第五章 性 ①
「卒業式の日にバージンをあげる」
そんな約束が廊下の隅で密かに交わされている。通りがかりにあいにく聞こえてしまった。
声の主は、小野寺という女子と児玉といういかにも軟派そうな男。二人とも同じクラスだがほとんど口を聞いたこともない。交わされている約束よりも、あの軽そうな小野寺がいまだにバージンだったらしいということに驚く。
二人とも就職組で、たぶんもう就職先もほぼ決まっているのだろう。途中転入の私にはこれといって親しい友達もいなかったが、自分がだいたいどう見られているかくらいは知っている。
以前、小野寺と職員室に呼ばれた時、いかにも軽そうな笑顔で、
「職員室に名指しで呼ばれたからびっくりしちゃったよ。でも、朋ちゃんと一緒で安心しちゃった。優等生の朋ちゃんと一緒だったら悪いことじゃないもんね」
軽いから馴れ馴れしいのか、馴れ馴れしいから軽く見えるのか、いずれにしてもすっかりお友達だ。職員室にご指名で呼ばれたからといって小言を言われるなどとは端から思っていなかった。
後ろめたいことなど何一つない。バイトは表向きは禁止だったが、私の家が普通ではないことは察しているのか、教師はみな黙認していた。
いつも捉まらない忙しい私と話すために、わざわざバイト先にドーナツを買いにきた教師もいたくらいだった。
小野寺が教師に呼ばれてどきどきしなくてはならない理由など知らないが、とにかく彼女は私と一緒と知って喜んでいた。当然、たいした用ではなかったのだが、それさえもまるで私のおかげだというように大げさに安堵するのだった。
小野寺の毎日は笑ったり怒ったり忙しそうだ。そんな小野寺を、羨ましいと思う。小野寺の毎日は忙しくてもきっととてもシンプルだろう。楽しいとかつまらないとか、むかつくとか、日々体験することはその単純明快なカテゴリにテキトーに分類され、賞味期限が切れたらさっさと処分されていくのだろう。
惜しげもなくその感情を顔に垂れ流してゆく小野寺をいっそ好ましくさえ思う。