11 イキ/e1
日付がもうすぐ変わろうかという夜分、初夏の暑さに負けアイスを食べたいと妹が駄々をこね始めた。
アイスかいいね、などと適当な返事を返したのが悪かった。
小銭を渡されて家を追い出された。
「幼気な女の子をこんな夜に一人で外に出すとか本気?」
などと言われては何も言えない。
言いたいことは山のようにあったが口喧嘩で勝てるわけもなく、僕は一番効率的な方法をとった。
黙って命令に従うという方法。
家の中にいると暑く感じるが、外は夜風がまだまだ冷たく薄着で出たことを少し後悔した。
コンビニまでは歩いて十分ほどの道のり。
夜の住宅街はひっそりと静まり、並び建つ家々から漏れる明りや匂いが確かに人の営みを感じさせた。
「ふぅー。ふぅー。ふっふぅー」
曲がり角の向こうから尋常ではないほど荒い息遣いが聞こえてきた。
不快感を抱くような男性の息遣い。
「ふー。ふぅー」
僕は少しその先へ進むことを躊躇った。
学校や家でも暖かくなると話題にあがることだ。
変質者。
そんな三文字が頭の中に浮かんだ。
僕も男ではあるが、それでも出会っていい気分になれるものではない。見せて喜ぶような奴ならばいいが、最悪危害を加えることを良しとするような奴ならばたまったものではない。
背後をチラリ、と振り返るが人の気配はないし生憎と隠れるようなところもない。
「ふゔー。ふぅー」
息遣いは確実に近づいている。角のすぐそこまで迫っている。
どうすることもできずただ僕はその場に立ちすくすしかなかった。
「……」
僕は角から姿を現した人を見て目を見張った。
小学生ぐらいの女の子であった。
しかし息遣いの正体はどうやらその女の子ではない。
女の子の手には散歩紐が握られていた。どうやら犬の散歩をしているようだ。
ということは角の向こうには少女のペットの犬がいるのだろう。
「ぶぅー。ぶっー」
この荒い息遣いもその犬のものだったのだろう。
そう気づくと警戒していたことが馬鹿らしくなってしまった。
しかしそこでふと思う。
こんな夜中に女の子が犬の散歩をするのだろうか?
角の向こうから歩いてくる女の子に視線が再びうつる。
「っ!」
女の子はじっとこちらを見つめていた。これでもかと目を見開いている。その目は斜視なのか右目だけあらぬ方向に黒目が向いているのがさらに不気味な様相をかもしていた。
「ふー。ふー」
少女に遅れて、『それ』も角の向こうから姿を現した。
『それ』は形容し難い何かであった。『それ』は小型犬ほどの大きさの芋虫のような身体に、無数の短い脚が生えていた。顔と思われるようなものはなく、その身体の大きさに不釣り合いなほど大きな口があるだけ。その口には無数の棘のような歯がところせましと並んでいる。
「ぶーぶーふーふーふー」
『それ』は中年男性のような野太い息遣いをその口から吐く。聞けば聞くほど不快感を増す音。
僕は『それ』を直ぐに見てはいけないものだっと直感した。
そして『それ』を連れて歩いている少女は人ではないナニカだ。
「お兄さんもわたしといっしょだね」
少女が口を開いた。しかしその声はその見た目からは想像のつかない太く低い声。
『それ』と同じ聞いているだけで不快になるような声。
「いいな。いいな。いいな。い゙い゙な゙」
聞いているだけで鳥肌が立つ。
通り過ぎたくても、この狭い道路では『それ』のすぐ脇を通らなくてはならないし、来た道を引き返そうにもあれらに背を向けるのは嫌だった。
「わ゙たしも゙つる゙してほしい゙な゙。ひひひひひひっ」
少女は耳元まで裂けたかのうように口を大きく開いて喧しく笑い始めた。
「不細工な犬ね」
後ろから目を塞がれた。
そして聞き覚えのある声。
静かな静かな女性の声。
「……アイ?」
「こんばんわツナギくん。この子はツナギくんのお知り合いかしら?」
「い、いいや」
「そう」
ひんやりとした指がゆっくりと僕の顔から離れた。
静かな住宅街。
不快な息遣いは聞こえない。
少女のようなナニカも、『それ』もいつの間にかいなくなっていた。
「女の子が一人でこんな時間に不用心ね」
「それはアイもだろう」
「あら、ふふっ。心配してくれるの?」
アイはからかうような笑みを浮かべた。
「それならツナギくんも付き合ってくれる? そこのコンビニに行きたいの」
奇遇なことにアイもコンビニに用があったようだ。
「さぁ、いきましょう」
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