15 ホシ/vt。[後編]
なぜ、男の誘いにのったのかはわからない。
男と出会った時のアイのいつもと違う変化に僕は何かを感じたのかもしれない。
男の渡したチラシに書かれていた場所は駅前の大型デパート。
駅前という好立地であるにも関わらず線路を隔てて反対側に新しい商業施設ができるとそちらに人が流れてしまった。
結局、競争に敗れ来月には取り壊しが決まった。
柵で覆われていて中に立ち入ることはできない。
この施設が建設されたのは駅の建設計画ができてすぐの頃だった。隣の駅からシャトルバスなども出てかなりの賑わいを見せていた。しかし駅ができて少しすると様子が変わってきた。
施設が建てられたのは駅の東口。しかし東口側には駅ができる以前から住んでいた古い住人たち。開発は遅々として進まず、西口側に次々と新たな施設が建てられた。すると人の流れは西側に出来上がり、駅が完成して少し経つと東口側は西側と同じ土地かと驚くほどに格差が生まれてしまった。
つまりは夜になると人通りがほぼないのである。
打って変わって線路の向こう側はネオンの光がきらめている。
「あれかな?」
周囲を見渡す。すると、数人の男女の集団が目に入った。
近づいてみると上は壮年の男性もいれば、下は僕と同年代の少女もいた。
同じ目的で集まってはいるが他人の集団のようで、一か所に集まってはいるものの誰も会話をせずよそよそしい。
「おや、やはり来ていただけたんですねぇ」
背後から件の男が現れた。
夕方と同じ、黒のスーツは夜の闇に溶け込んで白い顔だけが暗闇に浮かんで見えた。
「それでは、他の皆さんとご一緒に」
やはりあの集団は男のお客さんらしく、人々は無表情に男を見つめている。
「おいらについてきてくださいね。商品はこの建物の屋上にありますんで」
男は鞄から鍵の束を取り出し「どれだったかなぁ?」と鍵を施錠されたフェンスの入り口に差し込んでいく。
カチリ、という音ともにフェンスの鍵が外れた。
「さぁ、中は暗いんで離れないでくださいね」
鞄から今度は懐中電灯を取り出し足元を照らす。
男を先頭に僕たちは建物の中を歩く。
デパートの中は真っ暗で男の照らす光を頼りに進む。
「いやぁ、お兄さん来てくれて嬉しいでやんすよ。カノジョさんが嫌がっていたから来てくれないかと思いやした」
「別に、アイはそういうのじゃないよ」
男の飄々とした声が建物内に響く。
「ではどういったご関係なんでぇ?」
「それは……」
思わず言葉が詰まる。僕とアイの関係。それは一体何なのか僕が知りたい。
すると男が笑い声を漏らす。
「ひひひっ。すいませんね。思わず笑っちまいました。というきとはおいらにナニカ聞きたいということですかい?」
「……」
僕が黙っているとそれを肯定と捉えたのか男は何度か頷く。
「ええ、ええ。よろしいですよ。ではお兄さんに提供する商品はおいらがわかるあのお姉さんのことについてでよろしいですか?」
「何か知っているの?」
「知りませんよ。お兄さんとも、お姉さんとも今日初めて会ったじゃありやせんか。」
「なら」
「ですが、ナニカはわかりますよ。おいらはこういう商売しているんで色々なモノをみてきやしたからね」
「……」
動かないエスカレーターを上っていくと、屋上に出た。
「どうでしょう。こちらはまだ開発も進んでいないので、夜空がよく見えるんですよ」
男は両手を空にかざす。
夜空には少しの星がきらめいている。
視線を下げると線路の向こう側に立ち並ぶビルの明りが見える。
他の人たちはそんな風景に気を向けることはなく、ただうつろな目で男を見ていた。
「おやおや、星空はお求めではありませんか。それではさっそく商品をお見せしやしょう」
男は鞄から長さ三十センチほどの筒状のモノを取り出して、手近にいた中年女性に渡した。
「これが皆さんに紹介する商品。その名も羨望鏡」
「おおお」
今まで一言も発さなかった人々が感嘆の声を漏らす。
「様々な商品を皆さんには紹介させていただきましたが、今回の一品はその中でも一押し。この筒を夜空に向けてから覗いてくだせぇ。そうしたら皆さんの望みが現実となるでしょう。ぜひお使いください」
恭しく一礼して、顔を上げた男はニヤリと口元を歪めた。
最初に手渡された女は早速羨望鏡を空にかざしていた。
「……あぁあ、ふふふっ。えぇ、そうよ。そうなのよ」
女は嬉しそうに何度も頷きながら一心不乱に羨望鏡で夜空を見つめている。
「もう、いいだろう! 次は俺の番だ」
すると、壮年の男が女の手から羨望鏡を奪い取った。
「……あぁ、ミチコ、キョウスケ帰ってきてくれたのかぁ」
男もとても嬉しそうに羨望鏡で空を見つめる。
「次は私よ」「僕の番だ!」「貸して」「よこせ」
堰を切ったように、人々が羨望鏡に群がる。奪い合いが始まった。誰もが他人からむしり取り、すぐに羨望鏡で空を眺め嬉しそうにぶつぶつと何かを呟く。
羨望鏡を使った人々は呆けたようにただその場で立ち尽くして空を見つめていた。
そうして少しすると全員が羨望鏡を使ったようで喧噪は消え去り、全員がふふっ、と笑いながらただぼぅっとしながら夜空を見上げていた。
「ひひひっ。皆さん大変すばらしい夢を見ていられるようですね」
男は下卑た笑い声をあげながら、最後に使った少女の手から羨望鏡を取り上げた。
筒の頭を開けると、中からいくつかの丸い宝石を手の中に落とした。
一つ一つ検品するように夜空に透かして悦に入っている。
「それは……何?」
「ひひひっ。これですかい? これは現実を映すのをやめて美しい夢だけを映す夢想石でやんす。辛い現実から逃げて、逃げて自分の殻に閉じこもった人間からしか取れない希少な石」
男の言葉にもう一度、空を見上げる人々の顔を見る。
ぶつぶつと独り言をつぶやく口の端からは涎が垂れている。そしてその目は真っ黒な空洞になっていた。
「この人たちはどうなるの?」
「さぁ? おいらにもわかりやせん。ですが皆さん生きるのも辛い現実にいるよりは永遠に醒めない幸せな夢の中にいる方が幸せでしょう。どうです? お兄さんも覗いてみやすか」
そう言って男は羨望鏡を差し出してきた。だが、僕はそれを断る。
「それよりも、さっき言っていた僕とアイのことは……」
「そうでやんしたね。お兄さんとお姉さんのことに関してそれがお兄さんの欲しい商品でしたね。それでしたら、先にお代金から頂きやすよ」
「いくらなの」
「いえいえ、お金はいりやせん。そうですね。お兄さんのそのボディバックに着けているキーホルダーが欲しいでやんすね」
「これ?」
僕は困惑しながら、昔誰かのお土産で貰ったご当地キーホルダーを取り外して男に手渡す。
男はそのキーホルダーを愛おしそうに何度もなでていた。
「ひひひっ。これはすごいいい品でやんすよ。何よりお兄さんに『吊るされていた』っていうのがいい」
「そ、それで話を聞かせてよ」
「ええ、ええ。お代金を頂いたなら話さないといけやせんね。ちょいとお待ちを」
男はキーホルダーと羨望鏡、それから夢想石を鞄にしまい込むと、再び口を開いた。
「それではおいらが知っている話をお聞かせしましょう。奇妙な神様とそれを祭る一族のお話」
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