第三章 進路 ④
クリスマスも年の瀬も、正月さえもバイトの身には少しも関係なく、ただ周囲のディスプレイが目まぐるしく変わっていくだけだった。三ヶ日を過ぎた頃になるとさすがにくたくたになって、残りの休みをただ眠ってだらだらと過ごした。
まり子さんは四季折々の行事にはまったく興味を示さない人だった。だから、年末年始にもとりたてて思い出と言えるようなものはない。その事に今は感謝してもいいかも知れない。とにかく冬休みの間中、バイトに精を出したおかげで、三月に計画通り上京する事になっても、何とかなりそうだった。
引越すと言っても、どうせ持っていくような荷物もほとんどないのだから、費用もそんなにはかからないだろう。なかなか暖まらない部屋で私はそんな事ばかりをあれこれと算段していた。
学校が始まるとすぐに担任と進路についての面談があった。担任は世界史と倫理社会を担当する四十代の身体も声も大きな男だった。この担任の教師は学校の中で唯一私の興味をひく存在だった。
まり子さんが性懲りもなく面倒を引き起こしたおかげで、もう何度目かわからない引越をしなければならなくなった時、私は受け入れてくれる高校を必死で探した。高校を卒業するというのはもう私にとって執念のようなものになっていた。
だから、編入する事ができた時、目的はほぼ達せられたも同然であとは卒業までを大人しく過ごし、卒業証書を貰うだけだった。当然高校に対しては何の期待もしていなかった。
この担任は何をするにも元気だった。四十代と言えば熱血ぶって仕事をする程若くもないが、あきらめてしまう程の年でもない。拠り所のない私から見るととても安定し、自信に溢れているようにも見えた。
「みんなが幸せになれる社会を作っていかなければならないんだ」
そんな事を生徒を前にして大まじめに言える。クラスメートたちはみな、はいはい、もうわかったよ。という顔をしている。みんなが幸せになるなんて事を恥ずかしげもなく、簡単に口にし、当たり前のように言う事になぜだか腹が立つ。
だから、ガラにもなく教室を出た担任を追いかけて階段で呼び止め、
「みんなが幸せになれる社会なんてできないと思います」
「どうしてそう思う?」
担任が興味深げな顔をして正面から私を見つめる。
「幸せなんて、一人一人違うでしょう。」
そう、人からどんなに不幸に見えたって、反対に幸せに見えたって。
「うん、確かにそうだけど、幸せになりたい人が幸せになる機会を平等に与えられる事は大切だよね」
幸せになりたい人……。
少なくても今の私は幸せになりたいと思っていない。
ただ、生きていく価値があると思いたいだけ。
「進路の面談、家の人は来られる?」
「いえ、病気で来られません」行方不明ですから来られません。
「そうか……。それなら仕方ないね」
放課後、担任と向き合う。担任は、もうすべて決めていた私の話を時折資料を見ながら黙って聞いていた。選んだ学校はカンヌで賞をとったという映画監督が校長をつとめる映画専門学院で、脚本や舞台芸術やカメラワークなどといった多彩なカリキュラムが用意されていた。
新聞奨学制度でどの学校でも行けるわけではなかったが、その学校は制度の基準を満たしているらしく、利用可能な学校として指定されていた。担任はそういう制度も映画専門学院なども初めての事例らしく、いくつかの質問をし最後には励ましてくれた。
「君ならきっと大丈夫だから」
それが根拠のない励ましであろうと、教師はそう言って生徒を送り出すしかないのだろう。