【前書き/後書き更新追加分かれ道編】 以外とこれが最重要だったりする 【行ける 1話】
分かれ道へようこそ
【コードを起動する】
皆さんのDNAに数多くある眠っている一部のコードあるいはデータを起動する為の前説を致します。
コードを起動する
まずはこれから起きる可能性がある、災害にも関係しています。皆さんも感じていらっしゃるように、何が起こるかわからない時代です。大天災と言われる大災害になるかならないか、起こらないタイムラインと起きるかも知れないタイムラインの分かれ目となります。この世の中で起きることにも当てはまってきます。当然、災害だけではないということです。そこで、とても重要なのが日本の在り方がカギとなります。今こそ、縄文意識に改めて火をつけ直し、方向性の舵を切っていく為の風の時代なのです。ムーとアトランティスの過ちの後悔を二度と同じように繰り返さないために、物質文明から霊的文明にパラレルシフトするチャンスです。日本人は古来より見えない神や精霊や聖霊や高次元の存在を大切にし自然とともに人との調和やつながりや絆を大切にしてきました。もう一度生き方や在り方と価値観を見直す時です。この生き方や在り方と価値観を見直すことは、ただ単にあなた自身が生きやすくなっていくだけではなく、その先にある地球の未来にもとても大きく関係していきます。本来の自分を思い出すことが地球や世界のためになるし、この宇宙や銀河の為にもなるということなので、世の中でこれから起きていく全ての出来事にも関係してきます。これはつまり、あなたご自身にも全て関係してくる事なのです。あなたはあなたという人のレベルを超えた光の存在として【起動】していくことによって影響を与えていくことになっていくからなのです。今、人類に起きている進化、目覚めである覚醒は本来の自分を思い出していくとても大切なプロセスです。その時、本当の自分を知るには魂の領域につながることが重要であり、エゴを浄化することがとても大切なことになります。あなたが浄化され感情の解放をし、価値観を見直し、エゴの世界から抜けていくととてつもない光が放たれるようになるので、一人一人が浄化されていくと免疫力なども上がっていくことやその他もとても大きな力となっていきます。感情の解放や価値観の見直しなどを後回しにしていませんでしょうか?能力を開花させることも素敵なことではあるのですが、ここを後回しにしていると強固な軸が整っていないため、心や精神がブレやすく波動も乱れやすくなります。つまり免疫力も下がってしまいやすくなります。第一チャクラからしっかりと基礎となる土台づくりをした上で、第7チャクラを広げまっすぐでストレートと上とつながることも大事なことです。そのためにはまずは自分自身とつながることなのです。今こそ縄文の魂を蘇らせて、あなた自身が心の豊かさとして人々に伝染させ伝播していく時なのです。これまで人類は様々な過去の時代の中でエデンの追放と岩戸が閉じたことによって記憶を閉ざしデータやスイッチが隠されてしまっていたのですが、根源の源の存在との繋がりが断たれたところから、今どのように自分が誰かを思い出し5次元意識に進化しそれを超える進化を遂げていくのかが試されている時です。その隠されてきたもの、忘れてきたもの、スイッチの在処が徐々に表に出てくるステージに来ています。一刻も早く縄文時代の光も意識も在り方も生き方も取り戻し、
【キ】つまり、「氣・魂・5次元波動」と
【ミ】つまり、「実・体・3次元波動」の融合した
【キミが世】つまり、あなたの世界を実現させることなのです。この肉体、体を持って私たちはこの地球に生きています。この3次元の世界に生きながら5次元意識に進化していきながら融合となります。この時、日本人のDNAには太陽神である天照大御神から託された太陽の民としての光の神聖なるコード【神聖遺伝子キミの遺伝子】が埋め込まれています。そのスイッチが入り太陽の神聖なるコードと共振するとその役割を勝手に思い出してキミの世から神の世として生きていくのです。この太陽の神聖なるキミの遺伝子コードを継承しているのは地球上では唯一、日本人とごく一部の海外の同じ遺伝子を持つ人だけなのです。だから日本人の進化と浄化が重要な役割を担っているのですが、実はこの太陽の民である私たちは少し急がされと言うよりかかなり急かさています。対立、支配、競争、お金、分離といった古い周波数から自由になり、縄文的未来文明と進化していきます。この神聖なるキミの遺伝子を活性化させるにはどうすればいいかをここから ご説明していきます。
先ほどお伝えした通り、感情の解放をし、価値観を見直し、エゴの世界から抜けていくことなのですが、それと同時にとても簡単にできることがあります。
背骨が人間の軸となるのですが、頭頂いわゆる頭のてっぺんから脊髄に沿って走る光の道があるのですが これをブラーナという管となります。この管が私たち人間には備わっているんです。ここは宇宙エネルギーを人のエネルギーフィールドに取り入れることができるところなのですが、ここには感情のマイナスエネルギーが溜まりやすく、ほとんどの場合、エネルギーが詰まって滞り澱んでいるのです。煙突の煤のようなものとなります。そのため、今このライオンズゲート期間中に宇宙よりエネルギーの光が届く時であるのにも関わらず、ここが詰まってしまっていると、宇宙のエネルギーを取り込むことが難しくなってしまうということなのです。そのため神聖なる太陽のコードを起動させることが難しくなってしまいます。つまり、このプラーナの管は宇宙からのエネルギーを素直にストレートに受け取り、人のエネルギーフィールドに取り入れるための必需品なのです。今の状態だとすると間違いなく神聖なる太陽コードを起動させることができないので、臓器や細胞の活性化など 心身ともに健康な状態でいられるかどうか?ということもプラーナの管を通して生命エネルギーがいかに綺麗に流れるかどうかが、変わってくるとも言えるので、そのため、このプラーナの管が浄化され、その光が通ると眠っているDNAのコードが活性化しやすくなり、炭素体系ベースの体からケイ素体系ベースに変容し、この肉体が神の社(やしろ=つまり神社)として光の体つまりライトボディとなっていくということなのです。それ自体があなたの禊となるのです。すると人の体、特に腹(肚=はら)に神が降りる(肚に座す=腹の中に座り住まう)ことが可能になるので神聖なる遺伝子コードのスイッチが入り、神を思い出すことができるということです。これが神のDNAのスイッチをオンにすることができる。人の身体の岩戸開きになると言う事なのです。そしてこの一人と言う個人のプラーナの管の浄化が日本列島の龍体(日本列島自体が龍の身体)の背骨の浄化につながります。そして、日本全土を活性化し、地球レベルの浄化にもつながります。このようにプラーナの管が綺麗になると、細胞内の分子原子レベルの汚れが取り除かれやすくなるということなのですが、この取り除き方などは後で詳しくお伝えします。その前に細胞内の分子原子レベルの汚れとは何かを簡単にご説明したいと思います。この魂と人間レベルの喜びには違いがあるのですが、量子力学で言うと意識のレベルが上がっていくと、人間→原子→素粒子→紐理論の紐→ゼロ磁場ポイント(0ポイントフィールド)になっていきます。この時、人間レベルでは喜怒哀楽である【喜び】となります。これは何かがあるからとか、何かをしてもらったからとかの「嬉しい」の世界です。魂のレベルでの喜びは喜怒哀楽を越えた【悦び】となります。 この悦びという感じには「忄」りっしんべんなので心が入っていますね。つまり、ただ嬉しい何がなくても嬉しい世界あるいは全てがエクスタシーなので【悦に浸る】です。この悦びの世界は感謝、愛、悟りなどの周波数です。それはプラーナの管が綺麗になると細胞内の分子原子レベルの汚れが取り除かれるということは、これまで溜まってきた感情が取り除かれ、喜怒哀楽によって感情に振り回されてきた私たち。その他の違う言い方をすると喜怒哀楽があることによって喜びを感じる人だったところから抜け出て、愛、感謝、悟りと言った魂レベルでの悦びまで上がっていくということなのです。人の体に神が降りることが可能になるつまり 神意識となるということです。では、ここで神聖なる太陽の遺伝子コードを起動させるやり方をお伝えしていきたいと思います。
7つのステップがあります。軽く立ってもらい
1∶天から光の管が降りてくるイメージをしてください。
2∶頭上にあるクラウンチャクラに届き、背骨を通って尾骶骨まで届かせるイメージをします。
3∶その光によってプラーナの管に詰まったマイナスエネルギーが浄化されていくイメージをしてください。掃除機で煙突の煤を吸い取っているように天上に上げてもらいます。
4∶ 体がどんどん軽くなっていくのを感じてみてください。
5∶背骨に温かさを感じたら、感謝と共にイメージで光を天にお返ししてください。
6∶そして天から落ちてくるプラチナのキラキラとした光のレイシャワーを頭上から吸い込み、足の裏からは淡い青の光でブラーナの管を満たしてください。
7∶ゆっくりとゆったりと深い呼吸(例∶鼻で吸う3秒/口で下向きに吐く9秒)とともに2つの光によって清められパワーを増していくのをゆっくりと感じてみてください。
頭上からと足の裏からの2つの光です。このように天と地の光が体の真ん中に入ってくる事により光の柱となります。すると人の体に神が降りることが可能になるので、神聖なる遺伝子コードのスイッチが入り神を思い出すことができます。これが神のDNAのスイッチをオンにすることができるワークとなります。その他にもブラーナの管を浄化すると眠っていた才能に目覚めたり、若返ったりすることもあり、その他、人それぞれ持っているコードごとなので色々です。縄文の女神であり宇宙の母であるシリウスの瀬織津姫からのメッセージです。皆さんのDNAに眠っている神聖なるコードを起動させることが今とても必要だという内容をお預かりしました。これは遥か古代より大事にされてきた自然を慈しむ心や思いやり、目に見えない世界こそが大事であるという教え、縄文の記憶、それは日本人しか持っていないDNAに刻まれた記憶です。この神聖なる遺伝子コードを起動させることで、本来のあなたを思い出し、本来のあなたを生きることができるようになるのですが、すると日本列島の龍体の背骨の浄化にもなりますし地球の浄化とこれから起きる現象もタイムラインとパラレルシフトが変わっていきます。それには浄化、感情の解放、価値観の見直し、エゴから抜けていくことなのですが、これらを後回しにせず、第1チャクラをしっかりと土台として、上とまっすぐつながることだということです。それにはプラーナの管のお掃除をすることです。このライオンズゲート中だけではなく振り注がれる光のエネルギーを受け取るために、プラーナの管をきれいに浄化していくと、細胞内の分子原子レベルの汚れが取り除かれ、炭素体系ベースの体からケイ素体系ベースに変容し、人間レベルでの【喜び】から魂レベルでの【悦び】に引き上げられるため、この肉体が神の社として 軽くなった光の身体つまりライトボディ化していきやすく出来やすくなるということなのです。すると、太陽の民としての光のコード、神聖遺伝子が起動し、神の世となり、縄文的未来文明への手助けとなる、あなたになっていくということなのです。
ライオンズゲートが終わり
次のライオンズゲートが開くまで待ち切れない方向けで、いわゆるクンダリニーヨーガとなります。
上記の事がいわゆるスピリチュアル(精神世界)の到達点である神への至る道 神道なわけです。神社神道ではありません。
高い何かを買う訳でもなく、今のこの瞬間に超簡単に出来る様なエネルギーが流れているからこそ出来るのであってエネルギーが天から降りて来なかった時代は何十年と修行しなければならない時代だった訳ですからなんて幸せで有りましょう。
それでも変わらない人向けにクンダリニーヨーガを紹介致します。
【【奥学院必須科目】】
【完全解説】クンダリニーヨーガ
クンダリニーって言うのは誰でも持っているエネルギーです。しかし普通はあまり使われていないと言うか眠っています。それ以外も色々なサイキックや超能力などが眠っていますし眠らされています。完全覚醒しないと発動しません。野生の猿に核兵器のボタンを預ける様なものですよ。危なくて危険極まりないです。
しかし、正しいやり方で修行しているとクンダリニーが覚醒し背骨の中にある気道を駆け昇り、頭頂にクンダリニーが集まり「アムリタ」と言われる物凄く気持ち良いエネルギーが物理的に発生する。このシステムが十分に働いている時は、あらゆる刺激、あらゆる感情が全部歓喜に変わります。人生そのものがエクスタシーになってしまう。素晴らしい歓喜と共に悟りに近づく、それこそが太古や古の賢者が求めてやまなかった事なんだと言う事です。
クンダリニーヨーガのプロセスや内容を説明していきたいと思います。今世界で流行っているヨーガっていうのはアシュターンガとかパワーヨーガとか色々あるけども全てハタヨーガの亜流です。ハタヨーガって何かっていうと体を使うヨーガをハタヨーガといいます。色々なポーズを組みましょうとか深呼吸しましょうとかは全部ハタヨーガなんです。ハタヨーガ自体は非常に新しい教えで少なくとも十世紀以降につまり1000年前後くらいに出てきた教えです。歴史的な話しをするとお釈迦様以前のインドというのは儀式宗教だったと言われ、修行して悟るというよりは神に色々な祈りを捧げて神に祝福を請うという流れが主流だった。紀元前五百年頃にお釈迦様が現れて同時期にジャイナ教の開祖が現れギリシャのソクラテスが現れ孔子とかもほぼ同時期に現れ偉大な宗教改革者が世界各地にポツポツと登場してきてヨーガもほぼ同時期に色々な聖者や聖人が現れそれまでの単なるお祈り宗教ではなく自らが自らを開発し魂を向上させ、悟りに至ろうがという道が現れてきた。そしてその時代に仏教は仏教としてどんどん発展していきヨーガの方はまず初期段階ではラージャヨーガといわれるパタンジャリの「ヨーガスートラ」を中心としたヨーガが発達しました。
ラージャヨーガっていうのはお釈迦様の仏教もそうだけど精神集中のヨーガなんです。これは禅の世界にも近いけど細かい事はさておいて真理そのものに集中すればいいじゃないかという最も原始的で最もストレートな世界なんだね。元々仏教にしろヨーガにしろ最初は瞑想中心でした。ひたすら瞑想とひたすら自分の心に対して精神集中して究極の境地に到達しようとしていたんだ。人間の性質はそんなによくないのでどんどん時代が下るにしたがって瞑想中心の修行だけではなかなか人間が覚醒出来なくなってきた。ただ座るだけじゃ駄目なんで色々なテクニックが開発されていったという経緯がありヨーガが色々な種類に分かれていくようになり宗教的な方に開発されていったのがバクティヨーガ、哲学的な方に開発されていったのがジュニャーナヨーガといいます。その中で肉体に着目し我々の持ってる肉体の機能やエネルギーを利用してなんとか出来ないかという事に着目して修行の道を早めようと考えたのがハタヨーガなんです。ではクンダリニーヨーガって一体なんなのか?クンダリニーヨーガっていうのは実際には言葉の問題なんだけどクンダリニーを利用して解脱する様な道だからクンダリニーヨーガって言ってるだけでクンダリニーヨーガ派みたいなのはある訳ではない。派としてはハタヨーガなんですが肉体あるいは肉体に関係する気道と生命エネルギー又はクンダリニーエネルギーと呼ばれるものに着目して自分を向上させていこうと考え方。その為にまずはアーサナをやって呼吸法をやってムドラーをやってそして瞑想に入っていくという、これがハタヨーガのシステムなんです。ハタヨーガと呼ばれる肉体的ヨーガの中でも高度な部分「クンダリニー」といわれるエネルギーを扱ってるのがクンダリニーヨーガと言ってもいいかも知れない。それはチベットではチベット仏教のヨーガ、中国では仙道というかたちで同じ様にクンダリニーヨーガが修行されています。名前とか体系が若干違うんだけど、インド、チベット、中国で千年くらい前から伝わってきたエネルギーによって自己を覚醒でさせる道というものがあるのです。これらを総称してクンダリニーヨーガっていうと思ってください。
ハタヨーガの本当の真髄はクンダリニーヨーガなんです。いい換えると今、世の中に広まってるヨーガはクンダリニーヨーガの亜流と言っても差し支えない。クンダリニーヨーガの真髄、本当のクンダリニーヨーガっていうのは深淵なものがあってその準備運動みたいなものが今、世界中に広まってるんだけど。それをヨーガって言ってるんだけど。(笑)
本当のクンダリニーヨーガってなんなのかって言うとこれから説明していきます。
【クンダリニーヨーガ】って言うのは私自身、現代人に一番必要不可欠なヨーガだと思っています。
ヨーガって様々な修行がある訳ですけど多くの方法でアプローチする必要がある。教えを学びそれを分析しいくジュニャーナヨーガ的な方法、神への愛を高めていくバクティヨーガ的な方法、あるいは人生そのものを修行の場として考え全力で目の前のカルマにぶち当たるカルマヨーガの方法、あるいは仏教的な様々な教えもあり、このクンダリニーヨーガもしくはハタヨーガといわれるものは先ずは体から入る、体のシステムを利用して自分の精神性や魂のステージを高めていく方法でこれはまず簡単に言えば入りやすいいうのがある。ジュニャーナヨーガはかなり結構、頭良くないと出来ませんし、バクティヨーガは極端に言えば赤ちゃん並みに純粋な心がないと出来ません。
じゃあクンダリニーヨーガって言うのはとにかくスタートはやる事やればいい、体を動かしたり、呼吸したりやる事やればいい、そこから進むには色々な要素が必要になって来るんだけどスタートだけは誰でもできる。そのやる人が悟りとか高いものを目指さなくても途中段階で例として気道が浄化されることによって健康になったり心が安定したりチャクラが開発 されることによってそれぞれチャクラの能力が出てきたり、別に悟りとかを求めていなくてもクンダリニーヨーガをしっかりと正しく行なうならばいい人生を送れるのは間違いなく別の観点から言うと現代人と言うのは肉体的あるいはエネルギー的な穢が多い時代で生きて人も多いし人々の心が低い所に下がってしまっているし非常に忙しい時代なので色々な人と接して忙しい日々を生きているとどんどん肉体レベルからおかしくなっていっているので現代人にとってはマイナスの面を防御すると言う意味でもクンダリニーヨーガが必要になっている。クンダリニーヨーガのプロセスって言うのはどんな修行してもおきます。
神の歌を歌うバクティヨーガだけやってても涙を流しているだけでもクンダリニーが覚醒しチャクラを貫き甘露が落ちます。あるいは思索とか精神集中を中心にしたジュニャーナヨーガやラージャヨーガや仏教などの修行でもクンダリニーのプロセスは進んでいきますが敢えてクンダリニーヨーガはそのクンダリニーそのものに焦点を当てて結果的に起きる事を待つのではなくエネルギーそのものをつかまえて動き出せれば良いんじゃあないかと言う結果として起きるものを最初から規定して最短の道を考えれば良いじゃあないかと言う発想なのです。
その為に肉体を使うと言う事。それまでの修行は、仏教にしろヨーガスートラに代表されるラージャヨーガもそうだしどちらかと言うと肉体を否定している訳です。自身の体って言うのは糞尿の袋に過ぎないあるいは糞尿生産機械に過ぎないと考えていてだから肉体に囚われるな、肉体を否定しろと言う考え方が原初的な教えだったがしかしクンダリニーヨーガの教えでは確かに肉体は魂の乗り物に過ぎない、しかし生きている間はお付き合いする訳だから逆に利用すればいい、つまり肉体のプラスの面を考えた訳です。確かに肉体が自分だと思って囚われると我々は輪廻に結び付けられる。しかし自分の心と肉体は連動しているから肉体の方をコントロールする事によってあるいは呼吸をコントロールする事で「あれ?」心も何か落ちついてきたと「あっ」この肉体というのは心と連動しているから使いようによってはそれまで心だけを相手にしていた時は難しかった事が肉体を使ってうまく出来る事が分かってきた。氣の流れであるとか気道のシステムであるとかチャクラであるとか使いようによってはこの肉体って言うのは精神や魂の向上に役立つと分かってこう言う形で発達していったのがクンダリニーヨーガやハタヨーガな訳です。今日本や欧米で流行ってるヨーガって言うのはこの考えの延長線上にあります。
元々インドのヨーギー(ヨーガをやる人)達は解脱を目指していて、でもこのクンダリニーヨーガはそんな究極の境地を目指さなかったとしても適度にやれば健康にいいし心の安定するし「あっ」これいいなって感じで欧米とかに健康法とか美容法として広まった訳です。
【エネルギーの蓄積】
まずクンダリニーと言われているエネルギーの元になっているのは「徳」です。徳というのは簡単に言えば良いカルマ。良いカルマがあるかどうかって事ですね。だから徹底的に徳を積まなければいけない。そして同時に戒を守る。戒を破る事で逆に徳が漏れてしまうだからまずは道徳ではなくて物理的な問題としてクンダリニーをやるにはエネルギーを蓄えなくてはいけないのでそれにはまず徳を積み戒を守る事によってその蓄積をしなければならない。その徳というのは曖昧なものじゃないんです。徳というのはお金とよく似てる。数千万の高級車を買いたいと思ったら当然数千万貯めなきゃいけない、数千万貯めるという事はそれ以外の事にあまりお金を使わない方がいいって言う事ですよね。毎日高級レストランに行って給料のほとんどを遊びなどに使って高級車買いたいんだと言っててもそれは実現しない訳です。大きなものを達成するには小さなものには我慢しなきゃいけないこともある。それは道徳的な話しではないんです。道徳的になんか達成したかったら自分を律しなさいって言っているのではなく物理的な話しなんです。クンダリニーの覚醒とか次元上昇とか悟りとか超スゴイことを達成しようとしたらやっぱりそれだけの徳が必要だと、それは膨大な徳が必要なんだね。それは何故かなかなか現代では説かれてないところなんだね。というよりも徳が必要って言うところはあんまりほとんどがクローズアップされてなく多くの仙道やヨーガとか密教の経典にはエネルギーが覚醒して上昇し体を回りだしたらものスゴイエクスタシーですよって書いてある。多くの人はまず第一段階で回す事が出来ないだけど、回すことに成功しているのに気持ちよくないって言う人が多い。これはどういう事ですか?なんでなんですか?間違っているんでしょうか? いいえ それは徳がないんです(笑)
だから徳って言うのはものすごく重要なんです。この徳って言うのは実体がないからなかなか分かりづらいんだけど、ものすごく簡単に言うと、徳って言うのは言い方を変えると良いカルマなんだね。だから人を幸せにすればいい。カルマって言うのは非常に簡単に言うと作用反作用の法則、何かに一つの力を加えた時にその逆のベクトル、つまり全く逆方向に同じ分だけ同じ力で現象が返るっていう法則なんだね。これは物理法則としてある訳だけど、それが物理だけじゃなくて全ての現象に於いて言えるんだ。簡単に言うとそれがカルマの法則。つまり誰かを幸せにしたならば自分も幸せになんなきゃいけない、誰かを不幸にしたならば自分も不幸になんなきゃいけない。例えば誰かを幸せにしました、これがその瞬間に幸せが返ってくる訳ではなくて、私が貧しい人にお金をあげたりしたら瞬時にパッと自分が金持ちになるとかと言う訳じゃないよね、つまりそれが返ってくるにはタイムラグがある。って言うことは返ってくるまでの間、何処かにストックされているっていう訳でしょ。このストックされているものを徳のエネルギーって言っている。でこのストックされているエネルギーっていうのは心に安心やなんか良くわかんないケドも幸せだなっていう感覚とか安らぎとかをもたらすわけだね。逆に悪業のストック、悪いことやっちゃったケドまだ返ってきてないというストック、これがあればあるほど我々はなんかよくわかんないケドも不安でなんか苦しくてなんか寂しくてっていう感覚が多いんですよ。(笑)
我々はそれがまだらな状態だから時には寂しい、時には嬉しい、時には苦しい、時には楽しいなんです。ヨーガとか仏教とかでは善と悪って定義としてはこのカルマの法則の中でそれをやる事によって幸せになる行為を善と言うんです。それをやる事によって苦しみ、不幸になる行為を悪と言うんです。もちろん表面的な問題じゃないよ、例えば人を騙してお金儲けすれば表面的に幸福になる様な気がするケド、カルマで言ったらその人は将来的に自分も騙されて苦しみを味わなきゃいけない、つまりこの意味でこの「人を騙す」っていう行為は別に道徳ではない、社会道徳として人は騙してはいけませんよって言っている訳ではなくて人を騙すという行為によってあなたは将来、今得るちっぽけな利益の何倍何十倍もの大変な不利益を被りますよと、それを悪って言ってるんだね。逆に今はもしかすると損した様に見えるかも知れないがこれをやる事によってあなたの魂は将来、今生に於いても来世に於いても大変な幸せを得ますよと、これを善と言ってるんだね。つまり実は善悪ってそういう柔軟なものなんです。例えば戒律とかもそうです。ガチガチに定めてあるけど、それは最大公約数的に誰にとってもこれは当てはまるだろうっていうのを定めているだけで実際には柔軟に善悪っていうのは分けられる。基本的にはその徳のストックをどんどん増やす、くだらないことには徳のストックを漏らさない。逆に悪のストックはできるだけ新しくは積まない、つまり悪いことはしない人を不幸にしない。もう積んじゃったストックは早く出しちゃった方がいい、あればあるだけ不幸だから。じゃあどうしたら出るんですか?
それは懺悔をしたり、自分の心を浄化する修行をしてると現実的に色々な苦しい事がやってきます。この苦しい事がやってきた事をもって悪のストックがちょっと消えます。但し注意しなければいけないのは苦しい事が起きた時にまた心を動かしてしまうとまた新たな悪のストックが積まれます。例えば誰かを昔、馬鹿にしたと、これが返ってきて自分が馬鹿にされたと言う事でこれは普通はこれで終わりのはずなんだけど、普通この時点で怒りが出るじゃないですか?色々と、なんだアイツ、こんな事を言うんだ!ってなると思うんです。これがまた新たなる悪のストックになっちゃう、こう言う事にいちいち心を動かさない、私の悪を浄化してくれて本当に有り難う!って心の中でいいのでこう言ってやると、一つ消える、それで感謝した分、ちょっと幸せになるんだね、自分の中の無意識に出てくる不安定さとか暗さがちょっと消えます。人間って言うのはそういう仕組みを知らないから表面的に苦しみを逃げようとするよね、例えば苦しい事がありました、そうすると嫌だから逃げようとするあるいは逆に恨んだりして自分を成り立たせようとする訳だけどそれは逆なんだとそういう事をやればやる程苦しみのストックが多くなるから逆に一時的に苦しいけどもそれは自分のカルマなんだって思って心を動かさないで耐えきればその分、消えるから。その時は苦しいけどもその後には以前よりも幸福な自分の心が出来てます。これが悪業と善業の法則性です。広がっちゃいましたが徳って言うものが物理的なエネルギーであってそれがクンダリニーの源になるんですよって言うのがここまでの話です。以上「徳を積んで、エネルギーを蓄積する。」でした
【エネルギーの漏洩の防止】
徳って言うのは自分を幸せにするエネルギーって言ったけど幸せってなんだろって言う問題があります。
一つ言うと自分の欲求の現象化ですね。つまり徳って言うのは別の言い方をすると自分の欲求を叶える事ができるエネルギーと言ってもいい。さっきも言ったようにお金と非常に似ている、つまり徳があれば何でもできる、くだらない事にもお金は使えるし、価値のある事にも使えるのと同じように徳もくだらないことから価値のあることまで何でも使える。で一番最悪の漏れは性的な放出ですよ。男性の場合はまさに射精、女性は分かりにくいので何とも言えないんだけど、男性の場合は最低限、精子を漏らさないというのが第一です。ですが実際は精子っていうのは自分では全く漏らしてないと思っても性的なことを考えてたりすると知らぬ間に精液が漏れおしっことかと一緒に排出されて気付かぬ内にエネルギーを漏らしてるっていう場合もあるということでよって性的なものから遠ざける、離れるというのが凄く重要になってくる、いわゆる禁欲ですね。実際にスポーツ選手とかは大事な試合の前には禁欲するわけですね。それは経験的に分かっているわけです、それは肉体的なパワーっていう意味でもそうなんだけど、単純な肉体的なエネルギーだけではなくて物事を叶える力でもあるんだね。この徳っていうのはつまりそれがなくなっちゃうっていうことはより大きなものを達成出来ない。しかもよりよく考えて見てください、性エネルギーと呼ばれる男性の精子そして女性の卵子それがですよ、一人の人間をつくりだすんだよ、ということはそれが含んでいるエネルギー、生命力っていうのがどれだけのものかっていうことだね。だから逆にいうと射精したということはいいですか?何万か何十万か何千万か何億かは知らないけどその精子を外に出したっていうことだね。一個の精子で一人の人間をつくれる生命力の塊を何億と捨ててるわけだからもったいないこの上ない極み。それをそうじゃなくて内側に昇華させることができる、つまりはエネルギーは同じだが形を違うものに変える。ここが問題なんだけれど男性の場合、男性が性的快感を感じるときっていうのは精液が移動するときなんだね。睾丸に溜まってる精液が何らかの性的刺激によって外に出ようとするとき尿道を通ろうとするその時に快感が生じる。だが、これはちょっと「えっ?」っていう感じがする、なんで移動するだけで快感何ですか?つまり精子、精液といわれるものにそれだけのエクスタシーの言い方を変えると徳のエネルギーが詰め込まれているからなんだね。この辺は頭を柔軟にしてもらい考えてもらいたいですが、徳って何ですか?徳っていうのは我々を幸せにするエネルギーです。その我々を幸せにするエネルギーの塊が一番雑になったのが精子、精液なんです。だからこそそれが通ると気持ちイイ何です。だからこれはせっかくの宝物を一番雑な形で表現してる。例えば皆さんがダイヤモンドを手に入れたとしてダイヤモンドの価値云々は抜きにして「スゲェ、ダイヤモンドだー!」「うわーマジスゲェーって」それでうまい棒を一千万個買った様なものです。いや、それはそれで確かに対価的にうまい棒一千万個分くらいの価値があるかも知れない。でもそれはもっといいこともできるだろう、つまりは徳の力によって性的なエクスタシーを味わいましたとそれはそれでいいんだけど同じそれを使ってそれを昇華させればもっと気持ちイイよと、あるいはただ気持ちイイだけじゃなくて我々の智慧が高まったり心の成熟が得られたりもっともっといいものがある。あるいはさらなる得られるのに何をやっているんだ。修行の快感というのは終わらないんです。漏らさないから内側でどんどん高まっていくだけなんだけれども、でも性的なものの場合は漏らしちゃうからそれで終わりなんです。だからそうじゃなくてそれがクンダリニーっていう形で上昇しだすとシステムはまるっきり同じ、 つまり性的なものの場合は睾丸から性器までの道のりだったけど、ではなくて今度は背中の真ん中を通るスシュムナーといわれる神聖な道ここを精子じゃなくてそれが昇華されたクンダリニーが通ると元のエネルギーは同じなんだけれど遥か神聖なものに姿を変えたものが神聖な道を通るわけだから同じ快感という快感には違わないけどレベルが明らかに違う神聖なエクスタシーが生じますよと。そしてクンダリニーを目覚めさせ、上昇させるには禁欲が特に最重要になってくるんですが最初は無理矢理しなきゃいけないんだけどそのシステムがしっかりと出来上がってくると別に無理する必要が無くなってくる。
昔のお坊さんっていうのはできるだけ性的なものを刺激しないようにして真面目に戒律を守っていた、でもなかなか辛いと性欲に悩まされてそういう話がいっぱいあるんだね。でもクンダリニー的な修行をしっかりやっていてちゃんとシステムが出来上がると全然我慢とかそういう世界じゃなくなる、必ず修行っていうのは熱が発生します。
しかもそれは下腹部から発生するんだね男性の睾丸というのは精液を冷やす為に外に出ているんだけどつまり熱で死んじゃうですね精子って、つまりこの下腹部を熱するっていうのは精子を殺している。それで殺された精子は一旦体に再吸収され肉体レベルでいうとアミノ酸とかタンパク質として再吸収されます。そうじゃなくてもう一つ深いレベルでいうと徳のエネルギーだから徳のエネルギーが一旦雑な形で精子になるんだけど再吸収されてももうちょっと原初的な徳の塊みたいなものに変わる。それはほっとおくとまた精子になる。そうじゃなくて一旦死んで原初的なものに戻ったものを今度は上昇のエネルギーによって上にあげてしまう。そうするとそのエネルギーがクンダリニーに変化するそういうシステムがしっかり出来ると無理矢理、我慢するそういう世界じゃ無くなってくるんだ。当然それまでは我慢しなきゃいけない、ちゃんとシステムが完全に出来るまでは、我慢我慢(笑)もったいないからね。頑張って(笑)
そして菩提心という言葉はボーディチッタっていうのですが、このボーディチッタというのは密教などの世界ではかなり複合的で何重もの意味がある。例の16の法則です。一つは大乗仏教的な「沢山の人を救う為に悟りを得る!」っていう決意、別のパターンで菩提心っていうのが使われる時は我々の心の本性にある「悟りの心」を指している事もある。自性菩提心っていうのだけどそれではなくて密教のある文脈で菩提心、ボーディチッタを使う時っていうのは精液を表わす、これは実際には精液そのものっていうよりかは精液に含まれている純粋なるエネルギーを指している。この言葉の当てはめ方っていうのは実はとても重要な意味がある。射精をするという事はボーディチッタを捨てているっていう事です。射精をする事によって我々の中にある慈悲の心の種を捨てているっていう事になる。という事で性的な禁欲が必要になってくるですね。
次に食事、食事に関してはそんなに厳しく言ったりしないんだけれどもただ、食べ過ぎ特に自分の体が必要としている以上に食べると当然の様に無駄で意味のない消化エネルギーが使われエネルギーロスに繋がる。だから食べ過ぎには気を付けましょう。どれくらいが食べ過ぎなのかというとその人その人の消化する力によるのでどのくらいというのは何とも言えない。その人の消化力によるんだけれどごく一般的にいわれる腹六分目とか七分目とか八分目の内の腹六分目〜七分目くらいがいいですね。
次に喋り過ぎ。しゃべるって結構エネルギーロスします。当然の様にこれに悪口とか嘘が入ると当然の様に逆に悪業を積む事になるので最悪ですね。全く無言になれとは言わないが口を慎む、相手の為になる様な話はどんどんして構わないわけだけど、そうじゃない無駄な話っていうのは出来るだけぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋り過ぎない様にする。
次に考え過ぎ。これは現代でもよく言われているよね、つまり、頭って凄くエネルギーを使うんです。もちろん正しい思索だったらいいんだけども、教えを考えるのはいいんですけども、何故かっていうとそこでエネルギーロスするけど教えによって自分の心が変わっていったらプラスの方が大きいからね、でもそうじゃない無駄な心配とか不安とか含めて本当にいつまでもネチネチいろんな事を考えるとそれ自体、生命力のロスになりますよという事です。
次に一番低い徳の使い方が怒りなんだね、相手を怒ることによって相手を叩きのめす、傷つける、シュンとさせる、これも徳の力。「えっ?」って思いました?だってそこでエネルギー使われてるよね!エネルギーって消費されているでしょう?徳を消費して怒ってる。我々がもしエネルギーがなかったらそんな事出来ないしエネルギーが枯渇してしまう。(笑)「この野郎!」って思えるのもエネルギーなんですよ。それって最もくだらない使い方でしょう?そう思いませんか?誰も得しないよね。
前に言ったセックスで漏らすのももったいないけどそれ以下だよね。だって気持ちよくもないんだよね、相手に怒ってスッキリして気持ちイイ様な錯覚はあるけど、スッキリした~って言う錯覚はあるけど、実際には相手も自分もやっぱり余計に嫌な気持ちになるし現実的なことを言えば自分も周りから嫌われるし、嫌な奴だと思われるし。自分の中にもより一層、人に対する殺伐とした気持ちとか後ろめたさとか後悔の気持ちとかが増してしまう。だから怒りって言うのは最悪です。皆さんがいろんな欲望がある場合、例えば今まで言っていたこう言うのに執着しているんですよ。それをある程度はしょうがないしやむを得ないかも知れない。しかし怒りだけは早く自分の中から無くした方が良いです。恨み、憎しみ、怒り、あるいは何かモノに八つ当たりしたり、自分以外に罵声を浴びせたりなどなど、これらは自分にも周りにもマイナスしかない、よく我慢するよりは発散した方がいいって言う人いますけどあれは何も知らない無知の人の超大間違いです。我慢した方がいい。何故かって言うと習性を生むから、一回怒っちゃうとまた次も怒りやすくなる、だからストレスたまろうが怒らない方がいいです。それはだから普段から慈悲の訓練と心の訓練をしておいてできるだけ怒りとか憎しみとかのそっちの方にはエネルギーを逃さないようにした方がいい。それから他にも色々ある。
例えば肛門というのは赤ちゃんとか小さい子はグッと閉まっている、だんだん成長するにしたがって緩んでくるそれからおじいさんとかおばあさんになるともう緩みっぱなし。これは何を意味しているかって言うと若い頃は当然成長しなきゃいけないからエネルギーをロス出来ないからよってグッと内に溜めてるんですね、でも成長してくるとその必要がなくなってくるのでちょっと緩んでくる(笑)で、修行に於けるエネルギーを蓄えようとした場合これによって気付かぬ内に肛門からエネルギーがロスしてる場合がある。だからこれを防ぐ為には普段からギュッギュッギュッと肛門を締めたり緩めたりを繰り返したりあるいは普段から気付いたら締めるあるいは修行時間にバンダを含んだムドラー等の修行をするといいと思います。今言ったのは非常に実質的な戒律を言いましたけども、普通に言われる仏教の五戒やヨーガの禁戒、勧戒も全てはこのクンダリニーの観点から言うならばいかに無駄にエネルギーを漏らさないかそして逆にいかに修行の害となる悪しきエネルギー(エネルギー)を積まないかって言うことに観点が置かれるんだね、だから戒律とかしっかり守らなきゃいけないよと。これによって自分の中を素晴らしい徳のエネルギーでいっぱいにするわけだね。以上「戒律を守ってエネルギーの漏洩を防ぐ」
でした。
【気道の壁の破壊】
このプロセスに進むとある段階からストレスが溜まります。ストレスが溜まると言うのはまず我々の人体と言うのはナーディの集まりです。氣の流れが縦横無尽に走ってる、色々な要因によって氣の流れの滞りや偏りがある。そしてナーディがどこで詰まるのか?あるいはエネルギーがどこに行きやすいのかこういったことを決めてるのが一つはカルマと言ってもいい過去のカルマ、過去の経験からくる心の習性だね。もう一つは観念。つまりその観念の種類によって気道の何処が詰まるかが変わってくる。普通はそれは悪い観念なんだね。例えば女性ならパートナーが近くにいてパートナーと別の女性がいちゃつくなんて言う状況になったら「嫉妬する」のだと言う観念ね。例えばだからねあるいはこのような状況になったら私はあいつを恨まずにはおれない、いられないって言う観念。こういったいろんな悪い観念で詰まってる、だからどう言うふうに詰まってるのかあるいはエネルギーがどう言うふうに流れやすくなってるのかこれによってその人の性格、観念、考え方、限界、苦しみなどを決定しますよとあるいは氣道って言うのはまた別の言い方をすると我々の世界観とも関係がある。例えば性欲的な観念、つまり、俺は(私は)こういう女(男)をものにしたいとか、こういうセックスがしたいとかいうのがいっぱいあると腰の周辺、このへんが詰まります。あるいは食べ物が大好きだったり、お金やものが大好きだったりするとへその辺りが詰まるとかねそういうのが全て決まっているんだね。それは観念ともいってもいいしカルマといってもいい。つまり我々の心にある悪い観念がある、あるいは過去の悪い行いを行なったとそれが我々の悪いエネルギーの流れを生み出しナーディを詰まらせてる。逆に言うと善い行い、善い心は良いエネルギーの流れをもたらし氣道が浄化されていく。だから我々が教えを学びあるいは戒律を学ぶ。
そうなんだ~人を憎んじゃいけないんだ、嘘をついちゃいけないんだ、人を騙しちゃいけないんだ、人に悪口言っちゃいけないんだ、邪悪な思いをもってはいけないんだ、このような戒律を持ち、これはまさに下の方からグーッと締めていく、これはチャクラと関係があるんだけど、チャクラに関しては後ほどやりますので簡潔にすると一番下のお尻にあるムーラーダーラ・チャクラって言うのは怒り、嫌悪、憎しみなどと関係がある。次に二番目の性器辺りのスワーディシュターナー・チャクラって言うのは性欲、愛情欲求と関係がある。次に三番目のお腹にあるマニプーラ・チャクラって言うのは貪りと関係がある、つまりこれを下の方からグーッと締めていくどういうことかって言うと怒っちゃ駄目なんだ、❌️とやって締める。駄目っ駄目っダメって全部ダメなんだねあれ?何処かのヨモギねえさんのあれだね(笑)次に性欲や愛欲的なモノも駄目なんだ、❌️とやって締める。駄目っ駄目っダメって全部ダメなんだねあれ?また何処かのヨモギねえさんのあれだね(笑)(笑)
次に貪りも駄目なんだ、❌️とやって締める。またまた駄目っ駄目っダメって全部ダメなんだねあれ?また何処かのヨモギねえさんのあれだね(笑)(笑)
そうするとこの中にあるエネルギーは行き場がなくなりもう下に行けないから上にしか抜けられなくなるから。これが教えであり、戒律なんだね。だから皆さんが教えを学び、既に学んでいるけど、教え通りに生きようと頑張る、そうすると話を戻すけどある段階からストレスが溜まります。つまりちゃんと戒を守って徳を積んだり、修行したりすると当然のようにエネルギーが溜まってきて、風船がパンパンになるみたいになります、これ最初マジでキツイです。ある人はイライラするある人は怒りっぽくなるある人は色々な欲望が出てどうしようもなくなるこういう時期が必ずある。これは徳を積んで戒を守りパンパンになってる。ここでストレス溜まったから発散する為に遊ぶ、あるいは発散する為に人に攻撃をする怒りをぶちまけるいっぱいだったエネルギーをロスすることによって一時的には楽になる、でもそれは非常にもったいないせっかくパンパンにしたのにこれから偉大なる進化のプロセスを辿る為のエネルギーを蓄えてるのにまたシューッてしぼめちゃったことになる心は楽になるけど非常にもったいない一般の人が言っているストレス発散によって楽になるって言うそういう事なんだね、一般の人も修行してないけどストレスが溜まると。これはなんでかと言うと別のプロセスなんですね。例えとして自分の世界があります。この自分の世界は空間の大きさが決めらてる。この空間の大きさが決められている世界に修行者は今言ったようにどんどんエネルギーを貯めていくそうするとその空間にどんどんエネルギーが増大するからパンパンになるこれが修行者のストレスいっぱいの状態。では一般の人はそうじゃないつまりは別に徳を積んで戒を守っているわけでもない、じゃあ、なんでパンパンになるのかって言うと日々悪業を積む事によってどんどん詰まるつまり空間自体が狭くなってくるエネルギーが増えるんじゃなくて空間が狭くなる事でパンパンになるんだね。(笑)これを繰り返す場合、生きれば生きるほど世界は小さくなりエネルギーは小さくなる。ではじゃあこの時点で何をするか?修行者の場合はパンパンになったら「ぶち抜く」ぶち抜くことによってより広い空間より広い自分の心の世界を現出させるつまりナーディが上の方に上の方にと開かれる状況ができ実際に高い世界への道筋(道ですよ道)がだんだんとできてきます。じゃあどうすれはパンパンになった氣道をぶち抜くことができるのか?まず、教えによる自己分析によって観念を破壊するつまり、上に行こうとするときにいろんな悪い観念によって詰まってるとこれをどうやって取るんだと。一つのやり方は教えの分析と納得ね。これは得意な人と苦手の人がいるかも知れませんが別に難しい話じゃなくて教えをしっかりと学びそして実践(つまり行動)自分の課題や自分が今ぶち当たってる問題などに当てはめそれを教えによって解放する。例えば人への嫌悪があるとしてあの人の事がもう本当に愛せない、あの人が憎い、憎い、憎い、いや教えでは駄目だと言ってる、でそれで教えをしっかりと学び色々ぶつけていって、ぶつけていって、ぶつけていってある時パッって解放されるかも知れないし、あっそうだ!私は何を思っていたんだろうと愛せばいいじゃないか、あるいは教えを徹底的に入れることによって自分ではよくわかんないだけどパッって解放される場合がある、自分ではどう考えたかは覚えてないけどもその教えのデータの蓄積によってパッって解放される場合もあるこれらは一つのやり方ですね。そしてこれらをベースとして物理的な行法って言う方法によって上の方の氣道にグーッとエネルギーを通していくだから逆に言うとどっちの方向からでも浄化できるつまりもし日常生活に於いて観念をなくしていったら氣道がちょっと浄化されます。もちろんムドラーとかやっても浄化されます。両面からやれば早い日常に於いて執着や観念をなくしていって物理的にムドラーやアーサナや呼吸法をいっぱいやってたらとてもしかもかなり早いでしょう。つまり教え、行法、実生活この三つがちゃんと組み合わさると我々の氣道はもの凄く早く浄化されていくんだね。ちょっとね話が広がりましたが話を戻すとまずはしっかりとエネルギーを強めそれが漏れないようにというのが第一のプロセスとしてあるわけだね。
以上「エネルギーを高め、ストレスに耐え、氣道の壁をぶち破り破壊する」でした。
するかしないかは自由意志の尊重