃ当然のように精神やられますよ。やられただけで済めば良いけど。

でも単に行法だけじゃなくて正しい教えを学んでそして日々念正智(ねんしょうち)をして心の浄化に励むとそして神への帰依、そして、もう一つは他者への慈悲こういったものをおさえてればまず大丈夫です。以上「心の浄化を怠るな」でした。


【エネルギーの変換】

次のプロセスに入ります。元々、我々は誰でも氣の流れというのは持っている氣道が体中にあってそこを氣が運行しているそれによってあらゆる生命活動はなされてるんだけどただクンダリニーの世界に入るときって言うのは普通の人が使っていない背骨を走る特殊な氣道(スシュムナー)を使うと物理的に説明するのはかなり難しいんだけどあえて例えで言うならばとある非常に微細な管があるその管は不純物を含んでいる液体は通らない、本当に純粋じゃないと通らないって言う感じですね。我々のエネルギーが不純すぎるのでその特殊な管を通ることが出来ないよってしっかり徳を積んで良いエネルギーを増やしてそれを行法によって練る簡単に言うと、はい、いいことしました、いいことしたことによって良いエネルギーが増えました。この功徳、良いエネルギーこれは我々を幸せにするエネルギーしかしそれだけでは、例えば皆さんがいい事をしたりして積んだ徳は雑な徳だと考えてください。この雑な徳、雑なエネルギーはスシュムナーを通りません。このままでは使えない、しかしこの雑なエネルギーは現世幸福には使えるんです。だから皆さんが徳を積めば当然、徳によって幸せになるお金持ちになったり人に好かれたり、恋人が出来たり、修行の途中でそういう事が起きることがあります。ちょっと思ったことが叶ってしまう、これらはもちろん危険です。つまりせっかく積んだ徳がそのような雑な現象として現象化されることでチャラになってしまう。せっかく修行に使おうと思ったのに使えなくなってしまうでももう一回言うよこのままだと使えないだけどなんとかこの雑なやつをスシュムナーを通れるくらいに微細な精妙なる徳に変えなきゃいけないその作業が修行です。だから徳を積んでムドラーやったり、呼吸法をやったり、瞑想やったりすることでこれが使える様になってくる。で、それをよく「氣を練る」とか言う表現するわけだけどヨーガのクンバカとかもバンダをして息を止めることによって氣を練っているんですねつまり、我々の体の中にはアパーナ、サマーナ、プラーナ、ウダーナ、ヴィヤーナこの五種類の氣が氣道を通っていますよと、性器の辺りから足全体の辺りを覆っているのがアパーナ、まずクンダリニーが実際に目覚め上昇する前にアパーナ、これが上昇するんです。これは食物を消化したものを尿や便や汗とか何か毒素的なものを排泄する力を司っているのがアパーナです、これが下腹部から足にかけてあるんですがこれは普段は下に下がってる氣なんだけどこれが逆に上昇しだします。これが準備としてクンダリニーの道を浄化するんですねつまりこれからクンダリニーが昇っていかなきゃいけない部分を浄化します。このときに例えば上昇の感覚とか、あとよくあるのが顔の表面が浄化されていく感覚とかをこれをよくクンダリニーと勘違いする人がいるんだけどこれはアパーナ氣です。多くの人が多分このアパーナ氣とクンダリニーを勘違いしていると思います。実際はアパーナ氣が上がっているだけなんだけどクンダリニーが風のようにブワーって上がってるって思ってしまうかも知れないですね。でもこれはアパーナ氣なんだねそれはそれでいい事なんだけどね。まだ準備段階です。

次そしてお腹の辺りがサマーナ、火元素とも関係ある消化に関係のある氣ですね。

胸の辺りがプラーナ。プラーナは我々の生命力を体中にいきわたらせる働きがあります。また呼吸とも関係があるね。

そして頭の辺りがウダーナ。ウダーナというのはヨーガ修行に於いて重要な氣です。氣を上に上げる氣なんです。ウダーナが強まってきた一つの象徴として体が軽くなります。アパーナが強いと体が重くなります、ウダーナが強まると実感的に心も体もなんか軽いめちゃくちゃ軽い。

ヴィヤーナは全身を覆ってる氣なんですね。でさっき言った「 氣を練る」って言うのは今言ったアパーナ、サマーナ、プラーナ、つまり排泄、消化、呼吸などに使ってる氣、普通だったら普通の生命活動にしか使えない氣なんだけどそれをバンダ、クンバカによって混ぜ合わせることによってまるで錬金術のように別の特殊な素晴らしい氣を作り出すつまり、しっかりと肛門のバンダを入れる事でアパーナ氣を上に向かわせるので、お腹のバンダもしっかりする事でサマーナ氣も上に向かうとで、喉のバンダをしっかり入れる事によってプラーナ氣も上に逃げずにグーッと下に圧迫されるそれによって圧迫が生じてその凝縮によって別のエネルギー体が生じるんです。だからバンダは本当にムドラーとかをやるときは適当にやっちゃ駄目ですよ。グーッワッーって締め上げるだね。やってると本当に苦しいわけだけど、その苦しいイコールそこでエネルギーの凝縮が起きてるんだねそのエネルギー体がなんとか気道を通って上がる。これが理想だが、しかしそう上手くはいかない。この理想どおりできるならば多くの人がクンダリニーヨーガを達成しているはずですしかしなかなか達成されないつまり、それだけ実際にはこの我々の持っているエネルギーを素晴らしい微細なエネルギーに変えてスシュムナーに入れることって言うのは難しいだよね。つまり自力では限界があるよってここに登場するのがバクティなんです。


【バクティヨーガの重要性】

バクティヨーガとクンダリニーヨーガは非常に相性がいい。しかし、もうちょっと突っ込んで言うならばバクティヨーガがないとクンダリニーヨーガは出来ません。よほどの天才か古の聖者くらいです。単純に物理的システムとしてクンダリニーをやろうとしてもやっぱりそれなりの壁があるんです。それでバクティヨーガの発想って言うのは神への帰依、信仰を持つ事で上から恩寵(おんちょう=神が人間に与える恵み、神の無償の賜物(たまもの)のこと)のエネルギーが注がれるわけです。これがミソなんです。恩寵が注がれましたそれで自分の元々持ってるエネルギーと入ってきたエネルギーが混ざり合うんだねどう言う理屈かは分からないが。この入ってきたエネルギーと混ぜ合わせ更にもっと混ぜ合わせなくちゃならない。もっと混ぜるのは「修行」です。つまり、このプロセスさっきのに一個加わりました。さっきは徳積んで、修行して、練りましょうとでも自分でやっただけではなかなかいいのが出来ない、これはうどん粉の例えで言った事あるんだけれども自分の持ってるうどん粉は非常に質が悪いと、これでなんとか練っているんだけど全然おいしいうどんが出来ないと、よって、素晴らしいうどん粉を持っている人からちょっと分けて貰う。でも明らかに今、自分が持っているうどん粉とこの分けてもらったうどん粉は質が違うこのままではまだらになって使えないからこれを更に混ぜるんだね。混ぜる事によってなんとか使えるエネルギーに変えていく効率よく混ぜるには行法、修行が必要なんだね。修行して氣を練る、氣を練って、氣を練って、氣を練って、氣を練るそれをその頂いたエネルギーと混ぜて、まだまだ不純性があるからなかなか通らないんだけどなんとかギリギリ通るこれによってやっとその人がクンダリニーヨーガの道を本当の意味で歩む為の準備が整うって言う事ですね。以上「クンダリニーヨーガにはバクティヨーガが必要不可欠、練り上げたエネルギーと恩寵のエネルギーを混ぜ合わせたエネルギーのみがスシュムナー氣道に流入する事が出来る」でした。

31∶58


【チャクラ】


次にチャクラの話です。チャクラの話に入っていきますがチャクラって実は特別なモノじゃないって言うか「チャクラ」って言う何か特殊で特別なモノが我々の中にあるんじゃなくて、まず基本として我々の体って言うのはナーディ(氣道)の集まりだと思って下さい。つまり、東洋的なインド、中国の考えでは人体を西洋の解剖学的な考えとして捉えるんじゃなくて氣道の集まりとして捉えるんだね。要はパイプの集まりだという考え方。この氣道って言うのは観念論じゃなくて本当にあるんだね。皆さんの修行が進んで行くと自分自身で感じる様になります。それでこの氣道って言うのは血管を血液が通るのと同じ様に無数に体中に通ってるわけですね。このパイプって言うのは何の統制もされていない訳ではなくて、心臓って言うハートセンターから体中に動脈や静脈が張り巡らされてる様に氣道のセンターも普通にあるんですね。それがチャクラなんだよ。単純に氣道が集まってる所と言っても間違いない。そのセンターをチャクラって言うに過ぎない。だから我々は誰だって氣道の中を氣が流れ生命活動を行なっている。そう言う意味では誰でもがチャクラを使ってると言える。本当はこの世界って言うのは見えない世界なんで今初めて聞いた皆さんは気をつけなくちゃならない。いろんな人がいろんな事を言っているから、例えばチャクラの色にしたって、チャクラの色ってみんな違うからで実は基本的な原則はあるけどある時にある段階になってその色を経験する時って言うのはみんなそれぞれ色が結構違う、その人のその時の心の働きとかその時の持っている煩悩とかによって違うしまた見る人側の心の働きとか煩悩とかにも変わるからでだから修行って言うのは一般的にちゃんとした正しい師匠についた方がいいって言うわけだけど特にこのクンダリニー系は経験豊富な師匠についた方がいいです何故ならそうじゃないとちょっと偏ってしまいます。特に教えが強烈に(笑)



【ムーラーダーラ・チャクラ】

肛門と性器の間、会陰と呼ばれる部分にありますよ、ここにはクンダリニーが蛇が三回転半のとぐろを巻いた状態で描かれている。チャクラって言うのは人体を構成する元素と関係があります。元素って言うのは地水火風空ですね。地と言うのは固体元素つまり肉体ですね。水元素は液体ですね。血液、リンパ液、その他の体液。火元素は体温、熱のエネルギー。風元素はプラーナと言う生命エネルギーですね。空元素は鼻の孔とか口の中の空洞空間ですね。これは化学の三態の変化のように固体がエネルギーが高まる事によって液体化して熱として燃え、プラズマ化して気体に変わっていく過程と同じ様に人間の内的体のつくりが変わっていくんですね。それでこのムーラーダーラって言うのは地元素の世界であるこの固体と言われるものの奥に地元素と呼ばれる実体みたいなものがあるって考える。地元素がこの宇宙の全ての固体、物質の状態を司っていると言うふうに考えてるんだね、人体の地元素って言ったら肉とか骨とか皮とかそう言う物質的固体的な部分、これが全部このムーラーダーラと関係がある。なんでこのムーラーダーラが活性化されかつ浄化されてきたら体が美しくなるまたは健康になる。それによってヨーガをやると健康になりますって言うのはある意味正しいしそれは2つの意味があるわけです。つまり、ヨーガをやると例えば身体が柔らかくなり心肺機能が高まり氣道も通ってきて健康になるって言う意味が一つなんだけど、もう一つの別の意味としては一番最初に開発されるのがこのムーラーダーラチャクラだから健康を司っているからその意味でも健康になる。それでこのチャクラは世界としては地獄界と関係がある、あるいは煩悩で言うと怒り、嫌悪、憎しみのチャクラなんです。また仏教で言うと有身見(うしんけん/仏教で批判される五つの誤った見解でいのちに自我があると誤解する見、それによって事象に対して所有に執われる煩悩)肉体への執着もこのムーラーダーラなんだ。肉体への執着ってそんなに怒りとかに比べたら悪いようには思えないかも知れないけど実際には非常に悪いんだよ。いろんな意味での肉体への執着ね。そして我々には内的五感と外的五感があり内的五感の方が真実に近いんです。我々が外に求めてる美味しいもの食べたいとかいろんな感覚を満足させたいって言うのは偽物の感覚なんですよ。本当はもっと精妙な感覚が我々の内側に眠っているので修行をするとだんだん目覚めてくるんですけど我々が内的五感を経験しだすって言う事は一つはそのチャクラが開いてきてると言う事でそれがどう言うものかつまり、悪いものか良いものかってあるよね、悪いものの場合は開いてきてるけど穢れてるって言う事、良いものの場合は開いてきてて浄化されてるって言う事、そしてこのチャクラは香りつまり匂いと関係がありこの香りに引っかかる人はムーラーダーラで引っかかると言っても良い、匂いに非常に敏感である、凄く囚われると言う意味である。このムーラーダーラが活性化されても、穢れている場合ちょっと焦げたようなあんまり良くない香りがしてきますが実際にはしません内的な香りです。活性化されてある程度浄化された場合はいい香りがします、なんかいい香りがするこれがムーラーダーラチャクラの世界です。

第一チャクラ∶「ムーラーダーラ・チャクラ」

性質∶怒り、嫌悪、憎しみ、有身見

場所∶尾底骨、肛門、会陰

元素∶地

世界∶地獄

五感∶嗅覚



【スワーディシュターナ・チャクラ】

次に二番目のスワーディシュターナ・チャクラ

これは世界としては動物界と関係のある世界です。

あるいはこのチャクラは煩悩でいうと性欲とか怠惰さとか逃げの心とか妥協、あるいは愛情欲求、恋愛感情、疑念などのそういったチャクラである。このチャクラが本当に活性化されエネルギーに満ちると異性にめちゃくちゃもてる、何故かもてまくる(笑)

しかし同性には嫌われます。このタイプの人は。あらゆるチャクラって言うのは振動しているんでその振動を周りの人が受けとっているからそれによって人の印象みたいなものが出てくる、だからこのスワーディシュターナが強く振動してる人って言うのは非常に性的な意味でモテるんです、例えばクラスでそんな美人じゃないんだけど男がいつも周りにいる人とかはそれはスワーディシュターナの力なんですね。あとは此処は生命力の世界でもあるんです、生命力の源そして同時に水元素の世界。水元素って言うのは、液体だけど人間って言うのは七割水って言われる様に人間の体って言うのは水元素中心なんだよね、だからこの水元素が活性化される事も我々の健康であるとか快活な体の状態に繋がってくるからまず健康になりたかったら地元素と水元素を活性化すればいいわけだが次の火元素も関係があるよ、火元素は今度は熱のエネルギーだからでもね、まず最初に地元素と水元素が活性化されるだけでも健康になりますよ、それから恐怖と性エネルギーって関係があります。射精とかで使うこの性エネルギーって言うのは我々が堂々と恐れる事も無くいられるエネルギーでもありこれを失うっていう事はちょっとオドオドしたりビビり君になったりする。だからいつも性的な事にエネルギーを使ってる人はエネルギー不足によりちょっとオドオドビビり君になります。ハイそこの君、ビクッてなっているよ(笑)

いろんな事に不安とか恐怖が出てきます。逆に性エネルギーがしっかりと蓄えられた人って言うのは凄く堂々としているしあまりいろんな事に対して恐怖が湧きづらくなるって事で不動の心を得たいって思う人はぜひ禁欲したらいいと思いますよ(笑)この世界は味覚と非常に関係がありますが味覚と食いしん坊はまたちょっと違います。この世界はグルメ的な人要は味を探求し味を追いかける。とではなく味はそんなに重要ではない量だ!ばかばかバカバカ馬鹿馬鹿って食い続けるとこれはお腹のチャクラ、マニプーラの世界だね。とにかく味覚で囚われる人はスワーディシュターナの詰まりですよと表現してもいい。ここが開発されてくると口の中が何もしていないのに甘くなりますが

穢れがあってスワーディシュターナが活性化してきたときになんかは苦くなるんだ口の中が。要は内的な味覚の経験をするんだこれがスワーディシュターナの世界です。

第二チャクラ「スワーディシュターナ・チャクラ」

性質∶性欲、愛情欲求、恋愛感情、怠惰、疑念、妥協

場所∶性器

元素∶水

世界∶動物

五感∶味覚



【マニプーラ・チャクラ】

次は三番目のマニプーラ・チャクラ

これは世界としては餓鬼の世界に繋がっています。このチャクラは煩悩で言うと貪りのチャクラです。ここで引っかかってる人は食べ物で引っかかってる。さっきの味覚って言うよりかは食べ物そのものに引っかかるあるいは物欲に引っかかってる、ある人はお金に囚われる、ある人はいろんな意味の車とか貴金属とかそう言う物質に囚われる、あるいは学問の貪りの場合もある、知識欲、情報欲って言う様ないろんな情報を取り入れたいとかあるいは現世利益的な宗教やあるいははほとんどのスピリチュアルとかのそれもここの世界です。現世利益で霊の力、スピリチュアルな力を使ったら完全なる餓鬼です(笑)しかも(大笑)wwwwww!

霊的な力を使って望みを叶えるとか、結婚するとか、よくある「お金がどんどん入ってくる方法」とか

「大富豪になる方法」とか「引き寄せの方法」とか

いやマジで餓鬼そのものです(笑)気をつけましょう!

つまり霊的なものと貪りがマッチングすると餓鬼なんですよ、だから願いが叶わないし余計にハマる。餓鬼以外の何者でもない。それでこのチャクラは元素で言うと火元素の世界。この段階に来るとお腹の炎がブワーッと燃え上がる、この火元素が燃え上がるとものすごい大食漢になり、もう止まらない止まらない大暴走ですいわゆる「健啖家」という言葉を使うと綺麗ですが「食欲が旺盛で、好き嫌いせずなんでも食べる」大食いの人つまりフードファイターですね(笑)

一日3食ならいざ知らず5食、6食、7食、8食、9食、10食、幾ら食べるんだアンタの世界です。この段階になるとまず、寝れなくなりますしエネルギッシュな時は一日1時間くらいしか寝れなくなるなんてざらです。エネルギッシュ過ぎて有り余るエネルギーが体中に満ち溢れる感じがあります。しかし、この時に食べなかったら凄く修行が進みますのでこの段階に入ったら食べない様に気をつけましょう。普通の2、3食だったら問題ありません。特に若い人が修行を始めたら凄いお腹が空いてきたとその様なもの凄い食欲が出て来てももちろん普通に食べても良いけど食べ過ぎないで修行してたら早く次のステージの「(ふう)」に移行しますよ。意味深(笑) つまりはこの火元素を燃やし尽くして風に移行しなきゃいけないんだけど食べ物の消化にその火を使っちゃうからなかなか火が風に移行しないって言う事になるから気を付けなくてはならないです。その次の風に移行すると風でもエネルギーが溢れてるんだけどかなり静かになり満ち足りた感じになるんだけど、この火の段階の時って言うのは本当に燃える様なエネルギーに体が包まれる段階ですね。ここが開発されてくると小さなとても小さい願望成就の力がつきます。ある程度、お金も手に入るとか、欲しい物が手に入るとか、フッと心に浮かんできた物が贈られてきたりとか、ちょっとした妄想じみた様なまさにその状況が現れたり整ったり与えられたりするんですねどう言う訳か。(笑)もちろんこれらは修行の邪魔にしかならず誘惑になるから間違ってもラッキーとか思わずしっかりとスルーする。(涙……笑)あとでそんな物要らんと思える事が出来るから我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、我慢、ひたすら我慢

このチャクラが上がっていく道って言うのは達成と誘惑の繰り返しだから気を抜けない。例えばまずスワーディシュターナまで来ると全くそれまでモテなかった人が急にモテる様になってくる、これはまさにご褒美的なもので同時に誘惑であるからそこで遊んでしまうと元に戻ってしまいまたモテなくなる、若しくはそこから先に行けなくなったり、ドツボにはまり修行以前よりも酷い状況になる人もいて最初からやり直しなんてのもざらにあります。それでそこを乗り越えると今言った願望成就が起きる。ご褒美なんだけどまた囚われちゃいけない、囚われちゃうとそこから先に進まなくなるこういうのを繰り返し繰り返し繰り返しの連続にハマり一からやり直しなりますよ(笑)

それからこのお腹のチャクラって言うのは蛇と関係が深い。このお腹のチャクラが開発されてるときって言うのはまず、(へそ)をグリグリやられてる様な感覚があるしやたら夢や瞑想の時のビジョンで蛇をよく見ますしその人が徳があったら白蛇を見ますし、徳がなかったら気持ち悪い色だったり形を見る。とにかくやたら蛇のビジョンをよく見る様になる。それからこのチャクラは視覚のチャクラなんです。だから視覚的なものに凄く囚われがある人、例えば「この色が」とか「この形が」とか「この絵が」とか絵を描くのが好きだったとかはこれはマニプーラで引っかかてると言ってもいい。良い悪いじゃないけどねでも、そこにあまりにも囚われるとなかなかマニプーラから抜けられなくなるからね。それからここがちゃんと開発されてくると目が良くなる、つまり視力が悪い人もちょっと良くなる。0.1の人が2.0やそれ以上はないけどちょっとだけ回復と言うか良くなると言うかぐらいですね。だから臍のチャクラが浄化されたりエネルギーに満ちてくると我々の視覚能力って言うのが正常になると言う事です。それから瞑想を進めるときとか言うのは内的な五感って言うのが必要なんだつまり内的な目、内的な耳、内的な鼻とかなどが必要になってきますのでそれを開発しなきゃいけないんだけどまずこのマニプーラ・チャクラが開発される事によって内的な視覚みたいのが開発されてきますそしてその人はいろんなものが見えるようになります。ここが危険のポイントでもあるんだけれどもマニプーラが開発されてきました、しかし、心が穢れているあるいは徳がありません、この場合、変なものが見えだします、つまり一般的に言うところの霊が見える霊能者とかみたいになっちゃいます。☆霊能者って言うのは霊が見えるから霊能者ではなくて見えない世界が見える人であり神だったり精霊だったり妖精だったり、異星人だったりあるいは音として聴こえたりで、別に霊だけしか見えないと言うのはレベル的に霊能力者としてはまだ低いとか逆に低いレベルの見えない存在だけしか見えないと言う意味もあります。また全く見えないのにあるいは居もしない霊がいる様に恐怖を煽る人は別に霊能力者ではなく例の見えないものを見えると称する人を略して例ノ脳力者(うそつき)と言うならば「れいののうりょくしゃ」かも知れません。(笑)ある程度に行ったら霊の話をするかも知れませんし、しないかも知れません

話が広がり過ぎました。このマニプーラの世界って、世界で言うと低級霊(餓鬼)の世界なんですよ。だからここで引っかかる人は魔境の世界に入りやすい。ただ別の言い方をすれば誰でもここを通っていくからこのマニプーラの時にちょっと気をつけた方がいいよ。とにかくお腹のチャクラって言うのはここが開発されてくると視覚的な能力がつくわけだけど同時にそれによってなまじっか変なものが見え出すからちゃんと精神性を浄化してないと魔境に入りやすいし「ここは変な霊がいる」とか。変なものが見え出す場合って二種類あって一つはそんなの存在していないのにその人の心が穢れてるから変なものが見えるパターンと2つ目と言うのは本当に存在している場合がありさっきも言った様に霊も神も精霊も妖精も聖霊も英霊も神霊も異星人的な霊もいっぱいいるんです!見えないだけでね。それが見え出すわけで見える世界の霊のレベルかあるいは霊の世界のレベルかあるいは自分自身のレベルかによって見えるものがガラリと変わりますね。どのレベルの世界を見えるかって言うのはその精神性に関わってくるので非常に高い精神性があってお腹のチャクラが開発されてくると素晴らしい光とか神々の荘厳な映像?動画?VR?AI?が見え素晴らしい視覚的な経験が始まる。例えば空いっぱいに神々が視界いっぱいに横一列に並んで手を振ってたり神々とかがなんかダンスみたいに踊っていや躍っていたり空中を縦横無尽に飛んでたりまぁ様々で色々ですね。そこにチャンネルって言うか意識が合えば見えるし、もちろんまず見える能力が必要で簡単に言うとテレビとかスクリーンみたいなものが必要であとはチャンネルを合わせる。チャンネルが高い世界に合えば高い世界のものが見えるし低い世界に合えば低い霊とか邪悪な異星人とかなんかよく分からない低級の存在が見えます。私の様に自由自在であれば完全な自在性を得ていれば好きな時に好きなものが見えます。見たくないものは見ないし見えません。見えない結界の様なものでバリアして弾き飛ばします。嫌なものは一度経験すれば十分でしょうそう言うのから卒業すればいいわけで。話を戻してテレビの様な受信器は開発されたけれどもしかしレベルが低い場合は変なものばかり見えます。その様なものが見えると言う人からは距離を置いたり近寄らない方が無難でしょう。考えれば分かる事でそんな低級のものが幾つものが見えている人が幸せな訳がないしあなたのエネルギーが吸われますよ。だから皆さんが本当に本当の意味で真理の道を歩きたいんだったらそう言う世界に足を踏み入れてはならない低い霊の世界とか依存度が高いスピリチュアルなんちゃら何かは足をすくわれます。それでこの世界って言うのは単なる視覚的な霊的能力だけではなく霊的世界全般の初めての入口なんですね。スピリチュアルなんちゃらは入口ならぬ入学案内書のパンフレットの表紙の印刷物の印刷会社の誰々が作ったと名が入った様な俺が作ったんだぜ!凄いだろ的な名前の部分しかなりません。

だから紙くずなんだから捨てましょうよそんなもの。

また脱線しました。(笑)

霊的世界全般の入口なんでいわゆるバルド(死後の世界)を経験、体験できる入口もここなんです。つまりここが開発されてくると生きている間に死後の世界を経験できる能力とかが出てきます。当然!

でもこれも、何度も言う様に何処に行くかって言うのはその精神性が決めるからねランダムじゃなく完全に決まってるんですよ精神性によって。何故かって言うとお釈迦様がよく絆とか鎖って言う言葉を使うんだけど我々は今、目には見えないけど既に来世で死んだら何処に生まれ変わるかって言うその絆みたいなのはもう結ばれているんです、いくつか候補的なパラレルシフトはある、例えば地獄界と結ばれてます、動物界と結ばれてます、もしかすると天界と結ばれているかも知れません例えばその三つの世界があったとして三パターンの鎖か紐があって天界との絆が弱いとします、動物界とはか細い麻の様な紐みたいなので結ばれていて地獄界とは鉄のゴンブトのぶっとい大型の戦艦の鎖にガチガチに巻かれてたとしますよ。それが死と同時に肉体が消えてバルド(ヴァルド=死)の世界に放り込まれて一番強く結び付けられた所に自動的に行くんですねこれは瞑想と言うか霊的世界も同じなんです。我々が霊的世界に足を踏み入れたとき、もう自分と繋がっている世界は決まっているからその世界の経験ばかりするんですね、それはその精神性とか徳によって決まってくる。だからさっきの視覚の話だけじゃなくて霊的な世界に足を踏み入れるから精神性や徳がないと魔境に陥りますよって、その危険性が非常に大きいチャクラでもある。だからここが修行によって開発されなくても元々ここが開きやすい人とかって言うのはいわゆる霊体質になりやすい金縛りとか、変な声が聴こえるとか変なものが見えるとかなりやすいのはここが開きやすい人ですね。これがマニプーラ・チャクラの世界ですね。

第三チャクラ「マニプーラ・チャクラ」

性質∶貪り、物欲、食欲、知識欲、現世利益の宗教

場所∶(へそ)

元素∶火

世界∶餓鬼

五感∶視覚










ここまで御読み頂き有り難う御座いました。

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